5-697



 ――あれからどれだけの時間、そうしていただろう。
 ただ黙々とPC画面を見つめ、淡々とマウスを動かして。
 長ったらしく流れるエンドロールをただ呆然と眺めていると、視界の端でピカピカと点滅するものを捉えた。
「あれ? 携帯、鳴ってたのか」
 えー……と、着信履歴ね。 誰から――って麻奈実か。
 ……割りと時間経ってっけど、とりあえず掛け直しておくか。
 着信履歴から直接、麻奈実の番号へカーソルを動かしボタンを押した。
 プルルルル。
 2コールほどして、間延びした口調の俺の幼馴染みは電話に出た。
『あ、やっと掛けてきてくれた~』
 うん、相変わらずゆるい。 どんな時でもブレないそのマイペースっぷりに、自然と俺の頬が緩む。
「何か用か? ってか、そっちの用事は済んだのかよ」
『うん、済んだよぉ。 思ってたより早く済んだんだぁ~』
 俺はふぅん、と適当な相槌を打った。
 麻奈実は、用事がどんなものであったかとか、その時のロックのヘマとか、いわゆる世間話を始めた。
 それに対しても“へぇ”とか“良かったな”とか、愛想のない返答を続けていたが、それでも麻奈実は楽しそうに笑っている。
 やっぱり和むな、麻奈実と話してると。 ……思っても絶対口にはしないけど。
 そんなことを思いつつ他愛のない話を続けていたら、ふと思い出したように麻奈実が声を上げた。
『それより、きょうちゃ~ん?』
 ……文字列だけじゃわかりにくいと思うが、麻奈実は怒っているようだ。
 相変わらず間延びした口調だが、語気に僅かな怒気が含まれている。
 理由は、わからないが。
『きょうちゃん、年下の女の子をいじめちゃ、めっ、だよぉ~?』
 ……? 何を言っているのかさっぱりわからん。 わからんが、とりあえずその叱り方やめてくれ。 何か恥ずかしい。
『あっ、自覚してないんでしょ。 きょうちゃんは天然さんだもんね~』
「お前ほどじゃねぇよ」
 すかさずツッコミを入れた。 というか、入れずにはいられなかったってのが本音だ。 麻奈実に言われちゃおしまいだからな。
 それから麻奈実は、子どもを諭す母親みたいな口振りで『ともかく忠告はしたからね~。 わかった~?』と告げて電話を切った。
 ……何に対して一方的に怒られてたのか。 最後まで理解に及ばなかったが、まあ、麻奈実の言うことだ。 ちゃんと意味はあるんだろう。
 とりあえず、というのも変だが、一応は心に留めておこう。

――
―――翌日、放課後

 またしてもあやせに出くわした。 あやせたん可愛いハァハァッ、みたいなノリは控えようと思う。 先日あやせに謝ったばかりだし。
 場所は帰り道にある横断歩道。 赤信号で立ち止まっていると、向かい側でぼーっとしてるあやせの姿が見えた。
 視点が定まってない、ような印象だった。
 心なしか、肩も沈んでいるように見える。
 ……どうかしたのか、あやせの奴。
 まあ、あんなショボンとしてる姿見たら、話しかける以外に選択肢はねぇよな。
 どれ、ちょっと年上のお兄さんぶってみっか!

 チラ、と点滅し始めた信号を一瞥し、正面の信号が青になった途端に小走りであやせに近付いた。
「よっ、あやせ」
 ちょっとワザとらしいかなと思うくらいの爽やかなお兄さんスマイルで声をかけてみた。
 あやせはゆっくりとした動作で視線を動かし、俺の姿を認めた。
 するとあやせは、一瞬だけぱあっと明るい表情を見せ、ハッとしてからぷいっと顔を逸らした。
 それから、不機嫌そうに口を尖らせる。
「何の用ですか? ……慣れ慣れしくしないって、言われた記憶があるんですけど。 っていうか、その気色悪い声色はなんですか」
 うん、あやせはこれくらいの棘があった方が“らしい”と思う。
 け、決して俺がそういうマゾヒスト的な気があるわけじゃないぞ?
「いや、別に慣れ慣れしくするつもりはないって。 ただ、何か様子が変だったからさ。 つーか、気色悪いとか思っても言うなっ!」
 ……ヤバい、変にテンション上がってきた。 どんだけツッコミ好きなんだよ俺はっ。
 と、脳内で後悔する俺に、あやせは何やら重苦しい雰囲気で問いかけてきた。
「……そう、見えました?」
「……ああ、見えた」
 俺は素直に答えた。 ……本当にどうしたというのか。 どうにも、普段のあやせらしくない。
 そこでふと、あることに思い至る。
 最近じゃ、いつでも俺の周囲で起こる事件の中心に居座りやがる、憎々しい妹様のことを。
「……また、桐乃のことか?」
 俺としては、これが正解だろうと踏んだのだが、
「え……あ、いえ、その、違い、ますよ。 桐乃とは、仲良くやってます」
 ……外したか。 まあ、ここ最近の桐乃を見ると、それといった変化もなさそうではあったけど。

「じゃあ、何で?」

 俺がそう言うと、なぜかあやせはぽっと頬を赤くして、もじもじしながら口篭った。
「えっと……それは、その……」
 一瞬だけちらっと俺を見てから、また視線を逸らされた。 髪に隠れてわかりづらいが、耳まで赤くなってる。
 ……俺、やっぱり嫌われてんのかなぁ……。
 まあ、言えないということはつまり、言う必要がないか、俺には言えない話、ということなんだろう。
 出来れば前者であってほしいところだ。 ……嫌われてるなんて考えるだけで辛いからっ。
「……」
 視線を外して黙り込むあやせ。 その様子を見て、あー俺はお呼びじゃないんだなー、なんてことを漠然と感じた。
「……ん、そっか。 引き止めたりして、悪かったよ」
 くるっと身を翻し、じゃあな、と手を振ってその場を後にした。

「……お―――の、――」

 背後であやせが何やらボソッと呟いたようだが、それは自動車の走行音で掻き消されて俺の耳には届かなかった。


――
―――さらにその翌日、の放課後。

 またまたあやせに出くわした。
 なんだこれは? 実は俺とあやせって運命の赤い糸で結ばれてるんじゃね? とか思っちゃったりするくらいの偶然っぷりである。
 ちなみに言うと、場所は先日訪れた某アルファベット書店だ。 ノートを切らしたから面倒臭がりつつも立ち寄った、というわけなんだが……。
 どういうわけか、先日と全く同じシチュエーションであやせと遭遇してしまった。
 あの時と異なるのは、その反応と、俺の心境。
「よう、あやせ」
 約束は、守っている(はずだ)。 距離感を誤らないように努めてるし。 それが、今の高坂京介だ。 どうだ参ったかコンチクショー!!
「ど、どうも……お兄さん」
 一方、あやせはあやせで、昨日同様にどこか様子がおかしい。
 今日も何か顔が赤いし、心ここにあらずというか、ぽーっとしてる。
 普段の辛辣な言動をどこに忘れてきてしまったんだ。
「……あやせ、熱でもあんのか?」
「へ……?」
「いや、なんか顔赤いし、心なしか目も潤んでるし」
「!?」
 あやせは、何かを払うように(もちろん何も払えてないが)ババッと顔に手をやり、思い出したようにキッと俺を睨んだ。
「へ、平気です。 風邪なんか引いてませんよ。 この通りぴんぴんしてますし。 そっ、それより、そんなにじっと見つめないでくださいお兄さん。 つ」
「通報だろ? わかってるって。 そんじゃ、俺はノート買いにきただけだし、とっとと済ませて退散するよ」
「さ、先に言わないでくださいよっ! っていうかお兄さんっ、話はまだ終わってな――あ、ちょっ」
 俺はひらひらと手を振り、文具コーナーへと足を向けた。 ……憎まれ口が叩けるなら、それでいいさ。
 刺々しくないあやせじゃ、何か調子狂っちまうからな。

 適当にルーズリーフを手にとってレジに向かい、会計を済ませた。
 なぜか出くわしたその場で呆然と立ち尽くしているあやせに声をかける。
 ……ちなみに、今も襲いかかりたいっ……もとい抱きつきたい衝動に駆られているのは内緒だ。
「用も済んだし、帰るわ、俺」
 っていうかもうそろそろ我慢の限界ですしねっ。 主に抱きつきたい衝動を堪える的な意味でねっ!
「そう、ですか……」
 そしてなぜかシュンとするあやせ。 ……何でだ?
「……じゃ、またな」
 くるりと踵を返し、出口へ向かう俺に、あやせが声を上げた。
「あのっ、お兄さん……」
「ん?」
 首だけ振り向く俺。 あやせは一瞬だけ目線を逸らし、ふるふると首を振った。
「……いえ、何でもないです。 また、今度」
「お、おう……?」
 あやせと別れの挨拶を交わして、俺は本屋を後にした。
 引っ掛かるものを感じて、でもそれが何かわからないまま、俺は帰路につく。
 ……挨拶を交わした別れ際、あやせが何かを言おうとしてたけど……一体なんだったんだろうね?
 まあ、いいか。 用があるなら、直接連絡してくるだろう。
 と、安易に考え、夕方なのにまだまだ明るい空を仰いだ。
 ああ、今日も平和だ。 こんな日は、帰ってだらだらとテレビを眺めるに限るなぁ。
 ……そういや、麻奈実に何か叱られたっけなぁ。
 ……。
 どうして今あやせが頭に浮かんだんだろう? 麻奈実の件とは関係ないはずなのに。
 …………。
 ダメだ、理由がわからん。
 まあ、わからんものは仕方ないな。 それなら、どうやったらあやせとの仲を親密にできるか考えた方が何倍も建設的だろう。
 うーん……ラヴリーマイエンジェルあやせたん……。 うーん……。 うーん…………。

 このときの俺は、まさか俺とあやせがあんなことになるとは、微塵も思っちゃいなかった。

(続く)







タグ:

新垣 あやせ
+ タグ編集
  • タグ:
  • 新垣 あやせ

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年07月26日 12:19
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。