9-727


「なにを躊躇してるの?さっさと入りなさいな。」
そう促す黒猫を前に、俺はただ立ち尽くすしかなかった。
「すまん、勘違いならそう言って欲しいんだが、ここって、お前の家だよな?」
「ええ、そうよ。それがなにか?」
ああ、桐乃がいる俺の家で話をするより、黒猫の家で話をしたほうがいいのは分かる。
ただ、それなら別にさっきの店から移動する必要なんてなかったような気もする。
それに、ここでやるにしても、当然沙織も呼んだ方がいい。少なくとも俺たち二人だけで妙案が出るとは思えない。
「気後れする必要は無いわ。今日は両親妹含め誰もいないから。」
「なあ、沙織も呼んだ方がいいんじゃないのか?」
俺が沙織の名前を出すと黒猫は一瞬たじろぎ、目を泳がせる。そして、何度も何かを言おうとして、
でも言葉にならなくて、俯いてしまう。
あの同人ゲームのプレゼンのときもそうだった。そんな黒猫を見ているといつも胸が苦しくなってしまう。
――同情?いや、違う気がする。もっと、こう…なんだろうな、言葉に出来ないな。
「ああ、分かったよ。」
俺はできるだけ明るく答え、黒猫のあとに続いた。

廊下は薄暗く、響くのは黒猫と俺の足音のみだった。本当に誰もいないのか…。
にしても、随分と古い家だな。築数十年は経ってるだろこれ。
「ここよ。ここが私の部屋」
通された部屋は、いつもゴスロリで着飾ってる黒猫に似つかわしくない和風の部屋だった。
畳みの敷かれた上には小さな机。奥には大きな姿見が見える。
「待って、今、カーテンを開けるわ…」
黒猫がカーテンを開けると、たちまち部屋は夕日の朱色に染まる。黄昏に浮かぶその少女は、
まるであの世とこの世の境にいるような、そんな儚い印象を受ける。
「どうしたの?そんなところで立ってないで、入って頂戴。」
「ん…あ、ああ。」
黒猫の声で我に返り、そっと彼女の部屋へ足を踏み入れる。よく整頓された室内。
そして、部屋の片隅にかけてある場違いなゴスロリ衣装に、俺はついつい頬が緩んでしまう。
――と先ほどの机の上にある小冊子が目に留まった。

「黒猫、それって…」
「え?ああ、あれね…」
そう言って黒猫はその本を手にとる。
「見ての通り、桐乃の書いた小説よ。あの日はこれの批判もみっちりしてやるつもりだったのだけど…」
そうだったのか…。ほんの数日前のことなのに、二人が楽しそうに罵倒し合っていたのが、遠い昔のように感じる。
なんでこんなことになってしまったのかな。
「ねえ、先輩。」
本に目を落としたまま、ゆっくりと黒猫が言葉を紡ぐ。
「私は、あなたのことが好きよ……」
「ずっとずっと、そう、あの出版社の一件からずっと…」
そこで一度言葉をとぎらせ、そしてこちらを真っ直ぐに見据えて、俺に問う。
「その……あなたは…どうかしら?」
黒猫の顔を夕日が赤く染める。いや、赤く染めてのは夕日だけじゃないだろう。
何も言うことができない俺をみて、黒猫の顔に不安の表情が現れる。そしてまた俯き、その小さな肩が小刻みに
震え始める。いや、違うんだ!俺は…お前のことが――
「黒猫!」
その小さな肩を抱き寄せる。強く、強く、彼女のなかに生まれる不安を押しのけるように強く抱き締める。
「好きだ。俺だって好きだよ黒猫」
息を呑む彼女は、大きく見開かれたその瞳は潤み、そしてボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
まるで、子供のようにボロボロと。
「先輩!好きよ。もうどうしようも無いくらい。でも…でも、桐乃が!あの子があんなになってしまうなんて…
 私どうしたら…どうしたらいいのよ……ねぇどうしたら…」
黒猫…。俺が桐乃の傍から離れられない間も、ずっと一人で苦しんでいたんだな。
なんで気づいてやれなかったんだろう。こいつはどんなに苦しんでいても、決して人に悩みを打ち明けるタイプじゃない。
だから、ずっと一人で悩んで、苦しんで…。
だから、俺は受け止めてやるさ。いくらでも。いくらでも受け止めてやりたいんだ。

どれぐらいの時間がたったのだろう。
ひとしきり泣き止むと黒猫は、俺の胸から顔を離した。
「私は先輩のことが好きよ…でも、でもこのままじゃいけないと思うのよ。だから、」
黒猫はすっと俺から身を離し、居住まいを正した。
「私たちはオタ友達に戻るのよ。」
「ずっとずっと時間を巻き戻して、数日前のあの時まで。そして、今日のこともなかったことのように振舞って頂戴。
 決してもう恋人として接しないで。仲の良いオタ友達に戻るの。あの子が――」
「桐乃が笑顔で祝福してくれるようになる、その日まで。」
――そうか、これがお前の結論なんだな。ずっと一人で悩んだ末の。
みんなが幸せに…なんて、理想論に過ぎないことは分かっていさ。でも、俺たちはもう一度あの四人に戻らなくてはいけない。
一人でも欠けたら、それは終わりなんだ。
「ねえ先輩。あなたはこの家を出たらただの仲の良いオタ友達よ。でもその前に――」
「キスを…して頂戴」
そう言って黒猫が顔を上げた。今にもまた泣きそうな、そしてどことなく儚げな笑顔でこう言ったんだ。
「最後かもしれないけれど。」

「…んっ!」
歯車が動き出す。
重ねた唇は、時に離れ、また求め合うように重なり合う。互いの衣にそっと手をかけ、
徐々に生まれたままの姿になっていく。
下着に手をかけたところで、黒猫が一瞬身を硬くする。
「…こ、怖いか?」
おいおい、どもってんじゃねーぞ俺!つーかこれじゃ、むしろ俺が怖がってるみたいじゃん!
一方、黒猫は黒猫で、
「そそそんなわけないじゃ…ない。わ、私をだ…誰だとお思い?」
いや、涙目で強がられてもな。
思わず噴出しそうになるのを必死に抑える。いや、笑うなと言う方が、無理だろこれは。
全く、大したもんだよ。おまえは。
「ちょ、ちょっと!今のは笑うところじゃなんじゃなくて?!」
「いや、ごめんごめん…クックック」
そう言って、肩で笑いを堪えながら優しく下着を脱がしていく。傍から見てるとただの変態だなこれは。
「あら、上着は完全に脱がさないのね。そういう趣向なのかしら?変態兄さん。」
仕返しとばかりに、黒猫が悪戯っぽく笑う。
「う、うるせーよ」
そ、そりゃちょっといいと思ったけどよ。

そして――
目の前には、一年前には想像もしなかった黒猫がいる。
「ほ…ホントにいいのか?黒猫」
「…何度も言わせないで頂戴」
少しの沈黙のあと
「……入れるぞ」
黒猫の体がビクンと揺れる。俺のシャツを掴む華奢な手が、プルプルと震えている。
「お、おい、だ…大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけが無いじゃない!見て分からないの!?」
慌てた俺が身を引こうとすると「駄目!」と叫んで黒猫が俺にしがみ付く。
「お願い。今日は、今日だけは…」
「…わ、わかったよ。」
ゆっくりと腰を動かしていく。その度に黒猫の体が弓なりに動く。
「んっ……は…あぁ」

なあ、もう一度あの4人で馬鹿みたなことで笑い合える日が来るんだよな。

「くっ…はぁはぁ」

そして、俺たちも、もう一度こうやって、お互いの気持ちを包み隠さず言える日が来るんだよな。

「き…京介」
「…瑠璃、愛してるよ」



おはり。





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最終更新:2010年11月23日 06:48
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