「あ、高坂くん、いらっしゃい!」
とある日の夕方、五更家を訪れた俺は、黒猫の上の妹──五更日向の出迎えを受けた。
「よ、日向。姉ちゃんは? まだ帰ってないか」
今日は黒猫のバイトの日。一応、それが終わって帰宅する時間を見計らって訪問したんだが、ちょっと早かったようだ。
先に携帯にかけるべきだったか。失念してたぜ。
「うんー。でも、もうすぐ帰って来ると思うし、上がって待ってれば?」
「そうだな。んじゃそうさせて貰うか」
出直すのも面倒だし、もう遠慮するような家でもないしな。
日向のお言葉に甘えて、俺は居間へと上がっていく。
☆
「お茶でも飲む? 高坂くん」
「んな気を使うなって。──今日は一人か? 珠希ちゃんは?」
「お母さんとお出掛け。だからあたし一人で留守番で退屈だったんだよ~」
「そっか。偉いな」
同じ妹でも、ほんわかした珠希ちゃんに比べ、日向は歳の割には結構しっかりしているように思える。黒猫の教育の賜物かね。
まあ、言動は多少生意気なところもあるが、俺の妹様に比べたら猫とライオンくらいの差があるぜ。勿論桐乃は百獣の王のほうね。
頼むから、あんな風に成長しないでくれよ? 俺が泣くぞ?
「そうだな。んじゃ、暇潰しに何かして遊ぶか」
「やった! それならゲームしよ、ゲーム!」
待ってましたと言わんばかりに、てててっ、と早足で自分の部屋のほうへ駆けていく。
程なくして、その手にPSPを持って戻ってきた。
「これでさ~、どうしても倒せないボスがいるんだよぉ」
そう言って、ゲームを起動させたPSPを俺に手渡してくる。
「え、俺がやんの? 言っとくけど俺、そんなに得意じゃないぞ?」
「まァまァ、試しにやってみてよ。誰かがやってるのを見るのも結構参考になったりするしさっ」
「ってか、参考にするならそれこそお前の姉ちゃんが適任じゃないのか? あいつ半端じゃなく上手いだろ」
「……ルリ姉がやるとさ~、こんなボス、瞬殺過ぎて何やってるか全っ然分からないんだよ……」
……なるほど。次元が違いすぎるってのもそれはそれで難儀なもんなんだな……。
そういうことならまぁ、不肖ながら微力を尽くしてみますかね。
☆
──ちゅどーん。
「ありゃ~」
「…………面目ない」
挑戦1回目。敢え無く轟沈。
ゲーム的には、様々な武器を駆使して巨大な敵を倒すという、最近よくある3Dアクションゲーム。
桐乃も持っていて、通信機能を使ってよく黒猫や沙織と同時プレイしていたりするやつだ。
俺自身も少しはやった経験はある。
──正確には、妹様に『やらされた』経験はあるので、まあ操作自体に困ることは無かったのだが……。
「なんか凄ぇ痛い攻撃喰らったな」
「でしょー? あんなの絶対避けられないよねぇ?」
日向が耳元で口を尖らせて嘯く。声が近すぎて、何とも言えず櫟ったい──って。
「……何でお前、俺の背中にべったりくっついてんの?」
耳元で声がするのも当然。
こいつは、胡坐をかいて座っている俺の背中から首に手を回し、所謂「おんぶ」のような格好で、その小さな身体を密着させているのだ。
「え? だってこうしないと、あたしから画面見えないし」
……そう言われると、至極尤もな理由だった。
それにしても、女の子独特の柔らかさが、その体温と共にしっかりと伝わってくるわけで。
とりあえずまだ双丘の膨らみを感じることが無いのが、俺の理性にとっての救世主だったりする。
ここは強調しておくが、断じて俺はロリコンじゃないからねっ!
「で、どう? 高坂くんにも無理そう?」
「……ふっ、伊達にやられたわけじゃないぜ。パターンは大体分かった。次は男を見せてやる!」
大見得を切って、コンティニューで再開。
道中の雑魚を蹴散らして進み、程なく件のボスと再対峙する。
「要するに、こいつはこっちの攻撃に反応して、さっきの痛い反撃をカウンターで撃ってきやがるわけだ」
そう言って、俺は自キャラの手持ちの武器を選択。
「あの攻撃を至近距離で避けるのは至難の業。ここは射程の長い武器で攻撃して、避けられるだけの距離を取る作戦でいくぜ!」
「お~、なるほどっ!」
選んだのはリーチの長い武器としては定番の『槍』タイプの武器、「ホーリーランス」。
「こいつで一気に貫いてやるぜ!」
距離を計り、攻撃がぎりぎり届く間合いで攻撃を繰り出す。
当然、その攻撃に反応してカウンターが発動するが、それを緊急回避動作でかわそうと──
「あ~っ! 惜しいっ!」
ぎりぎりのところで敵の攻撃に当たり、HPが削られてしまった。
幸い、直撃ではなかったため、大ダメージは免れたが……毎回喰らうと分が悪いな。
そうなると、だ。
「仕方ねぇ。こうなりゃ飛び道具に頼るしかないか」
このゲームの遠距離攻撃武器といえば銃火器なんだが……何故か近距離武器より攻撃力が低い。
そこはまぁゲームバランスってやつなんだろうが、攻撃力が低い分、接近戦より敵を倒すのに時間がかかるのが難点だ。
俺は武器の選択画面から、飛び道具の中で一番攻撃力の高そうな「アサルトランチャー」をチョイス。
まぁいわゆるロケットランチャーのような武器で、連射は出来ないが一発の威力はそこそこあるという代物だ。
「これなら……どうだっ!」
最大射程から砲弾を発射し、返ってくる反撃を緊急回避で──と、今回は完璧に避けることが出来たぜ!
「よしっ、これならいけそうだ」
「おぉ~! やっちゃえ、高坂くんっ!」
一発撃って回避、の繰り返しで非常に地味な戦いとなったが、このパターンなら負ける要素はまず無い。
段々と攻撃のテンポが掴めてきて、順調にボスのHPも減っていく。
嵌ると結構楽しくなってくるもんだ。
あと一撃、というところまで来て俺のテンションもMAX。
ギャラリーもいることだし、ここは格好良く決めさせてもらうぜっ!
「フッ、俺のロケットランチャーが火を噴くぜ! こいつでトドメだッ!」
俺の放った最後の一発は華麗にボスの頭部を直撃。その巨大な体躯は、断末魔の咆哮をあげて崩れ落ちた。
「よっしゃぁ!」
「お~っ! やった~~っ! 高坂くん、凄い凄いっ!!」
ガッツポーズをする俺の背中で、歓喜のあまり飛び跳ねる小さな体。
というか、首に手をかけられたまま体を揺さぶられて、く、首が絞まる……っ。
「お、おいっ、暴れるなっ、苦し……っ!」
「えっ? あ……わぁっ!?」
「ぐおっ!?」
ばったーーん!
畳に足を滑らせたのか、首に手を回したままバランスを崩した日向に思いっきり背後に引っ張られ、翻筋斗を打ってひっくり返る。
幸い、咄嗟に体を90度捻ったお陰で、華奢な体を下敷きにすることはなんとか避けられた。が──
「あイッタぁ~~、お尻打ったぁ~……」
「いてて……大丈夫か?」
体を起こして覗き込むと、日向は仰向けに倒れたまま顔を歪めていた。
流石にちょっと焦る。俺が付いていながら妹に怪我でもさせたりしたら、黒猫に申し訳が立たない。
「お、おい、頭とかぶつけてないよな? 動けるか?」
「うん、それは大丈夫だけど、ちょっとビックリしちゃって……高坂くん、起こして~」
両手を俺のほうに差し出して、甘えた声で懇願してくる。この様子なら、体のほうは平気だろう。
ったく、調子に乗るからだぜ。……でもまぁ、調子に乗ってたのは俺も同じか。
侘び代わり、ってわけでもないが、我侭のひとつくらいは聞いてやらないとな。
「しょうがねえなぁ。ほら、掴まれ」
俺は、倒れたままの小さな頭と背中にそれぞれ手を入れ、日向は日向で両手の輪を俺の首にかける。
いっせーの、で体を起こそうとした、まさにその瞬間だった。
「ただいま。先輩、来ている……の……っ……?」
不意に俺の頭上の方向から、第三者の声が響く。
倒れた体を抱えたままの姿勢で、顔だけを居間の入り口のほうへ向けると──
「く、黒猫……っ?」
どさっ。
手に提げていた学生鞄を床に落として、襖を開けた姿勢のまま黒猫が硬直していた。
額に冷や汗を浮かべ、その眉は引き攣り、双眸を見開いて目の前の状況を凝視している。
うん、まぁ客観的に今の状態だけ見れば、俺が小学生の女子を押し倒して、抱き合ってるようにしか見えないよね。
ははっ、どんな変態だよ俺。
────最悪じゃねえかっ!
「ま、待て。今お前は絶対に妙な誤解をしているぞ──!?」
「あ、あああ、あなた……、い、妹に一体何をしているの……っ?」
黒猫の顔色が紅潮していく。ヤバい、急速に怒りゲージが上がっているのが手に取るように分かるぜ。
ふふん、こいつとの付き合いもそろそろ長いからな。このくらいの感情の変化はお見通しだ。
──なんて冷静に観察してる場合じゃねえっての!
「い、以前から重度のシスコンだとは思っていたけれど……あなたまさか、妹と名の付くものなら何でもいいというの……っ」
「んなわけあるかっ! 落ち着いて話を聞けっ!」
「まっ、まさか……、シスコンなだけではなくて……、っろ、ろ、ろり……」
「違ーーーうっ!!」
駄目だこいつ、早く誰か何とかしてッ!?
そ、そうだ。誰かといえば、正に生き証人が居るじゃねえか!
俺は、腕の中で呆けているもう一人の当事者に助け舟を求めることにした。
「おいっ、ぼーっとしてないでお前からもちゃんと言ってくれよっ」
「えっ? ……あー、えっと」
上目で姉の様子を見ていた妹は、その視線を俺のほうに向け、しばらく考えるような素振りを見せた後。
──にゅふっ、と、その口元を三日月の形にして言った。
「えっと、まず高坂くんに『男を見せてやる!』って言われて」
「──っ!?」「んなっ!?」
俺と黒猫は、同時に息を呑む。
ここっ、こいつ、一体何を言い出しやがる!?
「それから、『こいつで一気に貫いてやるぜ!』とか、『俺のロケットランチャーが火を噴くぜ!』とか……」
「待て待てっ! 何故そういう非常にデリケートな部分だけを抜粋する!?」
「だって、そう言ったよね?」
「い、言ったといえば言ったが、あれは遊びの中の話でっ」
「そんな……あたしとはアソビだったってことっ?」
「遊 び だ っ た だ ろ !!」
ぴきーん!
一瞬、張り詰めていた何かが切れたような感覚。
はっとして顔を上げると、いつの間にか、真っ赤になった黒猫の顔が俺の目の前にあった。
そして次の瞬間。
ごんっ!!
「いッてぇぇぇぇぇ~~ッ!?」
黒猫のやつ、思いっきり頭突きをかましてきやがった!!
思いがけない直接攻撃に、日向の体を抱えていた手を離して転げまわる俺。
不意を突かれたとはいえ、結構痛いぞこれッ!? てかこいつ、ゲージが溜まるとこんな超必殺技使えたのかよ……ッ!
「っつぅ~……、お、落ち着け、って……っ?」
涙目になりつつも黒猫を見やると……あいつ自身も額を押さえて蹲っていたりする。
……小刻みに震えているところを見ると、ダメージはあいつのほうが大きいのかも知れん。なんという諸刃の剣。
こんなところまで捨て身とは、黒猫らしいといえばらしいが──
「お、おい、大丈夫か黒猫?」
心配になって手を伸ばすと、それを振り払うかのように、きっ、と顔を上げて睨んできた。
その目はもう涙目を通り越して半泣き状態だ。
「な、泣くなよ。だから違うんだって」
「っ、な、泣いていないわっ。何がロケットランチャーよっ、先輩が、そんな人だったなんて……っ」
「いや、だから妙な誤解をするな!? 俺は悪いことは何もしてないからっ!」
「……そう、そうよね。先輩だけが悪いんじゃないわ。先輩の性癖を見誤っていた、私も悪いのよ……」
ぐすっ、と涙を拭い、体を起こして正座する黒猫。
少しは冷静さを取り戻した……のか? ってか性癖って……俺、今あなたの頭の中でどういう変態に思われてるんですかね?
「……先輩がどんなに異常な嗜好の持ち主であっても、共に在ると誓った私の気持ちは変わらないわ。先輩のことを、信じているから」
信じているなら、少しは俺の話を聞いてくれ──と口を挟む前に、黒猫が決意を込めた口調で続ける。
「でも……私は姉として、大切な妹を守らなければならない使命もある。だからいっそ…………先輩を殺して、私も……っ」
「ちょっと待てェェェェい!?」
流石に生命の危機を感じた俺の行動は迅速だった。
光彩が消えた瞳で俺の首に手をかけようとする黒猫の目前に、床に放り出されていたPSPを印籠のように付きつける。
「……何よ、この期に及んで往生際が悪いわよ」
「だからっ! 今までの話は全部コレ! ゲームの話なんだってっ!」
ぱちくりと目を瞬かせる黒猫に、俺は事のあらましを一から懇切丁寧に説明していった──
☆
「……っそ、それならそうと早く言いなさいな。全く……先輩がいつもセクハラ紛いの言動ばかりしているから無用の誤解を生むのよ」
「いや、今回の件ばかりは俺に疚しいところは一点たりとも無いんだが……」
ようやく状況を理解してくれたようで、黒猫はちょっと拗ねるような、それでいて少し気恥ずかしいような様子。
っていうか、俺ってそんなにセクハラ行為を働いているように見えてるのか? ちょっと悲しくなってくるぜ。
大体、いくらセクハラ先輩の異名をとる俺でも、小学生相手に劣情を催したりするかっての。
……まぁ、背後から抱きつかれてちょっとだけ意識したりしたけど、あれは正常な男子の反応だからノーカンだよな?
「てか、元はと言えば、お前の妹が事を荒立てるような妙な発言をするから……って、……あいつどこいった?」
さっきまで近くに座って傍観していた姿はそこには無く。
部屋を見回すと、自分に話が及びそうなのを察知したのか、忍び足で居間を出て行こうとする小さな影があった。
「……ちょっと待ちなさい」
「ひっ!?」
黒猫の静かな一声に、その影はびくん、と肩を竦めて動きを止める。
「日向、あなた……さっきの事、ワザと言ったわね?」
「……な、ななな、何のことかなぁ~」
そういえばこいつ、あの時悪戯っぽい笑いを浮かべてたもんな。黒猫が桐乃をからかう時と同じ顔だったぜ。流石姉妹と言うべきか。
ていうかなんつーマセガキだよ、末恐ろしいぜ全く。
「……先輩、少し待っていて貰えるかしら。ちょっと妹に教育を施さないといけなくなってしまったの」
そう言って、すっと立ち上がる黒猫。
つかつかと妹へ歩み寄り、怯える首根っこを掴んで奥の部屋へ引き摺っていく。
「ひぃ!? った、たた、助けて~~っ、高坂く~~~んっ──!」
遠ざかっていく声に、俺は心の中で合掌。
スマン、怒ったお前の姉ちゃんは俺も怖いんだわ。
自分の蒔いた種だ。大人しく成仏してくれ。
「────ぎにゃぁ~~~~~~~~~~っ!!」
先程ゲームの中で倒したボスを彷彿とさせる断末魔の声が、家中に響き渡る。
一体どんな教育を受けているのやら……考えただけでも恐ろしいぜ。
……まぁ、そうは言っても。
俺は後ろ頭をポリポリと掻きながら立ち上がる。
──ふぅ、やれやれ、仕方ねぇ。今回だけはこのくらいで助けてやるか。
俺も日向や珠希ちゃんには甘いな、こういうのもやっぱりシスコンっていうのかねぇ……。
入り口に落ちている学生鞄を拾い上げ、俺は五更家の奥へと歩いていくのだった。
-END-(五更日向の悪戯目録・ゲーム編)
最終更新:2011年11月30日 14:15