夕暮れの町並みを二人並んで駅まで歩く。特に会話は無かったが、元々こんな所で歩きながらするような野暮な話をする気にもなれなかった。多分沙織も似たようなものだろう。
そうこうするうちに家からの最寄り駅に着き、俺は駅の入り口に着くや否やおもむろに口を開いた。
「沙織、送るのは駅までって話だったが――スマンありゃウソだった」
「え?」
「沙織の家まで送らせて欲しい。俺は今日まだ沙織と別れたくない」
「え、えっ?えええええ?」
沙織がいつにない狼狽を見せている。まあ無理もないだろう、俺がこんな積極的な姿勢を見せるのは妹絡み以外では恐らく初めてだ。ってよく考えると桐乃相手には結構なことやらかしてるんだよな…。
それはともかくとして、沙織は今守りに入っている。ならば俺が押すしかないだろう、天才は初太刀で殺すのが鉄則なのだ。
「京介どの、それはどういう・・・?」
「言葉通りの意味だよ。沙織が嫌じゃなければだけど」
「そ、そんな言い方はずるいでござる。そもそも家に帰って来れるんでござるか?」
「終電に間に合えばいい。万一乗り逃しても親父に許可は取ってある」
「えっ・・・」
俺はもはや前進制圧あるのみと化していた。立場的にはどちらかというと世紀末救世主のほうだが。
最後の言葉のニュアンスはちとヤバかったかもしれないが、そんなことはもう知ったことではない。
沙織の返答を待ってじっと瓶底眼鏡を見つめていると、やがて意を決したように沙織が口を開いた。
「で、ではお願いするでござる・・・」
いじらしい仕草と共に顔が真っ赤に染まっていくのが目に見えてわかり、今この歳になって人を意識するってこういう事なのかとつぶさに感じた。やばいこの娘かわいすぎる。
沙織の家までは乗り降りの移動も含めて俺の家から2時間弱かかり、沙織のマンションに着く頃にはちょうど日が降り切るぐらいだった。
さて、ああまで言い切ったからには俺にはこのまま帰る気は当然なかったわけだが、当人にそれがきちんと伝わっているのか。そんな不安は全く杞憂だったわけだが。
「さて、我がマンションに着き申したが、・・・このまま戻る気はさらさらござらんのであろう?」
俺は無言で首を縦に振った。流石空気の読める女だ。
と関心していると沙織が徐にすっと眼鏡を外し、じっとこちらを見つめてきた。言葉が続けて紡がれる。
「それに、私も京介さんに『人生相談』をしたくなりました。もっと私のことを知って欲しいんです」
こ、ここでそのキーワードは反則だろぉぉぉぉ!!
そう思わず叫びそうなほど俺の体はぐっとよろめいた。今のは痛かった、痛かったぞ・・・!
そして俺と沙織は、互いに目を合わせられないまま中へと歩き出した。
マンションの一室のリビングのソファに腰を下ろすと、その前にある机を挟んで沙織と向かい合う。
このマンションすべてがこいつの(正確には親のものだが)住みかだというのだから、世の中金があるところにはあるもんだと改めて思う。
しかし俺はあまりの広さに逆にこいつの身の安全を心配せざるを得ない。いくら防犯施設があってもこんな美少女一人で住むのはな・・・
「最近はきりりん氏や黒猫氏と一緒にここで語らうことも多いのでござるが――」
「男の方をお招きしたのは京介さんが初めてなんですよ?」
薄く儚さを潜ませた笑顔をほころばせてくる沙織。だんだんメガネの使い分けが上手くなってきた気がするが、これがいわゆる成長性Aってやつなのか。緩む頬を締めるのに必死である。
「・・・わたしの身の上は以前お話しいたしましたよね?」
「ああ、聞いたな。姉のこと、その周りのコミュニティのこと・・・」
沙織が一呼吸置いて語り始めたことに対して俺は静かに耳を傾ける。
「わたしはコミュニティの取りまとめ役として、常に中立中庸でなければならないと思っていたのです。でなければ、姉のときのように私がコミュニティを分解させる引き金を引いてしまうかもしれないから、と」
姉のとき、というのはもちろん姉が結婚してコミュを離脱せざるを得なかったという件のことだろう。
「だから、わたしは誰に対しても平等に接するよう心がけましたし、同時にわたしに人を好きになる資格なんてないと思っていました」
それは極端すぎるだろうと思ったが、あくまで話を促す。まだあわてるような時間じゃない。
「わたしは汚い女なんです。コミュニティを守りたい一心とはいえ、私の中には桐乃さんや瑠璃さんに京介さんと結ばせたくないという心が間違いなくありました。いや――」
そこで一呼吸間をおき、意を決したように沙織は告げてきた。
「京介さんを渡したくない、という嫉妬をコミュニティのためと転嫁して誤魔化していただけだったんです」
「・・・・・・!」
沙織の顔が瞬く間に羞恥で染まっていく。俺は沸騰しそうになる頭を限りなく冷却して、胸の内に抱えていた質問項目を並べていく。ここで暴走しては何のための人生相談だかわかりゃしない。
「・・・ありがとう。でも、それだと桐乃や黒猫がまるで俺を好いているように聞こえるんだが」
「・・・え?本気で言ってるんですか京介さん?流石の私でも呆れましたわ、京介さんらしいですけど」
「・・・すまん」
桐乃のやつや黒猫に関しては、黒猫はまだしも桐乃に男として好かれているなんて思ったためしなどない。
いつもがあの態度だし、そもそも実妹だ。もっとも好かれていようが嫌われていようが俺は奴らに対して手を差し伸べるのはやめないだろうが。我ながら難儀な性格だと思っている。
「次にだ、もしその2人のどちらかと仮に俺と付き合うようだったら沙織はどうするつもりだったんだ?」
「それは・・・もちろん祝福しますわ」
「だったら、そもそもその時点でおかしいじゃないか。仮にそうなったとしてもそんなことで壊れる関係じゃないと俺は思ってる」
「・・・・・・」
確かに4人で遊ぶ時間は減るかもしれないが、だったらそれが関係の断絶につながるというのか?
例え俺が麻奈実やあやせという外部因子と付き合うことになっても、この4人の関係は多少はたわんでしまうのは避けられないと思う。
一つの関係の中で好きや嫌いという感情が存在する以上、全く変化しない関係はないだろう。一番の相違点は『別れたとき』に計り知れない軋みが生じるかどうかであり、沙織が懸念する最大の心配点もそこにあるのは違いない。
俺は覚悟を決めた。いっそう深い深呼吸を置いてから沙織の目をはっきりと見つめる。
「だったら・・・」
「だったら、俺と沙織がずっとずっと離れず付き合い続ければいい話じゃないか!」
「・・・・・・っ!!」
「俺は槇島沙織が好きだ。愛してる。付き合って欲しい」
時が止まる。
まくし立てるような必死さがちと情けないと思ったが、出すものは出し切った。先に言われちまったのはちと悔しいが。
「・・・本当に、わたしなんかでいいんですか?」
「沙織じゃなきゃ駄目なんだ。むしろ俺なんかでいいのか不安なぐらいだよ、こんな健気で尽くしてくれるお姫様には」
「そんなこと!京介さんは、私が知る誰よりも素敵な男性です!」
もはやそれ以上言葉は要らなかった。ソファから身を乗り出して沙織の肩を掴んで引き寄せ、欲望の赴くままに唇を重ねた。さすがにファーストキスで舌までは入れなかったが。
「んっ・・・んんっ・・・ぷはぁ。京介さん・・・お願いがあるんです」
一旦唇を離し、明らかにオーバーヒート寸前の俺の思考回路にトドメとばかりに沙織の爆弾発言が飛び込んできた。
「今日の間は・・・京介お兄様って呼んでいいですか?」
最終更新:2010年08月07日 18:21