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 様子見はさらなる様子見を呼ぶ。行動派の人が組織を去り、様子見する社員ばかりになってしまうというツケがまわってくる頃には、修復しようとしても手遅れだ。


我々はみな、チェスター・バーナードが38年に記した名著『経営者の役割』のおかげで、組織を1つに束ねているのはオーナーシップや命令ではなく、情報であることを知っている。


大学、企業、労働組合、病院などいかなる組織であれ、社会的責任について論ずる際には、組織本来の能力を損なわないかを問うことが不可欠である。われわれは、社会的な善のほうが本業の成果よりも重要であると判断してしまいがちである。

新しい現実, pp. 93

 成果をあげるための能力の向上だけが、エグゼクティブの仕事ぶりや、成果や、満足度を大幅に改善するための唯一の方法である。
 もちろん、際だって優れた能力をもつ人たちを使うことはできる。あるいは際だって優れた知識をもつ人たちを使うこともできる。
 しかし、いかなる努力をもってしても、能力と知識の向上に関しては、大幅の期待はできない。もはや、これ以上は不可能か、あるいは少なくとも効果のあまりないような限界に達している。
 われわれは、新種のスーパーマンを育てることはできない。現在の人間をもって、組織を運営しなければならないのである。


 したがってわれわれは、一つの重要な分野で強みをもつ人間が、その強みを仕事に使えるように、組織をつくることを学ばなければならない。
 万能の人間を求めようとしてはならないことはもちろんだが、能力に関する基準を上げることによって、エグゼクティブの仕事ぶりを向上させようとしてもならない。人間の仕事ぶりの向上は、人間の能力の飛躍的な増大ではなく、仕事の方法の改善によって図らなければならない。
 知識についても同じことがいえる。優れた知識を大量にもつ人間を手に入れようとしても、そのために必要とされる労力は、期待できる成果に比べれば、あまりに大きすぎる。

組織の原則


 組織には、いくつかの守るべき原則がある。
 第一に組織は透明でなければならない。誰もが自らの働く組織の構造を知り、理解できなければならない。これは当然のことである。しかし実際には、軍を含めきわめて多くの組織において、この原則はしばしば破られている。
 第二に、すでに述べたように、組織には最終的な決定権をもつ者がいなければならない。危機にあっては、その者が指揮をとらなければならない。
 第三に、権限には責任が伴わなければならない。
 第四に、誰にとっても、上司は一人でなければならない。三人の主人をもつ奴隷は自由人であるとのローマ法の格言は真理である。しかも、忠誠の板ばさみを避けるべきは、昔からの原則である。二人以上の上司をもつことは、板挟みになることである。今はやりのジャズ・バンド型のチームが難しい原因も、ここにある。チームに入った者は、自らの専門分野の部門の長と、チームリーダーという二人の上司をもつ。
 第五に、階層の数は少なくしなければならない。情報理論が教えるように、情報の中継点の1つ1つが雑音を倍加し、メッセージを半減させることを考えるならば、組織の構造は可能なかぎり平版にしなければならない。
 しかし、これらの原則は何をすべきかについては教えない。何をすべきでないかを教えるだけである。うまくきそうにないことを教えるだけである。これらは、建築家にとっての建築基準に似ている。いかなる建物を建てるべきかは教えない。制約条件しか教えない。


 スローンはこの考えをマネジメントの原則としていた。もちろんこれは政治理論と政治史が最初に教えることである。責任なき権限に正統性はなく、権限なき責任にも正統性はない。いずれも専制の原因となる。