入社してしばらくしたとき、上司に「物語」の使い方をこのように教わりました。
 「例えば、レストランに入ると、お皿の上にカッティングしてあるダイヤモンドが置いてあるとする。渡邊君がお客様だとして、これを見てどう思う?」
 「綺麗なダイヤモンド、だと思いますが……」
 「そう、それだけで終わる。では、『シンデレラ城の壁画に埋め込まれているダイヤモンドと同じものです』、と聞かされたらどう?」
 私はヒザを打ちました。なるほど、こんなふうに、物語を膨らませて次々に話題を作り上げることができるのか! 物語があれば人の心を動かせるのです。


さて、ここまでの話も立派な「物語」であることに気がつきましたか? 物語には説得力があります。相手の注意を引き、その後も気をそらさせません。しかし、それ以上の力があります。物語は、人が情報を処理するのを助け、物事の関係を伝えてもくれるのです。

明示的な因果関係が述べられていないときでも、物語が因果関係を「作り出す」ことがあります。物語はふつう何らかの形で時間軸に沿った話(最初にこれが起き、次にこれが起きるといった形式の話)になるからで、明示的なものがなくても因果関係を想像させるのです。クリストファー・チャブリスとダニエル・シモンズは『錯覚の科学』で次のような例をあげてこのことを説明しています[Chabris 2010]。
  • ジョーイは兄から何度も何度も殴られた。翌日ジョーイの体はあざだらけになった。
  • イカれた母親がジョーイに激しい怒りを爆発させた。翌日ジョーイの体はあざだらけになった。
最初の文では因果関係が明確に述べられています。ジョーイが殴られ、あざができます。殴られたことによって、あざができたのです。2番目の文では明示的な因果関係は書かれていません。研究結果によると、この文については、何が書かれているかを(脳が)考えるため理解に少し時間がかかることがわかっています。しかしほとんどの人は、明示されていなくても母親のせいでジョーイにあざができたのだと結論を出します。あとでこの部分を思い出してもらうと、明示されていないにもかかわらず、母親がジョーイを殴ったと書かれていたと思い込む人が多いのです。
人は物事に因果関係を当てはめたがります。1章で見たように視覚野がパターンを求めて実際にはないものを補うのと同じように、思考のプロセスでも似たようなことをしているのです。人は因果関係を探すものなのです。脳は「関連のある情報はすべて与えられていて、その中に因果関係がある」と思い込みます。物語を利用すると、このような「因果関係の飛躍」を簡単に起こせるのです。

  • 物語は人が情報を処理するのに適した自然な形式です。
  • 「因果関係の飛躍」を起こさせたければ、物語を使いましょう。
  • 物語は娯楽のためだけに存在するわけではありません。伝える情報がいかに無味乾燥なものでも、物語を使えばわかりやすく、興味深く、記憶しやすいものになります。

物語を聞いて心の中にイメージを思い描くことによって、ミラーニューロンが発火する場合があるということが研究で明らかになりました。人に行動を起こさせたければ、物語を活用しましょう。


データより物語に説得力がある理由のひとつは、「物語は感情的に訴える力が強い」というものです。物語は聞き手の共感を呼び、それにより情緒的な反応を呼び起こすことが多いのです。データだけでなく感情も同時に処理することになります。また、感情は記憶中枢にも働きかけます。



「お父さん、お話を聞かせて」。おなじみのリクエストだ。それにしても、どうして子供たちはあんなにも「お話」が大好きなんだろう。どうして最初に覚える言葉の中に「お話」が入っているのだろう。その理由は、人間が「お話=物語」の助けを借りてアイデアを理解するからである。
最終更新:2013年08月04日 12:21