9-465

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 暑い。ひたすらに暑い。空を仰ぎ見る。雲一つない快晴が、今日ばかりは恨めしい。
 夏休みも残り1週間あまりとなった、午後の駅前である。腕時計に目をやると、針は2時半を示していた。
「おせぇな、あの野郎」
 待ち合わせの時間に10分遅れた俺だが、そこからさらに20分待っている。何が哀しくてこのクソ暑い中、野郎を待って20分も突っ立ってなきゃならんのか。俺は我慢弱く落ち着きのない男なのだ。だんだんバカらしくなってきて、ああもう帰ってやろうかなどと思い始めた頃、
「よっ、お待たせ」
 爽やかなのか軽薄なのか判断しかねる声がした。俺の待ち合わせ相手……赤城である。
「なにがお待たせ、だ。殴ってやろうか」
「そう怒るなよ、高坂。いやぁ、ちょっと瀬菜ちゃんと話し込んじゃってよ、家出るのが遅れちまったんだわ。待たせて悪かったな」
 額から汗がつー、と流れるのを感じた。
「話し込んだって……何をだよ」
「ん? これからおまえんちに遊び行くこととか」
 最悪のパターンだった。こ、これだから嫌だったんだ……! 瀬菜が締まりのない顔でよだれ垂らしながらうへへへへと妄想に浸っている姿が容易に想像できる。休み明けに学校で顔を合わせるのが今から憂鬱になった。
 まあ、ここで瀬菜のことを気にしていても仕方ない。面倒事はさっさと済ませて、全て忘れてしまおう……それが一番だ。
「じゃ、行くか」
「おう」
 模試の判定がどうとか志望校がこうとか、曲りなりにも受験生らしくはある会話をかわしながら、俺達は駅から離れ歩いていく。
「なあ……あのさ、高坂」
「あん?」
「おまえのこと……今日から、“京介”って、呼ぶから」
「……突然どうした」
「だって、その方が……マブダチっぽいじゃん?」
 赤城は照れくさそうにしていたが正直言って気色悪いことこの上ない。だいたいマブダチってなんだよマブダチって。家に呼んだくらいで勘違いしてんじゃねぇよ。
「断固辞退する」
「なんだよ、照れてんのか高坂ぁ」
「ちげーよ! 殴っぞ!?」
 こんな俺達の様子は瀬菜から見たら初々しい恋人同士……って違うよ! ふざけんなちくしょう! ま、まさかとは思うが瀬菜のやつ、赤城の後を尾けてきたりしてないだろうな……。
 くそ……いったいなんでこんな思いしてまでコイツをウチまで連れてかなきゃなんねーんだよ……。
「よっしゃ、早いとこおまえんちまで案内してくれよー、京介」
「うおらァッ!」
「げふっ!?」
 とりあえず赤城を黙らせて……数日前の、桐乃とのやりとりを思い出す。
 わかるだろ? 俺が面倒事に巻き込まれる時、そこには決まって妹の影がチラついているのさ。



 麻奈実との図書館での勉強を終えて、帰宅した時のことだった。
「ねぇ、あんた友達いないの?」
「帰ってきて早々いきなりひでぇ言い草だなァてめえは!?」
 扉開けてリビング入った瞬間にこれだよ! ただいまって挨拶する暇もなくツッコミをせねばならない俺の心労をてめぇら理解してください。お願いだから。
 まあ……こういうのに、ある種の心地良さみたいなのを感じるのも事実ではあるけどな。い、言っとくけどマゾじゃないんだからね!
 桐乃の彼氏疑惑騒動も落ち着いて、ようやくいつもの日々が戻ってきたって感じなわけで、日常というものをこよなく愛す俺が、それを喜ばないわけがあるまい。そう、それだけだっての。
 桐乃は定位置のソファの上で両脚を抱えて体育座りしていた。どうでもいいが、脚線美を惜し気もなく晒すそのショートパンツ……太ももの付け根あたりに薄い桃色の何某かがチラチラと見えてるんですけど桐乃さん。
 いやどうでもいいんだけどね。
「俺にもなぁ、友達ぐらいいるっての。おまえだって知ってんだろうが。黒猫とか沙織とか……麻奈実とか」
「だからぁ……いっつもあたしらとつるんだり地味子とベタベタしてるじゃん、あんた。男友達っていないわけ?」
 麻奈実の名前を出したらいつもみたく不機嫌になるかと思ったが、特にそんなこともなく。なるほど、そういうことね。
「そりゃいるよ。おまえが知らないだけで、けっこう遊びに行ってたりするって」
「でも、うちに連れてきたりはしないじゃん」
 なんかやけに喰いついてきやがるなぁ。そもそもこいつ、なんで急に俺の友達のことなんて気にしてるんだ? まあここで質問に質問を返す形になってしまうと話がこじれそうな予感もあったので、素直に答えてやることにする。
「あのな、俺の部屋にダチ連れてきていったい何をやるんだよ」
 そりゃ女は集まってぺちゃくちゃ話してるだけでも楽しいのかもしれんが、男はそうではないのだ。まあゲームとかがあるなら別だろうが、生憎と俺の部屋にあるのは妹から押しつけられたエロゲーだけなのだった。
 と、俺は至極普通に答えただけだったのだが、何やら桐乃の様子がおかしい。目を見開いたかと思ったら、次の瞬間にはカァッと頬を紅潮させ、ぷいっと視線をそらした。
 まるで愛を告白された女の子が恥ずかしくてするような仕草である。可愛くはあるのだが、明らかに変だった。
「な……ナニって……」
「……? どうかしたのか、おまえ。熱でもあんのか?」
「な、なんでもないっ」
 まあうちの妹が変なのは今に始まったことではない。そして桐乃が変なことを言い出すと、決まって面倒事に巻き込まれるのだ。俺は諦観の境地で桐乃の言葉を待つことにした。
「……ね、ねぇ」
「なんだよ」
「……今度、あんたの友達……うちに連れてきなさいよ」



 とまあ、そんなわけである。ご理解いただけただろうか。
 気乗りしないというのが本音だった。
 これまで何度も言っているが、我が家の妹様は見てくれだけならそりゃもう可愛いのだ。あやせとさえ出逢っていなければ、この俺も桐乃マジ天使!みたいにアホなことを言い出していたかもしれない。ふん、そういうのは赤城のキャラだっつーの。
「へっへっへぇ。まさか高坂の家にお呼ばれされるなんてなぁ」
 そしてその赤城は、機嫌よさげに俺の横を歩いているのだった。赤城が俺の家に来るのは初めてなので、駅で待ち合わせて案内しているというわけだ。断じてデートの待ち合わせなどではなかったんだよ、アレは。
 友達を家に連れてこい、と命じられて俺が選んだのは、結局こいつ1人だったわけだ。複数連れてくるなんてのは最初から選択肢にない。繰り返すが、俺の妹は見てくれだけはマジ天使なのだ。後は言わなくてもわかるな?
 その点、病的シスコンである赤城ならそんなに心配する必要もないだろう。まあ仮に何かあったとしても、こいつだったら何の気兼ねもなく殴れるからね。
「なぁ高坂よ、今日っておまえの妹は家にいるわけ?」
 早速話を振ってきやがったよこいつ! 人様の妹に興味持ってんじゃねぇよこのシスコン野郎!? チッ、人選ミスったか……? とりあえず後で瀬菜に言いつけてやる。
「まあ、いると思うが……」
 そもそも桐乃が連れてこいって言ったんだから、その本人が家にいないわけがない。もちろんそのことは赤城には話してないがな。
 だってそんなの話したら絶対調子乗るじゃんこいつ。へっモテる男は辛いぜ、とか勘違いしちゃうに決まってるじゃんこいつ。俺だって無益な殺生はしたくないのだ。
「けっこう楽しみにしてんだよね、俺。おまえんちの妹ってかなりの美人らしいじゃん?」
「俺の妹に色目使いやがったらブッ殺すぞてめえ。それとも今死ぬか? ん?」
「……め、目がマジだぞ。落ち着け高坂」
 は? 落ち着いてるよ? 落ち着いてますよ? 俺はさァ、落ち着いてマジでブッ殺す気満々なンだよ、赤城くゥゥゥゥゥン!?
「安心しろ、家族への手紙は俺が書いてやる」
「書くなよ! っていうか何の手紙だよ!?」
「心配しなくてもおまえの死体はちゃんと山に埋めるから俺は捕まったりしねぇよ。なに、妹の親友がその道のプロでな」
「怖ぇーよ!? なんなの!? おまえの妹、ヤーさんの友達でもいんの!?」
 なんかいつもと役回りが逆な気がしないでもないが、気にしちゃいけない。
 ……ああ、そうだよ。わりぃかよ。御鏡の一件以来、俺のシスコンぶりは病的なまでに進行してるんだよちくしょうめ……!
 なんつーか……妹に俺以外の男が近付くってことに、過剰に反応しちまうっていうか。この間もあやせに電話で学校の男共の様子とか聞いてキモがられたし。あのニセ彼氏騒動が、俺が自分で思っている以上に堪えたってことなんだろうな……。
 そして、赤城は赤城で、顔は確かに爽やか系のイケメンなんだよね。中身はバカな上にシスコンの変態で、残念なイケメンを地でいくある意味稀有なキャラではあるのだが。いや待て、残念なイケメンって点では御鏡も同じだったな……。
 それにほら、例の、桐乃の恋愛対象になるっていう……3歳以上年上って条件にも当てはまるし。そりゃまあ俺が桐乃の3つ上なんだから、俺のダチも同じなのが普通――ま、まさか桐乃の奴……俺のダチから彼氏候補を見繕おうと……!?
「赤城、やっぱり殺していいか」
「なんでだよ!? 嫌に決まってんだろが!?」
 い、いやぁ……まさか、な……?



 そんなこんなで赤城と不快なやりとりをしているうちに、我が家に到着した。
「ほーう、ここがお前の家か」
「言っとくが俺の親父は警察官だ。妹のぱんつを盗みに入ろうとした日にはてめぇ、親父と一緒になってブッ殺してやっかんな」
「盗みの下見に来たんじゃねぇよ!? てか親父さん警察官なら殺しちゃマズいだろ!」
「いや、親父なら間違いなく殺すよ」
「なぁ、なんで俺は友達の家に呼ばれてこんな殺す殺すって脅されなきゃなんねーんだ……?」
 知るか。
「チッ……ちょっとここで待ってろ」
「だから、どうしてそんな不機嫌なんだよ……」
 赤城は無視して少し離れてから、桐乃に電話をかける。丁度ケータイを操作していたのか、ワンコールで出た。
『な、なに? どうしたの?』
「今、ダチ連れてきて家の前にいるんだけどよ」
『そ、それなら早く入んなさいよ』
「いや、それがな。今回連れてきたのが、夏コミの時におまえが仲良くなった子……瀬菜の兄貴なんだよ」
『えっ……』
 桐乃はやけに驚いた様子だった。やっぱりあらかじめ言っておいたほうがよかったか? 同じオタクである瀬菜はともかく、その兄である赤城について、桐乃の「世間体」をどう扱うべきなのか、確認しようと思ったんだが。
『……せなちーのお兄さんってことは……浩平、さん?』
 …………。
 ……浩平さん……だと……!?
 ま、待て……! な、な、なんだその親密そうな呼び方は……!? それ以前になぜ桐乃が奴の名前を知っている。俺ですら「赤城」で定着しすぎて下の名前忘れてたぐらいなのに!
 ま、まあ、名前ぐらいは瀬菜から聞いたのかもしれん。いやでも、浩平、さん……?
 下の名前じゃないと瀬菜と紛らわしいからだよな! な!
『……や、やっぱり……せなちーの言ってた通り……』
 桐乃が何やらもごもご言っていたが、俺はそれどころではなく妹の可愛らしい声もまったく耳に入ってこなかった。ダメだ……ありえんとは思っても、考えが悪い方向にしか行かん……! 無理やりにでも話を戻すしかねぇ!
「お、おまえの趣味のことは、話してもいいのか?」
 やっべ声どもった。どんだけ動揺してんだよ俺。
『ふぇっ!? え、え? あ、あー、その……い、一応、黙っておいて』
 おまえも動揺しすぎだろ桐乃! いったい何が起こった!?
「お、おう……わかった……」
 電話を切る。
 振り返ってみると、赤城の野郎はご近所さんの塀に寄りかかるように突っ立ちながら、暇そうにケータイを弄っていたが、俺が電話を終えたことに気付いたのか、馴れ馴れしくこちらに走り寄ってくる。
「よう、電話終わったか? いい加減家に上げてくれよ、暑くってさー」
「殴っていいか?」
「なんで!?」



 いよいよ本気で赤城を家に上げるのが嫌になってきた。
 とにかくこいつと桐乃を会わせたくない。かと言って桐乃に頼まれて連れてきた手前、ここで追い返すわけにもいかない。さっさと俺の部屋に通して、その後は一歩たりとも部屋から出さないようにするしかないだろう。
 だというのに。
「ただい……まッ!?」
「ん……おかえり」
 扉を開けて俺は驚愕した。玄関で桐乃が待ち構えていやがったからだ。
 しかも、いつものような部屋着ではない。薄いピンクの、フリフリした……ワンピースか、これは?
 活発なイメージのファッションでキメていることが多い桐乃だが、これはどちらかというと大人しい感じで、なんだろう、おしとやかな雰囲気である。かと思えばスカート丈がやたら短く、眩しい生足がなんとも挑発的だったりする。つまり抜群に可愛い。
 あれ? 俺の妹って天使だったの? いやマジで背中に翼を幻視するレベル。妹じゃなかったら押し倒しちゃう自信があるね!
 それでおまえ、なんでそんな……まるでデートにでも行くみたいな格好してるの?
「おい高坂ぁ、そこに突っ立ってられちゃ入れねェじゃんかよぉ」
 後ろのバカの声に、意識を現実に引き戻された。
 だ……ダメだ! ダメだダメだダメだ! こんな可愛い桐乃を俺以外の男に見せられるか! 惚れられでもしたらどうする!? ていうか惚れないほうがおかしいよ! だって桐乃可愛いんだもん! 超可愛いんだもん!
「ほら、あんた、邪魔になってるってば」
 しかし俺というバリケードは皮肉にも桐乃自身によって撤去されてしまった。いや軽く手を引かれただけなんですけどね。そんで引っ張った勢いのまま、桐乃は両腕で俺の腕をぎゅっと抱きしめた。
 なんか柔らかいものが当たってるんですけど桐乃さん。あ、すげーいい匂いする。香水でもつけてんのか? それになんか……軽く化粧もしてるような……マジでこれからどこに出かける気なんだ妹よ。
「おっと。じゃ、お邪魔しま~……うおっ!?」
 あ、ああ! 桐乃と赤城の接触を許してしまった……! 赤城の野郎、目ぇ見開いて桐乃をガン見してやがる……! おいてめえどこ見てやがる!? 足か!? 生足か!? ペロペロしたいとでも思ってやがるのか!? こ、この……変態! 変態! 変態!
「えっと……いらっしゃい。妹の桐乃です。兄がいつもお世話になってます」
 桐乃は俺にぴったりとくっついたまま、よそ行きの態度でぺこりと頭を下げた。
「あ、あー……いやー、こちらこそ。赤城浩平っす。よろしくっす。お邪魔しまっす」
 赤城は赤城で、やけに卑屈にぺこぺこしていやがる。見ようによっては好きな女の子の家に初めてお邪魔してド緊張しているクソ野郎の図に見えないこともなく、俺のイライラがマッハ。殴っていい? 殴っていいよね? てかもうさっさとあやせに連絡とったほうがよくね?
「ちょっと、兄貴?」
「ハッ」
 桐乃の声で再び現実に戻ってくる。気付けば桐乃はすでに俺から離れていた。
「お茶とお菓子はあたしが持ってくから、部屋に上げてあげたら?」
「な……なん……だと……?」
 思わず口に出しちまったよ! だ、だって……なんだよ、この態度は……!? こいつが猫被ってるのに今さら驚く気はないが、これはもう“よそ行き”を通り越してんぞ……?
「ほら、早く」
「お、おう」
 桐乃に促されて、俺は赤城を伴ってしょうがなく階段を上っていく。赤城はなにやらチラチラと振り返って桐乃を気にしているようだが……蹴り落としてやろうかこの野郎。今やると赤城が転げ落ちていった先で桐乃とぶつかってフラグが立ちかねないから自重するけどね。
 さり気なく振り返って、桐乃の様子を窺ってみると……桐乃は、熱のこもった視線を……赤城の背中に、向けているように見えた。



「やっべ! やっべぇな、おまえの妹! 予想よりずっと美人じゃねぇか!?」
 俺の部屋に入った途端、赤城が興奮気味に捲し立てた。うっせぇぞこの野郎。
「あ? なに、山に埋まりたいの赤城くん?」
「……なぁ。おまえ、妹と喧嘩してるんじゃなかったの?」
 おい待て、なんだその同志を見るような眼は。俺は確かにシスコンかもしれんが、お前ほどの変態にまで落ちぶれた気はないんだが。
「後で瀬菜に、『おまえの兄貴が俺の妹をげへげへとイヤらしく舐め回すようにして視姦していた』と伝えておいてやろう」
「おい待て捏造してんじゃねぇよ!?」
「うっせぇよこの変態! 人の妹の太ももガン見しやがって! ブッ殺すぞ!?」
「ガン見なんてしてねぇよ! チラッと見ただけだっつの!」
「見たんじゃねぇか!」
 この野郎そろそろマジで殴ってやろうかなどと思い始めた頃合い、とんとん、と控えめにノックの音が響いた。
「あの……お茶とお菓子、持ってきたけど……」
 桐乃だ。もうちょっとかかるかと思ったが、随分と早い。あらかじめ準備でもしていたのだろうか……そんだけ俺がダチを連れてくるのを待ちわびていたと? む、ムカムカする。ムカムカする!
 とりあえず、桐乃を外で立たせたままにするわけにもいかなかったので扉を開ける。桐乃はお盆の上に3人分の湯呑みと茶菓子を乗せて、小脇に座布団を抱えていた。
 めちゃくちゃ居座る気じゃないっすか桐乃さん! そんなに赤城が気になるの!? 普段俺のことは全然気にしてくれないのに! ジェラシィィィィィイイイイイィィィイイイイィイイイイイイイイイイイイイ!!
「そこに突っ立ってられると入れないんだけど」
「お、おう、すまん」
 ヘタレ! 俺のヘタレ! 今のはお盆だけもらって桐乃は追い返すべきだったよねチクショウ!
 まんまと俺の部屋に侵入した桐乃は、「どうぞ」と、うやうやしく言いながら赤城の前に湯呑みを置いて、自らはその対面に座布団を敷いて女の子座りで陣取った。
 俺としてはもちろん赤城と桐乃の間に入ってやりたかったね! 赤城が桐乃を見るのも、桐乃が赤城を見るのも我慢ならん!
 しかしもちろんそんなことが出来るわけもなく、ちょうど俺達3人で三角形になるような位置に胡座をかいて腰を下ろす。
 桐乃と赤城は互いに相手をチラチラと見ながら意識している様子だった。ふざけんなオラァ! な、なんなの? なんなのこのイジメ? お兄ちゃん泣くよ? 泣いちゃうよ?
「あの……」
 桐乃が口を開いた。相手は俺……ではなく赤城である。妹の超かわゆい声が赤城の耳に入っているのだと思うと我慢できない……! あ、あ、頭がフットーしそうだよぉっ!(←怒りで)
「おう、なんだい桐乃ちゃん」
 き、桐乃ちゃん!? 桐乃ちゃんって言ったおまえ!? て、てめぇ赤城、き、気安く桐乃の名前を呼びやがって……! 桐乃の前だから抑えてるけどなぁ……後でブッ殺してやっかんなこの野郎……ッ!
「えっと……その、浩平さんは」
 桐乃もさぁ、浩平さんとか言うのやめろよ! いやマジでやめて! キモい、キモいから!
 だ、ダメだ……こんな風にいちいちツッコミを入れていたら俺の身が持たんし話も進まん……無に、心を無にするんだ。そしてもっとピンポイントにツッコめ、高坂京介……!
「浩平さんは、兄とは仲が良いんですか?」
「おっ? 良いよー、超仲良いよー。マブダチってやつ? なー高坂!」
「触んじゃねぇよてめぇ!」
 赤城が馴れ馴れしく俺の肩に腕をまわしてきやがったので、当然振り払ったね。もう今日の俺と赤城は敵だから。とことん敵だから。気安く触ってくんじゃねぇよ。
「な……なっ……!?」
 そして桐乃はなんか知らんが驚いてた。なにか驚くようなことがあったか、今?
「……っ……!」
 桐乃はさっきと同じ、やたら熱のこもっているような視線を赤城に向けた後……どういうわけか、俺の真横に寄ってきた。寄ってきたというよりこれはもう寄り添うって感じだ。ぴっとりくっついて、一分の隙間もない。桐乃の手が、俺の服をぎゅっと握っている。
「桐乃……?」
「…………」
 桐乃は答えない。な、なんなんだ……? ま、まさか赤城に直接見られるのが恥ずかしくて俺の陰に隠れるとか、そういうのか? ぐっ……俺は壁とか電柱とか、そういう扱いってことかよ……!
「なんだ、やっぱり仲良いんじゃねぇかよ高坂。妬けるねぇ、ひゅーひゅー」
 何を勘違いしたのか赤城が下手な口笛吹いて囃し立ててくる。心底うぜぇ。
「や、や、妬く……って……!? や、やっぱり……!」
 桐乃は桐乃でぶつぶつとよくわからんことを言っている。
 なんなんだ、いったい……。



 赤城は1時間もしたところで帰ることになった。そもそも今さらこいつと改まって話すようなことなんてねーもん。外に遊びに出てるならまだしも……それになんでか妹が同席してたからさ、ほら、男同士の話ってのはできないじゃん?
 しかし長い1時間であった。この1時間で俺がどれほど消耗したのか察していただきたい。
 いや、実を言うとな? 赤城のほうはそんなに桐乃を気にしてる風でもなかったんだよ。まあ、たまに太ももとか胸とかにエロい視線飛ばしてたのは見逃さなかったけどな! 今度会った時にブッ殺すから覚悟しとけこの野郎。
 とにかく、気にしてないっていうか気にしてなさすぎっていうか……あの野郎、うっかりこの間アキバのアダルトデパートに一緒に行ったって話をぽろりと口にしちゃうところだっからな。
 寸でのところで殴って阻止したけど。女の子の前でなんつー話をしようとしてやがるんだアホめ。
 問題は桐乃のほうだ。桐乃が隠し事にとことん向かないタイプだというのはこの1年で俺も知ってはいたが、それにしてもあからさまに赤城を意識していた、ように思う。
 俺と赤城が何かしら言葉をかわすたびにびくって反応するし、時たまなんでもないようなところで顔を赤くしたり……正直言って意味がわからん。
 ちょっとは妹のことがわかるようになったんじゃないかという自負もあったのだが、実際は全然そんなことなかったんだな、と軽く凹んだ。
 何より気になるのは、桐乃が時折赤城に向けていた、あの視線だ。強い熱のこもった……まるで、恋する乙女が好きな男に向けているかのような。
 桐乃は今まさに、その視線を赤城に向けていた。赤城の帰りを見送りに外まで出てきて……相変わらず俺にぴったりくっつきながら、桐乃は小さくなっていく赤城の背中を、ほとんど睨みつけるぐらいの勢いで見続けていた。
 桐乃……おまえ、まさか本気で赤城のことを……?
「ねぇ」
「な、なんだ」
「……あたしの部屋に、来て」



 桐乃の部屋に入るのも、すっかり慣れてしまった。いつものように、桐乃はベッドに腰掛け、俺は座布団の上に正座で座っている。
 いったい何を言われ……いや、訊かれるのだろう。赤城の趣味とか、誕生日とか、そういうことか?
 桐乃は……ひでぇ妹だ。だって、おまえ……ついこの間、あんなことがあったばかりじゃねぇか。俺、言ったよな? 俺は、妹が心配なんだって。心配で心配でしょうがないんだって。妹を、他の男に取られるのが嫌で嫌でたまらないんだって。
 俺の気持ちを知ってて、そういうことを、さ……ひでぇじゃなぇか。ひでぇよ。この妹様は、本当に――
「あんた……その、えっと……ホモ、なの?」
 俺が思ってたよりよっぽど酷かったよ!?
「な、なっ……ちょ、おま、いきなり何言い出してんの!? 意味わかんねーんだけど!?」
「し、しらばっくれんな! あんた、浩平さんと付き合……突き合ってんでしょ!?」
 おいなぜ今言い直した!? 字が違うよね! それ多分字が違ってるよねぇ!?
 って、ちょっと待て。じゃあ何か? 桐乃が赤城の野郎をやたら気にしていたのは……お、俺の交際相手だと、思い込んでいたからだってのか……!? な、なんだよそりゃ。なんだよそりゃあ!
 俺がヤキモキしてたのはなんだったんだよ! 純粋な兄心を弄びやがって……!
 ふ、ふざけんなよ……!? 俺の妹がこんなに腐女子なわけがない! 元凶は……元凶はどこのどいつだ!? 訊くまでもなく思いっきり心当たりあるけどな!
「おい、桐乃……俺と赤城が付き……だなんて妄言、どっから出てきやがった」
「そ、それはっ……せなちーが……」
 やっぱりか! やっぱりか瀬菜ぁぁぁぁぁぁぁ! なに人様の可愛い妹に腐った思考を植え付けてくれやがってんだあのアマは……!? た、ただじゃ済まさねぇぞ……!
 決めた! もう決めた! 瀬菜とのHシーンは凌辱ルートで決まり! 決定! はい決定! 覚えてやがれよチクショウ……ッ!
「……で、ど、どうなの? ホモなの?」
「ちげぇよ! んなわけねぇだろうが!?」
「で、でも……なんか、すごく仲良さそうだったし……肩とか組んで……」
「俺は嫌がってたじゃん!」
「ツンデレなのかな、って……さ、誘い受けってやつ?」
 な、なんなの? この妹はいったいなんなの? 俺をホモに仕立て上げたいの? 冗談じゃねぇよ!?
「桐乃ぉ!」
「ひゃっ!?」
 俺は立ちあがって桐乃の両肩を掴んだ。赤城はどうだか知らんが、俺は妹にホモだなんて誤解されたくねぇんだよ! こうなったらなりふり構ってる場合じゃねぇ!
 毎度恒例になりつつあるが、俺は勢い任せに胸の内を吐き出していく。
「桐乃、俺はな! 麻奈実のやつ最近胸でかくなったよなぁとかそんなことには目ざとく気付くし、黒猫に先輩って呼ばれるのはなんかくすぐったい感じで嬉しいし、
沙織の素顔には宇宙の神秘を感じるぐらい見惚れちまったし、瀬菜はおっぱいでけぇし、あやせには会うたびセクハラしてるし、俺はそういう変態なんだよ!
だから! 断じて俺はホモなんかじゃねぇ! わかったかあああぁぁぁぁぁっ!!」


「…………」
 桐乃は目を真ん丸くして、口をあんぐり開けたまま呆然としている。
 ……なんかだいぶアレなことを口走ってしまった気がするが……ホモだと思われるよりかは変態と罵られたほうが幾分かマシなはずである。うん。
 しばらくそうしていると、桐乃がわなわなと肩を震わせ始めた。俺を見上げて(いつの間にか涙目になってる)、上目遣いでキッと睨みつけてくる。
「あ……あたしは!?」
「……は?」
「あたしが入ってない!」
 いきなり何を言い出してんだこいつは……?
「…………証明、して」
「な、なに?」
「口だったら、何とでも言えるもん。あんたがホモじゃないっていうなら……証明してみなさいよ」
「ど、どうやって?」
「~~ッ! だ、だから! あ、あ、あ、あたしに、その……えっちいことして、ホモじゃないって証明しろって言ってんの!」
 こいつ無茶苦茶言い出しやがった!? そ、そんなの……!
「で、出来るわけねぇだろうが!? おまっ、自分が何言ってるかわかってんのか!?」
「出来ないんだ? あたしみたいな超かわゆい女の子に手を出せないとか、や、やっぱりホモなんじゃん! そんなに男の身体のほうがいいんだ!?」
「ちげぇよ! こ、このバカ……ッ!」
 あまりにもあんまりな物言いに、俺はつい頭に血が上っちまって……両肩を掴んだままだった桐乃を――
「きゃっ……」
 ベッドの上に、押し倒してしまっていた。
 ふと思い出すのは、一年前の夏のことだ。確かあれは、俺があやせと初めて会った日で……その時も、こんな風になっちまって……いや、事故だったけど。あの時俺は、事故、事故ではあるんだが、桐乃の胸を――
「んっ……」
「あ……わ、わりぃ!」
 俺は桐乃の胸の上に置いていた右手を、慌てて引っ込めた。お、俺は、今、何を……?
 右手はどかしても、それ以上は身体が動かなかった。桐乃に覆いかぶさるような格好のまま、互いに見つめ合う。
 いつも居丈高で、尊大で、超偉そうな俺の妹が、驚くほどに儚く、弱々しく見える。そうさせているのは、他ならない俺だった。
 やがて、桐乃が口を開いた。
「……いい、よ。触っても……」



 兄にとって妹の胸など、胸のうちには数えられないのだ。逆に言えば、妹の胸をいくら触ったところで、兄にとってそれは、胸を触ったことにはならないのだ。ノーカンなのだ。つまりいくら触ってもいいのだ。
 そんな言い訳が通用するかは甚だ疑問だが、それでも縋りたくはあった。
 服越しにそっと触れた桐乃の胸は、一言で言うなら……ふにゃん、という感じだった。わかるか? わっかんねぇかなぁ? つまりだな、すごく柔らかい。服越しでこんだけ柔らかいって、直に触ったらどんだけなんだよ。ゴクリと喉が鳴った。
「んっ……も、もうちょっと強くしても……」
「こう、か?」
「ひぅ……ん、は、その、ぐらい……」
 普段聴くことのないような声が、桐乃の口から洩れてくる。妹相手に俺は何をやってるんだ、と頭の中の冷静な部分が叫んでいたが、桐乃の胸を揉む右手の動きは止まらず、それどころか左手までもが行軍を始めてしまう。行軍というよりもはや侵略であった。ゲソゲソ。
 妹の部屋で、妹をベッドに押し倒して、妹の胸を両手で揉んでいる兄。これなんてエロゲ? 押し倒すところまでは事故だったかもしれないが、胸揉んでるのは曲りなりにも自分の意志だというあたりタチが悪い。1年前とは違う。違うといえば――
「ど、どう?」
「……何がだよ」
「あ、あたしの……んっ……おっぱい」
 お、おっぱ……おっぱいっておまえ。
「……1年前とは違うな。大きくなった?」
 いや、あんまり覚えてねーけどさ。でもなんか、ボリューム増してるような気がする。服越しだからかもしれんけど。まあ成長期なんだろうし育っててもおかしくはないよな。
「……変態」
 桐乃はほとんど聞こえないくらいの小さな声で、恥ずかしそうに呟いてから、ぷいっと横を向いた。やけに可愛い反応で胸が高鳴る。マジで何やってんだろうね、俺。
「……そうだよ。変態だよ。シスコンだよ。わりぃかよ。でもさぁ、わかっただろ? 妹のおっぱい揉んでるような奴がホモなわけ……」
「じゃあ、バイ?」
「なんでそうなる!?」
「いたっ」
「あっ、す、すまん」
 つい力を入れてしまった。くっ……こいつはそんなにまでして俺と赤城をくっつけたいのかよ……瀬菜からどんだけ汚染を受けてるんだ。腐り始めている桐乃の脳を浄化してやらなければならない。手遅れになる前に。
 腐ってんのはおまえの頭で(BL的な意味ではなく)、手遅れなのもおまえだろってツッコミは一切無用だ。そんなの俺が一番わかってる。


「桐乃」
「んっ、は……な、に」
「明日も揉んでいいか」
「ん、ん……っ、いいよ」
 えっ、いいの? ていうかすごくあっさりっすね!
 いや、なんかすげー肩透かし喰らった感じなんだけど、このままだと本気でただの変態なので一応説明する。
「あのな桐乃。俺はホモじゃねぇしバイでもない。女の子が好きだ」
「ぅん……うん」
「だからその証明として明日も……いや、毎日だ。毎日おまえのおっぱいを揉む」
 あれ、説明しても本気でただの変態だった。
「はぁ、ん……いいよ」
 えっ、いいの? マジで? 殴ったり蹴ったりしてくれてもいいのよ。そしたら俺も正気に戻れると思うんだけど。ていうか殴ってくれ。蹴ってくれ。頼むから。マゾじゃねーよ!
「はぁっ、ぅ……あたしが、毎日、んっ、チェックして、あげる。兄貴が、は、ぁ、妹の……んっ、女の子の、からだで、興奮するっ、ひ、あっ! へ、変態だって、こと」
 途切れ途切れの桐乃の言葉は、なんというかもう無茶苦茶だった。お互い、この異常な状況の空気にアテられて頭がイカレてしまっているのだろう。そうに違いなかった。
「ふ、ぅ、毎日、女の子だけ……あっ、あたしだけ、に、ひぃんっ! あ、はぁ、んっ、えっちな、こと、っう、ん、して、くれたら、バイでも、んぁ、あ、ホモでも、ないって……ん、はぅん……信じて、あげる」
 これが妹もののエロゲーだったら、「あたしに夢中になって、あたしだけを見て」って感じの台詞になるのだろうか。
 もちろん桐乃の言葉にそんな意図はないだろうが、しかし俺はすでに桐乃のおっぱいに夢中だったし、真っ赤になって喘ぐ、桐乃の色っぽい表情しか見えていなかった。
「なぁ、桐乃」
「ん……なぁに」
「キスしてもいいか」
 兄にとって妹とのキスなど、キスのうちには数えられないのだ。逆に言えば、妹といくらキスしたところで、兄にとってそれは、キスしたことにはならないのだ。ノーカンなのだ。つまりいくらキスしてもいいのだ。
 だから、俺は、桐乃に……たくさんキスしたい。
 これから先、桐乃に出来るかもしれない……彼氏や旦那が、一生かかってもできないくらい……たくさん、キスしたい。
 馬鹿な独占欲だった。
「……いいよ」
 桐乃は、やはりあっさりと言ってのけた。
「たくさん、して。いっぱい、いっぱい、して」



 すっかり忘れていたが、俺のファーストキスは小学校低学年の頃であった。相手は当時まだ幼稚園児だった桐乃である。
 その頃の俺達は……まあ、普通に仲の良い兄妹だった、と思う。正直言って、あんまり覚えていない。
 多分さ、お兄ちゃん大好きーとかお兄ちゃんのお嫁さんになるーとか、どこの家庭にでもありそうなイベントが俺達の間にもあったんだろうよ。信じられないね、まったく。
 そういう、ガキ同士の意味もわかってないお遊びなんて、それこそノーカンだし……その後、俺達の兄妹関係は一度白紙になっちまった。
 何がきっかけだったかは今となっちゃ覚えてないが……つい1年ほど前までずっと続いていた、互いを兄妹とも思わず無関心を決め込む冷戦状態。
 そこでリセットされてるんだよ、俺達は。
 そして今、こうなっている。
「ん、ふ……」
 十数年ぶりのファーストキスは、甘かった。脳を蕩けさせる甘さだ。これが桐乃の味なのだとしたら、恐ろしいことではないか。桐乃に口付けた男は皆、桐乃狂いになってしまう。
 待っているのは破滅だ――ならば俺が己の身を犠牲にしてでも、世界を守らなければならない。
 要するに桐乃にキスしていい男は世界で俺一人だけだということだった。
 叶うことならずっと唇を触れ合わさせていたかったが、名残り惜しくも一度離れる。呼吸ばかりはどうにもならなくて、お互いに「っはぁ」と一息ついた。
 頬を上気させた桐乃が、人差し指をそっと自らの唇に触れさせた。
「あにきの唇……なんか、すっぱかった」
「す、すっぱい……?」
「うん。梅干し、みたいな」
「梅干し……」
 すっぱいって。梅干しって。いや、なんか甘いっていうのと比べて色気がなさすぎじゃないっすか桐乃さん。えー……俺の唇梅干し味なの。ちょっとショックなんだが。などと俺がショボーン(´・ω・`)としていると、
「うん……なんかね、梅干し食べるとさ、ん~~!ってなるでしょ。あれをすごく強くしたみたいな……頭のてっぺんから、爪先までびりびりって痺れるみたいな感じで……」
 桐乃は潤んだ瞳で俺を見上げながら、
「……狂っちゃいそう」
 もっと狂わせて、と。そう囁いた。
 ベッドと桐乃の背の間に手を差し込んで、華奢な身体を抱き起こした。抱き寄せる勢いのまま、今度は俺がベッドの上に横になる。さっきまでとは逆に、桐乃が俺を押し倒して馬乗りになっているかのような格好だ。
 桐乃が最初に俺のところに「人生相談」を持ちかけてきた時のことを思い出す。あの時と決定的に違うのは、俺の両手は桐乃の背中に回されていて、俺達の身体は隙間なくぴっとりとくっついていることだ。


「あ、あたしが上になった方が、いいんだ……? 変態」
「バカ、こうしねぇとくっつけねぇだろ。俺がのしかかったらおまえ、けっこう辛いと思うよ?」
「う……か、考えてるじゃん」
 軽口を叩き合った後、再び桐乃の唇に口付ける。片手を後頭部に回して、逃げられないようにする。まあ元々逃げる気もねぇんだろうけどよ。こういうのは気分だ、気分。
「んっ、ぁ……」
 桐乃の唇は、やっぱり甘かった。本当は味なんて無いのかもしれない。そもそも味を感じるのは舌であって、俺達はただ唇を触れ合わせているだけだ。
 単なる錯覚……いや、桐乃とキスをするという行為そのものに「甘さ」を感じているのだろうか。
 また息苦しくなってきて、唇を離す。呼吸という行為をこれほど億劫に感じる日が来るとは思わなかった。
「やっぱり梅干しだ……」
「まだ言うか!」
「だって……ツバ、たくさん出てくるんだもん……」
 桐乃が恥ずかしそうに言った。いや、そりゃ梅干し見るとツバ出てくるとは言うけどね? それはなんか違くね?
「なぁ桐乃。おまえのツバ飲んでいい?」
「へ、変態っ!」
 さっきまではおっぱい揉みたいとかキスしたいとか言っても「いいよ」って即答だったのに! なんでおっぱいとキスはよくてツバ飲むのは駄目なんだよ……わからん。全然わからん。
 もう無理やり飲んでやるよちくしょう、というわけで不意打ち気味に3度目のキス。
「んむっ!?」
 さすがに今度は逃げようとする桐乃だったが、生憎と俺の右手が桐乃の形のいい頭をがっちりと捕まえている。こういうのを無駄な抵抗って言うんだよ……!
 舌を伸ばして、固く閉じられた桐乃の唇をつんつんと突っつく。抵抗していたわりにあっさり突破できてしまった。機を逃すまいと、一気に突入する。
「ん、んっ……ふぁ……んぅ……!」
 桐乃の口内は、まさに文字通り別世界だった。温度が全然違う。すげー熱い。その熱が舌伝いに伝染してきて、俺の頭はますますイカレていく。
 まず歯を舐める。
「んふぅっ!」
 歯茎を舐める。
「やっ、んあ……」
 舌を絡める。
「ふ、んはっ……ひゃぃ、や、ん……ぅあ……」
 舌で桐乃の口の中に溜まった唾液を掻き集めるようにして、出し入れする。
「んっ、んっ、んっ、んんっ!」
 何度も、何度も。桐乃の唾液が俺の口に移り、それを喉奥に流し込み、また桐乃の口内から唾液を掻き集め……ひたすらそれを繰り返す。
 妹のツバを飲むという行為に没頭し、興奮している俺を変態だと思うか? 違うね。仮に変態だとしても、変態という名のシスコンだ!


 ようやく唇が離れた頃には、俺も桐乃も唾液で口の周りがベタベタだった。息が荒くなっているのはお互い様だったが、俺にはいつもキツい目線ばかりくれやがる桐乃の瞳が、今はとろんとして……端的に言うなら、すごく……色っぽい。
「……ばか……へんたい……あ、あんなこと、されて……」
 桐乃は俺の上で脱力したまま、ぷるぷると身体を震わせて言った。
「あたし、もう……およめ、いけない……」
「ブッ」
 随分とまあ可愛らしいことを言い出したので、思わず噴き出してしまった。当然桐乃には睨まれたが、顔の赤みは全然抜けてないし目尻も下がったままなので、全然恐くないというか、むしろ可愛い。
「へっ、どうせ嫁になんてやらねぇんだから関係ないね」
「……ばか」
 さすがに俺でも今の「ばか」が照れ隠しなのはわかる。ここらでちょっと俺の意思を表明してやろうと、横を向いてしまった桐乃の耳元に口を寄せた。
「いいか、桐乃。俺はもう引き下がらねぇぞ。ていうか、ここまでやって引き下がれるか」
「……こ、ここまでって。まだ、おっぱい揉んで……キスした、だけじゃん……」
「う、うるせぇ。とにかくだ、桐乃、おまえは……」
 言ってしまって、いいのだろうか。
 俺は、桐乃のことが大事だ。桐乃に、幸せになってほしい。だけど、俺の言葉は……桐乃の人生を、幸せを、壊してしまうんじゃないのか。
 それでも、もう俺は……桐乃に幸せになってほしいんじゃなく、“俺が”、桐乃を幸せにしてやりたいと、そう思うようになっていたから。
 だから、言ってしまった。
「おまえは、俺のモンだ」
「…………」
「もう一度言うぞ。おまえは、俺のモンだ。だから俺はこれから毎日おまえのおっぱい揉むし、キスするし、ツバを飲むし……きっと、それ以上のこともする。わかったか?」
「…………」
「それが嫌なら……彼氏を見つけろよ。俺なんかよりずっと、おまえのことを大切にしてやれる彼氏をよ。俺がぐうの音も言えないぐらいの奴を連れてこい。それで、俺を認めさせてみせろ」
 そんな奴いるわけないけどな。いるとしたらウチの親父ぐらいじゃねぇの? まあ親父が親バカ極まって娘に手を出すような変態になったら俺は桐乃を連れて家出して田村さんちの子供になるけどね。
 ん、なに? おまえが言うな? アーアーキコエナーイ。
「……ずるい」
 桐乃が、弱々しく言った。
「……ずるいよ、そんなの」
ずるいって、なにが。そう訊くより先に、桐乃が答えた。
「……兄貴以上に、あたしのこと大切にしてくれる人なんて……いるわけ、ないじゃん」
 今度は桐乃からの、4度目のキス。



「あたし、別に兄貴がホモだったとしても、それはそれでよかったんだよね」
「よくねぇよ!?」
 もうどのくらいちゅっちゅしてたのかわからんが、その合間の小休止で桐乃がいきなりそんなことを言い出したものだから、俺達の間に漂っていたはずの甘々ラブラブオーラは一瞬のうちに消し飛んでしまった。
 おい桐乃、ムードってもんを考えろよ。
「もう、いちいち口挟まないでちゃんと最後まで聞けっての」
 挟むなってほうが無理だっつうの! ま、まったく、こいつは……。
「せなちーから……兄貴と、浩平さんが付き合……突き合ってるんだって話を聞いて……」
 だから言い直すなって。
「あたし、安心しちゃったんだ。兄貴があたしを見てくれないのは……あたしがどうこう、じゃなくて。兄貴が女の子に興味ないだけなんだ、って。そういう逃げ場所を作ってた」
 どんな論理だよそれは。ていうかそもそも妹なんだから、ホモとか関係なく普通は……いやまあ、もう普通ではなくなっちまったけど。
「それに、ざまぁみろって気持ちもあって。あの地味子とか、黒いのとかに……妹だからって女の子として見てもらえないあたしの気持ちを味わえー、って。兄貴はホモだからあんたたちもそういう対象にはならないんだよバーカバーカ、って」
 桐乃の言葉はどこまでも恨みがましさに満ち満ちていた。俺と桐乃は今こうなってるのに、まるでそれをすっかり忘れてしまっているかのような物言いが、俺の心臓にぐさぐさと突き刺さるようだった。
 ずっと桐乃を悲しませてた報いだと思って、甘んじて受ける。
「でも、兄貴が好きな人がどんな人なのか、気になって……ウチに連れてきてもらうことになってさ。そしたらやっぱ、ふざけんなって気持ちになってきちゃって……」
「それで、そんな可愛い服着て迎撃態勢取ってたってわけかよ」
 こくん、と桐乃は頷いた。
「兄貴にはあたしがいるんだから、近寄んな、って……せなちーには悪いと思ったけど」
 なるほど。つまり桐乃が時折赤城に向けていた熱烈視線は、恋慕などではなく敵意剥き出しのものだったと……。
「いっそブッ殺してやろうかってぐらいの気持ちで睨んだりしてたけど、全然気付かれてなかったなー」
 敵意どころか殺意だった! おまえどんだけ俺のこと好きなんだよ! いや嬉しいけども!
 はぁ、と溜息ついて、俺の上でだらーんとしている桐乃の頭の上にぽん、と手を置いて、撫でてやる。
「バカだな、おまえは」
「……うん、バカだよ。兄貴のことになるとね」
 イタズラっぽい笑顔。ぐっ……可愛いじゃねぇか。
「鏡の前で笑顔の練習しても、兄貴の前じゃ全然笑えなかったり……エロゲやってて、こんな風に可愛くなれたら兄貴も見てくれるのかなって悩んだり……なんかもう、すっごいバカだよね。そんだけ兄貴のこと、好きってこと、なんだけど」
 な、なんか急に恥ずかしくなってきたぞ……。でも、なんか、安心した。今、初めて……直接、好きって言ってもらえた。うへへ。そっかそっか。好きなのか、俺のこと。うへへへへぇ。
「なぁ桐乃。おまえ、俺のどこがそんなに好きなんだよ」
「はぁ?」
 あれっ。なんか予想外に冷たい声が返ってきたんだけど。おやぁ? 俺ってばまた、調子乗ってキモい質問をしてしまったのか……?
「……まったく。前に言ったじゃん。覚えてないの?」
 呆れたように桐乃が言った。質問自体に怒ったわけではなかったようだ……って、前? なんかあったっけ? 本気で思い出せないんだが……これはまずいのでは。
「す、すまん」
「ったく、しょうがないな。じゃ、もっかいだけ言ってあげる」
 桐乃は一度深呼吸して息を整え、俺の眼を、まっすぐに見つめて――
「……優しいところと、頼りになるところ。それと……」
「あっ」
「あたしのこと、めちゃくちゃ好きなとこ」
 桐乃ははにかんで、俺の頬にそっと唇を寄せた。



(了)



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最終更新:2010年11月18日 22:33
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