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  Abstraction involves the extraction of properties of
an object according to some focus: properties that are
selected are only those relevant with respect to the focus
(e.g., a certain class of problems). Thus, abstraction is
an information filtering process that reduces the initial
amount of information to be used in problem solving.


筆者にとっての疑問は、どれだけ抽象的にすればよいのかという点である。見つけた問題領域以外にも有用と思われるようなパターンに出くわしたら、それをどの程度抽象化すべきだろうか。元の問題領域を越えて抽象化するときの問題は、パターンの正当性に確信が持てないということである。パターンが現れたプロジェクトでは、パターンは長い議論と実装と(上記のような)ドメインエキスパートの知識を通して検証される。抽象化を進めることは、安全だった港を離れて外洋航海に出るようなものであり、筆者の発見が、そこでどれほどうまくやって行けるものなのか心もとない。そこは未知のことばかりである。筆者の見解では(パターンコミュニティの大部分も同じだと思うが)、パターンが読者の問題領域に有用かどうかは読者が判断する以外にない。読者の問題領域については筆者よりも読者の方がはるかに知っているし、適切なドメインエキスパートに当たることもできる。本書では、パターンを広い範囲に適用することを示唆するような例を用いている。元の領域外の例は試験的なものに過ぎないが、読者の想像ををかき立て、読者自身に『これは自分の役に立つか』と問い掛けてもらうためである。


 私が思うに、世の中には、いつまでもバッタのように個別の問題に取り組んでいる人がいる。一般化することができずに、コンセプトを把握することができないでいる。科学者にもいるし、ビジネスマンにもいる。
 ところが、優れたビジネスマンは、優れた科学者や優れた芸術家と同じように、ヘンリーおじさんと同じ頭の動きをする。最も個別的、最も具体的なことから出発して、一般化に達する。
 50年前の当時、人はまだあまりに経験志向だった。システム、原理、抽象化が必要とされていた。事実、私は当時、数理論理学と出会って一種の解放感を味わったことを覚えている。
 しかし、今日ではわれわれは、逆に意味で再びヘンリーおじさんを必要とするに至っている。今日ではあまりに多くの人が、検証抜きの定量化、形式だけの純粋モデル、仮定による論理に傾斜し、現実から遊離した抽象の追求に耽溺している。
 今日のわれわれは西洋における体系的思考の原点ともいうべきプラトンの教えを忘れている。まさに、プラトンの言うように、論理の裏付けのない経験はおしゃべりであって、経験の裏付けのない論理は屁理屈にすぎないのである。



参考


文献



リンク