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ピーターソンは新しいウェブを黎明期の映画になぞらえる。「技術抜きには映画を語れない時代がありました。技術がわからなければ映画を撮ることができなかったんです」。その後、映画が進化し、ディレクターは技術的なことをあまり気にせず、細部まで作り込まれ思わず引き込まれる物語の制作に集中するようになった。「いまのウェブは、ちょうどそんあ状態だと思うのです」

ウィキノミクス, pp. 70-71.

『メイク』(自作・修理・改造といったDIY分野の革新を専門に取り扱う雑誌とブログ)の編集者、デビッド・ペスコビッツによると、トヨタのプリウスやアップルのiPodといった製品を中心にさまざまなプロシューマー・コミュニティが形成され、DIYが爆発的に進展しているという。「新しいコミュニティが毎日のように生まれていますが、これは、技術がそれを可能にしているからという側面もあります」。


テクノロジーとは、教養人やテクノロジストが考えてきたほど簡単なものではなかった。すなわちテクノロジーとは、人間の生産物に影響を与えるだけでなく、人間そのものを規定し、あるいは少なくとも、人間が自らをいかに見るかを規定するものだった。


マクルーハンの洞察のうち最も重要なのは、「メディアはメッセージなり」ではないのである。「テクノロジーは道具ではない。人の一部である」なのである。


 テクノロジーとは、技術者が定義し、チャールズ・シンガー編『技術の歴史』全五巻が定義し、全米技術史学会が定義し、その機関誌『技術と文化』が定義するような、道具、機械、製品にとどまるものでもない。それは「人の行い方やもののつくり方」にかかわるものである。


 テクノロジーとは、人が人に特有な活動としての「仕事」を行うための、目的意識にもとづく人工の非有機的進化にかかわるものである。しかも人の行い方、つくり方、働き方は、人の生き方、人と人とのかかわり方、自らの見方、そしてつまるところは、人が何であり誰であるかに対してさえ重大なインパクトを与えるものである。

あらゆる技術(テクノロジー)はそれを使う人間のある特定の器官や機能を拡張し増幅する。


 技術者は、技術を道具との関連において見る。これに対して歴史家・経済学者・哲学者は、カール・マルクスとジョセフ・シュンペーターを除くと、彼らの世界の外側にあり、彼らの世界に脅威を与えつづける悪魔的な力として技術を見る。
 しかし私は、技術を社会における人間活動の1つとして見る。そのような技術の見方は、「人間は意識的な進化が可能な唯一の動物である。人間は道具を発明する」と言ったチャールズ・ダーウィンの時代のもう一人の進化論者、アルフレッド・ラッセル・ウォーレスの見方と同じである。


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