港町の古本屋

op-2「パトリオッツ・グロリアス」(1)

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可
#2「パトリオッツ・グロリアス」(1) 


「パトリオッツ・グロリアス」

 世間一般的に言うならば祭り好きの人間は馬鹿で祭りが嫌いな人間は賢者だ。とするならば自分は馬鹿かつ賢者と全く矛盾した中途半端な人間になる事だけは 間違いないだろう、とエメット・ヴィルヘルムは考えた。蜂蜜がたっぷり塗られたクラッカーを片手に。白いTシャツという真にラフな格好。
 「——アイセン騎士祭ってねえ……どう思う?ロー」
 「はあ。何というか、少なくとも騎士に怒られるのだけは確かでしょうねえ……」
 「まあ、アイセンの騎士はストイックの権化だからな」
 「そういう事です。……まあ、良いんじゃないんですか。こういう機会も」
 シリルのカフェテラスで“賢者”にあたるン・モウ族の青年が紅茶を飲んでいた。その前にいる非常に中途半端な人間が食べている蜂蜜クラッカーを彼も一口 食べる。そうして喧噪の中に溢れる人混みに甘い香りと空腹をもたらさせていた。夏の始まりに降り注ぐ光はパラソルで彼らの元には届かない。彼らは都会の片 隅に点在する整備されたオアシスにいた。
 「あー、ストイック万歳ー」
 パラソルの下から彼は路地を見つめる。路地には色とりどりの屋台と色とりどりの声が並んでいた。クァールの肉が耳に心地よい弾けた音を立てながら次第に 小麦色になる。桃色のサーモンがこんがりと焼かれてカウンターの前にいる腹を空かせた客の前で臭いを振る。酒に酔った中年パンガの怒号。笑い声。子供が人 に揉まれて孤独の中で泣いている。
 エメットもマッケンローも人混みは苦手だった。だから彼らはいつもなら絶対使わないような値の張るカフェテラスのオアシスへと避難したのだった。やたらに甘ったるい蜂蜜のクラッカーを片手に。
 「都会の片隅で瞬く蝶を捕まえるにはそれなりの労苦が必要だそうです」
 「はあ……いつも思うがお前の話、冒頭を必ず抽象名詞で始めさせるだろ」
 「……あー、うん。そういう考え方もまた然りでしょう」
 「図星」
 エメットはトリネコ材で作られたデッキ・チェアに腰掛けながらシリルワインをグラスに一つと給仕に呼びかける。忙しそうに狭いカフェテラスを駆け回る給 仕はエメットの注文に微笑を顔に貼り付けながら解りましたと言うと素早く別の客が座るテーブルに吸い寄せられた。エメットとマッケンローは同時にため息を 付いた。
 「あー、話を戻しましょうか」
 マッケンローは銀メッキの塗装された匙で砂糖が大量に入った紅茶をかき混ぜつつ言った。スプーン五杯分ぐらいは入れられたであろう紅茶の水面をエメット は油虫でも見るような目つきで見ながらお前糖尿病になるぞと言った。ほっといて下さいと半分は笑いながらマッケンローは紅茶を一口飲んだ。カップの側面に 描かれた葡萄が柔らかな太陽の光に照らされる。
 「さて、アイセン騎士祭についての話です」
 「……こちらは別にレクチャーなど欲しくはないんだけど……むしろ帰りたい」
 「まあ……早い話依頼についての概要なんですけどね」
 マッケンローは砂糖壺からもう一杯砂糖を取るとその白い流れを再び赤に溶かした。エメットはため息を付き砂糖壺をマッケンローの手の届かない所へと移動 させた。何するんですかという問に自分の血糖値に聞いてみなとエメットは呆れ顔で言う。脳は常に糖分を必要として居るんですよ。最もアルコールなんて物は 脳の成長を妨げるだけですがねとエメットの傍らに銀の盆を持って来た女中に眼を寄せながらマッケンローは言った。
 「——んで、かなり長い話になってきたけど。それで?」
 「まあ、今回は早い話アルバイトですね。アルバイト。清掃員の」
 「は?」
 紫色の液体片手にエメットは首を傾かせた。疑問符浮かぶ彼の顔に付いた耳にマッケンローは言葉を注ぎ込む。アイセン感謝祭は後三日で終わる。毎年この祭 で捨てられたゴミがシリルの都市問題となり議会を騒がせるのはシリルタイムズの「都市の窓から」でも言っていたがまさにその通り。一度祭りで上がったテン ションが犯罪率を増加させるは悪臭が路地にたちこめるはで祭りの後程迷惑な時は無いらしい。毎年シリル職員が祭りの後清掃員と共に必死に掃除していたが今 年はどうもストライキがかかったよう。
 「という事で、俺達の所に来たと」
 苦い顔でエメットは言った。何故かシャンパン・グラスに入れられているワインを彼は一気に飲み干し少しも美味しく無さそうにすぐに冷水を飲んだ。そしてクラッカーを囓xりながら目の前の“賢者”の意見を聞く。
 「ええ。ちなみに言うと、クランメンバー全員が丁度同じクエストに出かけてしまっていて……残留メンバーは私達だけというお決まりの展開を見せています」
 「明らかな逃亡だろ」
 「——“意志に関係なく強要される仕事に対する水面下の労働交渉”だそうです。カロが棒読みで私に言ってきましたよ。辿々しく」
 どちらかと言うと祭りが好きな方に分類される“愚人”とその前にいる“賢者”が同時にため息をつく。そして思う。世間がどうであれどちらが賢者であれ愚人であれ、少なくともゴミ袋の臭さと祭りの後の倦怠感は変わらないと。
 「あー……うん。一応私達自身の救いのために言っておきましょう」
 「……何を?」
 粗方円卓の上には何も無かった。空のカップとシャンパン・グラス、白い陶器のプレート。奇妙に虚しい、あの祭りの後と同じ様な倦怠感がもうこのパラソル の下で始まっていた。シリルを照らす初夏の光は蝿のように鬱陶しく気温を上げ二人の額に汗を滲ませる。奇妙に白んだ空気の中マッケンローが呟いた。
 「——清掃員程街の内部を見つめられる職業は無いらしいですよ」
 「……それ救えてない」

 ——祭りが終わるまで後三日。私達の仕事はそれまでは始まりませんし祭りの間は好きな事をしておいても特に差し支えは無いでしょう。まあ、あの仕事……受けたいならお好きに——。
 先程のカフェテラスでの彼が最後に言った一言を頭のテープレコーダーが何度もリピート再生していた。露店の並ぶ石造りの表通りを歩きながらエメットは初 夏の太陽を見上げる。五種族が油絵の束に溢れる色のように乱立するシリルの完全な石のロジックには何の関係もなく、太陽は今日もシリルを照らしている。
 祭りの間は清掃員が表に出ることはない。いつもの街の日常は喧噪の光に封じ込められる。皆狂ったように飲み歩き新聞売り子のモーグリの姿が無いのを気に しない。祭りの間は客が皆露店に行くから酒場には閉店の札が掛けられているがその事に気づく物すら殆どいない。ある男の細君は男にスプロム蛇の革で出来た 趣味の悪いハンドバッグを欲しがるだろうしいとも簡単に男はそれを買うだろう。
 エメットはため息をついた。彼はどちらかというと“愚人”に属するタイプの人間であったが、彼は同時に静けさを好む人間であった。元来彼は人と密接する のを好まないタイプの人間であるからだ。そもそも人間をタイプで仕切るという事自体が間違っているのかもしれないが——少なくとも、間違った判別式でも彼 はそのような人間としてアイセン騎士祭に不適切な人間とみなされるのだった。
 エメットは肉体の疲労を感じるとシャッターの閉まりきった商店の軒先へと隠れた。街の喧噪も太陽の声も影には届かない。涼やかさとそれを感じたことによ り余計増した疲労が同時にエメットにのし掛かる。灼熱の熱砂がふと吹いたのを彼は感じる。汗が身体全体から一気に噴き出る。
 「……暑い……」
 彼は人の増えてきた露店街を逃げていく。シリルの路地はいつもよりも枝を無し蜘蛛の巣網を増やしていた。人の持つ温度がエメットに触れる。吐息、ざわめ き、料理の臭い。羊の肉が串刺しにされて焼かれているのが眼に入る。五感の全てが敏感に働くのは彼に強い疲労と痛みを感じさせた。彼は人の少ない噴水広場 のベンチに座る。露店街の熱気も露店やショーの無い噴水広場では全く存在しない。エメットは安堵のため息をつき、そしてそれを見た。
 〈アイセン十二騎士に捧ぐ——武術トーナメント。腕に自信のある方是非ともご参加下さい。参加料5
00ギル。参加の申し出は王者の月十三日十一時までにクランセンターにお願いします。日程場所は王者の月十三日午後六時より南市街区烈士像コロセウムで行われます。——このイベントは入場規制のおそれがあります〉
 エメットは噴水の水が織りなすショールの前でビラを配る青年から周囲の暇そうな人々と同じようにビラを受け取った。オレンジ色の安インクで作られた大量 に刷るためのビラだった。エメットは小首を傾げてから暇そうな顔をしたまま裏路地に入りしばらく歩く。白く塗装された木の羽目板で作られた中ぐらいの宿の 前で彼は止まる。 “風見鶏停”の扉を開く。涼やかな宿の温度がエメットに心地よさを与える。
 誰もいない玄関先からエメットはオーク材で作られた古い階段を上っていく。個室203号室。彼は自分の部屋に入る。いつも通りのアジアテイストの内装が 眼に飛び込む。竹で編まれたスクリーン。ベルベッドで作られたブラウンの薄いカーテン。硝子窓から差し込む光は仄かに土の色を帯びている。窓際のサイド テーブルには仙人掌の鉢植えが二つ置かれている。いつも通りの自分の部屋。値段が手頃な割りに小綺麗なコンドミニアム。裏路地から入るためにあまり知られ ていない、街という砂漠に唯一ある静養地だった。
 「——武術ねえ……アイツも出るんだろうな……」
 彼は丁寧にメイクされたベッドのシーツに皺を作る。身体で飛び込んだ。疲労感がどっと彼に押し寄せる。ベッドの傍らに有る底面が楕円形をし脚が四つつい たモダンなサイドテーブルが彼の視界に入る。彼はサイドテーブルの引き出しを開けた。金属音が擦れあう金貨や銀貨の動きと連動して鳴った。取り出す。五百 ギルある事を確かめてジーンズのポケットに入れる。丁寧に細工されたチェストの横に倒してある自分の愛剣を袋から取り出す。ルーアブレイカー。月光を秘め 微かに輝く刃を手で掴むと、左の掌の皮膚に薄い傷が生まれた。持ち手の冷たい金属的な質感が心に冷たさを与える。
 「……さて、行くか……」
 ほんの少し彼は息を吐く。肩の部分に鉄の板切れが埋め込まれた青の法衣を纏う。靴は一番動きやすいオズモーネ牛の革靴。髪の毛はいつも通り。時計と剣を持って部屋を後にする。……その前に、仙人掌の鉢植えに軽く水をやっておく。

 「……ということで、貴方には個人戦の方へ行っていただきます」
 “烈士のコロセウム”のチーム控え室でその時剣闘士マネージャーのン・モウ族の男性と話していたのは、ヒュム族の青年では無かった。当然紅い髪を持って いるわけでも、怠惰が溢れるような怠そうな顔をしている訳でも、大剣を軽そうに持っているわけでもない。砂色の皮膚と瞳をしていて、掌に一本の槍を持って いた。暁が奏でる青と太陽の煌めく銀を混合させたような特殊な金属が美しい槍だった。彼が身動きをするたびに槍の表面に入り口から流れ込んだ淡い光が乱反 射し幾多の軌跡を生んだ。長さは3メートル程と非常に長い物で、彼はその槍の下の部分を握っていた。
 「了解した」
 モーニ・ウィバルはそう一言だけ言うと控え室のドアを押し受付へと移動する。後ろでため息が聞こえた。彼がプロフェッショナル意識有る人物で決してエン ターテイナーである事に対してのものだった。混雑している受付の周囲にはあらゆる戦士が並んでいた。気弱そうな顔をしたヒュム族の剣士。小さい身体ながら 瞳に勇猛たる士気を宿すモーグリ族の騎士。美麗な顔つきをしていながら腰に鋭い突剣を挿し真っ直ぐに前を見据えたヴィエラ族のフェンサー。彼は、寡黙な竜 騎士。彼は一時的な仲間でもある彼らに一礼すると剣闘士チーム控え室と外を繋ぐ緑に塗られた石造りのドアを押して出て行った。
 “烈士のコロセウム”はかつてこの地方を支配していた領主の古城を基盤に建設されたものだ。眼鏡をかけた婦人の肖像画。物々しく重量のある甲冑。あるい はモーニが今押した緑に塗られた両辺の突端が円く結ばれた長方形のドア。そういった物は全て旧時代の遺品であった。騎士の時代に染みついた烈士達の誇りが 今でも垣間見られる場所はこのコロセウムには数えきれぬ程有った。獅子の絵が描かれた紅のタペストリー。銀で作られ美しい光沢を放つ飾り槍。城門の所で勇 猛たる咆哮を挙げる大理石で作られた獅子の像。彼はコロセウムに残る騎士の痕跡を槍を背中に革紐で固定し楽しげに見ていた。
 十六分程歩いて彼は円形の観覧席スペースの最上段に居た。試合を待ちわびた客が大量に並んでいる所を見ればどうも自分達は非常識なタイプの人間に属する のだろうとモーニは思った。モーニを含めたクランメンバーはこのような大会がある事すら知らなかった。そもそも大会といえばシリルの剣術大会ぐらいしか知 らないものでそれもエルデナが嗜みで出て行くような物だった。
 観覧席スペースは円形で出来たコロセウムの全てを支配しているわけではなく中程に赤いビロードを垂らされた貴賓席があった。貴賓席には座り心地の良さそ うな玉座のような荘厳に溢れた椅子が金糸を縫われた赤い絨毯の上に二つ設置されていた。貴賓席はやや内部に組み込まれて空から降り注ぐ太陽の暑さを防いで いた。貴賓席の真上には、一つの石像が置かれていた。
 「……ほう」
 モーニが嘆息を漏らした石像は大理石で出来ていた。微かに濁った灰を持つ白は太陽の光を浴びて美しく輝いていた。人を象った石像だった。ヒュム族の男性 を象った石像だ。騎士剣を両手で持ち空に掲げた像だ。その顔には誇りと栄誉に対する幸福感が満ちていた。おそらく捧げる先は王の玉座だ。玉座に座る王はこ の騎士の美しさを——誇りと栄光に従属しながらも鋼の忠誠を持つ美しさを——一介の彫刻家に永遠に留まらせようとしたのだろう。彫刻家の方も相当な腕をし ていたようで、石像の全身からは騎士という概念全てに留まっていながらかつまた別の概要をも持っていた。忠誠を誓う烈士は、英雄だ。けれど彼は英雄である 事を否定するように忠誠を誓い剣を空に、戦女神では無く王に献上している。彼は英雄などでは無いけれど、烈士なのだ。どこまでも誇りと騎士としての倫理に 満ちた烈士だと。モーニはそう感じた。一種の感動すら感じながらふと眼を瞑っていた。誓いと祈りの言葉。騎士は美しい瞳で彼を見据えている。彼は五秒程眼 を瞑っていたがやがて開け、再びその像を見た。彼は長く息を吐きそして精悍な顔つきで外周を内部の方へと向かおうと歩き出した。乾いた風が客の声で満載に なっている声を押し流した。嵐が来るのかもしれない、とモーニは思った。青い回廊が天上へと何処までも続いている。勇者の魂が運ばれた空を仰ぎながら歩 く。
 「……お兄さん、騎士さんクポー?」
 十秒ほど天を見つめていたから足下に小さなモーグリの子供が居た事に気づかなかった。声で初めて気づき赤いコートを纏った六歳ぐらいのモーグリの子供の 問に頷く。モーグリの子供は赤いポンポンを揺らし黒く人形の熊のように愛らしい瞳を輝かせた。モーニは頭を掻く。紅蓮の鎧には騎士剣を象った紋章——“最 後の騎士”が刻まれていた。紅い鎧と碧い槍を持って歩くモーニの姿はかなり目立つ。よく見ると観客の何人かがこちらに期待と軽蔑を含ませながら見ていた。 彼は続いて何かを言おうとしている少年の頭を軽く二三度叩き早足で外周を出て行った。
記事メニュー
目安箱バナー