漣 02

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*  *  *
 どれぐらいの時間が経ったのか、俺は、じわっとのしかかるような不自然な重圧感で目を覚ました。

「な、何だ、妙に寝苦しいな……」

 窓から漏れる月明かりが微かに差し込む薄闇の中、
 眼前には、俺にキスをねだるように、おちょぼ口をしたあやせの寝顔が横たわっていた。

『ひぃ!』

 俺は、絶叫しそうになったが、辛うじてこらえた。


 なんて寝相が悪い女なんだ。
 あやせの甘い吐息が俺の顔面をそよ風のように撫でていく。
 いかん、股間のハイパー兵器にエネルギーがチャージされちまうじゃないか。

「し、しかし、す、据え膳食わぬは、男の恥か?」

 手前勝手な理屈をつけて、このまま、あやせの唇を奪おうかとも思ったが、その最中に、あやせが目を覚ましたら、
俺は確実にブチ殺されるだろう。

「で、でも、何で、こんなに色っぽいだ」

 普段のあやせは、“可憐な”という形容がぴったりだが、今は、“妖艶”と形容すべき色香が漂っていた。

「ほ、ほんのちょっと、だけなら……」

 軽く触れるだけなら、あやせも目を覚まさないかも知れねぇ。あくまで、軽く、だけどね。

 ちょこんと突き出たあやせの口唇に、俺も自身の口唇を近付けた。
 多分、そのざまは、ひょっとこのように唇を突き出した無様なものだったに違いない。
 それでも、俺は、一~二センチほど、自分の顔をあやせの面相に接近させた。

 月明かりと、街灯の光で、青白く光るあやせの頬が、微かに朱に染まっている。
 だが俺は、閉ざされた瞳に、うっすらと涙が浮かんでいるのを認め、はっとした。
 彼女は、触れてはいけない、月下の花なのかも知れない。

「だ、だめだ……」

 あやせのバラのような口唇を奪いたいという欲求は、臨界点突破寸前だったが、すんでのところで、俺の理性が
それを抑制した。
 ブチ殺されるのが怖かったからじゃない。
 あやせの気持ちを無視して、彼女を抱いたりしたら、ひどく惨めな気分に襲われて、絶対に後悔するだろう。
 微かに涙を浮かべた女子を、欲しいままにするというのは、少なくとも俺の趣味じゃない。

「と、とにかく、この状態から、脱しねぇと……」

 俺は、あやせが目を覚まさないように、ゆっくりと布団から這い出すことにした。さながら、芋虫のように、もぞもぞと
身をよじりながら、あやせが転がってきたのとは反対側の布団の端から、何とか這い出ることが出来た。

「どうにか抜け出られたか……」

 ほっとして壁際にへたり込んだ俺は、あらためて布団の上のあやせを見た。
 奴め、パジャマ一つで、俺の布団の上にうつ伏せになってやがる。

「このままじゃ、風邪をひいちまう」

 この地方は内陸なので、日中の寒暖の差が大きい。深夜から明け方にかけては、ゴールデンウイークの頃であっても、
早春の千葉並みに冷えるのだ。
 俺は、寝ているあやせの身体に、彼女が本来使うべきだった布団を掛けてやった。

「俺自身も、何か着ないと、もたねぇな……」



 箪笥を静かに開けて、何か羽織るものはないか物色した。手近にあったウールのPコートをハンガーから外し、
それに袖を通して、壁際にうずくまった。

「う~~~ん……」

 艶かしいため息とともに、あやせは、ばんざいをするように、伸びをしがら寝返りをした。
 あやせが目を覚ますのかと思い、俺はドキッとしたが、あやせは、そのまますやすやと寝息をたて始めた。
 しかし、

「うわ、こいつ、パジャマの前をはだけてやがる」

 ばんざいをしたことで、あやせの胸元が布団からはみ出していた。その胸元のボタンは全て外れており、胸の谷間が、
見え隠れしている。

「ノ、ノーブラなんじゃね?」

 控えめではあるが、ぷっくりと盛り上がった乳房が艶かしい。よく見ると、汗ばんだ肌に張り付いたパジャマのせいで、
乳首の形さえも把握出来た。

「し、しんぼ、たまらん……」

 『バストのサイズが、戦力の決定的な差でないことを教えてやる』ってところか。
 今、目の前に寝ているあやせは、俺を惑わすエロス全開の妖しい魅力に満ちていた。
 あのパジャマの前をちょっと左右に引っ張るだけで、あやせの乳房が、ぽろんと丸出しになるだろう。
 その乳房に顔を埋め、先端に花開く乳首をすすりたい、そんな衝動的な欲求が、下腹部からマグマのようにたぎってくる。

「だが、やったら最後、本当にブチ殺されるな……」

 俺は居たたまれなくなって、部屋の外にそっと出た。足音を立てないように階段を下りて、トイレに向かう。

「暴発寸前だった……」

 下着を下ろすと、はちきれんばかりに怒張した俺のハイパー兵器が屹立していた。
 俺は、先ほどのあやせの痴態を思い浮かべながら、その先端をひたすらしごき、摩擦した。
 バラ色の口唇、小さいけれど、丸く盛り上がった乳房、それとパジャマ越しでもその存在を主張していた乳首……。
 それを思うだけで、俺の劣情はピークに達しようとしていた。

「う、うっ……」

 陰茎から脳髄にまで、電撃を食らったような痺れとも、車酔いのような眩暈とも表現出来そうな快感が走り抜け、俺は、
トイレの床と壁に、白濁した精液をぶちまけていた。
 俺は、はぁ、はぁ、と荒い息遣いで、べっとりと精液にまみれた自分の手を見た。

「何やってんだ、俺って……」

 射精後の快楽が潮のように引いていくと、ひどく惨めな気分になった。
 俺は、トイレットペーパーを長めに引き出すと、白く汚れた自分の陰部と両手を拭い、もう一度、長めにトイレット
ペーパーを引き出し、それで床や壁に飛び散った白い汚れを拭い取った。



 それらを流して、両手を洗い、俺は、よろよろと階段を上って行った。
 そして、本来なら、あやせが寝るべきだった部屋に入ると、布団も何も敷かずに、そのまま壁にもたれて、瞑目した。

「あやせを襲っていたら、あいつにブチ殺される前に、死ぬほど惨めな気分になったかもな……」

 冷たく、苦々しい思いを噛み締めながら、俺はいつしか眠りに落ちていった。


*  *  *

「つ! い、いてぇじゃねぇか」

 何者かが俺の鼻を摘んでいる。いや、誰であろうかは、察しはついているんだけどさ。
 この下宿屋には、お婆さんと俺とあやせしか居ないっていう状況から言っても、こんな非常識な起こし方をする点か
らしても、あやせ以外に考えられないよな。

「キモ……、なんでこんな壁際にうずくまっていたんです。ちゃんと布団で寝ないとダメじゃないですか」

「ダメって……。おい、おい……」

 誰のせいだよ……。お前が、ゴロゴロと転がってきて、俺の方にのしかかって来たから、おれは布団から出て、ここに
避難したんだろうが。
 そんな思いで、あやせと目を合わせた俺は、寝起きということもあって、相当に目つきが悪かったのだろう。

「何ですか、その恨みがましい反抗的な態度は。それに目つきが悪いこと……。本当に性犯罪者予備軍ですね」

「悪かったな、どうせ、俺の面相は不細工だよ」

 汚物を見るような、あやせの冷たい視線が辛くて、俺は、不貞腐れたようにそっぽを向いた。

「大人げないですね、お兄さん。それに、お兄さんの顔は不細工なんかじゃないじゃないですか。初めて見たとき、結構
いいなぁって、思ってたんですけど」

「そうかい……」

 去年の夏だったか、あやせの部屋で、そんなことを言われたっけ。でも……、

「今は、大嫌いなんじゃねぇの? 俺、お前のあのコメントが未だにこたえているんだけどよ」

「そうですね。今のままでは、私、お兄さんを好きにはなれません。でも、お兄さんは、私と結婚したいんでしょう? 
だったら、私に構わず、腕ずくでものにするとか、考えないんですか」

「はぁ?」

 何を言ってるんだ、こいつは。
 散々、大嫌いだとか、死ねとか、ブチ殺しますとか言っていたのと同じ口が、妙な言葉を紡いでやがる。
 理解不能とばかりに、眉間にシワを寄せていた俺の顔を覗き込むように、あやせは、すぅ~っと色白の面相を俺の顔
に近づけてきた。


「お、おい、あやせ……」

 そのままキス寸前という間合いまで白い面相を近づけたが、それも束の間、あやせは顔をちょっと右に傾け、
俺に耳打ちするように囁いた。

「夕べは、どうして襲ってくれなかったんですか?……」

「な、な、なんだって?」

 マジかよ?!
 だとしたら、このアマ、寝相が悪いってのはフリだったのか。こいつは、わざと、おれの上に転がってきて、顔をぴったり
くっ付けてきやがったんだ。その時の、こいつの顔が、キスをねだるようにおちょぼ口だったのは、そのせいか。
 それに、パジャマの前ボタンは外れていたんじゃない。外していたんだ。くそ……。

「お兄さんの顔色って、信号機みたいに、青から赤へ変わるんですね」

「ぐぬぬ……」
 
 再びキス寸前の状態で俺と向き直ったあやせは、それだけ言うと、すぅ~っと立ち上がり、上から目線で、冷笑とも、
嘲笑とも、はたまた微笑ともつかない笑みを俺に、投げかけている。

「お兄さんは変態のくせに、寝ている女の子にキスも出来ないんですね。何かの悪い病気ですか?」

 こいつの脳内では、俺は近親相姦上等! の鬼畜ド変態ということらしいから、あやせにしてみれば、肩透かし喰らっ
たというところか。
 悪いが、俺は、あやせが期待するような変態じゃないから、一応は理性ってもんを多少なりとも持ち合わせている。
 それに……、

「逆に訊きたいんだけどよ。もしも、俺が、あやせにキスをしていたらどうなっていた?」

 あやせの瞳から虹彩が、すぅ~っと、消えた。
 うぇ、やべぇ……。こういうの、薮蛇っていうんだな。

「聞きたいですか?」

「い、いや……、べ、別に……」

 俺は全力で首を左右に振りながら、それだけを呟くように力なく言った。
 キスしていたら、俺がどうなっていたかは、わざわざ訊くまでもないことだった。

「そうですか……。それなら、この話はこれでお仕舞いにしましょう。だから、お兄さん……」

「な、なんだよ……」

「そんな壁際に貼り付いていないで、ちゃんと着替えて、さっさと顔を洗って来てください。間もなく朝食の時間ですから、
遅れないようにしてくださいね」

 口元に妖しい笑みを浮かべて、俺にそう告げたあやせは、舞うような優雅な足取りで部屋を出て、階下へと向かって
行った。
 でもね、目が全然笑ってないんだよ。



「ふぅ……」

 錯乱しそうな頭を抱えながら、俺はのろのろと起き上がり、自室に戻ってPコートと寝間着代わりのスウェットを脱いだ。
 布団は既にあやせが畳んで仕舞っておいてくれたらしい。

「しかし、あいつは、俺が大嫌いだったんじゃねぇの?」

 そんな女が、寝相が悪い振りをして、俺の上に転がってくるだろうか? 普通に考えれば、それはないだろう。
 あやせが普通の女の子なら、俺に脈ありと考えるのが自然だ。

 だが……、

「あいつは、桐乃に対しても、擬似的な恋愛感情を持っていそうだからな……」

 桐乃に想い人が居て、それがこともあろうに、桐乃の実兄である俺だというのが、心底気に食わないのかも知れない。
 一番の親友である桐乃の心を奪った、憎い相手。それが俺か……。

「朝から鬱な気分だよな……」

 俺は、ダンガリーのシャツに袖を通し、ジーンズをはいた。
 典型的な貧乏学生のファッションだが、着やすいし、動きやすいから、これで十分だ。
 そういえば、さっきのあやせも、下はベージュのコットンパンツで、上は、黒っぽいタイトな感じのブラウスか何か
だったな。
 あいつのパンツルックは、あまり見ないから、新鮮だった。それに、桐乃同様、脚が長いから、すごく似合っていた。
おっと、いけねぇ、いけねぇ……。あいつにとって俺は敵。俺も、安易に心を許しちゃいけねぇな。

「顔でも洗ってくるか……」

 冷水で顔でも洗えば、少しは気持ちも引き締まるだろう。
 敢えて湯を使わずに、朝方の冷たい水で洗顔し、顔を拭きつつ八畳間に行くと、昨夜と同じように、あやせが配膳を
していた。

「あら、お兄さん。顔は洗いましたか? 何だか、寝ぼけたようなすっきりしない表情ですね」

 誰のせいだと思っているんだ? と詰ってやりたかったが、やめておいた。
 ちゃぶ台の上には、料理が全て配膳されており、お婆さんが飯茶碗にご飯をよそるところだった。

「あら、あら、ちょうどいいところに高坂さんが来てくれました」

「おはようございます。ちょっと、寝過ごしてすいません」

 ご高齢だってのに、律儀に賄いをしてくれている下宿の主には頭が下がる。
 もちろん、下宿代を払っているからなのだろうが、地場の食材をふんだんに使った食事の内容とか、その手間を考え
ると、これで採算が取れているのか、こっちが心配になるくらいだ。

「これ、鰆ってお魚を白味噌に漬けておいて、それを焼いたものなんですって。こんなお料理、初めて知りました」

 先にちゃぶ台の前に座っていたあやせが目を輝かせて、皿の上の料理を指差した。いわゆる西京焼きのことだろう。

たしかに、白味噌自体が千葉の方じゃポピュラーじゃねぇからな。

「まぁ、まぁ、西京焼きは、この地方じゃ、ありふれたものなんですけど、喜んでもらえると、うれしいですね」

 そのお婆さんに、あやせは、この地方の料理について、あれこれ訊いている。黒猫もそうだが、あやせも意外に家庭
的なんだな。家事全般が嫌いで、料理もダメダメな桐乃とは大違いだ。
 食事中も、あやせはお婆さんの作った料理に興味津々で、お婆さんを質問攻めにしていた。あやせって、思い込みが
激しいから、興味深いものがあると、とことん食らいつくんだな。お婆さんは、いい迷惑なんだろうけどさ。

「ここでは、米麹をたくさん使ったお味噌が普通なんですよ。少し甘味があるのは、米麹のせいですね」

「そうなんですか~」

 あやせとお婆さんの会話は、料理にうとい男の俺にはよく分からない。
 まぁ、俺のことを話題にしている訳じゃねぇからな。適当に聞き流しておこう。
 俺は、湯気を立てている味噌汁をすすった。
 たしかに関東のものよりも甘いが、白味噌と昆布出汁のコンビネーションが絶妙で、これはこれで旨い。

「そういえば、お兄さん」

「な、何だよいきなり」

 あやせが、半眼の恨みがましい視線を俺に向けている。

「さっきから何ですか。私がお料理のことで話し掛けても、生返事だけで、一言もしゃべらずに……。だから、お姉さんに
も愛想を尽かされたんです」

「お、おい! 麻奈実のことは関係ねぇだろ。それに、俺は料理ことなんか分からねぇから、お前の話にはついていけ
ねぇよ」

「それだから、お兄さんはダメなんです。分からなくても、相手を立てるつもりで、話を合わせるって出来ないんですか?」

「そいつは、話題によるだろ? お前だって、お前がいかがわしいと思っているゲームや漫画の話だったらどうなんだよ。
妹物とかさぁ……。そんな話題でも適当に相槌打って、会話を笑顔で続けられるのか?」

 『妹物』というのがNGワードだったらしく、あやせの顔が怒りと羞恥で真っ赤に染まった。

「け、穢らわしい! あんないかがわしいものと、お料理の話を一緒にしないでください。ブチ殺しますよ」

「それ見ろ。お前だって、苦手な会話にはついていけねぇだろうが。それに、お前の料理に関する話は、
お婆さんが応答してくれたんだ。俺なんかが、出る幕じゃねぇよ」

「そうですよ、あやせさん。お料理の話は、男性である高坂さんには難しいでしょうね。それに、朝っぱらから
『殺す』だなんて物騒な。あなたのようなお嬢さんが使っていい言葉じゃありませんよ」

 俺ばかりか、味方だと思っていたお婆さんにまで、たしなめられるとは思っていなかったのだろう。

「……分かりました。兄に対して粗野な言葉を使ったのは反省します。ただ、わたしは、兄と……」

「俺と何だって?」



「い、いえ、何でもありません……」

 それだけを呟くように言うと、あやせは無言のままうつむいて食事を続けた。
 その後は気まずい雰囲気が支配し、会話らしい会話もないまま、朝食が終わってしまった。
 後味が悪いな。いや、朝飯は旨かったんだけどさ。

 そして、場の雰囲気を壊したことを反省してか、あやせはお婆さんに代わって、食器を洗っている。こうした責任感が
強そうなのは結構なことなんだが、そういう奴ってのは往々にして思い込みが激しいからな。あやせもご多分に漏れずだ。

「あ、それは漆器だから、丁寧に洗ってくださいね」

 あやせの傍らには、お婆さんがつきっきりで、時折、あやせに対して注意を与えている。
 会話だけだと、男の俺にはよく分からねぇが、あやせの家事のスキルは、それほど高くはなさそうだ。ただ、思い込み
の激しさで、熱意だけはあるというところか。

「その熱意が、うまく作用すれば、いいんだけどな……」

 モデルとして今も頑張っているのは、その現れなんだろう。

「その熱意の源である、思い込みで、他人を拘束するのは勘弁してほしいが……」

 俺は、俺で、ちゃぶ台の上を布巾で拭ってきれいにした。
 店子である俺も、高齢である主を少しでも手助けするつもりで、こんなことをやっている。

「俺だって、あやせが話題にしていた料理のことも、少しは対応出来るようにしとくべきかもな」

 あやせの朝食時の言動には、たしかに問題があったが、俺にだって少なからず非はあるのだ。
 俺は、ため息一つを吐くと、汚れた布巾を洗面所で軽く洗い、それを台所へ持って行った。
 目が合った下宿の主には、自室で一休みの後、昨日書いたレポートを印刷するために、大学近くにある
『フェデックス・キンコーズ』に行くことだけを告げ、自室に引っ込むことにした。

 あやせは、そんな俺とお婆さんには目もくれず、ひたすら皿洗いを続けていた。

「頑固な奴だ……」

 黒猫も強情だったが、あやせも強情さでは同レベルか、その上を行きそうだ。
 黒髪ロングの美少女ってのは、おしなべてこうなのか?
 だとしたら、俺も女性の好みを考え直す必要があるかも知れねぇ。
 誰だか知らんが、あやせと結婚する奴は、色々と苦労することだろう。

「とは言え、多少は機嫌をとってやらねぇと……」

 あやせのことだ。この後も監視目的で俺をつけ回すことだろう。
 であれば、レポートを印刷するためだけに出歩くのでは、面白くない。
 俺はパソコンを起動し、ブラウザを立ち上げ、検索エンジンで『禅寺 抹茶 庭園 拝観』のキーワードで検索した。

「これだな……」


 画面には、大学近くにある禅寺で、庭園を鑑賞しながら、抹茶を楽しめるという旨の記事の概略が表示されている。
 以前、この下宿の主が教えてくれた寺に違いない。
 何でも、寺の内部を拝観出来、拝観後は、抹茶を飲みながら見事な庭園を鑑賞出来るというものだ。
 爺むさいとか言われそうだが、こうした体験は、千葉では絶対に無理だし、何よりも、歴史ある寺社が数多く存在する、
この地方らしいレクリエーションと言えた。

「場所も、『フェデックス』のすぐ近くだ」

 店からは歩いて十分ほどの距離だろうか。印刷に、待ち時間も含めて、どれだけの時間がかかるか分からないが、
うまくすれば、十時前には、抹茶をたしなみながら、見事だということで定評のある寺の庭園を鑑賞出来そうだ。

「キモ……。何をニヤニヤしているんですか」

 いつもの毒のあるコメントがしたので振り返ると、食器洗いを終えたらしく、双眸を恨めしげに半眼にしたあやせが
俺の背後に佇んでいた。

「……お前なぁ、俺には、もうちょっと優しい言葉を掛けてくれたって、ばちは当たらねぇだろうに」

「見たまんまを言ったまでです。パソコンの画面に釘付けになっていて、わたしが部屋に入って来たことも気付かない
のは異常です。きっと、エッチなサイトでも見ていたんでしょう。これは、もう通報、通報ですよ!」

「そうかい……」

 『通報』の常套句にも飽きてきた俺は、あやせの言葉にはそれ以上突込みを入れずにパソコンの画面を指差した。

「何です、このお寺は?」

 俺は、これからレポートの印刷のために大学近くの『フェデックス』まで行くこと、印刷が終わったら、画面に表示され
ている禅寺で、庭園を鑑賞しながら抹茶でもたしなむことを手短に伝えた。

「変態なお兄さんには不似合いなシチュエーションですね」

「その悪態は聞き飽きた。で、お前はどうなんだ? 俺と一緒に行くのは嫌か?」

 あやせは、瞑目して、ふっ、ふっ、ふっ……、と微かな含み笑いをしてやがる。この笑い方、黒猫なんかもよくやるな。

「お兄さんと行くのは嫌に決まっているじゃないですか。でも、このお寺の庭園は、見てみたいし、お庭を見ながら、
お抹茶もいただきたいですね。それに、変態なお兄さんを監視しなければいけまんせんから」

「そうくると思ったぜ。何にせよ、行き先に興味を持ってくれるんなら、それでいいや」

「それだけでいいんですか?」

「どういう意味だ? 何が言いたい」

「分かりませんか? わたしがお兄さんと二人きりで……」

 あやせは、謎めいた含み笑いをやめ、そっぽを向いて、不機嫌そうに頬を膨らませていた。

「俺みたいな嫌な相手とでも、行ってみたくなるような場所だってのか?」

 言い淀んでいるあやせの心情を代弁したつもりだった。
 しかし、あやせは、眉を露骨にひそめて、いっそう不機嫌そうになってしまった。

「もう、いいです……。だから、お兄いさんは嫌いです」

 なんで、そんなにツンツンしてるんだろう。こいつの本心って、本当に分からねぇな。

「なぁ、もしかして、俺とのデートだとかって、変に意識してねぇか?」

「そ、そんなこと、あ、あ、ある訳ないじゃないですかっーーーー!!」

 こいつ、赤鬼さながらの形相で、俺のデコをグーで殴りやがった。

「いってぇ……」

 目から火花が出るってのは本当だったんだな。俺は、自分の額を右手で押さえながら、机に突っ伏して痛みが引くのを待った。

「気持ち悪いことを言わないでください。やっぱり、お兄さんは変態じゃないですか。通報、通報しますよ、もう!」

「人を殴るってのは立派な犯罪なんだぞ。暴行罪って言ってな……。警察に通報したければ、勝手にしろ。ただし、
とっ捕まるのは、お前だがな」

「つ、捕まるだなんて、そ、そんな……」

 法律を盾に正論で反撃されるとは思わなかったのか、あやせは、目を大きく見開いて、身を震わせている。
 法学部の学生に、通報なんて連呼するからだ。バカたれが。しかし、こいつの態度は何なんだ。

「お前さぁ、何か意地張ってるみたいな感じなんだよ。とにかく素直じゃねぇんだな。疲れるだろ? そういうの」

「わ、わたしは、別に意地なんか張っていません」

「なら、俺と行きたけりゃ一緒に行く、俺のことが大嫌いだったら、無理に一緒に行く必要はない。それだけのことだ」

「そ、それは……、そうですが……。さ、さっきも言ったように、わたしはお兄さんを監視する必要があるから一緒に行くんです。
それ以上でも、それ以下でもありません!」

 頑固な奴だなぁ。桐乃や黒猫も相当に頑固だったが、こいつは筋金入りだ。

「お前の建前は、どうでもいいや。選択肢は、二つ。一緒に行くか、行かないか、それだけだ。そのどちらを選ぶかは、お前の勝手だ」

「そうですか……。なら、勝手にさせていただきます」

 俺は、あやせを努めて無視して、机から上体を起こし、額をさすりながらパソコンの時刻表示を確認した。時刻は午前
七時半過ぎだ。レポートを印刷してくれる『フェデックス・キンコーズ』は、サイトで確認したところ、祝日の今日は、八時
開店ということらしいから、そろそろ出掛けてもいいだろう。

 USBメモリをパソコンに挿して、ちゃんとレポートのデータが入っていることを確認してから、それを通学で使っている
ショルダーバッグに入れた。

「何か、羽織った方がいいかもな……」

 この地方は、この時期、寒暖の差が大きいから、伊達の薄着は禁物だ。俺は、箪笥から、先日インターネットの通販で
購入した戦車兵用のジャケットを取り出した。
 緑灰色のブルゾンといった感じだが、徹底的に機能的なデザインで、下手な市販品よりも格好がいいと思う。生地は、
消防服にも使われている燃えにくい特殊なものらしく、裏地には『HIGH TEMPERATURE RESISTANT』と記され
たラベルが縫い付けられていた。

「……そのジャケット、似合いますね」

 むくれていたあやせが、俺のジャケット姿に目を留めて、ぼそりと呟くように言った。

「まあな……」

 さすがにモデルだけあって、服のデザインには敏感だな。
 このジャケットは、タイトなシルエットで、軍用にありがちな野暮ったさが全くない。

「け、結構作りがよさそうな感じですけど、どこのブランドですか?」

 あやせにしては珍しく、おずおずとしたためらいがちな口調だった。さっきの俺への狼藉を悔いているのかも知れない。
 おっと、肝心の質問に対する答えだが、軍の放出品で、新品のくせに五千円程度で買えたってのは黙っておこう。
 ブランドについても、「分からない」とだけ答えておいた。

「それはそうと、俺はそろそろ出るぞ。お前は、ご機嫌斜めのようだが、どうする? ここに留守番か? それともとっとと
帰るか、単独行動か……、まぁ、好きにしろ」

 突き放すように言っったつもりではなかったが、あやせは、鼻白むように、下唇を噛んで、そっぽを向いたが、すぐに、
「きっ!」とした表情で俺を睨み返してきた。

「留守番も、このまま帰るのも、単独行動もしません! わたしはお兄さんの監視役なんですから、その責務を果たす
までです」

「そうかい……。なら、一緒に来るんだな?」

「行きますとも! お兄さんは、危なっかしいから、わたしが見ていなくちゃいけないんです」

「はぁ?」

 微かに頬を染めながらも、きっぱりと言い放つあやせ。俺は本当にこの女の本心が理解出来ない。
 以前にも、頬を染めて、微笑みながら、俺を手錠で拘束したことがあったっけ。
 照れたような態度で、手錠を掛けたり、殴ったり、いやこれは純粋に暴力か……、『ブチ殺します』とか『変態』とかを
俺に対して吐き散らすのは、こいつの歪んだ愛情表現か? まさかね……。

「わたしも、上に何か羽織ります」

 あやせは、黒いタイトな感じのブラウスの上に、丈の短い上着みたいなものを羽織った。たしか、チュニックとかいう
奴だったかな。

「お兄さんのジャケットと、色がちょっと似てますね」

 あやせの服も、オリーブ色というか、緑灰色というか、ミリタリー調の雰囲気だ。
 最近は、ミリタリー調のデザインが流行ってのは本当らしいな。
 しかしながら、さっきまでご機嫌斜めだったというのに、俺と同じような色合いの服を着ることを、今は喜んでさえいる
ようだ。
 ファッションのことになると、あやせは、態度や気分を変えるのか? これは、あやせがモデルだからだろうか、それと
も女子全般に言えることなんだろうか。沙織あたりに訊いてみたいところだが、あいにくと、俺の方から桐乃の友人に
連絡することは、お袋から厳禁されている。

「さてと……、出掛けるか」

 だが、沙織にも黒猫にも連絡すること禁じられた今の状況で、桐乃の親友であるという新垣あやせが来たという
のは、何と言ってよいのだろうか。
 要は、俺の行動を封じたところで、問題は解決しないってことなんだ。
 桐乃だって、その気になれば、俺の居場所を突き止めて、やって来ることは十分に可能だろう。

「そのお店には、どうやって行くんですか?」

 下宿屋を出て、狭い路地を並んで歩くあやせに、路地のきわから見えたバスの停留所のようなものを指差した。

「あの停留所から、路面電車に乗るんだ」

 本当は、『チンチン電車』と言いたかったが、そんなことを言ったら、またぞろ『変態、ブチ殺しますよ!!』とくるに
決まっているからな。

「停留所は、道路のど真ん中にあるんですね」

「そうなんだ、だから、すぐ隣の横断歩道の信号が青になって、クルマの往来が途絶えたその隙に一気に渡るぞ」

「結構、危なそうですね……」

 関東だったら、こんな危険な停留所は、絶対に許されないだろう。
 だが、この地方は、間延びしているような雰囲気の中に、こうしたスリリングな部分もある。そこが面白いところだ。

「ちょうど信号が変わるところだ、あのクルマが通り過ぎたら、駆け足で行こう」

 不意に、あやせが、無防備に下げていた俺の右手をつかんできた。
 驚く俺に、あやせは、頬を微かに染めて、上目遣いで俺の顔を見詰めている。

「こ、怖いから、お兄さんと一緒に、渡りたいんです。い、いいですか」

「上等だ! よし、今だ、走るぞ」

 あやせの手を引いて、俺は駆け出した。車道を渡り終えた頃、信号は早くも変わり、安全地帯に居る俺たちをかすめ
て、大きなトラックが疾走して行った。言い忘れていたが、ここの信号は、無慈悲なほど早く変わるんだ。

「きゃっ!」

 轟音と共に走り去ったトラックが巻き上げた風圧で、あやせの長い髪がかき乱された。
 それを元通りにまとめようと、コームを使わず手だけで四苦八苦している姿には、年相応のあどけなさがあった。

「電車が来たな……」

 西の方から、くすんだ緑色の電車が一両だけ、ゴロゴロという重苦しい音を立ててやって来た。昭和の中期頃に作ら
れたんだろう。古臭い感じは否めないが、今の電車にはない重厚な雰囲気があって、俺は好きだ。

「床とか、本物の木で出来ているんですね」

 乗車したあやせが、間髪入れず指摘した。なかなか目ざといな。今の電車は、耐火性をクリアする必要があるから、
燃えやすい木材はご法度だ。関東じゃ床が木で出来ている電車なんか走っちゃいない。

「東京にも路面電車はあるけど、どれも車両が新しいからな……。ところが、こっちの電車は、どれもこれも博物館入り
してもおかしくないくらいの骨董品ばかりさ」

 車内は、俺たち以外には五、六人ほどしか乗客が居なかった。
 休日の朝だから、いつものラッシュアワーとはだいぶ勝手が違う。
 俺は、運転台に近い席に座り、あやせも俺のすぐ隣に腰掛けた。
 俺たちが座ったのを見届けるためだったのか、運転手が肩越しに一度こちらを見て、それから「発車オーライ」の声と
共に、ベルをチンチンと鳴らした。

「あ……、わたし、チンチン電車に乗るのって、これが初めてです!」

「今、何て言った?」

 ちょっと意地悪く突っ込んでみた。

「え? あの、チンチン……、あ、あああっ!」

 あやせは、自分が言ったことを思い出し、両手で顔を覆って赤面した。

「は、恥ずかしいです……」

「別に恥じることはないんじゃねぇの? 放送禁止用語でもないんだしさ」

「で、でも……、チ、チン…って、言っちゃいました……」

「お前が潔癖なのは分かるけどよ、もうちょっと気楽に行こうぜ。見るもの、聞くもの、自分が言ったことを一々気にして
たんじゃ、身がもたねぇだろうが」

 こいつは、社交的なようでいて、実は自分の殻に閉じこもっているのかも知れねぇな。何となく、そんな感じがしてきた
んだ。
 むくれていたのに、俺の服に興味を示して、機嫌がよくなったのも、
 さっき、車道を渡るのが怖くて、俺の手をつかんだのも、
 そして、今、自分の言ったことに気が付いて赤面しているのも、
 あやせの心を覆っている硬い殻が、剥がれ落ちた瞬間だったような気がする。
 
「で、でも、わたし……、わ、わたしは……」

 ただ、殻の中にある、こいつの本心が何なのか、俺にはさっぱり分からないけどな。
 
 電車は、俺のそんな物思いをよそに、ガタゴトと古びた街並みを走り続け、いくつかの停留所に止まった後、終点に
たどり着いた。

「ここからは降りて歩くんだ」

 未だ赤面の余韻を両の頬に残しているあやせに、俺は右手を差し出した。
 あやせは、一瞬、ためらうようにうつむいたが、おずおずと自分の手を伸ばし、俺の右手につかまった。

 この街の繁華街でもある路面電車の終点付近は、連休中ということもあって、ごった返していた。
 俺は、あやせの手を引いて、人込みの中を縫うように進んで行った。

 目指す『フェデックス・キンコーズ』は、繁華街の中、仏具屋と老舗の呉服屋に挟まれて存在していた。

「ここですか? 立地条件が何かシュールですね……」

「たしかにな……。純和風な老舗の間に、こんな外資系の店があるんだから、変、ちゃ、変だよな」

 古臭いものの中にも、突然変異的に最新のものが出現し、違和感がありつつも、いつの間にか馴染んでしまう。
そんな奇妙な街、それがここなんだ。

「まだ八時過ぎだからですか? 意外に空いていますよ」

 ガラス張りで内部が丸見えの店内には、黒っぽいシャツを着た店員以外の人影がまばらだ。
 やったね。これなら、速攻でプリントも終わるだろう。

 店に入り、店内のカウンターの上に持参したUSBメモリを置き、店員に「これの中に入っているファイルをA4の
普通紙に出力してください」とお願いした。

「どのファイルをプリントアウトすれば宜しいのですか?」

 店員のもっともな指摘に、俺はプリントしてもらうファイル名をメモに書いて差し出し、件のUSBメモリには当該
ファイルしか記録されていない旨を告げた。

「五分ほどお待ちください……」

 開店早々に来たのは正解だったようだ。これなら、あやせもイライラしないだろう。

「お店で一々印刷してもらうのは大変でしょ? プリンタは買わないんですか」

 俺は苦笑した。仕送りが生活するのにギリギリで、かつ、落ちこぼれないように毎日必死で勉強しているから
アルバイトも出来そうにない。そんな状況で、プリンタを買うのは、どう考えても無理がある。

「あのさ……、パンツが黄色くなっても捨てられない俺の懐具合を察してくれよ」

 あやせの顔が、かぁ~と、擬音で表現出来そうなほど赤くなった。
 昨日、俺の箪笥から局部が黄変した下着を引っ張り出したことを思い出したんだろう。

「な、何てことを言い出すんですか、へ、変態……」

 場所柄をわきまえたのか、ささやく様な小声だったが、あやせは目に涙を溜めて、両の手を震わせながら握り締めた。

「変態は、俺のパンツを勝手に箪笥から出して、しげしげと見ていた、お前だろうが」

「くぅ……」

 どうだ、ぐうの音も出まい。
 今まで、そして今朝も、あやせに殴られてきた俺だが、さすがに、こいつのあしらい方が分かってきたような気がする。

「プリントが終わりました……」

 そう呼ばわれて、俺はカウンターに戻り、印刷されたレポートを店員から受け取って、ざっとあらためた。
 ページとかの欠落はないことを確かめて、俺は代金を支払った。

「さてと……、いよいよ、お寺でデートと洒落込むか?」

 鞄の中にプリントアウトされたレポートを仕舞いながら、そう言ったが、あやせは頬を染めたまま何も言わなかった。
 そのあやせの手を引いて店を出ると、繁華街を左手に折れ、臨済宗の寺社、つまりは禅寺が密集している路地に
入って行った。

「ろ、路地に入ると、雰囲気ががらっと変わるんですね!?」

 数百年前からほとんど変わっていないであろう、古色蒼然とした仏閣が続く景観に、あやせが面食らっている。
 無理もない、表通りには、風俗とかのいかがわしい店もあったのに、一歩路地に入ると、全く別の世界が広がって
いたんだから。

「たしかここだったはずだ……」

 ひときわ大きな門が印象的な臨済宗の寺院だった。一応は観光の対象ではあるようなのだが、路地裏にあるためか、
一般の知名度はそれほどでもないらしい。むしろ、地元の人が訪れることが多いようだ。
 門のきわには、『拝観料は、お一人三百円』という札が掛けられた小屋掛けがあり、初老の婦人の姿が、ガラス越し
に認められた。

「わたしが払っておきましょうか?」

 チュニックのポケットから財布を取り出そうとしたあやせを押しとどめ、俺は、財布から五百円玉と百円玉をそれぞれ
一枚、その初老の婦人に手渡した。

「デート相手の女の子におごられるってのは、男として屈辱なんだよ」

「これって、デートなんですかぁ?」

 俺は、『そういうことにしておけ』というつもりで、あやせにむかって、にやりとし、反応を窺った。
 あやせはあやせで、「うふふ……」という、含み笑いをしてやがる。まぁ、いいか……。

 寺の拝観は、墨染めの作務衣を着た若い僧が(と言っても、俺よりもずっと年上だが)、境内、それに本堂やその他の
建物の中を説明しながら案内してくれた。

 修学旅行で回る、奈良とかの名刹に比べれば、大きな仏像や派手で見栄えのする仏具等もなく、全体の居住まいは


地味そのものだ。元々は、この地方の武士階級が、座禅等の修練や、儒学などの講義を受けるために利用した寺院だ
というから、質実剛健を旨とし、余計な飾りなどとは無縁なのだろう。

「でも、建物は、がっしりとしていて、重厚な感じですね……」

 あやせが、頭上の太い梁を見上げている。モデルなんかやっているから、こうした地味なものは毛嫌いするかと思っ
たが、こいつは桐乃なんかとはちょっと違うらしい。

 一通り拝観した後、畳敷きの大広間に通された。案内役の僧侶に促されるまま、その大広間に座ると、板張りの廊下
を挟んで、池と築山で構成された日本庭園が見渡せるようになっていた。

「そんなに広くはないですけど、築山の石と、石と石の間に生えている苔の緑と、何だが複雑な形をした池とが、
いい感じです」

「そうだな……」

 池は『心字池』という形式らしい。『心』の字をかたどった池だという。そのため、入り組んだ複雑な形状をしている。

「池の水が、きれいに澄んでいるんですね」

 何らかの人工の浄化設備があるのか、湧き水を絶えず導入しているのか、そのいずれかだろう。
 さざなみ一つない鏡のような水面には、五月の青空がくっきりと映っていた。

「爺むさいとか言われそうだけど、俺はこんな風に、静かな雰囲気が嫌いじゃない」

「でも……、あ、あんな漫画とかゲームとかの趣味もあるじゃないですか」

 俺は苦笑した。エロゲとかは本来俺の好みじゃねぇ。
 そのことに本当はあやせだって気付いているような気がしたからだ。
 それに、桐乃のために自ら被った、鬼畜ド変態の汚名をそろそろ返上してもいい頃合だろう。

「本当は知ってるんだろ?」

「何をですか?」

「桐乃のあの趣味が、実は俺から影響を受けたものじゃなくて……、それどころか、俺の方が、桐乃に言われて、あいつ
の趣味に付き合ってやっていたってことさ」

「あら、そうなんですか?」

 そっけなく言ったが、あやせは半眼で含み笑いをし始めた。

「何だ、やっぱり知ってやがったか……。そういうことだから、俺が変態だっていう汚名は、そろそろ返上させてくれ」

「そうですね……、考えておきます。昨夜も、寝ているわたしに何もしなかったようですし……」

「そうだろ? 俺は本当は品行方正な真面目人間だからな」

「品行方正ですか? 何かいろいろとセクハラをされたような記憶があるんですけどぉ……」



「正直、お前のことが好きだったから、俺も過剰に反応したってのはあるけどな。お前も分かっているように、セクハラ
まがいのほとんどは桐乃のためにやってきたことなんだ」

「そうですね……、一昨年、公園でエッチな漫画をわたしに見せて、挙句に桐乃に抱きついて、『俺は妹が大好きだぁ』
なんて叫んでいたのは、桐乃とわたしの関係を元通りにするための捨て身の行動だったんですね」

「何だ、やっぱり知っていたのか」

「ええ、桐乃がお兄さんのことを好きなのは分かってましたけど、お兄さんの桐乃への気持ちはそうじゃありません
でしたから。それに、エッチな漫画やゲームには、桐乃の方が入れ込んでいるのは、何となく分かりますしね」

「鋭いな……」

「お兄さんが鈍すぎるだけです」

 ぴしゃりと言いやがった。やっぱり、こういうところは可愛くねぇな。

「だとすりゃ、俺を変態扱いするのは、もうお仕舞いにしてくれねぇか。そもそも、俺が桐乃のたに自ら汚れ役を演じて
いたってのを知っていたのなら、わざわざこんなところまで来て、性犯罪者予備軍宅の家宅捜索だなんて、強調する
必要もなかったよな」

 俺のことを『大嫌い』ってのも撤回して欲しいけど、それは無理だろうな。

「残念ですが、お兄さんは性犯罪者予備軍のレッテルを貼っていてもらった方がいいんです。
ですから、今後も変態扱いはさせていただきます」

「おい、どういうこった! 俺をコケにするにもほどがあるぞ」

 静かな寺院内ということで、控えめな口調を心掛けたが、場の雰囲気にそぐわなかったのは確実だ。
 案内役だった僧侶が、眉をひそめて俺の方を見ている。

「あ、あ、すいません。え、え~と、ここでは、お茶をいただけるんでしたよね? だったら、お茶とお茶菓子を二人分
よろしくお願いします」

 最初からお茶とお茶菓子はお願いするつもりだったから、これでよし。ついでに剣呑そうな話もごまかせたようだ。
 しかし、茶菓子付きとは言え、一人前が八百円か……、高いのか安いのか、悩むところだな。

「で、話の続きだが、何で、俺が変態である方がいいんだよ」

 案内役の僧がお茶を点てるために奥へ引っ込んだのを確かめて、あやせへの抗議を再開である。

「……、少しヒントをあげましょう。お兄さんは、危なっかしいから、変態だと他の女の人に思い込んでもらった方が
いいんです。これだけ言えば、いい加減分かってくれますよね?」

 なんじゃそりゃ?

「すまんが、言ってる意味がよく分からない。仮にものすごく悪く捉えると、俺はやっぱり世の女性に害をなす存在だから、
鬼畜ド変態ということにしておいて、他の女性を俺の手から予め護っておくというようにしか聞こえねぇぞ」

 あやせが、呆れたような、それでいて悲しそうな、何とも表現しがたい面持ちで俺を眺め、目を閉じて、大きなため息を

ついた。

「そう思うのなら、そういうことで結構です。でも、そんな風にしか考えられないお兄さんは、やっぱり嫌いです」

「んじゃ、嫌いな奴に、どうしてついてくるんだ。俺を監視するためか? 桐乃にちょっかいを出しそうな危険な存在だからか?」

「監視というのは、正しいかも知れませんね。今は好ましい状態ではなくても、何かの弾みで変わるかも知れない。
それを多少なりとも期待している、と考えてください」

 それは、今は嫌いだけど、俺の変わりようによっては、あやせも、出会った当初のように、俺のことを好きになってくれ
るってこのとなのか? 今までの扱いを考えると、素直にそうとは受け取れねぇけどな。

「期待しているのか、俺のことを」

 その一言で、あやせは、一瞬むっとしたように目を剥いて、眉をひそめた。

「言い直します。期待よりも危なっかしくて見ていられないという方が大きいですね。とにかく、今のお兄さんじゃ、
ダメなんです」

「ダメだ、ダメだって言われても、具体的にどこがダメなのか指摘してくれないと、こっちは対処のしようがねぇよ」

 あやせは、半眼で俺を見据え、『ダメだ、こりゃ』と言いたげに、首を左右に軽く振った。

「わたしは、今までに散々ヒントを言っているんですけど、それでも分からないようじゃ、どうしようもありません」

「お前の言うヒントとやらが難解すぎるだよ。いい加減、答えを言ってくれたってばちは当たらねぇだろうが」

「答えを言っても、お兄さんのためにはなりません。ですから、どこがダメなのか、お兄さん自身が考えてください」

「いや、考えても分からないから答えを教えて欲しいんだがな」

「ろくに考えもしないうちから、答え、答えって言わないでください。わたしは、お兄さんに答えを教えるつもりはありま
せん。ただ、これからもお兄さんを監視して、お兄さんが答えを見つけ出してくれるまで待ちます。その時までの、わたし
の言動、一挙手一投足が、答えを導くためのヒントであると思ってください」

「お、おい……」

 あやせは、それだけを一気にまくし立てると、俺が呼び掛けても何の返事もせずに、ただただ、庭を眺めるだけだった。
 しかし、これからも監視だって? ということは、これからも遠路はるばる千葉からここに来るわけか。電車賃だって
新幹線を使うから、とんでもなく高額なんだけどな。それでも、現役高校生モデルの新垣あやせ様には、この程度の
電車賃なんか屁でもねぇんだろう。

 少し風が出てきたのだろうか、庭園の楓の梢が微かに揺れ、池の水面がさざなみでかき乱された。
 俺たちが正座している大広間にも、ひんやりとした、朝の空気が流れ込んでくる。

「おっ?!」

 和服姿の女性が、大広間と庭園とを隔てるように設けられている廊下を、しずしずと、奥の庫裏の方へと向かって
行くのが目についた。

 髪を結い、かすり模様とでもいうのだろうか、落ち着いた柄の着物に、紫色の風呂敷包みを大事そうに抱えている。
 普段着っぽい着物を、極々自然に着こなしているのが、ファッションには疎い俺にも分かった。
 和服を相当に着慣れている感じだ。

 そして、何よりも……。ものすごい美人だった。年の頃は、二十歳前後という感じだろうか。
 細面の整った面相に、微かな憂いをたたえた瞳があり、それが気品と知性を漂わせていた。

「あ、ど、どうも……」

 不覚にも、件の女性と目が合ってしまった。不躾な話だが、ついつい見とれてしまっていたらしい。
 だが、その女性は、にっこりと微笑むと、そのまま俺たちの目の前を素通りし、奥の方へと歩み去った。

「お兄さん、今の人は、お知り合いか、何かですか?!」

 あやせが、おっかない顔で俺を睨んでいた。

「んな訳ないだろ。こっちに来て一箇月も経っちゃいないんだ。男の知り合いだってほとんど居ないんだぞ」

「でも、さっきの女の人は、明らかにお兄さんのことを知っている感じでしたけど……」

 しつこいな……。

「たまたま俺と目が合った、だから向こうも軽く会釈をした。その程度のことだろうよ。深く考えるな」

「そうかも知れませんが、何だか嫌な感じがするんです」

「嫌な感じって……。悪意なんか微塵もなさそうな、楚々としたお嬢様だったぞ。お前の思い違いじゃねぇのか?」

「だから、お兄さんはダメなんです! もう、本当にしっかりしてください」

「何だよ……、単にダメ、ダメ、ってだけじゃ、訳が分かんねーよ」

 何なんだろうね、こいつは。さっきの女の人を露骨に敵視してやがる。
 美人って奴は、自分よりも上の奴が現れると、気になるものなのか? 確かに、あやせじゃ、とてもじゃないが太刀打
ち出来ないほどの美人だったな。単に顔の造作がいいっていうレベルを超えている。知性とか品格とか、内面までを
含んだ全てが、あやせとも、桐乃とも、黒猫とも違いすぎる。素顔の沙織だって敵いそうにない。しかし、何者なんだ? 
住職の住まいである庫裏に向かったところを見ると、この寺の関係者だろうか。

「お待たせして、申し訳ありませんでした……」

 案内役の僧が、俺とあやせの口論に割り込むようにして、抹茶と茶菓子を持って来てくれた。

「お、おい、取り敢えず、話はお預けにして、お茶を楽しもうや」

 若い僧侶には、恥ずかしいところを見せてしまったようだが、正直助かったぜ。
 こんな静かな場所で、これ以上、あやせと口論なんかしたくないからな。

「わたし、お抹茶をいただくのは初めてなんです」

「それは俺も同じだよ」


 出された器には、その半分辺りまで緑色のお茶が入っていた。
 抹茶というものは、器の底に申し訳程度にしか入っていないものだと思っていたが、ここではそうではないらしい。

「ドロドロしてなくて、苦味もそんなになくて、結構美味しいものなんですね」

「確かに、俺は素人だからよくは分からねぇが、いくぶん薄めに点てて、その代わりに量を多めにしてるって感じだな」

 その点て方が、作法とか何とかに適っているのかどうかは分からないが、抹茶を飲み慣れていない観光客も訪れる
んだろうから、こうした方が正解なんだろう。

「可愛らしいお饅頭が付いていますよ」

「これは、薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)だ」

「じょうよまんじゅう、って何ですか?」

「薯蕷ってのは、ヤマイモのことだ。米の粉に摩り下ろしたヤマイモを混ぜた生地で餡子を包んでいるから、そう呼ばれ
ている」

「お兄さん、なにげに物知りですね」

「まぁ、麻奈美の家でも作っていたからな……」

 そういや、麻奈美の奴も、粉に摩り下ろしたヤマイモを混ぜた生地で餡子を包んで、それを蒸していたっけな。

「……、お姉さんのことは、残念でしたね……」

「確かに残念だったが、こっちに追いやられて、連絡一つ自由に出来ないんじゃ、いずれは、こうなっちまっただろうさ」

 何だこいつ……、昨日は麻奈美を赤城に取られたことを、面白おかしくぺらぺらしゃべっていたのに、今は妙にしゅん
としちまっているな。

「でも、これでお兄さんは、お姉さんとの関係も、桐乃との関係も、あの黒猫とかいう五更先輩との関係も、その全部が
リセットされたんですよね?」

「リセットって……、う~ん、桐乃には俺のお袋が絶対に会わせないから、桐乃との関係は、完全にジ・エンドだろうな」

「五更先輩とはどうなんです?」

「黒猫からは、四月の中旬にメールが来たが、ここでの状況を桐乃に話されるのはまずいと思って、時候の挨拶程度で
お茶を濁したら、それがいけなかったのか、それっきりだ……」

「そうでしたか……」

 しかし、何で、俺の女性関係をこんなにもしつこく訊くとは、俺に対して多少は脈があるのか?
 そう思って、俺はあやせの顔をじっと見た。
 だが、瞬きすらしそうにない、いつになく神妙な面持ちからは、あやせの本心めいたものは何ら読み取れなかった。
 いや、そんなことよりも、もっと大事なことがあったっけ。



「お前も、昨日と今日、俺に会って、俺と過ごしたってことは、絶対に桐乃には内緒だ。それだけじゃない、桐乃と関係が
ある人間には、絶対に言わないでくれ。もし、俺の居場所が桐乃にばれたりしたら、俺がこの街で桐乃から隠れて暮らし
ている意味がなくなっちまう」

「そうですね……。無茶なことをする桐乃のことですから、お兄さんの居場所が分かれば、とるものも取り敢えず、訪ね
て行くことでしょう。そうなったら……」

 あやせは、能面のように無表情だった面相を、心なしか、苦しげに歪めた。
 彼女が毛嫌いしているエロゲそのものの展開になってしまうことを想像して嫌悪しているのかも知れない。

 そんなことにはならない、と俺自身は思いたいが、俺のことを好きだということを、もはや隠し立てしない桐乃が暴発
するおそれは十分にある。

「俺と桐乃との関係は、時が解決してくれるのを待つしかない……。あいつにだって、心底好きな男が出来るかも知れ
ねぇし、そのうちに、俺とのことを忘れちまうかも知れねぇ。それに……」

「それに……って、何ですか?」

「あいつが留学することだって、まだまだ考えられる。『エタナ…』とかって言ったかな、あの化粧品メーカーの女社長……」

「『エターナルブルー』の藤真社長のことですか?」

「そう……。桐乃を欧州に連れて行きだがっている、その女社長だよ。社長は、桐乃のことを諦めた訳じゃないんだろ?」

 あやせは、能面のような面持ちで、ゆっくりと頷いた。

「ええ……。藤真社長は、未だに桐乃に執着しているようで、破格の条件を桐乃のご両親に提示しているようです。でも、
桐乃は絶対に承諾しないみたいなんです」

 親父も承諾しないだろう。おそらく、実家では、お袋だけが一人浮かれて、女社長のオファーに乗り気なんだろうな。

「桐乃が承諾しないのは、俺が日本に居るからか?」

「そうかも知れませんし、そうでないかも知れません。それに、ここに来てまで、桐乃、桐乃、の話はやめにしませんか」

 あやせが、能面のような表情を歪め、まなじりを吊り上げていた。仰せの通りだな。
 俺のことを嫌っているとはいえ、一応はデートみたいなものをやっている最中に、自分の妹の話も何もないもんだ。

 俺たちは、そのまま押し黙って、出された抹茶と茶菓子を味わった。
 桐乃や黒猫、麻奈美の話が出たからか、お茶の味が先刻とは打って変わって妙に苦く感じる。
 俺は茶をあらかた飲み干すと、顔をしかめて茶碗を置き、代わりに、先ほどプリントアウトしてもらったレポートを
鞄から取り出した。これでも読み直せば、少しは気が紛れるかも知れない。

 そんな折、奥の方から、廊下を歩く微かな足音が聞こえ、先ほど、俺に会釈してくれた美人が、折り畳んだ風呂敷を
手にして、右側から現れた。その美女は、そのまま俺たちの前を通り過ぎるかと思ったが、俺のちょうど真ん前で立ち
止まり、今度は、俺の顔をまじまじと見詰めている。な、何なんだ?!

「失礼ですけど、法学部一年の高坂さんじゃありませんか?」



「え? ええ…、そうですけど……」

「ほら、わたくしをご存知ありませんか? 同じ法学部一年の……」

「は、はぁ……」

 我ながら何とも要領を得ない生返事をしながら、俺は必死に記憶の糸をたぐった。そういえば、法学部の教室に
たむろ、と言っては語感が悪いが、教室の一角で、ひときわ華やいだ雰囲気を漂わせている女子のグループが居たが、
その中の一人に、この人が居たような気がした。

「保科です。保科隆子といいます。ほら、いつも法学部の教室の前の方に座っている」

「あっ、あの、保科さん?!」

 華やかな女子のグループの中で、ひときわ美人のオーラを振りまいている女子学生が居るのだが、その人が今
目の前に居るのか。俺も、彼女の名字だけは覚えていた。何でも、この地方屈指の名家の令嬢であるらしい。
 いつもは艶やかな黒髪のストレートだったように記憶していたが、今日に限っては和服に合わせてまとめていたから、
全然印象が違っていた。
 しかし、何で、保科さんは、俺の名前を知ってるんだろうね。そりゃ、学籍番号と名前だけが記された学籍簿は、法学
部生の全員に配布はされているけど、平凡な一学生に過ぎない俺の名前と顔を認識してるってのが、よく分からない。

「思い出していただけたようで何よりです。でも……」

 そう言いかけて、保科さんは、廊下から俺たちの方に二、三歩、近づいて来た。

「でも……って、何ですか~~?!」

 想定外の事態だった。ミス法学部というよりも、ミス・キャンパスと言っても過言ではない超美人が、近づいて来る
のだ。それも、理由が分からないままにである。

「気になりますね、高坂さん。お隣にそんな可愛らしい娘さんが居て、もしかしてデートでしたか?」

 そ、そんなことをいきなり訊くんですか?!

「あ、い、いえ、こ、こいつは、い、妹でして……。デ、デートなんかじゃ、あ、ありませんよ……」

 しどろもどろで保科さんに釈明した俺を、あやせの奴が、おっかない顔で睨んでいる。なんでだぁ?

「お兄さん! 何、いい加減なことを言っているんですか。今日は、わたしとお兄さんとのデートじゃないですか!!」

 むっとした表情で、あやせが言い放った。うぇ、何だ、こいつ。

「あら、あら、せっかくの妹さんとのデートの邪魔だったかしらね……」

 あやせの剣幕に辟易したのか、保科さんは、そのまま立ち去ろうとしたが、レポートを持った俺の手元に目を留め、
俺の方に軽く屈み込んできた。

「な、何か?」

「……高坂さん、それは何ですか?」



「あ、ああ、これは、休み明けに提出する民法のレポート。昨日、書き上げて、今しがた、大通りにある『キンコーズ』で
印刷してもらった訳で……」

 言い終わらないうちに、保科さんが、「まぁ!」という感嘆詞を上げ、あらためて俺に近づいてきた。

「わたくしも、そのレポートには苦労していたので、よろしかったら、ちょっと読ませていただけませんか?」

「え? え、ええ……」

 超絶美人に接近されて、俺はたじたじだ。

「じゃぁ、ちょっと失礼致しますね」

 口ごもった俺の曖昧な返答を了解と受けとった保科さんは、たじろぐ俺にはお構いなしに、俺の右隣に座った。
 こ、これで両手に花だ……。
 でも、一方の花は高嶺の花だし、もう一方の花は俺に刺々しい言葉をぶつけてくる毒の花なんだけどな。

「……く、ううう……」

 その毒の花も、大胆に近づいてきた高嶺の花にけおされて、歯噛みしながら声にならない呻きを上げている。
 こりゃ、後がこわいな……。

 しかし、保科さんは、敵意むき出しのあやせにも、にっこりと害のない笑みを向けた。
 天然なのか、大物なのか、何だかよく分からない人だ。
 その保科さんは、俺たちの案内役を努めてくれた若い僧侶に、

「わたくしにもお茶とお菓子をお願い致します……」

 と言いかけて、俺たちの茶碗の中が空っぽに近いことに気付き、俺たちに向かって微笑んだ。

「よろしかったら、もう一杯いかがです? わたくしだけが、お抹茶をいただいているのも申し訳ありませんから」

「え、ええ……」

 悪意が微塵もない笑顔なのに、何なんだろうね、イヤとは言えない強制力みたいなもんがあるんだよな。
 あやせだって、ぐうの音も出せないし……。

「じゃあ、こちらのお二人にも、お代わりをお願い致します」

 と、件の僧侶に付け加えた。
 僧侶は、「かしこまりました、お嬢様」と言って、茶を立てるために奥へと引っ込んで行く。
 しかし、坊さんに『お嬢様』と呼ばれる保科さんって、沙織とはまたタイプが違う、真性の令嬢なんだな。

「で、保科さん……。保科さんは、何でまた、このお寺に?」

「母に命じられまして、ちょっと、こちらの和尚様にお届け物をするために参ったのです」

「そうだったんですか……」



 あの風呂敷包みが、お届け物だったのか。
 どんなものなのか、ちょっと知りたい気もするが、それを訊くのは薮蛇なんだろうな。

「それはそうと、すみませんが高坂さんのレポートを一読させていただけないでしょうか」

「あ、ああ、じゃぁ、こ、これです……」

 判例と条文をコピペして、それに個人的に気に入っている法学書の学説を根拠として、最後にそれらしく自分の意見
を添えただけだから、正直恥ずかしい。だが、提出する前に誰かに見てもらった方がいいかもな。
 致命的なバグがあるかも知れねぇし。
 俺から手渡されたレポートを、保科さんは、真剣な表情で読み始めた。本当に真面目に読んでくれているんだな。
 その真剣そうな雰囲気に、ぶーたれているあやせも突っ込めない。
 頼んだお茶と菓子が届けられても、完全に読み終えるまで、それには手をつけなかった。

「なるほど……」

 読み終えた保科さんは、感心したかのように、呟いている。

「ど、どうでした?」

 保科さんは、俺の一言で、我に返ったかのように、はっとし、それから、俺たちがお茶を飲まずに待っていたことに気付
いたらしい。

「あ、ご、ごめんなさい、引用されている学説と、高坂さんの見解とかが興味深くて、読み耽っちゃいました。お二人とも、
お茶には手をつけずに、待っていてくださったんですね」

「い、いや、まぁ……」

 真剣に読んでくれている保科さんを蔑ろにして、勝手にお茶は飲めませんよ。何ていうか、物腰全てに、場の雰囲気
を支配するオーラがあるような感じなんだよな。

「では、まずは、せっかくお寺さんが点ててくださったお茶をいただきましょうか」

「そ、そうですね……」

 保科さんが、おそらくは作法に適った優雅な所作で茶碗を口元に運んだのを見届けてから、俺も、あやせも、二杯目
の茶を一口含んだ。

「それで、高坂さんのレポートですけど……」

「どうでした?」

「T大の内田先生の学説をベースにしているんですね」

「分かりますか?」

 俺の問い掛けに、保科さんは、にっこりと頷いている。
 すげぇな。ということは、保科さんも内田先生の本を読んでいるってことか。

「ええ、わたくしも、内田先生の本は名著だと思うので、参考書として所有しておりますから。ただ……」



「ただ……、何です? 何かよろしくない点がありましたか?」

「わたくしたちの大学の先生方の中には、T大の先生方とは相容れない主義主張の方がおられますから、内田先生の
学説を百パーセント礼賛するのは危険でしょうね」

「じゃ、書き直しですか……」

 うわぁ、しくった! あやせが帰ったら、必死で頑張らねぇといけなくなっちまったぜ。

「いえ、高坂さんのレポートは、内田説の問題点を指摘した高坂さんの見解が結語にありますから、問題ないと思い
ますよ。これなら、大丈夫でしょうね」

「そ、そうでしたか……。一時は、書き直しを覚悟しましたよ」

 俺の表情の変化か何かがおもしろかったのか、保科さんが微笑している。しかし、超絶美人の笑顔ってのは、やっぱ
いいな。それが、俺の醜態を笑っているものであってもだ。

 その一方で、俺と保科さんの会話についていけないあやせが、膨れっ面をしている。
 そして、あろうことか、こいつは、茶碗に残った茶を、ずぅ、ずぅと露骨に音を立ててすすりやがった。

「お、おい! 何て無作法なことやってんだ」

 保科さんも、そんなあやせを小首を傾げて見つめている。こりゃ、とんだ赤っ恥だ。

「う~ん、妹さんは、茶の湯にご興味がおありのようですね……」

「え?!」

 俺は思わず絶句したね。どこでどう間違うと、そんなことになるんすか、保科さん。
 やっぱ、この人、ド天然だわ。

「二週間後の土曜日ですが、拙宅で野点を行う予定です。よろしければ、妹さん共々、高坂さんもいかがですか?」

「い、いえ、お、俺、じゃなかった、僕も妹も、茶道の心得は、ま、まったくありませんから……」

「それなら、当日は、一時間ほど早めに拙宅にお出でいただいて、わたくしが基本的な作法を、お二人にお教え致します。
これなら、宜しいでしょう?」

 保科さんが、にっこりと微笑んでいる。これをまともに見ちまうと、イヤとは言いづらいな。だが……、

「せっかくですが、兄もわたしも、週末は忙しいんです。何よりも、この街は、関東から気安く来れる場所ではありません
ので、わたしは無理です」

 あやせの奴、膨れっ面のまま、きっぱりと断りやがった。
 だが、保科さんは、そんな不機嫌丸出しのあやせにも、微笑みかけ、それから、俺の顔をじっと見ている。

「高坂さん……」

「な、何すか? というか、無作法な妹ですみませんでした」


 憂いを帯びた瞳に屈して、思わず詫びちまったぜ。しかも、あやせをコケにしてだからな。ビンタくらいは覚悟しとくか。

「いえ、いえ、妹さんは、遠くからお出でになるのを失念しておりました。そうであれば、高坂さんお一人でお出でください」

 その一言に、あやせが目を剥いた。

「じょ、冗談じゃありません! 兄一人をそちらに行かせるわけには参りません。わたしも参加します!!」

「まぁ、妹さんにもお出でいただけるんですね。大歓迎です。え~と、失礼ですが、お名前は?」

「あやせ、高坂あやせ、と申します」

 保科さんは、反芻するかのように、「高坂あやせさん、あやせさん、と……」呟いた。しっかりと記憶に留めておくつもりのようだ。
 保科さんに対する無作法で挑発的な振る舞いが、印象に残ってしまったのは否めない。

「野点につきましては、後日、高坂さんに正式な招待状をお渡しします。それで、当日の服装ですが……」

 そう言い掛けて、保科さんは憂いを帯びた瞳を俺に向けてきた。俺は、ドキッとしたね。
 間近で見れば見るほど、本当に鳥肌が立つような美人だ。

「さ、茶道のセレモニーですから、やっぱり、和服ですか?」

 彼女の美しさにちょっと狼狽しているのが傍目にも分かっちまっただろうな。特に、あやせには……。
 しかし、和服限定だとしたら、貸衣装か? 和服にしたって、まさか紋付袴じゃあるまいし……、と悩む俺を安心
させるつもりなのか、保科さんは、俺に艶麗な笑みを向けている。

「殿方はスーツで結構ですよ。ですけど、あやせさん……」

「な、何でしょうか?!」

 保科さんへの警戒心というか、ここまでくれば敵意丸出しと言うべきか。あやせは、まなじり吊り上げ、目を剥いて、
保科さんを睨みつけている。

「ご婦人方は、出来れば和服でお出でいただくことになっております。二週間後は、もしかしたら少々暑くなるかも知れ
ませんが、よろしくお願い致します」

「考えておきます。それも天気次第ですね……」

「ええ、あやせさんの和服姿が楽しみです……」

 敵意むき出しのあやせのおかげで、場の空気が、ぴーんと張り詰め、ちょっと突っ突けば、パリンと割れてしまいそう
だった。
 だが、そんな息苦しい雰囲気にあっても、保科さんは、悠然と茶をたしなみ、茶碗を置いた。

「ふぅ……。ここのお庭を眺めながら、いただくお抹茶は、やはり格別です」

「そ、そうですか……」


 ド天然、恐るべしだな。

「そろそろ、おいとま致しますね。ちょっと、ゆっくりし過ぎたようで、名残惜しいですけど、そろそろ帰宅しないと、
母に叱られます」

 保科さんは、細い手首に巻いていた腕時計で時刻を確認している。
 その黒革ベルトの腕時計は、和服に合わせたのか、妙にシックで、今どきのものではないような雰囲気だった。

「あ、どうも、お引止めして申し訳ありませんでした」

「いえ、いえ、デートを楽しんでおられる高坂さんとあやせさんのところに、このわたくしが勝手に参っただけです。
詫びなければならないのは、わたくしの方です」

 そう言って、保科さんは、立ち上がると、俺たちと向き合う形で正座し直し、三つ指をついた。

「あ、あの、そこまでされると、こ、困りますよ」

 だが、保科さんは、「二週間後の野点は、ぜひよろしくお願いします」とだけ、笑顔と共に付け加えて、庭園に面した
廊下をしずしずと歩み去って行った。

 法学部のマドンナは、超絶美人であることは間違いなかったが、つかみどころのないド天然でもあるようだ。
 だが、あやせの見解は、俺とは丸っきり違っていた。

「……、お兄さん。何を鼻の下伸ばして、でれっとしてるんですか。変態……」

「お前なぁ……、保科さんが善意で俺たちを野点に招待してくれたんだから、こっちも笑顔で応えるのが礼儀ってもんだ
ろうが、それが、お前ときたら……」

「善意って……。あ~~っ、だからもう、お兄さんはダメなんです。危なっかしくて。いいですか? さっきの、お兄さんの
同級生は、お兄さんが想像するような善人じゃないですよ」

「どうして? 保科さんは、ものすごい天然だが、特に悪意は感じられなかったぞ。それに、この地方屈指の名家の令嬢
だっていうのに、この寺へのお使いもするし、着ている着物だって、木綿か何かの質素なものじゃないか。
物腰も穏やかで、高飛車なところが全然ない。いったい、どこに問題があるんだよ」

「お寺のお使いは、おそらく使用人には任せられない大事なものなので、お兄さんの同級生が行かざるを得なかったん
でしょうね。それに、着ている物だって、質素なんかじゃありません。とんでもなく高価なものなんですよ」

「え? ただの木綿の着物みたいだったぞ」

 そんなに高級品には見えなかったけどな。保科さんの着物は。
 あやせは、そんな風に思っている俺の間抜け面にうんざりしているのか、瞑目して、大きなため息をついた。

「あれは、木綿なんかじゃありません。紬という絹織物です。それも、ものすごく手間隙掛けて織られたものですから、
普通の絹織物よりも格段に高額なんですよ」

「マジかい……」

「それも今のものじゃないですね。おそらく、大正か昭和かの大昔に入念に作られて、代々受け継がれてきたものなんで
しょう。今、同じものを作ろうとしたら、いったいどれだけのお金がかかるやら、見当もつきません」

「それじゃ、まるで家宝みたいなもんじゃねぇか」

「ええ、それだけ貴重なものを普段着同然に着慣れているっていうのは、贅沢の次元が、今風のセレブなんかとは段違
いですね」

 ファッションには、少なくとも俺よりも格段に造詣が深いあやせが言うのだ。多分、本当なんだろう。
 それに、妙に腕時計がクラシックだなと思ったが、腕時計も相当に高価なもので、紬同様に祖先から受け継がれて
きたものに違いない。

「……、そうなると、保科さんの印象は、だいぶ変わってくるな……」

「お兄さんは、保科さんを『天然』って言ってましたけど、わざとそう見せている気がするんです」

「どうして? そうすることで、保科さんに何かのメリットがあるか? 少なくとも、あまりねぇような気がするが」

「それはそうですけど……。でも、何か不自然なんです。どこが、どうって、はっきりは指摘出来ないんですけど、とにかく、
嫌な感じがするんです」

 心底、不快そうに眉をひそめるあやせに、俺は困惑するしかなかった。
 だって、保科さんは、高飛車なところが微塵もない、穏やかな人じゃないか。それに対して、保科さんに過剰なほどの
敵意をむき出しにするあやせの方が、余程どうかしている。

「俺たちも、そろそろ出るか……」

 茶を飲み終えたというのもあるが、あやせの苛立ちに、居たたまれなくなったというのが本音だった。

 ちょっと痺れたような感じがする脚をだましだまし伸ばして立ち上がり、大広間の脇で俺たちを見ていた案内役の僧
に、茶と茶菓子の代金を払おうとした。だが、件の僧は、

「いえ、いえ、保科様のご学友ということであれば、代金を頂戴する訳には参りません。本日は、このままで結構です」

 と告げ、おまけに入り口で俺が払った拝観料まで戻してくれた。


「何だったんだろうな……」

 寺の山門を出て、しばらくしてから、俺は呟いた。
 狐につままれたようなってのは、こんな感じなのかも知れない。

「だから、あの女の人は、天然なんかじゃありません。その実体は、何でも如才なくこなす、抜け目のない人なんです。
現に、お兄さんが書いたレポートだって、ポイントを的確に見抜いていたようじゃないですか。天然な人にそんな芸当が
出来ますか?」

「……うん……」

 そうかも知れない。
 だが、超絶美人なのに、刺々しいところが全くない保科さんの笑顔を思い浮かべると、そうした疑念が、風を受けた霞
のように消えてしまうのだ。


「とにかく、油断のならない人なんです。ですから、二週間後の野点は、本当に要注意です。ちょっと、お兄さん、聞いて
ます?!」

 ヒステリー気味のあやせには悪いが、俺には保科さんがそんなに悪い人には、どうしても思えなかった。

 時計を見れば、まだ午前十一時前だった。観光施設として有名な寺社にも足を伸ばせそうだったが、俺もあやせも、
そんな気になれなかった。連休中ということで、人出がさっきの禅寺とは大違いだろうし、保科さんとの出会いが強烈
だったからだ。
 もっとも、その印象は、俺とあやせとでは、正反対なようなのだが……。

「早めに飯でも食うか?」

 俺の問い掛けに、あやせは首を左右に振った。

「お茶菓子を二個も食べたし、お抹茶って、カフェインが強いのか、それだけで変な満腹感みたいな感じがあって、
あまりお腹はすいてないです」

「じゃあ、ひとまずは帰るか」

 正直、ほっとした。俺の懐具合じゃ、大学の学食か、ファストフードが関の山だからな。

「それに、いきなりあんな人が現れて、雰囲気がブチ壊しです。本当にもう……」

「雰囲気って、何の雰囲気なんだよ」

 あやせは目を血走らせて、叫びやがった。

「ブチ殺しますよ?! ヒントどころか、答えをもろに言ってたのに」

「答えって、どういう答えなんだよ」

「もう、死ね! わたしとお兄さんのデートの雰囲気じゃないですか!」

「うわっ、そう、でかい声で言うな!」

 雑踏の中、何人かが、頬を高潮させて俺を睨んでいるあやせと俺に視線を向けている。
 参ったね。この中に同じ大学の奴が居ないことを祈りたいもんだ。

「と、とにかくだ……、昼食も食べたくないし、特に見たいものもないようなら、下宿に引返そうぜ。下宿に戻る頃には
空腹になってるかも知れねぇし」

 来た時よりは混雑が目立つ路面電車に乗り、下宿最寄の、ちょっと剣呑な停留所で降り、出発時と同様に自動車の
流れが途絶えた隙に、あやせの手を引いて、車道を強行突破した。
 もう、俺は毎朝の通学で慣れっこになってるけど、あやせは、おっかなびっくりで、そこがちょっと可愛らしい。

 下宿に帰り着いたのは午前十一時半過ぎだった。下宿の女主人であるお婆さんに、昼食は外食で済まそうかと
思ったが、二人とも食欲がなかったので、食べずに帰ってきた旨を伝えた。

「あら、だったら、朝炊いたご飯がたくさん残っていますから、これでお寿司でも作りましょうか。あやせさんにも、
この地方独特の押し寿司を食べていただきたいですし」


 やったね。学食やファストフードに行かなくて大正解だったな。
 押し寿司を食べさせる店は、街中にもあるけど、(俺の懐を基準にすると)概して高い。
 元々は家庭料理だってのに、最近は作る人があまり居ないせいで、多少は希少性があるのかもな。

「鱧(はも)の焼物が手に入ったので、これを押し寿司にします」

 鱧は、関東では、ほとんど食べられていない魚だが、この地方では別だ。夏場は最も人気のある魚であるらしい。

「ただ待っているのも何ですから……」

 あやせは、外出時の服装そのままで台所に行った。お婆さんの仕事を手伝うつもりらしい。
 こういうときに、男ってのは役立たずだな。
 俺は、自室に行って、印刷したレポートを再度読み直すことにした。
 一読したところ、タイプミスや内容に問題があるような箇所はなかったが、じっくり読んで、問題点がないことを
確認しておきたかった。

「うぇ、やっぱ、誤変換があったなぁ……」

 本来は『登記の欠缺(けんけつ)』であるべき箇所が、『頭記の兼決』になっていやがる。
 どうしてくれようかと思ったが、この程度なら誤変換の箇所に修正テープを貼って手書きで直せば大丈夫だろう。

「やっぱ、プリンタが欲しいよな……」

 家庭教師とか、通信添削の採点とかのバイトでもやるべきなのだろうが、今は講義について行くのが精一杯で、
とてもじゃないが、バイトをする余力はない。
 そんなことを思い悩んでいる時に、階下から、あやせが俺を呼ばわった。鱧の押し寿司が出来上がったのだ。
 俺は、その寿司を食うべく、のそのそと立ち上がった。


 その肝心の鱧の押し寿司は、小骨の多い穴子寿司といった感じだったが、美味しかった。
 鱧は、関東ではほとんど食べられていない魚だが、いいもんだと思う。
 お婆さん手作りの寿司を堪能し、食後のお茶を飲みつつ、ちゃぶ台の差し向かいに居るあやせに、俺は呟くように
言った。

「さてと……。これからどうする?」

「……、決めていません」

 時刻は、まだ十二時半だった。今から新幹線に乗れば、明るいうちに千葉まで帰れるだろう。
 だが、それでは、何か物足りなかった。それは、あやせも同じなのだろう。

「そうか、お茶を飲んだら、どっかへ行こう」

「どっかって、何かの観光スポットですか?」

 俺は、かぶりを軽く振った。

「一応はガイドブックにも出ているらしいが、普通の観光客はまずやって来ない場所さ。この地区の氏神様で、小高い
丘の上にある社なんだ。上までの長い石段が大変だが、境内からは、この街が一望出来る。どうする、行くか?」」

 ありきたりの観光スポットじゃなくて、行ってみてそれなりの達成感があるところ。その神社は、そんな場所だった。
 長い石段で丘のてっぺんまで徒歩で登るのは大変だが、上り切ったという達成感と、境内からの眺望は、
あやせだって悪くは思わないだろう。

「……、そうですね。わたしも、お兄さんには言い足りないことがありますから、場所を変えて申し上げたいと思います」

「それって、告白か?」

「変態、そんな訳ないでしょ。ふわふわ浮ついているお兄さんに釘を刺しておく必要があるからです。大体、何ですか、
保科とかいう同級生が現れたら、でれっとしちゃって。そんなんだから、お姉さんにも愛想を尽かされて、桐乃との仲も
ご両親に警戒されて、この街で独り暮らしをする羽目になったんじゃないですか」

 うひ~、こいつ相変わらずだな。可愛くねえよ。

「辛辣過ぎて耳がいてぇよ」

「でも、それが事実なんですから、仕方がないじゃありませんか。いいですか? わたしは、お兄さんのそうしたふわふわ
した危なっかしいところが、大嫌いなんです」

「そうかい……、じゃ、大嫌いな俺なんかと、ひと気のない山の中の神社に行くんだぜ、気持ち悪いだろ?」

「そうですね、普通の男の人なら、人気がないのをいいことに、いかがわしい行為に及ぶかも知れませんが、お兄さんに、
そんな度胸ありませんから」

「言いたい放題だな……」

「だって、昨晩、同じ部屋で寝たのに、お兄さんは、わたしに指一本触れませんでした。こんなへたれなお兄さんは、山奥
の神社に行っても、何も出来ないでしょうね」

「俺は品行方正なんだよ。寝ている女の子をどうにかするような外道じゃねぇ」

 反論する俺を、あやせは、目を細め、口元を歪めて、冷笑した。

「お兄さんは変態です。ただ、変態行為を実行に移すだけの思い切りがないだけです」

「ということは、結果的には、品行方正だってことだよな?」

「何でも都合よく解釈されるんですね……」

 あやせは、心待ちうなだれながらも、笑っていた。

「何か問題でもあるのか?」

「いいえ、特にありません」

「じゃあ、出掛けるか」

 午後になり、気温がかなり高くなってきたので、俺もあやせも上着なしで行くことにした。
 夕方になれば、急激に寒くなるが、手早く参拝すれば、暖かいうちに下宿にたどり着けるはずだ。


「歩いて行くんですか?」

 あやせの問い掛けに、俺は無言で頷いた。
 この地区の氏神様なんだ。この地区を見守るために、間近な丘の上に居る。

 下宿から十五分ほど歩くと、石造りの鳥居があって、その奥に丘の上まで続く長い石段が控えていた。

「ここから上るんだ。傾斜が結構きついから気をつけてくれ」

「ええ……、でも何段ぐらいあるんですか?」

「分からねぇ。俺も、下宿のお婆さんに教えてもらって、つい先日にお参りしたのが最初で、今日が二度目のお参りだ」

「そうなんですか……」

「最初のお参りの時は、石段を上るのが精一杯で、数えている余裕なんかなかった。だから、俺も知らないんだ」

 訊くところによると、概ね五百段で、下から境内までの標高差は百メートル程度らしい。
 結構な規模だから、あやせには黙っていた方がいいだろう。

 石段は、中ほどあたりにちょっと広くなった踊り場があり、俺たちは、ここで息を整えた。

「はぁ、はぁ、き、桐乃だったら楽勝なんでしょうけど、わたしは桐乃ほどスポーツは得意じゃないから、けっこうきついです」

 そう言いながらも、あやせは笑っていた。石段の周囲は、木立の新緑が美しく、ちょっとしたピクニック気分が味わえるからな。

「さてと……、もうひと踏ん張りするか」

 俺は、半ば反射的にあやせに右手を差し出していた。
 あやせは、そんな俺にちょっと驚いたようだったが、頬を紅潮させた笑顔で恥ずかしそうに自身の左手を差し出して
きた。

「でも、お兄さん、ゆっくり行ってください」

 手をつなぎ合った俺たちは、再び石段を上り始めた。
 右掌にあやせのぬくもりを感じる。俺たちは、互いの存在を確かめ合いながら、最後の一段を上り切ることが出来た。
 石段を上り切ると、新緑の森の中に、ぽっかりと広い境内が広がっていて、その奥に、境内の広さに比べると小さめ
の古びた社殿が建てられていた。

「振り返ってみろよ」

 あやせが、俺の右手を握ったまま、上半身を右に捻って、背後を見た。

「うわぁ! お兄さんが住んでいる街が、ぐるりと見渡せますよ」

 新幹線が止まる中央駅が、霞のかなたに窺えた。俺の通っている大学も見える。

「あ、あそこで電車が動いていますよ」


 中央駅から、盆地の縁をなぞるように単線の路線が敷設されていて、その路線を朱色の車両が走っているのが確認
出来た。

「悪いが、あれは電車じゃなくて気動車だ。あの路線は未電化だから、ディーゼルエンジンで走る気動車しか通って
ないんだよ」

「まだ、そんなのが走っているんですね」

「もう、あやせも分かっているんだろ? この地方は、文化にせよ、習慣にせよ、設備にせよ、おそろしく古いものが生き残っているのさ」

「そうですね……。首都圏では忘れられてしまった日本の風俗や暮らしが、この地方には、細々とした感じではあるけど、存続している……」

 感慨深げにあやせは眼下の街並みを眺め、それから石造りの鳥居と、古びて一部分にひびが入っている狛犬を一瞥
してから、ようやく、俺と手をつないだままだったことに気が付いたらしい。

「きゃっ!」

「今頃手を離したって、それまでさんざっぱら繋いでいたんだ。もう、俺の掌には、あやせの汗が染み付いちまったし、
お前の掌にも俺の汗が染み付いているだろうぜ」

「変態! どうしてそう気色悪いことしか言えないんですか。最低です」

「事実を指摘したまでなんだけどな。でも、言い方に少々問題があったのは認めるよ」

「謝っても、お兄さんが変態であることは覆りません」

「まぁ、そう怒るなって。境内の奥の方に社があるから、ひとまず参拝しちまおう」

 参拝に先立ち、俺とあやせは、御影石をくりぬいて造られた水盤の水を柄杓で汲み、その水で手を洗い、口をすすいだ。
 一応は、身を清めるつもりで、水盤脇に立てられていた看板に書かれていた手順でやってみたんだ。
 その看板には、小学校高学年くらいの女の子のキャラクターが、柄杓で水盤の水を汲み、その水で手を洗い、洗った
手に柄杓の水を受けて、その水で口をすすいでいる様が描かれている。

「何だか、桐乃あたりが萌えそうな女の子のキャラクターですね」

「どうかな……」

 看板のキャラクターは、往年の少女漫画風だった。こうした絵柄は、桐乃の好みじゃなさそうだけどな。

「それと、参堂や鳥居は、真ん中を歩いちゃいけないらしい。真ん中は神様の通り道だからな」

 俺たちは、板状の大きな御影石が敷かれた参堂の左端を、俺が前になって進み、規模は大きくはないけれど、
風雪に耐えた風格を感じさせる社殿の前に行き着いた。
 社殿の真ん前には、投げ入れられてきた硬貨で、箱上部の格子の角がすっかり丸まってしまった賽銭箱が据えられ
ている。


「え~と、お賽銭、お賽銭……」

 財布を探ると、硬貨は十円玉が何枚かと、百円玉が二枚、それに五百円玉が一枚だった。さすがに十円玉では失礼
だろう。百円玉でもどうかと思う。貧乏学生には痛い出費だが、ここは五百円玉を奮発することにした。

「ご利益は何なんでしょうね」

 五百円玉を賽銭箱に入れながら、あやせが尋ねてきた。

「分からねぇが……、多分、五穀豊穣とか無病息災なんじゃねぇの?」

「じゃあ、わたしは、わたしの人生が実り豊かなものになるように、祈願いたします」

 これも、賽銭箱の脇に立てられた看板に書かれている作法どおり、社殿奥にあるであろう御神体に向かって深々と
お辞儀をし、二拍後に瞑目して祈願した。
 何を願ったかって? そいつは残念ながら内緒だな。

 願い事を心の裡で唱えた後、再び深々とお辞儀をし、俺は祈願を終えた。
 だが、俺の傍らでは、あやせが瞑目して、真剣な表情で何事かを願っている最中だった。
 あやせの祈願は、俺がお辞儀をしてから、三十秒近くは続いていたように思う。何を願ったんだろうね。
 思い込みが激しいから、とんでもないことを願ってなけりゃいいんだが。

「時間があるし、よかったら、あそこのベンチに腰掛けよう」

 境内の見晴らしのよい場所に、木で出来た小さなベンチが設えてあった。そのベンチに俺が腰掛けると、あやせも、
俺の右隣に座った。

「こうして見ると、あちこちに緑があって、いい街ですね」

「寺社が多いからな。それに、俺が通う大学も、ちょっとした公園並みに緑が多い」

「大きな川が、街中を流れているんですね」

「あの川べりで、夏祭りの時は大きな花火大会があるらしい。ここからだと、下手に川べりに行くよりも、落ち着いて花火を見物出来そうだな」

 あやせは、俺の通り一遍の簡単な説明を「ふぅ~ん」と呟きながら聞いている。
 俺自身、この街で暮らすようになって一箇月足らずなんだから、拙い説明ではあるんだが、それでもあやせは真面目
に耳を傾けてくれていた。

「でも、これから、お兄さんはどうするつもりですか?」

「ど、どう、って?」

 この街の話をしているのに、出し抜けに何を言い出すんだろう。

「お兄さんは、いつかは千葉に戻るんですか? それとも、もう、千葉には戻らず、この街で暮らしていくんですか?」

「そりゃ、いつかは故郷に帰りたいさ」

「でも、桐乃のことがあるから……、ですよね?」

「うん……、ま、まあな」

 また、その話か、桐乃が実家に居る以上、俺は帰省すら許されていないんだぜ。

「わたしは、お兄さんに千葉に帰ってきて欲しいです……」

「その申し出はありがたいけど、現状では無理だな」

「だったら、こっちでずっと暮らすんですか?」

「そうだな……」

 もし、大学を卒業して、こっちの方で職を見つけられたら、千葉には戻らず、こっちで暮らすことになるかも知れねぇな。
 故郷に帰ることが叶わない以上、しかたがない。

「じゃ、じゃあ、お姉さんのことも、桐乃のことも、五更先輩のことも、わ、わたしのことも、何もかも忘れて、そして……、
さっき会った、保科さんとかと一緒になるんですか?」

「おい、おい……。結論を先走り過ぎだぜ。それに、保科さんは単なるクラスメートだ。それ以上でも、それ以下でもねぇよ」

 本当に思い込みの激しい奴だなぁ。
 今は、大学の講義について行くのが精一杯の俺に、そんな先のことまで考えられねぇよ。
 何よりも、保科さんは、この地方屈指の名家の御令嬢だぜ。俺なんかを相手にするわけがない。

「お兄さんは、鈍いから、自分の身に何が起こっているのか、分かっていないんです。今日の保科さんの、あの態度、
絶対に危ないです」

「危ないって、何がどう危ないんだよ」

「これだからもう……。いいですか? お寺で会った時、保科さんは、お兄さんの顔と名前をはっきりと認識していた。
これって、お兄さんに対してかなり興味を持っているってことじゃないですか!」

「たまたまだよ。保科さんは、誰に対しても礼儀正しいし、クラスの中心とも言うべき人だからさ。それで、法学部一年の
全員の顔と名前を覚えようとしていて、実際に覚えたんじゃねぇの?」

 その途端、あやせが顔を真っ赤にさせて激昂し、俺の襟首を引っつかんだ。

「お兄さんの分からず屋!!」

「ぼ、暴力はやめろ! 第一、こ、ここは神前だぞ」

「だったら、鈍くて危なっかしいお兄さんには、神様公認のおまじないが必要です!」

 大きな瞳をぎらつかせたあやせが、俺の眼前に迫って来た。

「うわぁ、俺、神前でブチ殺されるのか?!」

「何を訳の分からないことを言ってるんですか。そんなことより、今からおまじないをしますから、目をつぶってください」

「目をつぶっている間に、ブ、ブチ殺すのか?」

「え~い、もう、さっさと目をつぶってください。そうしないと、本当にブチ殺しますよ!」

 俺は観念して瞑目した。何がどうあってもブチ殺されるらしい。これも、運命か……。

「?」

 しかし、鼻腔に芳しい香りが感じられたと思った次の刹那、俺の唇は、甘く、瑞々しく、ふんわりとした弾力あるもので塞がれていた。
 驚いて目を開ければ、あやせが目を閉じたまま、俺の唇を貪るように吸い続けているじゃねぇか!

「う、あ、あひゃひぇ……」

 口を塞がれているから、声にならなかった。
 しかも、あやせは、接吻から逃れようとする俺を、両の腕でがっちりと掴んできたのだ。
 うわぁ、あやせの舌が、俺の口の中に入ってきやがった!!
 あやせの舌が、あやせとは別の生き物のように俺の舌に絡みついてくる。い、いきなりディープ・キスかよ!
 い、息が出来ねぇ……。
 だが、それは、あやせも同じだったんだろう。

「ぷはぁ~~っ!」

 あやせは、俺との接吻を中断し、素潜りしていた海女みたいに息を吐き出した。
 そして、呼吸を整えながら、俺の顔を妖しい目つきで見詰めている。

「な、何だよ?!」

 俺は、あやせの両腕で押さえ込まれたままだ。
 その上、あやせの瞳には、『逃さない』といった威迫があって、俺をたじろがせた。

「うふ……、もう一回……」

 再び、あやせのふっくらした口唇が俺の口元に押し付けられ、彼女の舌が、俺の中に入り込んできた。
 もう、ままよ! 俺も、あやせに倣って、自分の舌を彼女の口中に忍ばせた。
 俺とあやせの舌は、艶かしく絡み合い、互いの歯を、歯茎を、口蓋を、舐め回し、翻弄している。

 俺たち以外に誰もいない神社の境内で、俺とあやせは、我を忘れて、貪るように互いを求め合っていた。


*  *  *
「お見送り、ありがとうございます」

 新幹線のデッキで、俺とあやせは向き合っていた。

「いや、これぐらいは当然だ。俺は、お前の『兄貴』なんだからな」

 ことさら『兄貴』の部分を強調して言ったことで、あやせは不満げに頬を膨らませたが、目は悪戯っぽく笑っていた。


「『兄貴』なんて言うようじゃ、『おまじない』が足りなかったんでしょうか?」

「い、いや、そいつは十分だよ」

 他の乗客もいるこんなところでキスなんかしたら、ちょっとしたスキャンダルだ。

「でも、勘違いしないでください。わたしは、まだ、お兄さんのことが嫌いです」

「……、そうなんだ。でも、何で嫌いな俺に、あんな『おまじない』をかけたんだ?」

「それは、わたしも、お兄さんを本当に好きになるかも知れない、そのための予行演習です。
それと……、保科さんみたいな人にフラフラなびかないように釘を刺しておくためでもありますね」

「予行演習は分かるが、釘を刺すってのは何だい、そりゃ……」

 あやせが、嫣然とした笑みを浮かべている。

「鈍くて危なっかしいお兄さんを、保科さんのような人から護るための予防接種のようなものと思ってください」

「予防接種ね……」

 俺は苦笑した。あやせには、とことん鈍い奴だって思われているんだな。
 そんな折、発車を告げるベルが、ホームに鳴り響いた。

「そろそろ電車が出ます。次は二週間後、保科さんの野点で、お兄さんを護るために来ますから」

「お、おう、そんなに大げさに考えなくたって大丈夫だろうに……」

「何言ってるんですか! だからダメなんです」

 大急ぎでデッキから出ようとする俺の背中に、あやせの罵声が浴びせられた。
 俺とあやせの関係って、結局はこんなもんだよな。

 デッキからホームに飛び出すと、間一髪で新幹線のドアが閉まった。
 そのドアのガラス越しに、あやせは俺に笑顔を向けてくれている。

「ま、また、来いよ!」

 二週間後にやって来ることが決まっているのに、思わず言ってしまった。我ながら陳腐だぜ。

 あやせを乗せた新幹線が動き出し、それは見る見るうちに加速してホームから走り去って行った。

「しかし、『まだ、お兄さんのことが嫌いです』、か……」

 そんな言葉を呟きながら、俺は自身の口唇を人差し指でなぞり、先刻の狂おしいほどの接吻を思い返していた。
 『嫌い』という言葉が真実か否か、そんなことはどうでもいいのかも知れない。口唇に記憶された艶かしい感触は、 
紛れもない事実なのだから。
 駅舎を出て、ふと、見上げれば、茜色の夕焼け空に、二つの星が競うように瞬いていた。
(終わり)

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最終更新:2011年07月26日 22:55
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