• デザインの品質コントロール(2010/2/28):ゲームデザイナーには、デザインの品質をコントロールできる技術なんかはあるんだろうか。状況に合わせて、意図的に品質を落とすなど。比喩としては、たとえば、プログラマーは、デザインパターンを無駄に使ってオーバーエンジニアリングしてしまうことがある。

  • ゲームの作り手より、プレイヤーの方が舌が肥えている(2010/2/28):ゲームの作り手より、プレイヤーの方が舌が肥えている(かも)というのは、何らかの問題・課題だろうか?

  • ゲームデザインの拡張可能性or改良可能性or成長可能性(2010/2/25):ゲームの場合、プレイスタイルの違いにふと思ったのだけど、ゲームデザインの拡張可能性or改良可能性or成長可能性ってあるんだろうか。どこで限界が決まるんだろう。たとえば、RPGの職業数など。減らすのが成長的か増やすのが成長的かは分からないけど(たぶん後者)。

  • プレイスタイル(2010/2/23):ゲームの場合、プレイスタイルの違いによって、発生する不満も異なると思うんだけど、ゲームじゃないモノもそうなんだろうか? 使用・利用スタイルの違いが異なる不満になるんだろうか? 両者の度合いは同じだろうか?ゲームじゃないモノは、機能(「なんのためのものか」)が決まっているから、利用・使用方法orスタイルもそれほど、違いは出ない気もする。

  • ゲームデザインパターン(2009/9/28):厳密な意味でのアレグザンダーのいうところのパターンじゃないかもしれないけど、ゲームデザインパターンほんとうに集めていこうかな。粒度が細かくてもいいので、弱点パターンとか、弱点攻したら再攻撃パターン、とか、もうなんでも。なんてことを『絶対ヒーロー改造計画』の記事読みながら思った。

  • 快適さとゲームの口コミ度(2009/9/27):うーむ、たとえば、RPGをPSP版のペルソナのレビュー分析してるんだけど、一つ気になった点。あるレビュー者は、オリジナル版は快適さの面でマイナスだったので、他人に勧めにくかったらしい。「快適さ」ってそんな効果もあるんだな、と思った。

  • ゲームドメインアーキテクチャ(2009/9/26):うーむ、たとえば、RPGを作る、と言ったジャンルに関する選択をした場合、それはちょっと一般的に表現すれば特定のドメインモデルを選択したことになるのか? ゲームドメインアーキテクチャ? ゲームドメインアーキテクチャスタイルorパターン?

  • 経験の差(2009/9/26):なんだろ、ゲームのプレイ記憶or体験って蓄積されるだけでなく消失(?)もするんじゃないかと思った。10数年前にドラクエ6をやって、その後ドラクエ9をやるのと、ドラクエ6を最近やって、その後ドラクエ9をやるのとでは、満足感なんかに差がでると思った。

  • 機能の貢献度の安定性(2009/9/18):さっきのゲームデザインの理論のドキュメント更新しながら思ったんだけど「あるゲームに対するあるゲームプレイヤーの好みは、そのゲームのプレイを通じて、変化する」という記述は不適切かも。「あるゲームのある機能に対するあるプレイヤーの好みは、ゲームプレイの過程で変化する」とすべきか。「機能」単位とするか「デシジョン(決定事項)」単位とするかはさておき、違う観点から一つ分かるのは、機能によって、好みの変化の程度が異なるだろう、ということがある。極端なことをいえば例えば「セーブ機能」に対して、プレイ過程でこの機能が不要に思えたりすることはほとんどないと思われる。さっき書いたのは「機能の貢献度の安定性」と表現できるかも。(1)プレイヤーのプレイ経験は蓄積される。 (2)ゲームの質というのは、(1)によりプレイヤーによって異なる(と仮定?) (3) 機能は、プレイ経験からの影響を受ける程度が異なる(と仮定?)。なんか分からなくなってきた。

  • 全体性への貢献度(2009/9/17):例えば「ラスボスのHPが100」という決定があって、一つは、それを101に変えたとする。もう一つではそれを10000に変えたとする。ここで分かるのは、ある決定がゲームの全体的な質に与える影響は同じではないということ。当然っぽいけど。そして、たぶんそうなのは、この全体的な質をどのようにして得られるかのの対象の形or構造が明らかになっていないとうことが課題としてある。一つ一つの構成要素or決定が互いにどのように影響し合ってある質を生み出すのか。

  • プレイヤー中心のデザイン(2009/9/16):本書(POET)が強調しているのはユーザー中心のデザインをしようということである。これは、ユーザーが何を必要としていて何に興味をもっているかということを基本におく考え方で、製品を使いやすく理解しやすいものにするという点に重点がある。これ読んで思ったのは、ユーザー中心のデザインは、必ずしもゲームプレイヤー中心のデザインではないんだよな、ということ。ユーザー中心のデザインでは、面白さ・楽しさを基本におくわけではないっぽいから(だよね?)。

  • テストプレイヤーと作るデザイン(2009/9/15):逆に言うなら、どこまでテストプレイヤーをデザインに参画させればいいのか、という疑問でもあるのかも、と気づいた。良いデザインを創ると言う意味で、テストプレイヤーとデザイナーという区別はどこまで必要なんだろうか?

  • プレイシナリオに基づくプレイテスト(2009/9/15):良いゲームを作るには思ったんだけど、プレイシナリオもあるい程度は繰り返し起こるものだとして抽象的に表現して、収集しておくとよいのかも。RPGだと「金稼ぎ」とか「経験値稼ぎ」とかそういう共通のがあると思う。デバッグとかテストプレイをどういうやり方でやってるのか知りたいなー。

  • プレイヤーのモデル作りを支援する(2009/9/14):良いゲームを作るにはプレイヤーからのフィードバックが重要であるとする。で、プレイヤーはゲームをして、自分のゲームデザインの(メンタル?)モデルを作って、それをもとに評価を行うとする。とすると、いかにプレイヤーが適切にモデルを作れるかがいかに評価を適切に表現できるのかに影響するのではないか? つまり、プレイヤーがゲームをして単にゲームの不満点を書いてもらうだけでは不十分なんじゃないのか?プレイヤーが適切にモデルを構築できるための情報および表現が必要じゃないか?

  • 制御できない環境要素(2009/9/13):うーむ、昨日と同じくメガテンうーむ、FF13のオプティマシステムのモデリングやってて気づいたこと。今作では「L1ボタンを押すとオプティマの一覧が表示される」らしいんだけど、これって「L1ボタンがある」ことに依存した決定だよなと。「L1ボタンがある」という要素は開発者がコントロールできない環境的なもの。これが重要になるのは、他のプラットフォームorゲーム実行環境への移植を考えた時、環境(「L1ボタンがある」)の差異が決めたこと(「「L1ボタンを押すとオプティマの一覧が表示される」」)に影響するということ。まあ、当然のことだけど。


  • 質を表すためのモデリング(2009/9/11):うーむ、昨日と同じくメガテンの新作の新システムのモデリングやってて気づいたこと。モデリング自体には関係ないんだけど。何かと言うと、ゲームと言うのは色々な要素で構成されるとする。で、思ったのはそれぞれの要素は、ゲーム全体に何らかの質の点で寄与しなければならないということ。たとえばRPGで味方/敵のステータスに弱点が存在する(炎に弱いとか)という要素を導入したとする。しかし、その要素は、ステータスの一部としては関わりをもっても、バトルや他のシステムと関わりをく持たないとする。この時この要素はゲームの一要素ではあっても何らかの質への寄与はない。他の例で考えると、メガテンでの悪魔全書のシステムで、悪魔の解説(どういう神話などに出てくるとか)を読めるという機能がある。悪魔の解説があっても、(たぶん)バトルで役立つということはない。とはいえ、何らかの質の観点でゲームに寄与すると考えられる。この解説を望む人はいるので。重要なのは、ゲームの質を表現するという意味で、これらの要素をどのような関係として理解して表現できるのか、つまりモデリングできるのか、というのがある気がする。

  • ゲームデザインの育て方(2009/9/10):うーむ、ゲームデザインには繰り返しが必須として、体系的にゲームデザインを改善していく手法なんかは提案されてるんだろうか?

  • ゲームデザインのモジュール化(2009/9/3):少なくとも僕の調査では、ゲーム要素間の関係付けの失敗がユーザの不満を生み出す。逆に、関係付けの適切さが面白さを生み出す、とは言わないけど、少なくとも不満は生み出さないとする。疑問は、ある一つの要素は他のどのくらいの要素と関係を持つのかということ。この疑問が重要なのは、関係数が多いほど、デザイナーにとっての理解が困難になると思われるから。つまり、そもそも、デザイナーは、ゲームデザインの複雑さを管理できるのか? ということ。で、複雑さを管理するための常套手段は、分割統治だと思うけど、ゲームデザインの場合はそれが可能なのかどうか。別の言い方をするなら、ゲームデザインのモジュール化は可能なのかどうか。

  • 予測性と価値(2009/8/24):ゲームのシステムで「~がない」とかのユーザの不満ってどこから出てくるんだろう? たとえば、ドラクエで、「(メガテンみたいに)モンスター合体がない」とか「(ロマサガ)みたいにひらめきがない」とかは出てこない。一方で、セブンスドラゴンの不満であったような「敵の出現率を弱めるスキルの効果が切れたら、ドラクエ(のトヘロス)とかではメッセージで知らせてくれたのに、セブンスドラゴンでは知らせてくれない」とかの不満が出る。UIだとすると、なぜUIなんだろう?倉庫がないとかは?ダンジョンの仕掛けがないとかも。軽くまとめると、あるシステム要素がユーザのどんな価値(?)、たとえば、「めんどくささ」とか「おもしろさ」に影響するかどうかで、ユーザの期待が制約されるという感じかなあ。もうひとつ微妙な例を発見。ペルソナ4であった不満。「全クエスト制覇の特典がない」これは、面倒さじゃないし、面白さでもない気がするし、なんだろ。僕が気になるのは、抽象的にいうと、ユーザの期待(あって欲しいものがある)はどこまで予測・推測できるんだろうか? ということです。面白さに関わる部分より、面倒さに関わる部分の方が予測できるということかなあ。

  • ゲームの面白さの科学(2009/8/22):ゲームプレイヤーの設建築の分野でも、昔の(いくつかの)建物の方が良かったとかいうと、懐古厨とかいってバカにされるんだろうか? で、昔のゲームで良かったゲームって*実際*良いと感じさせるものがあるんじゃないのか? そして、それって科学的に説明できるんじゃないだろうか(アレグザンダー的な意味で)?美しさの科学、面白さの科学

  • 繰り返し発生するプレイヤーの目標(2009/8/21):ゲームプレイヤーの設定する目標自身も、繰り返し発生するものなんだなと。たとえばレベルMAXにするとかアイテムをコンプリートするとか、そういう目標。そしてゲームデザインはこういう目標を考慮するかで異なる形になる。オンラインゲームの場合は違う特性になるかも?

  • プレイヤーに選んでもらう(2009/8/20):うーん、ペルソナ4のレビュー分析してるんだけど、クリア後の引き継ぎって、どこまでデザイナー側が決めるのが妥当なんだろう? 引き継ぎ可能な項目の一覧を出して、プレイヤーが自由に選択できるようにするとかがダメな理由ってあるんだろうか?もっと一般的にいえば、デザイナー側(作り手側)が、プレイヤーに選択させないとする要因って何なんだろう?まあ、前にも話した気もするけど、選択が煩わしく思われるとかはあると思うけど。

  • 解の探索者としてのデザイナーとプレイヤー(2009/8/20):むむむ、つまるところ、ゲームプレゲームデザイナーの役割は、ゲームデザインに関しての大域的な解(位置?)を指定すること、プレイヤーの意見の役割は、局所的な解の探索を行うこと、とか、思ったり。解の探索をいかに効果的に効率的にやるか、という視点かなあ。

  • プレイヤーと意思決定(2009/8/20):むむむ、つまるところ、ゲームプレイヤーもゲームプレイを通じて意思決定を行っている、ということか? 意思決定がどれだけゲームの面白さに影響を与えるのかは分からないけど。

  • プレイヤー意見の取り入れ方(2009/8/20):うーむ、ペルソナ4のレビュー分なるほど。関係することとしてちょっと思ったんですけど、ゲームに限らず、ユーザの意見を検討するときって、作り手側はどんな戦略(やり方)をしてるのかなーと。

  • プレイヤーの不満の表現(2009/8/20):うーむ、ペルソナ4のレビュー分析して、なんとなく気づいたこと。最近のRPGでクエストのシステムがよくみかけるきがするんだけど、共通する不満にクエストの報酬が微妙というのがある。まあそれはよくて、気づいたのは、僕なんかはもうはじめからクエストなんてしない、という点。つまり、システムの要素として存在しないものとして認識してしまっている。だからなにってのがあるかもしれないけど、なんか、ちょっと気になる点。つまり、プレイヤーからデザイナー(作り手に)にちゃんとこの不満が届くのかという点。既に別タイトルのゲームで「クエストの報酬は微妙」という不満は認識済みなので、わざわざ再評価して、不満として作り手に伝えようとするのかという点。

  • 機能の必要・不要(2009/8/20):ゲームデザインや個々のデシジョンに対うーむ、ちょっと前にブログったゲームデザインの記事を考え直してるんだけど、同じ機能でも、あるプレイヤーにとっては「はじめから不要だった機能」と違うあるプレイヤーにとっては「途中から不要になった機能」ってのは区別したほうがいいんだよなー。もっと包括的にいうと、「はじめから必要だった機能」と「途中から必要になった機能」もあるのかな。


  • デザインの評価(2009/8/18):ゲームデザインや個々のデシジョンに対するプレイヤーの評価は、満足か不満かのどちからだと仮定してたんだけど、間違いだったようだ。全てのプレイヤーが全てのゲームの状態をプレイor体験するわけではない、というのを見落としてた。


  • 環境も要素とする?(2009/8/17):「家族がいる」「友達がいる」という要素。


  • 不満の観点からのゲームデザインの分解(2009/8/17):不満の発生をもとにデザインを分解できる? 不満が発生しないときは分解の必要がない?

  • プレイヤーはゴール指向な行動(2009/8/14):でも、この部分は参考になった。「プレイヤが「全エンディングの網羅」というゴールを設ける要因」。ゴールの要素はちょっと考慮してなかった点だから、ちょっと考えてみよう。思い出したけど、『ゲームの教科書』の本ではゲームをこのように表現してる。「人間が、或る一定のルール(規則)にのっとって目的にむかって何かを行い、その結果によって優劣を競うもの。ただし、楽しみのためだけに行うこと。 」そう『ゲームの教科書』を読んでたはずなのに、何で気にしてなかったか。それは、あるデシジョン(orゲームルール、例えば「マルチエンディングである」)ということに対して、*各プレイヤー自身*がゴール(「全エンディングの網羅」)を設定するということ。この感じは感じられなかった。別の言い方をすれば、ゲームプレイヤーはゴール指向なエージェントである、といえるかも。

過去作品からでる不満(2009/8/9):ドラクエ9のレビュー分析して当たり前だけど改めて気づいたこと。シリーズ物の場合、過去作品をプレイしたからこそでる不満がある。例えば、カジノがないとか、武器で攻撃したときの効果音がドラクエ6のような効果音でない、とか。こういう不満の特徴は、過去の作品をプレイしていない人にとっては、不満として共通出来ない点。それらの不満は、プレイしていない人にとっては、合理的でないし、必然性がない。

  • 可変性導入の限界(2009/8/8):書きながら疑問だったのは、ゲームプレイヤーはどこまでゲームの可変性orコンフィギュレーション性を受け入れるのか、という点。つまり難易度設定とか、プレイヤーの好みに合わせてゲームを調整する機能ってどれだけあっても不満は出ないものなのか?

  • プレイヤー内での多様性(2009/8/8):ゲームデザインについて今気づいたこと。ちょっと昔にペルソナ4のレビュー分析していたときにこんな不満が書かれているのに気づいた。「中間くらいで戦闘ナビがいらないと思うようになった。分かってることを何度も言ってくるので、音楽を聴いていたほうがいい気がした。 」このことから僕は次のような考察をした。「機能の必要性は、ユーザのゲームプレイ中に変化する」。でさらに原則として次のように書いた。「ユーザにとっていつでも必要な機能だと仮定しない」当時は今より何も分かってなかったので、それ以上考察しなかったけど、今新たに分かったこと。別の言い方だけにしかすぎないかもしれないけど気づいたは、「ユーザの好みの多様性は、ユーザ間だけでなくユーザ内にも存在する。」ということ。別の言い方をするなら、「私とあなたの好みの違い」だけでなく「今の私と未来の私の好みの違い」というのを(ゲーム)デザイナーは考慮する必要がある。

  • プレイヤーの利己的性(2009/8/1):うーむ、ドラクエ9のレビュー分析して気づいたこと。不満に「メッセージスピードを変更できない」というのが8件あった。僕も一番最初に変更しようとしてできなかったのでびびった。で、考察は何かというと、プレイヤーは他のプレイヤーに対して完全に利己的な要求をするわけでない、ということ。不満の表現の仕方なら、「メッセージスピードを変更できない」ではなく、もっとプレイヤー自身に指摘した不満の表現、たとえば「メッセージスピードが遅い」というのでもいいはず。プレイヤーは他のプレイヤーに対して完全に利己的でない、つまり、プレイヤーは他のプレイヤーの好みをそこそこ尊重する、というのが事実なら、ゲームデザイナーもこの事実を基にデザインを行う必要がある。

  • ゲームデザインの大前提(2009/7/29):ゲームをデザインするにあたっての大前提はなんだろう。(1)ゲームは現実世界でプレイされる。あるいは、現実のプレイ環境や状況を切り離せない。(2)ゲームは一人以上にプレイされる。(3)プレイヤーはプレイを通じて経験を得る。(4)プレイヤーの好みに異なる部分がある。(5)プレイヤーの好みに同じ部分がある。とはいえ、これら前提は、ゲームに限らない気がする。ゲームではなく人工物、ゲームのプレイヤーでなく人工物の使用者としても当てはまる気がする。と思ったけど、違うか。映画とかアニメとかマンガとか小説とかを人工物だとすると、これらは「使われる」わけor使用者ではないのか。あれ、一般的に、映画とかアニメとかマンガとか小説を何かする人は、使用者じゃなくてなんていうんだろう。消費者?ある人工物に対してある人が何かする場合、最も一般的な表現は何? そもそもそんなの存在しない?少し前に"Affordance Based Design"の論文読んで思ったことの一つは、useとplayとの区別。あるいは、userとplayerの区別。単なる言葉の問題なのか? それとも、何か本質的な違いがあるだろうか。続き。「designer, artifact, user」という見方と「designer (game designer), artifact (or game), player」という見方。前者は後者を含む?user とか use って僕は思ってるよりは、一般的な表現でないのかな。つまり、人工物という抽象度に対応するコンセプトとはいえないのかも。@nsiena その違いがあるとすると、その違いはデザインするという行為にどれだけの影響を与えるんだろう? 道具として使われるものをデザインすることと、楽しむこと自体を目的としているものをデザインすることの間の違いはどれだけあるんだろう?@nsiena なるほ。コンテンツ、インタラクティブ性、能動性(?)かー。メモメモ。@nsiena 解決すべき問題が明確化しやすいってのは、「道具として」の方でいいんですよね? 問題が明確化しやすいほど、解決も容易になる、ってことでいいのかなー。@nsiena で、次は僕はソフトウェアの人なので気になるのが、useな目的のソフトウェアとplayな目的のソフトウェアのそういう違いは、ソフトウェアの構造のデザイン(プログラミングorいわゆる設計)の困難さにどれだけ影響を与えるのか、ってことかも。そもそも関係なんてないのかな。@nsiena ソフトウェア工学っぽい用語を使って、useなのとplayなのを区別すると、一つは、機能的な要求と非機能的な要求の割合の違いがあのかな? と思った。どうだろう。「満足感」orゲームだと「楽しさ」とか「面白さ」なんかは、まさに非機能的な要求に思える。@nsiena 確かに、機能要件/非機能要件の「主従」と言った方が適切かも。

  • 可変性と複雑性(2009/7/26):うーむ、ゲーム開発の難しさ(or今後難しくなる?)の要因の一つは、プレイヤーの好みor可変性をシステム的になまじ制御できることかもしれないな。マンガとかアニメとか小説とかだと、たぶんできないよな。

  • オプション性(2009/7/26):さらに今ふと分かったことを。ドラクエ9でボリューム不足という不満が何件があった。まあ本編のボリュームのことなんだけど、僕としては、クエストとかあるからボリューム自体はあるという見方もあるなと考えてた。でも、違った。クエストとかはやらなくてもいい、ということで、これは、クエストはオプション的な扱いであることを意味する。ということは、人によっては当然、クエストをするかどうかの選択ができるわけで、選択できるということは、その人によってボリュームの感じ方は異なる。

  • ゲーム世界の合理性(2009/7/26):うーむ、ドラクエ9のレビュー分析してるんだけど、気づいたこと。不満の一つに「「逃げる」の成功率が低い」があった。レビューした人は、この理由を、シンボルエンカウント形式だから、プレイヤーはエンカウントを制御しやすいから、エンカウントしたら逃げにくいってことなのかな、と書いていた。でも、ダンジョン内では、通路に敵が出ると、フィールドとは違って敵とエンカウントしやすくなってしまう。でも、逃げるの成功率は低いので不満だと書いてる。で、思ったのは「シンボルエンカウントだから逃げるの成功率は低い」というデシジョンの妥当性をどう考えればいいのかということ。最初思ったのは「現実世界の合理性or理由付けをゲームの世界にそのまま持ち込むのは不適切」なんだな、ということ。ゲームの世界での合理性は、あくまで、ゲームの楽しさに寄与するものでなければならない、といえるかも(当たり前かもしれないけど)。たとえば今作で、もし、「シンボルエンカウント形式で逃げるの成功率が低くなかったら」、レビューで「シンボルエンカウント形式だけど、逃げるの成功率が高い(or低くない)」という不満が出るだろうか? もちろんやってみないと分からないけど、出ない気がする。

  • システムによる可変性の制約(2009/7/18):うーん、ndsmk2のドラクエ9のレビュー分析中。不満の一つに「すれ違い通信はいらない。地方の人はどうするんだよ…」というのがあった。で、思ったこと、機能A(すれ違い通信)があってもいい人となくてもいいという人がいる。この機能の場合、後者の人はこの機能を単に無視すればいいと思うんだけど、そうでもいかないのかもと思った。ある人にとってある機能が不要な場合、システムとしてその機能は含まれていてはいけないことが要求されるのかもしれない。ソフトウェアプロダクトラインの観点から、別の言い方をするなら、可変性は、システムに組み込まれていてはいけないのかもしれない。コンピュータゲームとしても、ある機能Aを備えるゲームAと備えないゲームBを別の製品として提供することが要求されるのかもしれない。ダウンロード販売とかになると、今後は、こういうプロダクトライン的な、あるゲームのファミリを開発できることがさらに望まれていくかも。

可変の実現容易性(2009/7/8):デビルサバイバーのレビュー分析してるんだけど、「個性は強いが、キャラクターがちょっと若年層向け」ってい
う不満点があった。で、思ったんだけど、こういう好みのバリエーション(?)に対応することは難しいと思う。一方で、難易度設定みたいに好みのバリエーションに対応できるものもある。つまり、ゲームのデザインには、可変点(バリエーションポイント)がある。でも、対応が難しいものと優しいものが存在する。いうなれば、可変性の実現度合い、みたいなのが存在する。

  • プレイヤーはモデルを評価する(2009/6/7):関連することとしセブンスドラゴンのゲームレビュー分析していて気付いたんだけど、プレイヤーは、ゲームデザイナが行うデシジョンをそのまま評価できるわけじゃないんだな、と思った。つまり、プレイヤーとゲームデザイナーは同じゲームデザインを感じているわけじゃなく、プレイヤーは、プレイを通して構築した自身のゲームデザインのモデルを評価する。たとえば、ゲームデザイナーは、あるボス敵のパラメータの設定などに関する詳細なデシジョンを行うことができる。しかし、たとえばプレイヤーがボス敵が弱いという不満を持つ時、それは具体的にどのパラメータの値(デシジョン)が小さい(悪い)、という不満を持つ(持てる)わけではない。

  • ゲームデザインでのモジュライリティ(2009/4/19):関連することとして、思ったこと: ゲームデザインってどこまで分業可能なんだろう?別の言い方をするなら、ゲームデザインのモジュールの境界はどこだろう?たとえば、町デザイン?とかマップデザイン?とかは、一つのモジュールとしてみなしてデザインしていける気がする。

  • ゲーム内での利便性の度合い(2009/4/5):ゲーム内のシステムってどのくらい利便性が求められるべきなのかな?オートマップがないとか、オートバトルがないとか、そういうの。現実世界では、人工物が便利であって困ることはない、と思うんだけど、ゲームの中のシステムor人工物(?)にも同じことが言えるんだろうか?たとえば、世界樹での自分でマップを描くというのは、面白さを感じなくもないシステムだった。もちろん、面倒なだけでオートマップがないのが不満に思ってた人もいた。プログラマブル。スクリプト。

  • 言語の成熟度とデザインの制約(2009/3/26):セブンスドラゴンのレビュー分析してるんだけど、一つ気づくのは、「他のゲームのXXXがない」とかいう不満の表現の仕方が結構あるんだよなーということ。たとえば、「ルーラがない」とか、「トヘロスの場合は効果が切れたらちゃんと切れたことを教えてくれたのに」とか。で、一つ思うのは、今までデザイン言語というのは、デザイン時に、設計者orデザイナーが使う言葉だと思ってたんだけど、使用者側orユーザ側がデザインを表現or評価するときに使う言葉にもなってるのかもしれない、ということ。暗黙的・明示的な言語の成熟度が、新たなデザインを創造するにあたっての制約に関係するのかもしれない? とか思った。

  • プレイヤーの認知する構造(2009/3/22):対称性って、*すでに表現されている* ものから得られる性質なんだろうか? つまり、僕たちがあるモノの対称性を感じるとき、それはすでに対称性があるように表現されていなければならないのだろうか?たとえば、音楽を聴いていても、対称性は感じられないのだろうか? というのも対称性を持つような表現に*まだ*なっていないので。あるモノは、その目的によって異なる表現に変換、つまり、モデル化できる。つまり、あるモノから得られる表現はいくつも考えられる。とすると、対称性のある表現も存在するし、対称性のない表現も存在しうる(たぶん)。ゲームをプレイする人(あるいは音楽を聴く人)は、ゲームをプレイするとき(音楽を聴くとき)、特定の表現と関わっているわけじゃないと思う。対称性を感じるためには、特定の表現(実際の表現でもいいし、メンタル?な頭の中での表現でもいい)に変換する必要があるように思える。もっと一般化していえば、ある性質、たとえば対象性をもつ(or対象性をもつような表現をできる)システム(たとえばゲーム)が、そのシステムとインタラクトする人(ゲームプレイヤー)に、どんな知覚的(認知的? 理解度とか)影響を与えるんだろう?インタラクトする人にたとえば「美しい」と感じさせるとしても、それは人工物のデザイン・設計の観点からいえば、一つの指標にしかならないと思う。たとえば、さっき例にあげたような「理解しやすい」というような指標も考えられる。

  • ユーザの視点からのゲームデザインの探索(2009/3/9):ゲームデザインのプロセスでは、ゲームデザイナが可能なデザインを探索する。ここでは、意思決定or選択肢を設定したり、設定した選択肢を選んだり、選びなおしたり、選択肢を増やしたりして、ってのを探索のプロセスとしてる。で、思ったのは、ここで探索者は誰なのか、ということ。ここではゲームデザイナが探索しているとしてる。けれど、ゲームユーザもプレイを通じて、自分でデザインを再構築して、さらに自身に適したデザインを探索してるんじゃないのか?たとえば、ユーザの「XXXがないからダメ」とか、そういう不満は、ゲームデザイナが探索しなかったor探索したけれど選ばなかったデザインを探索した結果から出現すると見なせるのではないか。この見方がどうゲームデザインのやり方に影響するかはもっと考察しなきゃいけないと思うけど。

  • 生き生きとしていない世界の構築(2008/12/23):『The Nature of Order』読んでて思ったのだけど、現実世界(建物とか)では、この本で書かれているように生き生きとしている性質を持つように向けて作るのが目的になるかもしれない。でも、この理論は逆も言えるように思える。生き生きとしていないものを作る方法。 たとえば、ゲーム内とかの世界観の構築にあたっては、いかにして生き生きとしていない感じを出すのか、という需要もあるきがする。たとえば、僕はベクシンスキーの絵のような世界観のゲームを作ってみたいと思ってるんだけど、氏の絵の中の建物なんかは、『The Nature of Order』でいうところの15の構造上の性質を持たないんだろうか?

  • 一人のためのゲームの観点から(2008/11/3): 今思ったこと: 一人用のゲームだと仮定して、さらに、*特定の誰かのみのために* ゲームを作るとする。この場合、面白くないと判断されたら行うのは (1)悪い部分を修正する。(2)面白くなるのを期待して修正する、の二つがあると思う。次に仮定を変更して、*特定の二人のために*ゲームを作るとする。この場合、もし二人を満足させたいなら、単に一人の意見を聞いて、修正することはできなくなる。好みの衝突を解消する必要が出てくる。

  • 親切ゲームデザインと難易度(2008/5/31):親切ゲームデザインと難易度の関係が気になった。ゲームデザインはゲーム上のルールに対してどれだけ親切であればいいんだろう? 具体例。メガテンノクターンでは攻撃力上げるとかの補助魔法の重ねがけの上限は4回までと決まっている。でも、プレイヤーは5回目の魔法使用を決定することはできる。結果は「それ以上効果がない」のメッセージ。ゲームデザイン、もくしくはシステムは、5回目を選択できなくなっているべきだろうか?別の言い方をすれば、ユーザがミスをしないようにゲームはデザインされているべきなのだろうか? そうでないなら、境界線はなんだろう。境界線を決める要因は何だ? ラフ・コスターさんの『「おもしろい」のゲームデザイン』本に答えがないか見てみる。そして、ゲームデザインから、ソフトウェア設計の話に移るとき、ゲーム難易度をなんとかするといういみで、可変性の話題になる。たとえば、易しい、普通、難しいの難易度設定が単なる敵のHPとかのパラメータの設定ではなく、それがソフトウェア構造に影響するとき、結構課題になると思う。ゲーム開発とソフトウェア開発の間を行き来しながら、何か課題を見つけたいと最近思ってる。ゲームデザインの観点からは、ソフトウェアの構造の設計技術にそれなりの課題を要求するきがする。特に、プロダクトラインでいうところの可変性をいかにうまく扱うか、という点がとりあえずある気がする。

  • 神ゲーに向けてのゲームデザインの変換(2008/4/21):あ、そうそう、朝会社に行ってる時に思ったことだけど、ゲームを作る場合、徐々にゲームデザインを変更していくことで、おもしろいゲームにいずれは到達できるのだろうか? もちろん、おもしろいの定義とかが必要だけど。 たとえば、いわゆるクソゲーを与えられて改良できる機会が与えられたとすると、良いゲーとか神ゲーとかに変換することはできるのだろうか?もちろん、現実的には時間とかコストとかの制約がある。 でも、もし理論的に、原理的に、クソゲーを良いゲーに変換することが可能であるとするなら、何が課題となるか。あるいは、既存のクソゲーじゃなくても、まだ形になってない企画書の段階で死んでるかもしれないものを、生き返らせることはできるのか。もし、企画書のレベルでも具体的なゲーム製品のレベルでも、任意の状態での成果物を与えられて、それに対し、特定の変換・修正・変更を繰り返すことで品質が上がるとするなら、何が課題になるか。ゲームのデザインは、デザイナーの意思決定によって行われるとするなら、意思決定or何を修正するかorデザインの変換の向きはランダムではなく、決定には方向性がある。ゲームのデザインは、どんなデザイン要素をどんな向きに変換していけばいいのか。言い換えれば、ゲームのデザインの原則は何か。ちょっと前に、dsmk2でユーザーのレビューを分析してきたときに、いくつかの原則の候補を特定できた。たとえば、「選択権はユーザに」「プレイヤーのプレイスタイルを制限しない」など。


  • ゲームデザインとイノベーション(2008/2/24):ゲームデザインとイノベーションが気になって、ドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を再読してた。John Gero さんによれば、デザインは、ルーチン的なのと、クリエイティブ的なのと、イノベイティブ的なのがあるとしている。ゲームデザインの観点からこれらがどう関わるのかを考えていきたい。"Creative designing: An ontological view"

  • ゲームデザインで何のための仕様変更か(2008/2/17):


  • ゲームはなぜ必要か(2008/2/9):ドラッカーのマネジメントのマーケティングの話より。

  • ユーザビリティの高いゲームデザイン手法(2008/2/7):

  • ゲームルールがゲームデザインの基本要素(2008/2/7):

  • FBSをゲームデザインに適用(2008/2/7):



  • ゲーム開発=ゲームデザイン+ソフトウェアデザイン+デバッグ支援ツールデザイン?(2008/2/3):ゲーム開発では、デバッグ支援のためのツールが必須に思える。たぶん、バランス調整のためのパラメータ調整の必要性が理由。

  • コンピュータゲームへプロブレムフレームは適用できるのか?(2008/2/3):コンピュータゲームのソフトウェアが解決する問題って、どこにあるの?コンピュータの外の世界にあるとは、直感的には思えない。

  • 機械的なゲームデザイン(2008/2/2):ファミ通の宮本さんのインタビュー

  • ゲームデザインの定義(2008/2/2):ゲームの種類でゲームデザインが変わる。同人ゲームかどうか。大規模かどうか。


  • RPGの街やダンジョンの質とは?(2007/12/23):NoO本の、Generated Structure と Fabricated Structure

  • 良いゲーだったけど、売れ行きが良くなかったゲームに対して、ユーザからできることは何かあるか?(2007/11/15)

  • ゲームデザインの進化をフィーチャダイアグラムの変化の観点から見る(2007/11/15)


  • ゲームデザインに設計問題は存在するか?(2007/9/29):OR ゲームデザインパターンって存在する?



  • MMOPRGは空間の制約がきつい? ゲームデザインに関係するオプションはみんな同じでなければならないなど(2007/8/15)

済み

  • 構造選択(2009/3/14):セブンスドラゴンのレビュー分析してて思ったことだけど、ゲーム上のある決定は他の決定を要求する構造になっていくのかもしれない。たとえばクエストシステム(決定その1)で、あるクエストが素材収集的なものである場合、モンスター図鑑的な物の存在(決定その2)がユーザから要求されるという感じ。これは、ゲームデザインは、一つ一つの(機能とかの)要素を決定(or選択)していくのではなく、要素と要素の間の関係からなる(部分的な)構造を選択していくプロセスと見なせるかもしれない。別の見方をすれば、ユーザの好みは可能なデザインのフィルタと見なせるかもしれない。たとえば、機能A(クエスト)と機能B(図鑑)があるとき、組合わせとしては、「なし」、「機能A」、「機能B」、「機能A、機能B」の4つが考えられる。このとき、ユーザの好みは「機能A」の選択肢を除外する。
最終更新:2010年02月28日 17:12