とっておきの唄(前編)



ある梅雨の土曜日に外でしとしとと雨が降るさなか、少年はコーヒーを片手に椅子に腰掛け、少女はその傍らで洗濯物を部屋干ししていた。

「『巷に雨の降るごとく、我が心にも雨ぞ降る』……ランボーの詩だったか」
「いえ、ヴェルレーヌですわ」



「…………」
「……気持ちはわかりますが、その台詞はそんなどや顔で言うものじゃないと思います、京介兄様。というか、単に言いたかっただけですよね?それ」
「うっ……べ、別にいいじゃないか、雨降ってるときにたまたま世界史やってたんだから」
「別に責めてるわけではありませんのですが……ふふふっ」

非常に苦しい言い訳だが、別に間違った事は言っていない。後から取って付けた感は否めないが。
それにしてもしっかり適切な返しをしてくる辺り本当によくできた妹だと思う。違うけど。

「しかしこの雨じゃあデートにも行きづらいな。今日はどうする?」
「それなんですが、今日はあえて外に出てみませんか?」
「まあ今は小雨程度だし出られないことはないだろうが……どうしたんだ?薮から棒に」
「えっとですね……その……」

指を付き合わせてもじもじする沙織。まるでちょっとした悪戯を思いついて所在なさ気な子供のようだ。

「京介さんと、あ、相合傘をしてみたくて……」
「…………」
「……京介さん?やっぱりご迷惑……」
「いや……その発想がなかったからちょっと面食らっただけだ。もちろん大歓迎だぞ」

だからそんなうるうるアイズをやめて下さい。性欲を持て余すから。

「やったぁ!じゃあ、準備ができたら行きましょうか。時は金なりタイムイズマネーですから!」
「……沙織がどんどん天真爛漫キャラになっていく気がする」
「それは京介さんの愛のおかげですよ♪」

さらっと微笑みの爆弾を投下してくる沙織。その顔には一辺の曇りもなかった。

「……やれやれ、育て方を間違えたかな……?」

俺は頭をボリボリと書いたが、顔の赤さで照れ隠しなのが見え見えだった。……今後は、もう少しだけストレートな表現を控えるべきだろうか。


「お待たせしましたっ」

早めに着替えが終わって居間で待つ俺のもとに沙織がやってきた。
俺は上が白いプリントTシャツに黒いテーラードジャケット、下が灰色の細めのジーンズに群青色のローカットスニーカー。
沙織は薄い水色のやや大きめ(といっても沙織の体格なら丁度いいぐらいだが)な長袖シャツと、黒のブーツカットパンツに黒のローカットスニーカーだった。
雨が降ってることから極力ラフな格好を意識したのだろうが……道行く健全な男子学生にはこれでも刺激が強いんじゃなかろうか。豊かな胸と尻のラインが薄手の衣服にくっきりと現れているのだ。

「良く似合ってる……いや、似合いすぎてるな。沙織、恐ろしい子……!」
「京介さんもよくお似合いですよ。あれだけタナトスがハマってるんだからポテンシャルはあると思ってましたが、予想通りでした」
「沙織に比べたらなんてことないさ。というかお前はもっと他人の目を気にするべきだと思う」
「あ、やきもち焼いてくれてるんですか?」
「ただ沙織が嫌な気持ちにならないか心配なだけだよ」

本音は前者と後者で半々といったところだろうか。

「ん~、京介さんの優しさは五大陸に響き渡りますね」
「はいはい。じゃあ行こうか」

そんな>ω<な顔で見つめられ続けたら着替えた意味がなくなりそうだったので、俺はそそくさと玄関へと足を向けた。

週末とはいえやはり好き好んで雨の日に出歩く人は少ないようで、路地の一帯は閑散としたものだった。幸いにも風はほとんどないので思ったほど不快ではないのが救いだろう。
そんな中を男物の大きな傘を中心に歩く影二つ。背が大して変わらないので歩幅もぴったりである。
ついでに言うと沙織が傘を持つ俺の右手に腕を絡めてくるので必然的に柔らかい感触が気持ちいい。文章が若干おかしいのは仕様です。

「……公衆の往来でくっつきすぎだとは思わんのかね」
「えへへ、いいじゃないですか見たところ誰もいませんし。それにわたくしは背丈があるから寄り添わないと濡れちゃうじゃないですか」
「人通りはなくとも車はぽつぽつ通るだろ?浮かれてくれるのは冥利に尽きるが、場所はわきまえよう」
「むぅ~、京介さんのいけずぅ……」

沙織が渋々ながら腕をほどく。やれやれ、と内心苦笑しながら左手に傘を移し、空いたミギーで沙織の華奢な左手を掴む。

「このぐらいなら、な?」
「……はいっ」

俺の思わぬ譲歩にきょとんとしながらも、彼女はしっかりと手を握り返してくるのだった。


そんなこんなで山上公園に着くと、やはり人通りはほとんどなく、殆ど二人きりも同然で海沿いの通りを歩く。普段はデートスポットとしても名高いのだが、天候だけにまあ至極当然ではある。

「…………」
「…………」

うまい言葉が見つからない。かといって別に気まずい空気というわけでもない。最近はそういった柔らかい空気を纏えるようになってきた気がする、というのは自惚れだろうか?
と、そうこうするうちに雨が上がってきた。雲間から太陽が顔を見せてくる。

「相合傘も終わり、かな?」

構えていた傘を緩やかに仕舞い、手を伸ばしてバサバサと振った。

「もっと浸ってたかったんですががが」
「また、いつでもできるだろ」
「今日は兄様との相合傘記念日ですから、できれば……」
「記念日?」
「そうです……あ!あれ!」

目を円くして沙織が海側を向いた。つられて俺も向く。

「虹だ……!」

空にくっきりと七色のアーチがかかっていた。ここまでのものは初めてお目にかかったかもしれない。

「綺麗だな……」
「ええ……あの、京介さん」
「ん?」
「写真、撮りませんか?」

見ると沙織の手にはデジカメが握られている。

「どうやって撮るんだ?道行く人もいないし」
「ふふん、これを見てくだされ!」

若干バジーナ混じりのような口調かつしたり顔でバッグからあるモノを取り出してみせた。

「ペットボトルと、なんだそりゃ?」
「これはペットボトルのフタ部にデジカメをフィッティングできるお手軽三脚なのでありますよ」
「へえー、じゃあいっちょ撮るか」
「了解であります!」

沙織がデジカメをセットに向かう。最近あいつの語尾が節操ない気がする。そのうちベシとかピョンとか言い出しそうでなんか嫌だな。

「じゃあ五秒後ですよー」

そう言うや否や沙織はスイッチを押し、俺の元に駆け寄ってきて俺の胸元に抱き着いて来た。自然と俺の手は沙織の腰に、沙織の手は俺の腋の下にかかり、満面の笑みをカメラの方へと向けた。

「これで、もう一つ記念日が増えましたね」
「お前なぁ……」

開きかけた口を途中でつぐみ、沙織のハグに答えるように抱きしめ返す俺だった。……人目がなくて本当によかった。

虹を思う存分堪能したあと、俺達は手近なカフェで一息つくことにした。

「しかし、沙織が記念日をつけてるってのは初耳だったな」

アイスカフェオレをちゅーちゅーと吸いつつ訊く。

「あの、えと……人間って、忘れやすい生き物じゃないですか。だから、なんでもない日でもその中で記念日をメモっていけば、それも京介さんとの絆になるかな、と最近思って……」

そう言いつつ沙織はさっきの「記念日」二つをせっせと手帳に書き込んでいた。

「こうして『京介さんとの思い出アルバム』をちょっとずつ重くしていけたらいいなと思ってるんですよ」

件のアルバムを出して恍惚とωになる沙織。
……まんまなネーミングだな、と突っ込みたかったが今更野暮かと思って止めておいた。
その理由というか動機について、聞いてよいものかと口を僅かにもごもごとさせていたところ、沙織はそれを察してくれたらしかった。

「わたくしは……不安なんです。だってわたくしは桐乃さんや麻奈実さんみたいに京介さんの昔を知らないんですもの」
「……ああ、なるほど」

沙織はとりわけ麻奈実の名前を出す時に沈痛な面持ちになった。やはり麻奈実の存在は俺との最大の障害で考えている節がこの娘にはある。

「俺だって同じだよ。俺の知らない沙織を知っている誰かがいるってだけで、みっともなく嫉妬したりする」
「え……」
「昔は昔、今は今、ってことだと割り切るしかないて思ってはいるけどな。なかなか思うようには行かないよ。そうだろ?」
「京介さん……」

俺は沙織の手に手を重ねて、優しい覆い包むようにして静かに言った。

「俺は沙織を裏切らない。沙織もだろ?」
「あ、当たり前です!ありえません!」
「なら今はそれでいいんじゃないかな。数え切れないほど『記念日』を積み重ねてやろうじゃないか」
「……はい!」

そうして潤んだ沙織の目は、どこの何よりも綺麗だなと感じてやまなかった。今は大人の事情で難しいが、いずれはお互いの過去をもっと深く知り合っていきたいもんだ。両親のこととか、お見合いのこととか、な。






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最終更新:2010年08月29日 00:01
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