7スレ目152



 ある日の放課後。
 約束の場所で、約束の時間に、約束のベンチにて、俺はある少女と待ち合わせをしていた。
 我が高坂家の近くで、交番の裏にあって、普段からあまり人気のない公園にただ一人、ベンチに腰掛けて座る俺。
 携帯を覗いて時間を確認する。
「そろそろか」
 ふぅ、と息を吐いて、ばちんばちんと自身の頬を叩いた。
 なんたって待ち合わせの相手は、俺の天使であり現世に舞い降りた女神であるラヴリーマイエンジェル、新垣あやせたんだ。
 ニヤけた面で顔を会わせたくない。
 ……気を抜くと、顔のニヤつきが止まらなくなるから、実は大変だったりする。
 今だって、また。
「へへ……」
 脳裏に焼き付いたあやせの笑顔を思い出してはニヤついている。
 クソったれめ、惚けも大概にしろ。
 そんな声がどこかから聞こえた気がした俺は、気合いを入れ直すために再び頬を叩く。
 ばちんばちん!
 ……ちょっと痛かった。
 ヒリヒリする頬を撫でて、再びポケットの携帯に手を伸ばそうとした時。

「おに~さんっ」

 背後から溌剌とした声が聞こえ、後ろから回されたらしい手に俺の両目が覆われた。
 これ、意外と怖ぇのな……。
 わりと本気でびっくりした。
「さて問題ですっ、わたしは一体誰でしょう?」
 ふふん。 愚問だな。
 そんな簡単な問いにこの俺が答えられないわけがないだろう常識的に考えてっ。
 だってお前は、
「俺の天使、だろ?」
 言いながら、俺の両目を覆うその手に手を重ねる。
 そっと目から離して、ゆっくり振り向いた。
 するとそこには、
「あぅ……」
 と恥ずかしそうに赤面するあやせの顔が!
 ……そうさせたのは俺なんだけどね。
「あ、あんまり恥ずかしいこと言うと通報しちゃいますよっ?」
 視線を泳がせてあたふたとするあやせ。
 完全に照れ隠しだった。
「聞いたのはあやせだろ?」
「ま、まあ……そうですけど」
 あやせは恥ずかしそうに明後日の方向を向いていた。
 俺はにんまりしてしまいそうなのを堪え、余裕の笑みを浮かべて見せる。
「ま、とりあえず座ったらどうよ」
 ぽんぽん、とベンチを軽く叩いて促した。
 あやせは頷き、女性らしい淑やかな動作で隣に座る。
 ……相変わらず甘ったるい香りを漂わせてますねあやせさん。
 何だか、むず痒いものを感じてしまう。


「あは、二日ぶりの再会ですねっ」
「そうだな、元気にしてたか?」
「見ての通り、わたしはぴんぴんしてますっ」
 胸の前で拳を握って体を揺らすあやせ。
 どうやら、元気ですよ!と体で表現したいようだ。
 何とも微笑ましい。
 ……まあ、想いが通じ合ったあの日から毎日のようにメールしてる俺たちに、元気か?などという会話もおかしいのだが。
 いかんせん、あやせの都合が合わないと俺たちは顔を合わせることすらできないんでな。
 こうして数日ごとに会ってはそんなやり取りを繰り返してるというわけだ。
「おにーさんっ♪」
「うぉっ」
 ……そして、こうして顔を合わせる度に、身体を寄せてくる甘えん坊なあやせを愛でるのも、最近の恒例だったりする。
 俺の腕に抱きついては、満面の笑みを浮かべているのだ。
 見ていて、こう、胸が熱くなるのを感じる。
 それに加えて、他人行儀を取っ払ったあやせは人懐っこい仔犬のようで、やばいぐらい俺の庇護欲をそそりやがる。
 いや、根っこがわりと強い娘ってのは知ってるよ?
 でも、こうやって甘えてくる様子を見てると、そんなこと忘れちまう。
 ……いやはや、なかなかご執心だな、俺。

「ね、お兄さん」
「ん、なんだ?」
「今日のわたし、何かいつもと違いません?」
 愛らしく瞳をきらきらさせて、期待の入り混じった声色で問いかけてきた。
 その表情は、なんとなく得意気だ。
「……えと、いつもより可愛い?」
「そ、そういうことじゃなくてっ……いや嬉しいですけどっ、そうじゃなくてっ」
 頬を染め、ぶんぶんと首を振ってはあたふたと忙しい様子で何かを主張してくるあやせ。
 何をそんなに張り切ってるのか、多少戸惑いつつ、あやせを見やる。
 頭の頂点から、爪先までをじっと眺めていく。
「……」
 整った目鼻立ちに、鮮やかな黒の長髪、スカートから覗かせるスラッと伸びた脚、女の子の割には長身だが、それを感じさせないバランスの良いスタイル(ちなみに制服)。
 何という美少女。
 何という女神。
 でも俺の彼女! そう、俺の彼女!
「ど、どうですか? 何か気付きませんか?」
 ……え、えーと?
 正直に言うと、その“何か”とやらはわからなかった。


「すまん、わからん」
 素直に白状した。
 わからないものはわからないのだ。
 するとあやせは、ぷくーっとわかりやすく膨れ面になる。
「ふ、ふんっ。 そうですよね、なんとなく予想してました。 ええ、わかってましたともっ。 もういーですっ、お兄さんにそういう気配りを求めたわたしがバカでした」
 ツーンと口を尖らせてそっぽを向くあやせ。
 しかし、俺の腕を抱く力が緩むことはなかった。
 いやいや何というか……すごく……可愛いです……。
 だがこの状況はよろしくないな。
 拗ねてしまったお姫様の機嫌を治さないといけない。
 悪いのは主に俺だが。
「…………あっ」
「……何ですか、間抜けな声を出して」
 不機嫌オーラを放出しつつも律儀に反応するあやせ。
「前髪?」
 抱かれてない方の手であやせの前髪に触れてみる。
 すると、一瞬目を見開いたあやせは不機嫌状態から一転して、急に照れ臭そうにもじもじし始めた。
「よっ、ようやくわかりました?」
 本当に僅かな変化だと思うが、ちょっぴりだけ前髪が短く切り揃えられている……気がする。
 どうしてそれが重要なのか、正直なところ俺にはよくわからんが。
 ……そういや、麻奈実も前髪をちょっと切り過ぎただけで学校来なかったりしたっけか。
 女の子にとっては、意外と重大なことなのかもしれない。
 大して身だしなみに気を使わない俺には、ちょっとわからない話だ。
 さわさわとあやせの前髪に触れて、頭を撫でる。
「うん、良い感じじゃね?」
 そのまま思ったことを口にすると、あやせはかぁっと顔を赤らめた。
「でも、どうしてそれを俺に?」
 恥ずかしいのか俯き気味になったあやせは、一瞬だけがっかりしたような表情をして小さな声でボソっと一言。
「……ですよね、やっぱり」
「何か言った?」
 ふるふると首を横に振るあやせ。
 それから改まり、僅かに頬を染め、上目遣い(←超かわいい)に俺を見る。
「えと……わたし、普段からよく自分で髪の長さを調節するんですよ。 それが今回はいつもより良い感じにカットできたので、その……」
 言葉に詰まり、視線を泳がせている。
 あえて俺は口を挟まずに、続きを待つ。
 息を呑む音が聴こえた。
 やがてあやせは、意を決したようにバッと顔を上げる。

「つ、つまりですね! わたしはっ、お兄さんにっ、褒めてもらいたかったんですっ!!」


 あやせの叫びが、人気のない公園に木霊した。
 しーん……と、もとより静かな公園に、さらなる静けさが訪れる。
 風による木々のざわめきがやけにうるさく感じられた。
「…………ぷっ」
「えっ……?」
「ぷふっ、はは、はははっ! あっははははは!!」
「な、なっ、何で笑うんですかっ! バ、バカにしてるんですかっ!?」
 突然笑い出す俺に戸惑うあやせ。 顔が真っ赤だ。
「ちが、違うんだって、あはははっ」
「お兄さんっ!」
 怒り顔になるあやせ。
 いやいや、考えてもみてくれ。
 ちょっと上手に前髪をカッティング出来たからって、たったそれだけのことを俺に見せたくて、褒めてほしかったって……?
 え、なにそれ?
 健気とかそんなレベルじゃねぇ……なんなのこの可愛い生き物?
 堪えきれない笑いを引きずりつつ、少し乱暴にあやせを撫でた。
「なんか、懐っこい犬みたいで可愛いなーって思ってさ」
「も、もうっ、それってやっぱりバカにしてますよね?」
「ははっ、そうかもな」
 すると、あやせはますます顔を赤くした。
「おっ、お兄さんのくせに生意気です! そんな意地悪するなら、また着信拒否しちゃいますよ!?」
 なんてことを宣い始めるあやせ。
 だが、そんな脅しをされたところで、痛くも痒くもない。
 何故なら“今”のあやせには、それをする我慢強さがないからだ。
 俺にはその確信がある。
 何といっても、そうさせてしまったのは俺自身だし。
 あやせの行動は、以前よりもずっとストレートになって、尚且つ底抜けに一途だからな。
 そんなあやせが、自分から連絡手段を断てるわけがない。
 ……あれ? 俺、こんな計算高かったっけ?
 まあ、なにはともあれ。
 あやせの発言が単なるハッタリであるのは明らかだ。
 ならば話は早い。
 俺は、努めて涼しげな表情であやせを見る。
「いいぜ? あやせがそれで満足するってんなら、いくらでもしてくれていい」
 あやせはその円らな瞳をますます丸くして「あれ、効いてない?」という感じで首を傾げた。
 続けて、事も無げに俺は言う。
 多少わざとらしさを残しつつ、あやせにしっかり伝わるように、
「あー寂しいなー、あやせと電話で話せないなんて辛いなー、悲しいなー、切なくなっちゃうなー」
 言いながら、ちらっとあやせを一瞥する。
 俺の意図するところに気付いたのか「しまった!」という表情を浮かべていた。


「んん? どうしたあやせ。 何かまずいことでもあるのか?」
「い、いえ、別に? そっ、それより、本当に着拒しちゃってもいいんですか?」
「改めて確認するまでもねぇ。 今ここですればいい」
「えっ、えぇっ!?」
 ……攻められてたのがどっちだったかわかったもんじゃないな。
 そんなことを考えつつ、挙動不審なあやせに追撃をかける。
「ほら、携帯出して」
 自身のポケットから携帯を取り出し、ヒラヒラとそれを見せつけて再度問いかける。
「……するんじゃないのか? “着信拒否”」
 あえて最後の単語を強調し、意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「うぅ……」
 あやせは言葉を詰まらせる。
「ほらほら」
「うぅぅっ……」
「するんだろ? 着信拒h」

「ああもぅーーっ!!!」

 あやせが咆哮を上げる。
 ちょ、調子に乗りすぎたか?
 とんでもない怒号が飛んでくるんじゃねぇかと身構えるも、それは意味を為さなかった。
「着拒なんてウソですっ! ウソったらウソですっ! そんなの耐えられませんっ! お兄さんとお喋りできないなんて、絶対にイヤですっ!!」
 あやせが、必死な様子で声を荒げている。
 ……正直、予想外の展開に若干ついていけてない俺。
 そんな俺をよそにあやせは続ける。
「わたしはどんな時だってお兄さんの声が聞きたいし、お兄さんと一緒に笑いたいし、お兄さんと気持ちを分かち合いたいんですっ!!」
 依然として抱き締められている俺の腕に、ギューッとしがみつくような力が加えられた。
「わた、わたしはっ、わたしは……おにいさんが……」
 徐々に勢いを失って、俯き気味になっていくあやせ。
 ぷるぷると肩を震わせ始めた。
 切り揃えられた前髪が垂れて、表情が伺い知れない。
「……」
 激しい自己嫌悪が俺を苛む。
 はぁ、と自嘲気味なため息が漏れてしまう。
 それから、隣で俯くあやせの頭をぐいっと抱き寄せて、
「悪かったよ……意地悪しすぎた」
 呟くように謝罪を述べた。
 素直に抱かれるあやせはキュッと、シャツの裾辺りを摘まみ返してくる。
 俺は、胸に預けられたその頭を撫でてそれに応えた。
「謝るから、泣かないでくれよ。 ……な?」
 僅かに間を置いて、ゆっくりと小さく頷くあやせ。
 小刻みに震えるその華奢な身体が、次第に落ち着きを取り戻す。
 俺たちは何を言うでもなく体を寄せ合い、噛み締めるように、お互いの存在を感じていた。

―――
――
 一体どれほどの間抱き合っていただろう。
 不意に、ぽつりとあやせが口を開く。
「……お兄さん」
「ん?」
「取り乱して、すいませんでした……」
「……こっちこそ、度が過ぎた。 すまん」
 くすりと笑うあやせ。
「わ、笑うなっての。 反省、してるんだよ」
「……じゃあ、飼い犬から忠告です」
「……はい?」

 ちゅっ

「あ……?」
 唇に触れた、温かい何か。
 俺がそれに気付くのに、数秒の時を要した。
「あや、せ?」
 真正面にいるあやせは、涙で濡らした頬を拭いながら、言葉を紡ぐ。

「わたしの牙を抜いたのも……手懐けたのも……全部、お兄さんだってこと、忘れないでください。 ……飼い犬は、あんまり苛めるものじゃないですよ?」

 それからあやせは――見れば誰もが見惚れてしまいそうな、いたずらっぽくも愛らしい魅力的な笑みを浮かべた。
 ……ああ、こいつには、一生頭が上がりそうにないなぁ。
 漠然と、そう感じた。
 俺は何も言えずに、ただあやせを抱き締める。
 その存在を繋ぎ止めていたくて、ずっと離したくなくて、ただ、俺の“もの”なのだと確かめたくて。
 ギュッと、腕に力を込めた。
 一言だけ胸の奥で呟いて、この愛しい少女に、口付けをした。

『このリードだけは、絶対に手放したくねぇなぁ……』

(おしまい)





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最終更新:2010年10月12日 21:57
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