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「ねえ、あんたにお願いがあるんだけど」

あれから桐乃は『人生相談』を持ちかける事はなくなった

寂しい限りだな

そう、俺が思っていると誤解している諸君
間違えてはいけない

もともと人生相談なんて軽々しくするものじゃない
だからこそ、去年、桐乃が俺に『人生相談』を持ちかけた時には真剣に切迫詰まっていたのだろう

だが、おかげでようやく俺達兄妹は、目を背けてはいけない、どうしようもなく家族であることを知った
少なくとも俺はそうだと信じてる

だから、桐乃の『人生相談』が『お願い』になったとしても、同じように受け入れてやろうと思ってた
まあ、初っぱなから「彼氏になれ」とか無茶苦茶な『お願い』だったけどさ
まあ、その結果は諸君の知っての通りだが
べっ、別に泣いてなんかいないんだからね(涙)

で、今度はどんなお願いなんだ?

「で、なんだ?その『お願い』ってのは。今日は気分がいいから、特別に聞いてやるぞ?」

「うっえ、気持ち悪っ!こないだからアンタなんか勘違いしてるんじゃないの?」

…相変わらず容赦ねーな
オーケー、オーケー、これくらいどうってことはない
いつもの桐乃だ
俺が目に涙を溜めてるように見えたとしたらそれは仕様だ

「別に大したことじゃ無いんだから、貸しだなんて思わないでよね」

「思わねーよ」
だいたい、お前の頼み事に一々そんなこと考えてたら身が持たん

「で、なんだ?言ってみ?」

「えっと、言いにくいんだけど…た、お誕生日のね、ケーキを買ってきて欲しいの!」

なんだ、普通じゃないか?それのどこが?
確かに今まで大っ嫌いだった兄貴に誕生日のケーキをねだると言うのは気恥ずかしいだろうが、

って、あれ?

「ちょっと待て、桐乃?お前の誕生日はとっくに…」

「はぁ?なに言ってんの?
綾花ちゃんの誕生日に決まってるでしょ?
っていうかあたしが実の兄に誕生日を祝えっておねだりするとか思ってるわけ?…キモ」

綾花ちゃんというのは相変わらず桐乃がはまっているラブタッチというゲームのヒロインだ
ゲームのキャラクターの誕生日を祝う方がよっぽどキモいと思うがここは言わない方が賢明だろう

「買い物ぐらい付き合ってやんよ。駅前のケーキ屋さんでいいか?」

「はあ?あんたバカ?
地味子ならともかく、綾花ちゃんにそんなもので許されると思ってるわけ?
だからあんたはモテないのよ。」

「うっせーよ。毎度毎度心をえぐるようなことを言いやがって」

とはいえ確かに桐乃が言う通り、ゲームの中とはいえ恋人に贈るプレゼントは特別なものなのだ
桐乃なりに精一杯恋人の誕生日を祝いたいのだろう

「わかったよ、どこへでも行ってやるって。んで、何処まで行けばいいんだ?」

「…わかんない」

予想外の返答に俺は戸惑ったが、考えてみればたかがケーキを買いに行くだけで桐乃が俺に『お願い』をするはずがない

「いや、それだといくら俺でも買えないよね、ケーキ」

ごく当たり前の反応に、桐乃は軽く逆ギレ気味に答えた

「せ、正確に言うとね、だいたい目星はついてんの」

そう言って桐乃はノートパソコンのブックマークを開いて、数件のお洒落なケーキ屋を俺に紹介しながら話を続けた

「ラブタッチはリアルが売りのゲームだから、恋人の誕生日に下手なお店で買ってきたケーキでお祝い、なんてできるわけないじゃない?
だから今回はね、メーカーとショップが特別にコラボして『綾花たん生誕祭』をやるの。
ただ、事前に大々的に公開しちゃうとすぐに売り切れになっちゃうでしょ?
転売ヤーとか意味わかんない連中も綾花ちゃんのケーキを買ってプレミアつけて売ったりするだろうし…」

俺にはお前も意味わかんないけど、大事な人のために贈ろうとしたものが横取りされたら悔しいもんな

「でね、ネットに公開されたケーキの画像から、何件か候補が上がってて、多分代官山のここはトラップで、あたしは青山のここだと思うんだけど、自由が丘のこのお店も捨てがたいのよね」

そう語る桐乃が開いている限定ケーキの写真の写ったホームページと、ケーキショップの画像を見比べた俺はマジでビビった
ホームページに掲載されていた写真はこれがケーキだと言われなければ気づかないようなぼやけた写真だ
そこからショップをほぼ特定してるのだ
オタクっていうのはみんな特殊工作員か何かっすか!?
すげえな

「ちょっとあんた聞いてるの?」

むすっとした桐乃がそんな俺を見とがめる

「あ、ああ、悪い悪い、で、俺はお前と青山に行けばいい訳か」

「それじゃあんたに頼む意味ないじゃん。
あたしが青山に行くからあんたは自由が丘。
もし予想が当たってれば等身大綾花ちゃんフィギュアとツーショット撮影できる限定イベントもあるんだから、万が一にも外せないの」

真剣な面持ちで語る桐乃には悪いが、俺はそんな恥ずかしい証拠写真を残したくないので、桐乃の指示通り自由が丘に行くことになった

その『綾花たん生誕祭』当日の自由が丘の朝

お洒落で少し懐かしい街並みの中に、どう見ても場違いな行列が出来ていて、俺はその列の比較的後ろの方に並んでいた

モンサンクレール

自由が丘のちょっと丘の上にある、まさかゲームのキャラクターの誕生日ケーキを売り出すとは誰もが思いもしない超有名店だ

そこにオタクの列がぶわっとできているのだ

静まり返った朝の街
ここが本当に『綾花たん生誕祭』をやる、と、明確に示すものはなにもない
しかし、ここに間違いはないと確信を持って並ぶ男女の列

携帯ゲーム機を持ち出して、恋人と毎朝の愛の言葉を交わす勇者もいる
また、ラブタッチのヒロイン、綾花を全面にあしらった携帯ゲーム機をチラ見せしては鞄に仕舞っている少し年季の入ったオタクの人も居る

そこに、これから出かけるとおぼしき人達がひそひそ話をしながら通りすぎていく

さすがに気まずい

そんな気まずい思いをしている俺に、

「京介さん?」
と、背後から誰何する女性の声が聞こえた

マズい…非常に、まずい…
こんな姿を知り合いに見られたら、まず終わりだ

正直赤城と「ホモゲ部」の深夜販売に並んでたと知られるよりダメージがでかい
ホモゲ部は瀬菜の買い物だから一部の腐った皆様以外にはすぐに誤解とわかるだろう

だが、ラブタッチは違う

まず秘密を守ると約束した桐乃の買い物だし、こいつはそもそも恋愛シミュレーションゲームだ
桐乃の秘密を守ったとしても、俺が残念な人に思われることはまず間違いない

ん、待てよ?

…っていうか、そもそもこんなところに、俺の知り合いで、俺を京介さんと呼ぶような奴って居ないよね?

意を決して振り返るとそこには…


…すっごい美人がいた

長身でグラマラスな彼女は初夏らしい清楚なワンピースに身を包み、はにかむ様に俺をまっすぐに見ている
さらさらの髪が一瞬風に流れる

ヤバい
胸がドキッとした

…ていうか、誰?

お互いに見つめあう数秒の空白の後、彼女はおもむろにバッグからぐるぐる眼鏡を取り出してそれをかけてこう言った

「これは失礼した、京介どの」

「俺のときめきを返せえええ!」

思わず叫んだ俺に周囲の注目が集まる

『なにこいつ』『場違いじゃね?』『つーかリア充氏ね』
そんななんとも言えない雰囲気が辺りに立ち込めるが、彼女は気にせず続ける

「ところで京介氏、本日は何ゆえにこんなところに?」

「…桐乃の買い物だ。なんでもあいつがハマってるラブタッチの『綾花たん生誕祭』とやらで、この小洒落たケーキ屋で限定ケーキを売り出すらしい。もっとも、ネットの噂位しか情報が無いんでな、桐乃の奴も青山のナントカっていうケーキ屋に並んでる」

「ほほう、では京介氏は等身大綾花たんとツーショット写真が撮りたいと」

「って、全然人の話を聞いてねえ!?」

「冗談でござるよ。ははあ、それではきりりん氏には残念でござるなあ」

「ん?どういうことだ?」

「拙者も今回の『綾花たん生誕祭』の限定ケーキを買うべく来たのでござる。このお店に間違いは無いのでござるが…いささか遅かったようでござる」

沙織と話をしている間に、行列の先頭に動きがあった
店員さんが行列の整理をはじめた
少し場違いな雰囲気の男性はメーカーの人だろうか

「紳士淑女の皆様、本日は『綾花たん生誕祭』の限定イベントにお集まりいただきありがとうございます。
本日販売のお誕生日ケーキにつきましては限定数100とさせていただきます。
ただいまより整理券を配布いたしますので、列を崩さないようにお願いいたします。
なお、整理券配布の際は、かならず『綾花たん』の提示が必要となっております、予め電源を入れてお待ちいただきます様お願いいたします!」

小さくどよめく行列
っていうか『綾花たん』の提示が必要って何?

戸惑っていたところに、携帯が鳴った
桐乃だ

「どうしよう、青山じゃなかった…あんたの居る自由が丘が正解だった。でも、ネットでは綾花たんを連れてこないと本物のプレイヤーじゃないから、整理券配って貰えないかも、って…あんた、連れてきてるわけないよね…どうしよう…綾花ちゃんにあわせる顔がないよ…」

めちゃくちゃ落ち込んだ桐乃の声

「大丈夫、俺がなんとかする」

咄嗟にそう言って、俺は携帯を切った

さて、そうは言ったものの、『綾花たん』の入った携帯ゲーム機は青山に居る桐乃の手元にある

整理券の配布は既に始まっている
今から桐乃にここまで来させても到底間に合わないだろう

然りとて、携帯ゲーム機が無いと整理券は配布されない
事実、列の前の方の何人かが追い返されている
妹の買い物でと言ったところで、扱いは変わらないだろう

…待てよ?沙織はなんでここに来ていたんだっけ?

回りに聞かれては困る
少し強引に沙織の手を引いて耳元に顔を近づけて話しかける

「沙織、頼みがある。『綾花たん』を貸して貰いたい。ここに並んでるって事は、もちろん持ってきてるよな」

何故か少し動揺して沙織が答えた
「た、たしかに連れてきてござるが…」

「代わりに何でもする。さすがに楽しみにしていた桐乃を落ち込ませるのは忍びない。今だけ貸してもらえないか」

「代わりに、何でも、でござるか?」

「ああ、なんでもだ」

「わかったでござる。他ならぬきりりん氏のためでござるし…」

そういうと、沙織はぐるぐる眼鏡を外して、ぎゅっと俺の腕を組んだ

「京介さんがなんでもして下さるということでしたら、お安い御用ですわ」

居心地悪りい…

抜群のプロポーションを誇る超絶美人と腕を組んでケーキ屋に並ぶ俺は、どこから見てもリア充にしか見えない
さらに困った事にこの行列が恋愛シミュレーションのヒロインのお誕生日ケーキの購入者の列だということだ
周囲から発せられるどす黒いオーラを感じる

ホントに居心地が悪い

だが、沙織はといえば、口許をω(こんなふう)にして、楽しそうにしている
本当にこいつは何を考えているのだろう?
彼女の表情を伺い知ろうと、ほんの僅かに高い彼女の目に目線を向ける
すると、沙織が、しなだれ掛かるようにする

ヤバい
だっておっぱいが当たるんだもん

回りに聞かれないように沙織に話しかける
「おい、あんまり引っ付くなよ、なんていうか…」

「んー、駄目ですよ、京介さん。ちゃんと彼氏と彼女らしくしてくださらないと」

「おまえはどういう頭の構造してんの!?」

「あら、なんでもする、って先程約束して下さいましたよね?」

「うぐ、確かにそうは言ったが…」

「では、約束は守ってくださいね、京介さん」

参ったな

整理券の配布が進むに従い、列に殺伐とした雰囲気が立ち込める

限定数を越えた行列ができており、全員に行き渡らない可能性があるようなのだ

整理券を持った店員さんが俺達のところまで来た
「すみませんが『綾花たん』の提示をお願いいたします」

おもむろに沙織が携帯ゲーム機を取り出す
そこには沙織の綾花のキャラクターが映っている

「あの、誠に申し上げにくいのですが、原則として列にお並びになられた方のみ整理券を配布させていただいております。
お見受けしたところ、そちらの『綾花たん』はお嬢様の物かと思われますので誠に申し訳ございませんが…」

まあ、確かにそうだよな
どれだけ俺達が桐乃のためにやったこととはいえ、卑怯と言われてしまえば返す言葉はない
桐乃には悪いが…

「京介さん」

次の瞬間、携帯ゲーム機から、俺を呼ぶ『綾花たん』の声がした

「あ、綾花たん!?」
思わずゲーム機の中のキャラクターに話しかけてしまう

「うふふ、会いたかった、京介さん(ハァト」
やたらと甘ったるい声でゲームのキャラクターが話しかけてくる

ヒロインと会話ができるラブタッチモードが起動しているようだ
畳み掛けるように、沙織が言った

「ごめんなさいね、彼ったらこのゲームに夢中で、私の誕生日のお祝いも忘れて『綾花たん』のケーキを買う、と出掛けてしまったから、つい私が意地悪をして隠してしまったの。
でも今日は私の誕生日でもあるの。だから本当は私の分のケーキも買いに来たのでしょう?ね、京介さん」

そういって沙織は話を合わせるように目配せする

「あ、ああ、そうだ」
「だからね、みんなで食べられるくらい大きなケーキを買って欲しいわ」
いつになく甘い沙織の声に自分達は本当に恋人同士なのではないかと錯覚さえ覚えてしまう

「これは失礼いたしました。それでは整理券をお渡しいたします」

丁寧に詫びる店員さんに、こちらこそ、と頭をさげてしまう
満足そうな笑みを浮かべてまた俺にしなだれかかる沙織に、つい何も言えなくなってしまう

店員さんが列の残りの人に整理券を配りに行ったところで、漸く人心地が付いた俺は沙織の耳元に囁いた

「少し心が痛いけど桐乃のがっかりした姿を見なくて済んだよ。悪いな、彼女のふりまでさせて」
「あら、京介さん?約束忘れたの?ふり、では無くってよ」

え?どういうこと?
複雑な表情を作る俺に、一瞬微笑んだあと、彼女はまたいつものぐるぐる眼鏡を掛けて、こう言った

「さてと京介氏、きりりん氏のためのお買い物はまだ終わりませんぞ。ケーキを買ったら秋葉原に行って、それから…」

「いや、いいよ。沙織、お前、桐乃のためにここに来たんだろう?多分、ラブタッチも俺が持っていないことを予想して。わざわざ予め新しいセーブデータまで作って…」

「…バレてしまいましたか、京介氏」

ぐるぐる眼鏡の向こうの表情はわからない

「それから、ケーキを買おう。今日は本当にお前の誕生日だったりしない?」

一瞬、沙織はぐるぐる眼鏡の隙間から俺を見て、それから答えて言った
「あれはきりりん氏の分でござるよ。どこかの兄上が妹の誕生日も忘れて、と溢してた故」

「そっか、ありがとうな」
本当にこいつには頭が上がらないよ

ふと、ぐるぐる眼鏡を外して沙織が言った
「でも、約束は忘れないでくださいね、京介さん」
そうして沙織はまた、ぐるぐる眼鏡を掛けた

そうして、整理券をもらった俺と沙織は、そのあと桐乃と合流して『綾花たん生誕際』限定ケーキを買った。

沙織は予め桐乃に俺と並んでいることを伝えるメールを送っていたらしく、桐乃はちょっとだけ照れくさそうに、ありがとう、と、沙織に言った
それから、黒猫も呼んで、うちでちょっとしたパーティーをしよう、という話になった

それからちょっと反則気味ではあるけれども、俺の代わりにということで、桐乃も等身大『綾花たん』とのツーショット写メを取らせてもらうことができた
最初はメーカーのスタッフさんが広報に使いたいと申し出てくれたのだが、桐乃はモデル業に差し障ると困るということで、丁重にお断りをした

まあ、その代わりに俺が「彼女に『綾花たん』を届けさせた男」として、ネットニュースの格好のネタになったわけだが

さて

丁度今、沙織から「京介さんへ」と題したメールが届いているのだが、なんだか微妙にいやな予感がするのだが、気のせいだろうか






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最終更新:2010年06月18日 10:01
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