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 1950年代、C. Wright Mills (1959) は、社会科学が社会政策・実践・制度の発達に対して効果的なガイダンスを与えるという義務を怠ってきている、と訴えた。彼の著書『社会学的想像力(The Sociological Imagination)』では、社会科学者の「誇大理論(grand theory)」への傾向を批評した。ここで、誇大理論とは、厳密で、形式的、知的にすばらしいが、同時にレベルが低く、視野が狭く、応用不可能な理論である。Millsは特に、現実的な意思決定の支援に失敗した誇大科学は、科学がまったくないよりも結局のところ、もっと悪いかもしれないという心配をした。彼は、現実の社会的文脈での応用にうまく合い、社会的現実によく適合した「中間レベルの抽象」(middle-level abstraction)の開発という新しい見解を要求した。

 A theory explains a complex phenomenon in terms of simple elements and rules. It uses the smallest number of elements and rules possible, but the total must be capable of explaining all cases that arise in the relevant domain.

Design Rules, p. 130

[...] A theory in any discipline is a general framework that
(1) explains observed phenomena;
(2) predicts effects that appear under specific circumstances; and
(3) enables one to create new situations that perform in a way predicted by the theory.


 新しい現実のための新しい理論が生まれるには時間がかかる。新しい理論が空理空論以上のものであるためには、現実が先行してくれなければならない。理論は起こったものを体系化するにすぎない。だが、新しい理論の登場を待っている余裕はない。行動しなければならない。たとえ十分ではなくとも、すでに明らかになったものを使っていかなければならない。


 学者や知識人は、政治、社会、経済、心理は理論から生まれるという。もちろん、そういうこともある。だが滅多にない。理論が現実に先行することはない。理論の役割は現実を組み立てることにある。個を一般化し、教え学ぶことのできるもの、一般に適用できるものにすることにある。理論は現実を体系化する。理論が現実を創造することは、ほとんどない。

新しい現実, pp. iii-iv

 経験によれば、この新しい多次元社会の現実に合致した理論を手にするには、一世紀を要するはずである。しかし、すでに起こったことを思想家たちが理論をもって説明するまで待つわけにはいかない。

新しい現実, pp. 92

1700年頃オランダのブールハーフェとイギリスのサイデンハムから始まった近代医学への準備は、いわば壮大な理論体系を諦めることによってなされた。まさに近代医学は、病気は多様であって、それぞれの原因、症状、治療を持つとの考えから進歩を始めた。


理論のあり方は二つしかない。
1. 検証が行われ、適切な形で否定(ポパーは反証と呼ぶ)されて、間違っていることがすでにわかっている理論。
2. まだ反証が成功していないので、間違っているかどうかはわからないけれど、間違っていることが証明される可能性のある理論

まぐれ?, p. 161

 たとえばヴィトルヴィウスを例にとってみましょう。あるいはヘンリー・ウートン卿の言──『有用性、耐久性、快適性』──現代のことばでいえば『居住性、構造上の安定性、そして美しさ』でもけっこうです。物理学の場合、現象いっさいを三つのカテゴリーに分類しようとするなら、まず次のように問わねばなりません。『なぜ三分割なのか? 三つのカテゴリーにどんな意味が含まれているのか? その事象には、おのずと三つの部分に分かれようとする傾向があるのか?』とね。するとあるわけないという答えが返ってきて、この『有用性、耐久性、快適性』という分類が実はまったく恣意的なもので、建築というケーキを勝手に切り分けたものにすぎないと気がつくでしょう。つまり浅薄きわまりない理論だというわけです。このように、恣意的に構成された理論と現実のリアリティに根づいた理論の間には、根本的な差があります。その差は微妙で、区別はむづかしいのですが、リアリティに根づいた理論と、ただのことばの遊びにすぎない理論との区別がつけられないかぎり、前進は望めません。現実の構造に対して理論の構造をつき合わせ、自分の理論をたたき直し、切りつめたり、入れ替えたりの試行錯誤を繰り返し、最終的には、その理論が現実を鏡のように映し出せるようになるまで鍛え上げていくべきなのです。


...美しい建築について語るときには、物理学や宇宙論と肩を並べるだけの真剣さをもつべきだという信念を当初よりもちつづけてきました。建築にしか適用できないような付け焼き刃的な理論はごめんです。真実であらんとすれば、真剣でなければなりません。