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> 制約のある中だと、似通った作品が多くなりますが、それでもにじみ出てる個性というのが、そのクリエーターの持つ本当のキャラクター性だと思います。 [[ローソンのソーシャル・キャラクター戦略>http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862259383/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4862259383&linkCode=as2&tag=playability-22]], p.47 >今日では、「漫画はキャラクター」ではなく、「エンターテインメント=キャラクターである」、と教えています。キャラクターはあらゆるメディアで活躍する。人を惹きつける存在のことなのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.9 >どうして同じキャラクターの作品が続いていくのか。それは求められるからです。消費者がその作品を買うから同じキャラクターの登場する作品が続けて創られていく。なぜ買うのかといえば、それはキャラクターに会いたいからなのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.17 > 読者は、またそのキャラクターに会いたい。そのキャラクターといっしょにハラハラドキドキしたり、ときめきたいから、その漫画を手に取る。友達や恋人に会うように、キャラクターに会いたいんです。仲の良い友達や恋人と街を歩いて買い物をしたりしますが、街を歩いたり、買い物をしたりするのは別に一人でもできます。それが目的ではなくて、一緒にいて楽しい特別な誰かと同じ体験をすることが、何より大事なのです。 > キャラクターも、それと同じことなんだと気づいたのです。 > 恋人や友達とは別れたくない。いつまでも一緒にいたい。だからこそ、魅力的なキャラクターが登場する作品はいつまでも連載が続いていく。 > それが「キャラクター」の力なのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], pp.20-21 >そうやって考えているうちにやっと、キャラクターの本質が見えてきました。キャラクターには、人間の目をとめ、心を動かし、感動を呼び起こす「力」がある。それからは、ヒットに恵まれるようになりました。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.22 > キャラクターに注目したり、感情移入していっしょにハラハラドキドキしたり、そのキャラクターのことを好きになったり。どうしてこんなにキャラクターが好きなんでしょうか。 > これは人間の本能だからです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.30 > 目だけではありません。人間は、「心」自体がキャラクターを感じるように出来ています。 > 太古の人間は、身の回りの動植物や自然物、さらには目に見えないもの、存在しないものにまで「心」の存在を感じ、それらを畏れたり、親しんだりしてきました。 > 人類は自らを取り巻く世界を「キャラクター」の集合体として捉え、理解できない現象や理不尽な出来事を、神や魔物、精霊、妖怪などとしてキャラクター化し、様々な現象は、それらのキャラクターの意志であると理解するようになったのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.31 > このようにメディアに「心」を込める時に効果を発揮するのがキャラクターなのです。 > キャラクターが創り手と、見る者との「心」を繋ぎます。 > 作者の「心」はキャラクターの言動として作品の中に表れ、見る者の「心」をゆさぶります。キャラクターは、見る者の心を動かす存在なのです。 > 言い換えれば、作者の「心」や「思い」が人の形をとったものがキャラクターなのだといえます。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.32 > 「キャラクター」とは、メディアの中で「メッセージ」を伝える存在、もしくは、何か「意味」を背負った(象徴した)存在だといえます。 > そういう意味ではキャラクターは漫画やアニメ、映画のような架空の存在、新しい言葉で言えば「非実在」のものだけではなく、実在の人間もみなキャラクターであるといえるのです。テレビタレントやスポーツ選手、政治家などもキャラクターですし、歴史上の人物もキャラクターです。(省略) [[小池一夫のキャラクター新論]], p.76 > つまり、「キャラクター」とは「目に見えない概念的なもの」を「目に見えるように表したもの」である、ということが言えます。 > 目に見えない人間の心の世界を、現実の世界に眼に見えるように映し出す存在。それが「キャラクター」というものの本来の意味なのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.114 > 既存のキャラクターや、文化的な共通認識から、見た目や設定を借りてきているだけなんです。そこには人を惹きつける魅力や、他と区別する個性がない。ありふれたテンプレートを借りてきているわけですから、本当はそこにオンリーワンの個性をつけなければいけないんです。 > そうアドバイスすると、こんどは個性をつけようと思って、ゴテゴテといろんな部品をくっつけてきたりするのです。 > それも違う。それは個性的なのかもしれませんが、印象が分散してしまうんです。 > そうじゃなくて、「このキャラはこれだ!」っていう、インパクトのある「ワンポイント」を付けましょう。本当は「オンリーワンポイント」と呼びたいところですが、長いので「ワンポイント」と呼んでいます。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.149 > 眼に見えない概念や意味、信条などが目に見える世界に表れる時、それは文字や形、人物など、何らかの姿を取ります。象徴する存在、それがキャラクターです。言い換えれば、キャラクターとは、心の世界から形ある世界に出てくる意味の影、幻影なのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.155 > キャラクターをシミュレーションできるようになったとしても、それだけでは、魅力的なキャラクターにはなりません。 > そこに、他の誰もがシミュレーション出来ない意外性のある事柄、個性的な発想が入っていなければ、他の人にとっても面白い特別なキャラクターにはならないのです。そこに、日常的でない非日常の世界のことや、思いもよらない発想、誰もがビックリするようなアイデアを入れてやることで、キャラクターが動きだし、ドラマが流れ出すのです。 > 私はキャラクターとは「日常」にいる読者を、「非日常」の世界に引きずり込むものだと思いながら、いつもキャラクターを創っています。 [[小池一夫のキャラクター新論]], pp.165-166
> 制約がある中だと、似通った作品が多くなりますが、それでもにじみ出てる個性というのが、そのクリエーターの持つ本当のキャラクター性だと思います。 [[ローソンのソーシャル・キャラクター戦略>http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862259383/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4862259383&linkCode=as2&tag=playability-22]], p.47 >今日では、「漫画はキャラクター」ではなく、「エンターテインメント=キャラクターである」、と教えています。キャラクターはあらゆるメディアで活躍する。人を惹きつける存在のことなのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.9 >どうして同じキャラクターの作品が続いていくのか。それは求められるからです。消費者がその作品を買うから同じキャラクターの登場する作品が続けて創られていく。なぜ買うのかといえば、それはキャラクターに会いたいからなのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.17 > 読者は、またそのキャラクターに会いたい。そのキャラクターといっしょにハラハラドキドキしたり、ときめきたいから、その漫画を手に取る。友達や恋人に会うように、キャラクターに会いたいんです。仲の良い友達や恋人と街を歩いて買い物をしたりしますが、街を歩いたり、買い物をしたりするのは別に一人でもできます。それが目的ではなくて、一緒にいて楽しい特別な誰かと同じ体験をすることが、何より大事なのです。 > キャラクターも、それと同じことなんだと気づいたのです。 > 恋人や友達とは別れたくない。いつまでも一緒にいたい。だからこそ、魅力的なキャラクターが登場する作品はいつまでも連載が続いていく。 > それが「キャラクター」の力なのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], pp.20-21 >そうやって考えているうちにやっと、キャラクターの本質が見えてきました。キャラクターには、人間の目をとめ、心を動かし、感動を呼び起こす「力」がある。それからは、ヒットに恵まれるようになりました。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.22 > キャラクターに注目したり、感情移入していっしょにハラハラドキドキしたり、そのキャラクターのことを好きになったり。どうしてこんなにキャラクターが好きなんでしょうか。 > これは人間の本能だからです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.30 > 目だけではありません。人間は、「心」自体がキャラクターを感じるように出来ています。 > 太古の人間は、身の回りの動植物や自然物、さらには目に見えないもの、存在しないものにまで「心」の存在を感じ、それらを畏れたり、親しんだりしてきました。 > 人類は自らを取り巻く世界を「キャラクター」の集合体として捉え、理解できない現象や理不尽な出来事を、神や魔物、精霊、妖怪などとしてキャラクター化し、様々な現象は、それらのキャラクターの意志であると理解するようになったのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.31 > このようにメディアに「心」を込める時に効果を発揮するのがキャラクターなのです。 > キャラクターが創り手と、見る者との「心」を繋ぎます。 > 作者の「心」はキャラクターの言動として作品の中に表れ、見る者の「心」をゆさぶります。キャラクターは、見る者の心を動かす存在なのです。 > 言い換えれば、作者の「心」や「思い」が人の形をとったものがキャラクターなのだといえます。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.32 > 「キャラクター」とは、メディアの中で「メッセージ」を伝える存在、もしくは、何か「意味」を背負った(象徴した)存在だといえます。 > そういう意味ではキャラクターは漫画やアニメ、映画のような架空の存在、新しい言葉で言えば「非実在」のものだけではなく、実在の人間もみなキャラクターであるといえるのです。テレビタレントやスポーツ選手、政治家などもキャラクターですし、歴史上の人物もキャラクターです。(省略) [[小池一夫のキャラクター新論]], p.76 > つまり、「キャラクター」とは「目に見えない概念的なもの」を「目に見えるように表したもの」である、ということが言えます。 > 目に見えない人間の心の世界を、現実の世界に眼に見えるように映し出す存在。それが「キャラクター」というものの本来の意味なのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.114 > 既存のキャラクターや、文化的な共通認識から、見た目や設定を借りてきているだけなんです。そこには人を惹きつける魅力や、他と区別する個性がない。ありふれたテンプレートを借りてきているわけですから、本当はそこにオンリーワンの個性をつけなければいけないんです。 > そうアドバイスすると、こんどは個性をつけようと思って、ゴテゴテといろんな部品をくっつけてきたりするのです。 > それも違う。それは個性的なのかもしれませんが、印象が分散してしまうんです。 > そうじゃなくて、「このキャラはこれだ!」っていう、インパクトのある「ワンポイント」を付けましょう。本当は「オンリーワンポイント」と呼びたいところですが、長いので「ワンポイント」と呼んでいます。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.149 > 眼に見えない概念や意味、信条などが目に見える世界に表れる時、それは文字や形、人物など、何らかの姿を取ります。象徴する存在、それがキャラクターです。言い換えれば、キャラクターとは、心の世界から形ある世界に出てくる意味の影、幻影なのです。 [[小池一夫のキャラクター新論]], p.155 > キャラクターをシミュレーションできるようになったとしても、それだけでは、魅力的なキャラクターにはなりません。 > そこに、他の誰もがシミュレーション出来ない意外性のある事柄、個性的な発想が入っていなければ、他の人にとっても面白い特別なキャラクターにはならないのです。そこに、日常的でない非日常の世界のことや、思いもよらない発想、誰もがビックリするようなアイデアを入れてやることで、キャラクターが動きだし、ドラマが流れ出すのです。 > 私はキャラクターとは「日常」にいる読者を、「非日常」の世界に引きずり込むものだと思いながら、いつもキャラクターを創っています。 [[小池一夫のキャラクター新論]], pp.165-166

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