俺の後輩は猫



俺の後輩は猫



キーンコーンカーンコーンと午前の授業を終える鐘が鳴り響く。
昼休みに入って教室は一気に賑やかになった。
誰もが楽しみの昼食時間、いつもなら俺のとこへ麻奈実がやってきて、「きょうちゃん、お昼食べよっ」と言ってくるのであるが今日は違った。
前の休み時間に『ごめんねきょうちゃん、今日はみんなとお昼食べる約束してるの』と言っていたからだ。
まぁこんな日もあるさ。なわけで俺は弁当箱を持って赤城のところへ向かった。
「おい、赤城。昼メシいっしょに食おうぜ」
赤城のやつは既に机に弁当箱を広げ、玉子焼きを口に運ぼうとしていた。
ちなみに他にも二名、クラスメイトが混じっている。
「あん、なんだ高坂。いつも田村さんと食べてるのに」
いつもとはなんだいつもとは。たまにはおまえらと一緒に食ってるじゃねーかよ。
常にセットみたいに言われるとなんとなく癪である。
「今日は麻奈実のやつは女子と外で食べるんだとよ。いいだろ?」
俺が聞くと他二名は「別にいいぜ」と言って首肯する。
「まぁいいけどよ。都合のいいときだけ俺を利用しようとしてんじゃねえだろな? 八方美人も大概にしろよ高坂」
赤城のやつも一緒に食うことには頷いたが、やけに皮肉っぽいセリフを吐きやがる。
まあ、コイツとは付き合いもそれなりだし、それが冗談だって分かってるんだけどな。
「そう言うなって、おまえと一緒に食いたいんだよ」
言いつつ椅子を寄せて机に弁当箱を置いていると、赤城のやつは「ケッ、なに言ってやがる」と言いながら持っていた玉子焼きをパクついた。
どうでもいいが、何で顔赤いんだ?
「さーて今日の弁当は何かな~」
と、俺が弁当の包みを開こうとしたとき、クラスメイトの女子が近づいてきて俺たちに「面会だよ」と言ってきた。
面会? 誰だよと思って教室の入り口を見ると、赤城の天使こと妹の瀬菜がこっちを向いて手をひらひら振っている。
「瀬菜ちゃんじゃん! どうしたの?」
赤城のやつは妹の瀬菜を見るやバッと立ち上がりすぐに瀬菜へ向かっていく。
まったく、妹のこととなると相変わらずテンション高くなるやつだ。実に見てて痛々しい。
シスコンってやつはなんでこうも変なやつが多いんだろうな。
……ん? なんか文句でもあっか?
俺は赤城のやつはほっといて弁当箱を広げようとしてたんだが、
「おーい、高坂」
入り口から赤城が俺を呼んだ。
「なんだ?」
返事をして入り口まで行くと、赤城のやつは汚いものでも見るかのような目をしている。
「瀬菜ちゃん、おまえに用があるんだと」
どうやら妹の瀬菜が自分ではなく、俺に用があったのがかなり気に食わないらしい。俺にそんな目で見たって仕方ねえだろうが、ったくよ。
赤城兄はほっといて瀬菜の方を向くと瀬菜は軽く会釈する。あいかわらずおっぱいが大きいやつだな。えーっとあと何回会えばエッチイベントが始まるんだっけ?
「高坂先輩、すみません食事中に」
「いや、別にかまわねえけどよ、どうしたんだ俺に用って?」
瀬菜はなんだか複雑そうな顔をして話を切り出してきた。
「実はさっき体育の授業があったんですけど、授業が終わって更衣室に行こうとしてたら――」
ここまで言って言葉を一旦切り、小さい声で「おせっかいかな~」とか何やら呟いている。
なにか言い出しにくいことなのか?
一旦話し始めて途中でストップされたら逆に気になるっての。
「――してたら?」
俺が話を促すと、瀬菜は少し躊躇していたが続きを話し始めた。
「更衣室に行こうとしてたら――その、五更さんが倒れたんです」
「…………倒れ……え?」
倒れた? 黒猫のやつが? なんでだ?
瀬菜の言葉に思考が少し停止したが、すぐに妹の親友でもあり、俺の友達でもある黒猫の顔が浮かんできて、からだがザワついた。
「それで今保健室に運ばれているんですけど、おせっかいかもと思ったんですが一応高坂先輩にも言っておこうかと――って先輩?」
瀬菜の言葉を最後まで聞き終わることなく、俺は歩き出してた。
後ろから「ちょっと先輩!?」「おいっ、高坂」と赤城兄妹が呼ぶ声がしたかも知れないが、頭の中に入っちゃこなかった。
それどころじゃない、黒猫のやつが倒れただぁ? どういうこったよ、ああ?
俺は駆け出しそうなほどの歩みで保健室へ向かった。

保健室にたどり着き、扉をガラッと勢いよく開ける。部屋には保健の先生とおそらく後輩だろう女子生徒三人がいて、こちらを向いて俺という闖入者に目を丸くしていた。
先生は机の椅子に座っており、女子生徒三人は部屋の中央辺りにあるテーブルに弁当を広げてマル椅子に腰掛けて食事をしているようだった。
「どうしたの?」
と先生が聞いてくる。
「一年のくろね――五更瑠璃が倒れたって聞いて来たんですけど」
「あなたは?」
「三年の高坂京介です」
そう告げると、先生は窺うように俺を見たあと、立ち上がってカーテンが引いてある場所に入っていき(おそらくそこにベッドがあるんだろう)やがてシャッとカーテンを半分ほど開けると、俺にこいこいと手招きする。
近づいていくと、黒猫のやつはベッドに仰向けになっていつもの無表情、いや若干不機嫌そうな顔でこっちを見ていた。
「あまりからだに障るような話はしないでね」
先生はそう言うと机に戻っていき、その際、俺の背後の方で食事している女子三人に「静かに食べてさっさと出て行け」みたいなことを言っていた。
ベッドのそばの椅子に腰掛け、俺は黒猫に話しかけた。
「倒れたって聞いたぞ。大丈夫か?」
「まったく、何しに来たのあなた? 呼んでもいないのに勝手に現れてもウザいし迷惑よ」
開口一番、さっそく辛辣な言葉が飛んできた。実にひどい。
だがこんな憎まれ口たたいてるぶんには大丈夫なのかな。顔色も見るにいつもとあまり変わらず、思ったほど心配はなさそうだが。
「いや、瀬菜のやつが教室に来てさ、おまえが体育の授業で倒れたって聞いたんだよ」
「フン、やかましいだけじゃなくおしゃべりな子ね」
ベッドに横たわりながら黒猫はボソリと呟く。
「まあまあ。で? どうなんだ? 見たとこそんな重症って感じじゃないけどよ」
「ただの貧血よ。ちょっと体調が悪くてフラついただけなのに、あの女が大騒ぎしちゃって」
なるほど、そういうことな。
そんときの場面が容易に想像できるぜ。
おそらく黒猫は慣れない運動でもしたんだろう、授業が終わってホッとしていたときにちょいと無理でもしすぎたのかヨロめいて倒れ込む。
んで委員長である瀬菜が急いで先生を呼び保健室へ運ばせたってことなのだろう。
「そっか。じゃあたいしたことは無いんだな? 安心したよ。話を聞かされたときは何事かと心配しちまったぜ」
安堵の息を吐きながらそう言うと、黒猫は「余計なお世話よ」と目を反らしてしまう。
心配されるのがイヤなのか実に分かりやすい照れ隠しである。その可愛らしいしぐさについ口元が緩んでしまった。
「何を薄気味悪くニヤついてるのよ。体調が悪いときに気持ちが悪いものを見せつけないでくれる? 吐きそうになるわ」
「く……悪かったな」
俺の態度が気に入らなかったのか、黒猫から毒が飛んできた。
こいつの毒吐きにはもう慣れたし、別にいいけどよ。全ッ然気にしないもんね~俺ってば。グス。

と、そこへ保健室の扉がガラリと開く音がして振り返ると、瀬菜が入ってくる姿が見えた。
先生に会釈をしてこっちへ来る。
「高坂先輩、いきなり一人で行っちゃわないでくださいよ」
「ああ、わりぃわりぃ」
そういや俺、話の途中でさっさとここに来ちまったんだよな。
「五更さん、気分はどうですか?」
瀬菜は俺の横に立ち、黒猫へ安否を尋ねた。
「あなたのおかげで最悪よ。まったく、どうして先輩にまで知らせる必要があるっていうの」
「む。それは、だって五更さんが倒れたの、先輩も知っておいた方がいいかなって――」
瀬菜のやつは言いよどんでしまう。
そういやさっき教室でもなんか『おせっかいかも』とか呟いてたからな。おせっかい焼いた挙句に黒猫に直接余計なことしてくれたみたいに言われたんじゃこうなるか。
「そうなこと言うなって黒猫。瀬菜、知らせてくれてありがとな」
俺が瀬菜を庇うと、黒猫ももうそれ以上咎めたてるつもりも無かったのだろう、「フン」と小さく鼻を鳴らして、
「来てしまったものは仕方が無いわ」
イヤそ~な顔で俺を一瞥した。そこまでイヤがんなくていいじゃんか、そりゃ勝手に来ちまったのはアレだけどさ。
ついで瀬菜を見て「ただの貧血よ」とさっき俺に言ったようにたいしたことはないのだと説明する。
「こうして横になってるぶんには楽だし、問題はないわ」
「そうですか、倒れたときはびっくりしましたが大丈夫そうで良かったです」
瀬菜は本心から安心しているだろう表情を見せた。
いいやつじゃねーか黒猫。おまえが行動して得た友達は、おまえがおせっかいだと思うくらいにこうして心配してくれるんだからさ。なかなか居ないと思うぜ? そういう相手ってさ。
言葉に出しちまうと絶対認めねえだろうから黙ってるけどよ。その辺の意地っ張りはどっかの誰かさんとこいつは本当に良く似ている。
俺は内心ククッと顔には出さず笑いをこらえた。
「あ、そうだ高坂先輩。お兄ちゃんがこれをって」
と、瀬菜が俺に手に持っていたものを突き出してきた。って、俺の弁当箱じゃん。
「おお、そういえば昼メシ食う前だったんだよ、サンキュー」
「へへへ、お兄ちゃんが『高坂のやつがきっと腹すかすだろうから』って持たせてくれたんです。こういうさり気なさってのもやっぱり愛の一つですよね」
ニマ~と口の端を上げ、目じりを下げて俺を見てくる。
「おいコラ、また頭の中で変な妄想膨らませてんじゃねえぞこの野郎」
あとあんま声出して後ろの女子に聞かれても知んねえぞ?
「五更さんのも持ってきましょうか?」
「結構よ。食べたいって気分でもないし。今日は食事は抜くことにするわ」
ふ~ん、体調悪いときに受け付けないってのは分かるが少しは食べねえとからだ持たないんじゃ無いのか?
前に見たことがあるが弁当箱は小せえし、こいつは普段からあまり食ってない気がする。
もうちょっと食べた方がいいんじゃないのかなぁ。
「そうですか、それじゃ五更さん、先輩、あたしもお昼まだなんでこれで失礼しますね」
申し出を断ったところで瀬菜が辞意を言って立ち去ろうとすると、黒猫が「赤城さん」と声をかけた。
「へ、どうしました?」
黒猫は瀬菜をはっきり見据えて言う。
「色々してもらったこと、お礼を言わせてもらうわ。どうもありがとう」
「え? あっ……その……」
黒猫が殊勝な態度に出たことに瀬菜は面食らったようだ。
「べ、別にあたしは……い、委員長の責任を果たしただけ、ですから」
当惑してうまく喋れてないようだ。多少赤面してなくもない。やれやれ、ただ一言「どういたしまして」と言えばいいのに、こいつもこいつで素直じゃねえな。

瀬菜が先生に一礼してから保健室を出て行く姿を見送ってから俺は黒猫に向き直り、メシを食っていいか聞いてみた。
「邪魔じゃないなら、ここで食わせてもらって構わないか?」
「好きにすれば?」
「そうさせてもらおう」
今から教室戻ってもみんな食い終わってるだろうしな。
黒猫の許可も貰ったことで俺は瀬菜から受け取った弁当箱を膝の上に広げる。
中身はこれといって特色も無い白メシと冷凍惣菜のオンパレードだ。あとはリンゴの切り身があるくらいで手抜きが得意なお袋らしい内容。
いや、用意してくれるだけ感謝はしてるんだけどな。さーて多少遅れたがメシメシっと。
「瀬菜のやつ、テレてやがったぞ」
昼飯を食べながら俺。
「……っふ、人間風情が私に恩を売るようなマネをするからよ。素直に礼も受け取れないなんて可愛いものだわ」
「はは、なんだそりゃ」
俺は黒猫が瀬菜に素直に礼を言ったことには触れなかったよ。
なぜかって? そんなのは当たり前だろ。
一年前に出会った頃の俺は、確かにこいつが妙に他人を遠ざけ、孤高の存在であるかのように自分は他の人間たちとは違うと排他してるようにも思えた。
だけどそれは違った。
桐乃のやつや沙織、それから瀬菜といった他人と言葉を交わし、ときには口汚く罵り合い、ケンカし、それでもその相手との時間を築いてきた。信頼しえる関係となっていった。
決して他人とは話もしない、礼も言わない、相容れないだなんてこいつはこれっぽっちも思っちゃいないんだよ。
言葉に出しはしないが分かるさ、俺はそれをそばでずっと見ていたんだからよ――。
食事をしながらも黒猫とポツポツ会話する。
「また次のゲームとか考えたりしてんのか?」
「今度はRPGを作ろうかと案が持ち上がったりしているわね」
「ほう、そういや前作ったやつも最終的にはそんな要素追加してたな」
以前ゲームコンテスト出品の為に作ったゲーム。完成目前でバグが出て瀬菜と組んだときのことを思い出した。
残り一週間未満で黒猫と瀬菜はバグを直し尚且つゲームにRPG要素まで付け加えるということをしたのだ。
結果としては、クソゲーの烙印は押されはしてしまったが、俺は二人の鬼気迫るゲーム制作の場面を見て内心すげえなって感心したもんだよ。
「あれはジャンルとしてはRPGだけど、どちらかといえばノベルゲームの色あいが濃かったから今度はもっと本格的なものにしようかと話しているところよ。
 私はそっちのジャンルのプログラムはあまり得意ではないのだけれど、あの子が良く知っているって言うから。それに、私もノベル以外のゲームでシナリオを一つ監修したいとも思っていたし調度良いかもしれないわね」
実によく喋る。やっぱこいつもオタクなんだよなぁ、体調悪くてベッドで寝ていても好きなことにはとても流暢になる。
「俺もまた何か手伝えることがあったら遠慮なく言ってくれ。たいしたことは出来ねえとは思うがよ」
「その通りね」
スパンと竹が割れる音が聞こえるほど即答しやがった。もっと言い方ってもんがあるだろちくしょー、年上だからって泣くときは泣くんだからな?
「でも先輩が折角そう言うのだったら、私が疲れたときは肩でも揉んでもらおうかしら?」
「へいへい、それくらいならお安い御用だ。なんぼでもやってやらぁ」
「ついでに部室の椅子が固くてしかたないの、あなた椅子になってくれない?」
「どこの女王様だよ!? 病人だっつっても容赦なくつっこむぞ、おい!」
場所が場所だし相手は体調が悪いので小声でつっこむ。
黒猫のやつは布団で口元を隠してコロコロ笑っているようだ。
まあなんだ、笑ってちょっとでも気分が良くなるんなら、少しくらいならバカにされてやってもいいかな。
喋っている間にも俺の弁当箱はほとんど空になっていた。残るのはリンゴが一切れ。
「昼メシ、ほんとに食わなくて大丈夫なのか?」
「平気よ。夜にでも血を求めて彷徨うとするわ」
昼メシは抜いても夜はちゃんと食べるってことだと解釈しよう。
「そうは言ってもよ、少しくらいは腹に入れといたほうがいいと思うが。そうだ、リンゴ食うか? これくらいだったら別に平気だろ」
聞くと黒猫は少し思案してから「そうね……頂こうかしら」と答えた。
「おう」
ホレ食えと爪楊枝の刺さったリンゴを黒猫の口元に運ぶ。

「…………」
「どうした? ほら」
なんかいきなり黙っちまったぞ? やっぱ食いたくねえのかな?
少し様子を見ていると、やがて黒猫はふるふると口元を開け、シャリッと一口した。
と、後ろからいきなり「キャ――ッ」と黄色い声が飛んできた。
なんだぁと思って振り返ってみれば、テーブルでメシを食ってた女子三人組が俺たちの方を見てなにやらヒソヒソと会話している。
内容は聞き取れないが「見た今の?」とか「やっぱりそうなんだぁ」とかキャーキャーわけわからねえことを言っているようだ。
「コラッ。食べたならさっさと出ていきな!」
保健の先生の注意で、姦しかった三人組は「は~い」と声を揃えて弁当箱を抱えて保健室を出ていく。
そんときも、やけに俺たちの方をチラチラ見てなにやら笑っていた。
「あいつら知り合いか?」
「違うけど……、多分同じ学年の別クラスの子だと……思う」
「そうなのか、向こうはなんか俺たちを知っているみてえだったけど」
「その……少し噂になってたから」
黒猫は俺の方を見ずに、か細い声で答える。なんかすげー顔赤くなってないか?
「噂?」
「私とあなたが……その――」
ごにょごにょと口を動かしてはいるが全然聞き取れなかった。
「それにさっきのも……誤解されたの……かも」
「さっきのって……、あっ」
黒猫に遅れて俺も耳まで紅潮してしまった。
今頃になって自分がしでかしたクソ恥ずかしいことに気付いちまったからだ。
リンゴを口に運んで食べさせるって、どっからどう見ても恋人みたいに「あ~ん」してやってるシチュエーションじゃねえかよ!
しかも噂って……、そういや俺こいつに会いに何度か教室まで行ってるもんなぁ。
何度も上級生である俺が一年の教室へ特定の女の子に会いに来ていれば、自ずとどういう噂になるかなど分かろうと言うものだ。
つまりさっきの一年の女子たちは俺と黒猫が恋人同士だと誤解した、俺が黒猫の安否を気遣って保健室へやってきたときにはもう格好の獲物みたいに見えたろう。
コソコソ俺たちの様子を見ていて、さっきのリンゴ食わせたところなんか見た日にゃ噂好きなやつらにはもうもってこいのシーンってことか。
ぐぎゃああぁぁぁぁぁ、なんて恥ずかしいことしてんだ俺は――っ!?
「わ、悪かった」
「別に……よく知りもしない人間になにを思われようが……ど、どうもしないわ」
「そ、そか」
半分齧られたリンゴが刺さった爪楊枝をクルクルしながらテレ隠しにポイッと口に放り込む。
「なっ!? な――ななな!」
それを見た黒猫がますます、それこそリンゴのように赤くなり、目を見開いて涙まで浮かべて驚く。
「へ?」
また何かしましたか俺? え? だってもうさっきの子たちはいないし恥ずかしいこともして――――るよぉぉぉぉ俺ぇぇぇぇっ!
な~~~に黒猫が齧ったリンゴを食ってんだよ俺! どうみても、かかか間接キスじゃねえか!?
「た、度々……すまん!」
「ば、莫迦ッ!」
そう言って黒猫はプイッと俺の真反対へ向いて完全に拗ねてしまった。
ほんとバカだな俺って。こりゃしばらくの間は毒を吐かれまくっても仕方ねえぞ。

会話も止まってしまい、どうしたもんかと空になった弁当箱を閉まっていると、保健の先生が近づいてきた。
「五更さん、体調はどうかしら?」
どうやら様子を確認にきたらしい。
「えと、まだ少し悪いですが、楽になりました。平気です」
「ん~~」
腰をかがめて黒猫の顔を覗き込んで何やら診断している。それからやおら立ち上がってチロッと俺の方をすがめ見た。
なんだ?
それからまた黒猫の方を向いて、
「けっこう重いほうなの?」
重いってなんだろな? 血が重い? あっ、なわけねえだろバカか俺は。貧血で倒れたんだ、頭かからだが重いかってことだな。
「…………………………い、いえ」
聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さな声。なにやらかなり言いよどんでいるようでもあった。
「そう。でも一応次の時間も様子見て休みましょう」
「……はい」
「担任の先生には伝えておくから。それから、先生も次の時間ここ居なくなっちゃうんだけど、鍵は内側からかけておいてもいいからね。あなたも次の授業があるでしょう、そろそろ戻りなさい」
そう俺と黒猫に言い残して先生は保健室から出て行った。部屋には二人だけとなる。
「黒猫、さっきはマジ悪かったな。勘弁してくれ」
ほんと悪いことしちまったな。さっきのカシマシ娘どもが教室に戻って言いふらせば、こいつがキライな噂なんていう雑音が耳に入ってくるだろうしよ。
先ほどの失態を、頭を下げて必死に謝ってると黒猫は横目で俺を見て「もういいわよ」と一言だけ答えた。
まだ少し顔が赤いでもない。
「な、なにかして欲しいことはないか? そうだ、飲み物でも買ってきてやろうか?」
なんとかご機嫌をとろうと試みる。
やっぱまだ気にしてるだろうしなぁ。頼む、こっち向いて機嫌なおしてくれ!
黒猫はそっぽを向いたまま「別になにも――」と言いかけたがそこで何か思いついたのか、やや一呼吸おき俺の方に向き直って言葉をかけた。
「そうね、せっかくだから貰おうかしら。運ばれたとき先生がそこの冷蔵庫にあるもの飲んでもいいって言っていたから、それ持ってきて頂戴」
目が向いている方向を見ると部屋の隅に冷蔵庫があった。おそらく氷嚢とか閉まっておくために備え付けられているんだろう。
「よしきたちょっと待ってろ」
席を立って、冷蔵庫を開ける。中には確かにスポーツドリンクのペットボトルが数本入っていた。一本取り出してからまた黒猫の横へ戻ってきて「ほらよ」と差し出す。
が、なぜか黒猫は受け取ろうとしない。
「どうした?」
黒猫は無表情で俺を見ていたかと思うとニヤ~と笑って言った。
「手を使うのが億劫なの〝兄さん〟、飲ませて頂戴」
「んなっ!?」
黒猫は微笑して俺にとんでもない要求をしてきやがった。いきなりのことに面食らう俺を「どうしたの?」と意地悪そうに見てくる。
それに、
「おまえ、兄さんって」
「あら、前にも言ったでしょ。二人きりのときは〝兄さん〟て呼ぶって」
そりゃ確かに言ってたけどさ、ありゃあんときだけの冗談じゃなかったのかよ?
こんないきなり言い出すなんて聞いてねえぞ! それにさっきまでおまえってば顔赤くしてなかったか? なんで態度豹変してんの!? なんで今度は俺の方が赤くなるようなことを言うわけ!?
事実、黒猫のなんか妙に色気のある微笑と甘い囁きで、俺の顔はカーッと朱がはしっている。
「何かして欲しいことはないかって言ったのは兄さんよ。喉が渇いたわ、早くして兄さん?」
「う、うぐ……ほ、ほらよ」
言ってしまったものはしょうがないと、黒猫の口にペットボトルを運び入れる。
「ん……」
コクコクと細い首筋から喉を鳴らして飲んでいく。
楽になりやすいように黒猫のやつは上着は脱いでおり、ついでにリボンも解きブラウスの第一ボタンも外しているもんだから、その様子がやけに目に付いてまた顔が熱くなる。
「ん……はぁ。もういいわ、ありがとう兄さん」
満足げに笑って嘲弄するようにまた兄さんとか言いやがる。
あーあー分かってるよ。さっきのお返しだってことだな。
「ったく、からかいやがって」
「おかしいわね、私はただ飲み物を飲んだだけなのに」
「はっ、何を」
今度は俺が「ふん」とそっぽを向く番だった。チロリと流し目で見ると黒猫はクスクスと口を押さえて肩を揺らし笑っている。
くそっ、こいつやっぱ笑うといつもよりすげー可愛いな。

と、そこで予鈴の鐘がなった。
「あ~そろそろ戻らねえと」
「あら、妹を一人残して行ってしまう気?」
「だ~からそろそろやめてくれって」
「冗談よ、遅刻したくなければ早く戻りなさい」
「ん、ああ。体調の方はどうだ、いくらかマシになったか?」
「さっきも聞いていたでしょ。こうして横になっているぶんには特に平気」
「そか、さっき先生が頭が重いのかとかなんとか聞いてたが?」
「……ッ…………う、うるさいわね」
なにやら気分を害しちまったみてえだ。
「それよりほら、授業が始まってしまうわよ」
話を反らすように俺を促す。時計を見ると確かにちょっと走らないと間に合いそうに無い時間だった。
「それじゃ、俺ももう行くわ」
「ええ、兄さん……」
俺は椅子から立ち上がって扉の方へ歩き出す。
扉に手をかけて……………………………………振り返ってまた黒猫の横へ戻り椅子に腰を下ろした。
たった今、別れを言ったばかりの相手が戻ってきたことに黒猫は一瞬唖然としたような顔をしたが、すぐに顔を歪めた。
「どういうつもり?」と鋭い目つきで聞いてくる。
「一つくらい授業サボったってどうってことはねえさ」
「私は『戻って』と言ったのよ」
「まあ良いじゃん」
「先生が戻ってきたらどう言うのよ」
「そこは仕方ねえから素直に怒られるだけかな」
「ふざけないでっ。私はそんなつもりで言ったわけじゃないことくらい分かるでしょ。あなただって『からかうな』とか――」
「俺が一緒にいてえんだよ」
黒猫の言葉を終わるのを待たず、俺は言った。
「な、何を」
「おまえは関係ない。俺は自分勝手なやつだからな、おまえと話してんのが授業聴くより面白いって思ったもんだから、もうちっとここに居させてもらう。それだけだ、文句あっか?」
言葉どおり実に勝手な主張を一方的にまくし立てふんぞり返ると、黒猫は感情の制御が追いつかないのか呆れたような怒ったような色々な表情を見せ、やがて――、
「フンッ。じゃあ勝手になさいっ」
「あいよ」
実際、俺がなぜ戻ってきたのか。本心は今言ったとおりだ。
一人で寂しいんじゃないかとか、心細いんじゃないかとかはこれっぽっちも思わなかったね。こいつがそんなことを思うようなやつじゃないってのは、充分に理解してるつもりだからな。
本当にただ単に俺がここに居たかっただけだ。
「とことん妹に甘いのね兄さんは」
「や、だから――」
「そういうことにしておくわ。…………から」
最後の方は息を吐いているだけのような声だったので何も聞こえなかった。


午後の授業時間に入り、昼休みにざわついていた校舎もひっそりと静まりかえっていた。
窓を開けてあったので、そこからカーテンを揺らしながら風が吹き込み、肌を心地よく撫ぜていく。
「たまにはいいもんだなこうしてサボるのも」
「あら、サボり癖がついてDQN化したあと転がり落ちるような人生を送りたいの?」
「なるかっ! ちっと風が気持ちいかったってダケだよ」
「ククク……。つまらないわね、兄さんが落ちぶれて路上生活しているところを想像すると、それはそれで楽しいのだけれど」
「ひでえこと想像して楽しんでんじゃねぇよ!」
サボると言ったときはかなり不機嫌になっていた黒猫は機嫌をなおしてくれたのか、それともたんに俺の勝手な言動を諦めただけなのか、今は普通に話しかけてくる。
良かった。強引にここに居座ることにしたわけなんだが、怒らしちまって気まずい雰囲気のままだったらどうしようかと思ったもんな。
「そういえばさ――」
それから俺たちは、部活で瀬菜たちとまた作るであろうゲームの話や、アメリカから帰ってきた桐乃がアホみたいにクリアしていなかったエロゲーをがんがん攻略していること、今度始まるらしい黒猫一押しのアニメの話とかをした。
やがて会話が途切れ、しばし沈黙のときが訪れる。
黒猫のやつは前髪をサラサラと揺らす風を気持ちよさそうに感じている。
何か話さねえとなんて思わなかったね。なんつうかお互い黙っていても居心地が良い、そんな空気があった。まるで、あいつといるような……。
と、黒猫がごろんと俺のほうに寝転がり手をすぅと伸ばしてきた。
「ねえ兄さん、手を握って頂戴」
「へ? な、なんで!?」
「いいから……」
黒猫はじっと俺を見つめそれ以上何も言わない。
いきなり『手を握ってくれ』なんぞと言われて俺はあたふた視線を泳がせたりして狼狽していたが、黒猫は微動だにしない。ただ黙って俺がそうするのを待っているかのようだった。
やがて吸い込まれるように俺は黒猫の手のひらに静かに自分の手を重ねた。
「こ、これでいいか?」
「それだとただ手を重ねているだけじゃない。私は『握って』と言ったのよ?」
「~~~っ。分かったよ。こ、こうか」
ゆっくりと小さな手を包み込むように握る。冷たく、柔らかい感触が俺の手へと伝わってきた。
こう表現するのもどうかと思うが、女の子の――手なんだよな、こいつの手。
「ん」
目を細めて俺の方を見やる。艶やかな微笑が胸を鼓動をおかしくさせた。たぶん顔も若干赤く染まっちまってるだろう。
それから、時間にして一分にも満たなかった時間、何も言わずに手を握っていたが「もういいわ」と黒猫は手を戻してまた仰向けになった。
「たく、どうしたってんだよ」
目を閉じて黒猫は言う。
「別に……。ただ、あの子の気持ちがどうだったのか、知りたかっただけよ」
「あの子?」
「分からなければそれで良いの」
それっきり黒猫は口を開かなくなり、いつの間にか寝入ってしまったようだ。小さく布団を上下させている。
あの子って誰だ? 瀬菜か? もしくは桐乃か沙織か、または俺の知らない誰かのことを言ったんだろうか。
分からずじまいだな、まあいいや。
てゆうかさ………………、やっぱりこいつって、そのさ、俺のこと――す、好きなんじゃねえの!?
だってこんな手を握ってくるとかさ、ありえねえだろ? どう考えても嫌われてるはずないよな!
しまった! 今、超いい雰囲気だったじゃん。校舎裏でのキスのことを聞く絶好の機会だったのにぃ。俺のバカバカバカ、なんでもっと早く気付かねぇんだよぉぉ!
いや、まだ遅くはねえよな。こいつが起きたらいっちょチキンハートを震え上がらせて、聞いてみっか!
きゃあああああああああああ、なんかすんげぇドキドキしてきたっ!
え~と起きたときの第一声はどうすっかな。『おはよう』? いや『目が覚めたかい、子猫ちゃん』とか。いやいやもっとこうバシッとするようなセリフをだなぁ――

午後一の授業が終わる直前に黒猫は目を覚ました。
ゆっくりと瞼を上げて、俺が見ていることに気付いたのか視線を向けてくる。
俺は椅子に足を組んで膝の上に頬杖をつき、爽やかに笑みを浮かべて「よ、おはよう」と声をかけた。
我ながらちとかっこつけすぎかな。結局あれこれ考えた末になにも思いつかず、挨拶はシンプルにして、なんとなーくこのポーズを思いついたのだった。
「…………あなた、ずっと居たの?」と黒猫。
「ああ、ずっと見ていたぜ」と俺(←爽やか)。
「フ、フフフッ。そ、そう……。ずっと、ずっとあたしが寝ているところを見ていたってワケね……」
黒猫はなにやら俯むいて、からだを震わせている。
恥ずかしがってんだな。そのうち『莫迦ッ』とか顔を赤らめて照れ隠しの憎まれ口を言うに違いない。可愛いもんだ。
黒猫は俺に向き直ると、
「後輩の女の子をじ~っと視姦するだなんて汚らわしい豚ね」
ほらな思ったとおり、黒猫は眉を逆八の字にし顔に怒気を含めて生ゴミを見ているような目をしながら俺を蔑むような口調で――――――――あれ?
「えっと? その、黒猫~さん?」
「なにを薄汚い顔で気安く話しかけてるのよ」
「あの、おは~~よう?」
「人語も解せ無いのかしらこのケダモノは。檻にでもブチ込んでおいたほうがいいのかしら。それともコマ切れにでもして鴉のエサにでも――」
なにやらおどろおどろしい黒いものが黒猫の周りから立ちこめているような空気。これは、どう見ても怒ってらっしゃいますね…………。
え、ええええええええ? 寝る前はあんなにすうぃ~とな雰囲気だったじゃん? なんでいきなりこうなってんの!? バグ? バグなのこれ?
「そのね、俺はただね、あのときのことを聞きたいかな~って」
「まだしゃべるつもりでいるの、このクソ虫が。いっそその口を五寸釘で閉ざして樹海に括りつけて『祝ってやる』とからだに刻み込んでやろうかしら?」
「か、勘弁してくれえぇぇ!」
黒猫からもはや毒でもない恐々たる呪言を浴びせられているところで授業の終了を知らせる鐘。
「さっさと戻ったらどうなの? 豚は豚箱へねぇぇぇっ」
ひぃぃぃぃぃぃぃッ! もうそこに一秒たりとて存在することさえ許さないと言わんばかりの眼光。チキンハートは別の意味で震え上がった。
「そ、それじゃあ失礼します!」
うわ~んと涙目で逃げ出すように保健室から出て行こうとすると後ろから声が聞こえてきた。
「ほんとに……私の寝顔を……ずっとだなんて…………」
「え?」
「な、何も言ってないわよっ。さっさと出て行ったらどうなのっ」
「は、はいぃっ」
黒猫のやつ超怖かった、グスン。
保健室を後にして泣きながら教室へ戻る途中、そこでの出来事を反芻する。
不機嫌にムスッとしたり怒ったり甘えてきたり。寝る前は微笑んでいたのに起きればさっきのようにブチぎれられたり。
少しは黒猫のことはと思っちゃいたが、まだまだ分かってねえんだな俺。
足元をスリスリとなついてきたかと思えば、いきなりツンとして顔も向けてくれなくなったりする。ほんと猫のようだ。
怒りが収まった頃合を見て今度は猫缶――ではなくお菓子かあいつが好きそうなアニメの話題でも仕入れて話しかけてみよう。
それこそ、猫のご機嫌を伺うように。






タグ:

五更 瑠璃
+ タグ編集
  • タグ:
  • 五更 瑠璃

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年08月20日 13:48
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。