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頬にそっと冷たい物が流れた。毛糸の帽子や厚手のニットに中にまで寒さは染みわたる。ST.イヴァリースは冬だった。新年の四日後にST.イヴァリース のテレビ画面には“セント・イヴァリース観測史上の最低気温”と書かれ新聞の天気予報には殆どの所に可愛らしい雪だるまが描かれる。イヴァリース労働者新 聞の一面記事は鉄工所のストライキを報道するだろうしST.イヴァリースの香りを少しも漂わせない大手新聞社は一面記事を州政府の腐敗という見出しで大き く彩色するだろう。日常の濃い臭いまでもが世界の永遠と共に氷結したようだった。<br>  今日も世界は日常を歩み緩慢な時を刻む。<br>  「——僕達は、忘れていくんだね」<br>  「どうしたのよ、急に」<br>  金色の髪の毛をした少年。雪の無垢をそのまま身に纏ったような長髪をした少女。二人はそれなりの距離をとりつつ平行な位置関係を保ち、雪降る路を歩いていた。少年の表情は硝子のように美しく、無機質的とも言えた。<br>  「リッツ」<br>  少年は空を見上げる。時間さえ凍り付いたように澄んだ空に薄い雲が広がっている。白の雲は太陽の光に弱く輝きながら己の欠片を振り落としていた。空は、澄んでいた。彼の心のように、澄んでいた。<br>  「マーシュ。……忘れられない、のね」<br>  茶色のコートを羽織った少女——リッツは淡々と呟いた。その表情には何も見えない。彼女には世界に未練はないから。彼女は、美しいこの無垢な長髪を手に入れることが出来たから。大切な、大切な友達を。束のまでも感じられたから。<br>  「僕は何を得たんだろう。僕は何を望んでたんだろう。僕は……僕はあの世界にいる皆に会いたいんだ。——僕は、この世界で一番馬鹿になったのかもしれない」<br>  マーシュはそこで唇の端を緩やかに曲がらせた。自嘲と幸福な回想への自然な微笑が入り交じったその表情をリッツは見た。彼女は、白い髪を——彼女の一番の宝物——を撫でつける。雪の欠片が崩れ落ち彼女の細い掌の中で水滴となる。<br>  「今日も雪の冷たさは変わらないし、冬の寒さは変わらないわ。いくら世界が変わっても変わらない物を私達は感じる事が出来る……それで、私は充分ね……」<br>  マーシュは沈黙の路を泳ぎ身体全体に雪のショールを纏いながら微笑する。リッツはふと立ち止まりマーシュもそれに合わせた。彼女はふと無垢の空を見上げ る。レイピアを握っていた細い掌で空を掴む。仄かに輝く蒼が彼女を覆う。震える手をマーシュは見つめ彼も同様に空を見上げる。そのまま、言う。<br>  「リッツ……僕達は、何を失って。何を得て。そうして今ここにいるんだろう」<br>  きらきらと世界は輝き封じ込められていた。蒼の光が彼らを多い誰もいない雪の路は沈黙に閉ざされていた。奇妙な厳粛ささえ感じられるその一角は道路ではなく、世界と世界の狭間だった。<br>  「マーシュ、意地悪ね。あなたはとても、性格が悪くなったと思うわ」<br>  「……ごめん。でも僕は、——みんなきっとそうだと思う。みんな、みんな」<br>  リッツは眼を瞑り顔に掛かる雪を払った。厳密な秩序によって構成された世界が一瞬で崩壊する。彼女もまた微笑していた。彼女はあの異世界で見せた微笑を、少年と刃を向け合った時のあの慈悲の微笑を今していた。マーシュもまた微笑んでいた。<br>  「私達は、とても弱い。だからね——私達はあの世界に行けたのよ。あなたは、あの世界で一番幸福である人間の一人よ。だからね——だから、あなたは今ここでこうして私と触れあえるのよ。私は、ここにいるの。この、セント・イヴァリースにいるの」<br>  彼女は早く行きましょうと行った。もうすぐ総合病院行きへのバスが来るわ。あそこのバス停いつも人が居ないから運転手の人はみんな通過してしまうのよ。彼女は微笑を崩壊させ本当に楽しそうな春に舞う蝶の笑みを浮かべた。<br>  うんそうだね。早く行かなきゃ。彼は笑った。それは泣きそうな表情だった。今にも自壊しそうでかつどこまでも美しい、煌めく硝子が刹那に見せるあの輝き を秘めていた。彼は泣いていた。それをリッツは見ていた。じっと見て、馬鹿ねあなたと言った。男の子が泣くなんて意気地無しよと。<br>  ——何だか僕、今とても嬉しいと思えるんだ。そして、今とても悲しいと思えるんだ。リッツ、僕の願いはあの世界で叶ったんだ。僕は、こうして失う事が出 来た。僕はね、リッツ。とても怖かったんだよ。世界の全てが。世界が壊れていく感覚が嫌だったんだ。それが消えたから今、僕はとても幸福で悲しいんだよ ——。<br>  リッツは彼の瞳から流れ出た一筋の硝子を指で拭い彼のニットを引っ張った。凍結していた世界の片割れはその瞬間に崩壊しもう片方は胎動を始めていた。二人の世界が広がっていく。二人は喪失に幸福を感じる。<br>  二人は丁度バスが角を曲がってくるのを感じて慌てて走り出す。セント・イヴァリースのある街角で、二人の足音とバスのエンジン音が雪を揺らしていた。その日は、ドネッド・ラディウユの心臓手術がイヴァリース総合病院で行われる日だった。
「#1 Another ending —— 砕け散った硝子」<br> <hr width="100%" size="2"> 頬にそっと冷たい物が流れた。毛糸の帽子や厚手のニットに中にまで寒さは染みわたる。ST.イヴァ リースは冬だった。新年の四日後にST.イヴァリースのテレビ画面には“セント・イヴァリース観測史上の最低気温”と書かれ新聞の天気予報には殆どの所に 可愛らしい雪だるまが描かれる。イヴァリース労働者新聞の一面記事は鉄工所のストライキを報道するだろうしST.イヴァリースの香りを少しも漂わせない大 手新聞社は一面記事を州政府の腐敗という見出しで大きく彩色するだろう。日常の濃い臭いまでもが世界の永遠と共に氷結したようだった。<br>  今日も世界は日常を歩み緩慢な時を刻む。<br>  「——僕達は、忘れていくんだね」<br>  「どうしたのよ、急に」<br>  金色の髪の毛をした少年。雪の無垢をそのまま身に纏ったような長髪をした少女。二人はそれなりの距離をとりつつ平行な位置関係を保ち、雪降る路を歩いていた。少年の表情は硝子のように美しく、無機質的とも言えた。<br>  「リッツ」<br>  少年は空を見上げる。時間さえ凍り付いたように澄んだ空に薄い雲が広がっている。白の雲は太陽の光に弱く輝きながら己の欠片を振り落としていた。空は、澄んでいた。彼の心のように、澄んでいた。<br>  「マーシュ。……忘れられない、のね」<br>  茶色のコートを羽織った少女——リッツは淡々と呟いた。その表情には何も見えない。彼女には世界に未練はないから。彼女は、美しいこの無垢な長髪を手に入れることが出来たから。大切な、大切な友達を。束のまでも感じられたから。<br>  「僕は何を得たんだろう。僕は何を望んでたんだろう。僕は……僕はあの世界にいる皆に会いたいんだ。——僕は、この世界で一番馬鹿になったのかもしれない」<br>  マーシュはそこで唇の端を緩やかに曲がらせた。自嘲と幸福な回想への自然な微笑が入り交じったその表情をリッツは見た。彼女は、白い髪を——彼女の一番の宝物——を撫でつける。雪の欠片が崩れ落ち彼女の細い掌の中で水滴となる。<br>  「今日も雪の冷たさは変わらないし、冬の寒さは変わらないわ。いくら世界が変わっても変わらない物を私達は感じる事が出来る……それで、私は充分ね……」<br>   マーシュは沈黙の路を泳ぎ身体全体に雪のショールを纏いながら微笑する。リッツはふと立ち止まりマーシュもそれに合わせた。彼女はふと無垢の空を見上げ る。レイピアを握っていた細い掌で空を掴む。仄かに輝く蒼が彼女を覆う。震える手をマーシュは見つめ彼も同様に空を見上げる。そのまま、言う。<br>  「リッツ……僕達は、何を失って。何を得て。そうして今ここにいるんだろう」<br>  きらきらと世界は輝き封じ込められていた。蒼の光が彼らを多い誰もいない雪の路は沈黙に閉ざされていた。奇妙な厳粛ささえ感じられるその一角は道路ではなく、世界と世界の狭間だった。<br>  「マーシュ、意地悪ね。あなたはとても、性格が悪くなったと思うわ」<br>  「……ごめん。でも僕は、——みんなきっとそうだと思う。みんな、みんな」<br>  リッツは眼を瞑り顔に掛かる雪を払った。厳密な秩序によって構成された世界が一瞬で崩壊する。彼女もまた微笑していた。彼女はあの異世界で見せた微笑を、少年と刃を向け合った時のあの慈悲の微笑を今していた。マーシュもまた微笑んでいた。<br>  「私達は、とても弱い。だからね——私達はあの世界に行けたのよ。あなたは、あの世界で一番幸福である人間の一人よ。だからね——だから、あなたは今ここでこうして私と触れあえるのよ。私は、ここにいるの。この、セント・イヴァリースにいるの」<br>  彼女は早く行きましょうと行った。もうすぐ総合病院行きへのバスが来るわ。あそこのバス停いつも人が居ないから運転手の人はみんな通過してしまうのよ。彼女は微笑を崩壊させ本当に楽しそうな春に舞う蝶の笑みを浮かべた。<br>   うんそうだね。早く行かなきゃ。彼は笑った。それは泣きそうな表情だった。今にも自壊しそうでかつどこまでも美しい、煌めく硝子が刹那に見せるあの輝きを 秘めていた。彼は泣いていた。それをリッツは見ていた。じっと見て、馬鹿ねあなたと言った。男の子が泣くなんて意気地無しよと。<br>  ——何だか僕、 今とても嬉しいと思えるんだ。そして、今とても悲しいと思えるんだ。リッツ、僕の願いはあの世界で叶ったんだ。僕は、こうして失う事が出来た。僕はね、 リッツ。とても怖かったんだよ。世界の全てが。世界が壊れていく感覚が嫌だったんだ。それが消えたから今、僕はとても幸福で悲しいんだよ——。<br>  リッツは彼の瞳から流れ出た一筋の硝子を指で拭い彼のニットを引っ張った。凍結していた世界の片割れはその瞬間に崩壊しもう片方は胎動を始めていた。二人の世界が広がっていく。二人は喪失に幸福を感じる。<br>  二人は丁度バスが角を曲がってくるのを感じて慌てて走り出す。セント・イヴァリースのある街角で、二人の足音とバスのエンジン音が雪を揺らしていた。その日は、ドネッド・ラディウユの心臓手術がイヴァリース総合病院で行われる日だった。

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