俺の嫁はこんな女(ひと)


『今日も一日が、はっじまるよお――――』
「‥‥‥」
『おはよう、朝だよ。早く起きよー。起きないと―――』
「‥‥‥」
『いっけえええ! めてお☆いんぱくとぉぉぉぉ!!』

ピッ

今日、俺の最初の仕事は“メルル目覚まし”を止めることだった。
マンションの窓から差し込む日射しが眩しい。
うん。悪くない目覚めだ。
うん? お前、いつからそんな趣味に? ついに日和ったのかって?
ちげーよ。色々と理由はあるんだけど、追々説明すっからさ。

俺はベッドから起きると服を着て、顔を洗った。
コレが今日二番目の仕事だ。

そして三番目の仕事にとりかかるため、俺のベッドに目を向けた。
ベッドの上で盛り上がった布団を引きはがすと、
そこには一糸纏わぬ姿のスイートマイハニー加奈子が居た。
さすがにこの年齢になれば、小学生にしか見えないってコトはなくなった。
まだ、高校生には見られるかもしれないが。

「オイ、朝だぞ」
「んあ‥‥‥もうダメ‥‥‥勘弁して」

なんだよその、“事後”を想起させる寝言は。まあ実際、事後なんですけどね!

「かなかなちゃん、朝だよ―――?」

鼻の頭を指で突くと、スイートマイハニーの瞳が開き、俺と目を合わせた。

「おはよ」

目を覚ました加奈子。今日もとてもかわいい。
これで三番目の仕事は片付いた。
そして、加奈子は自分が素っ裸だということに気づくと、

「‥‥‥んあ!? オメー、婚約者の裸を見て欲情してやがったのかヨ!?」

ようやく加奈子のスイッチが入ったようだ。
でも、婚約者の裸を見て欲情っていけないことですかねえ? 加奈子サン。
加奈子は布団で躯を隠し、目だけ露出させてジト目で俺を睨み、一言。

「すけべ」

この瞬間、こいつを選んだことを最高に嬉しく思える。



婚約者―――
そう。俺、高坂京介は来栖加奈子と結婚を約束した。
信じられないことにあのクソガキと将来を誓ったワケ。
だが今の加奈子はクソガキではなく、立派な社会人だ。
もちろん、対外的には言葉遣いもそれなりに、というか立派にこなしている。
ただ、俺と二人きりの時は昔のクソガキ加奈子の言葉遣いになってしまうが。
まあ、桐乃の変形版と思えば概ね正解だろう。
昔は加奈子の言葉遣いは癪に障ったものだが、今となってはどうってことない。
惚れた弱みってヤツなのかも知れないな。


さて、今日の俺には重大任務が課せられている。
勿体ぶらずに言うと、婚約者―――加奈子を親父とお袋に紹介するという
重大任務だ。


なにせ、元がああいうクソガキだっただけに、
俺と付き合い始め、結婚を決めてからはいろんな人に世話になった。

麻奈実には社会常識の特訓(情けない)、沙織にはマナーの特訓、
そしてあやせには‥‥‥なんかよくわからんが秘密の特訓を受けていたようだ。
そして今日のために桐乃のアドバイスで、清楚で上品な服も準備した。
すでに社会人の加奈子にはそんな付け焼き刃的な突貫工事など必要ないけどな。
まあ、念には念を、ってことだ。


「今日、時間は大丈夫なのか?」
「うん‥‥‥仕事でちょっと遅れるかモ。電話すっから」
「そうか。でも仕事も大事だからあまり気にするなよ」
「じゃあ、行ってくんゼー!」

俺は仕事に出かける加奈子を送り出した。
頑張ってこいよ!

‥‥‥‥‥‥


予約したホテルのレストランに着くと、親父とお袋はもう来ていた。
やはり加奈子は仕事の都合でちょっと遅れるようだ。
こんな日に仕事が立て込むとは、あいつも仕事が忙しいらしい。

「加奈子、仕事でちょっと遅れるってさ」
「なにもこんな日まで仕事で遅くなるなんて‥‥‥」

お袋が少し不機嫌な様子になった。

「まあそう言うな。加奈子さんは代わりの効かない仕事をしているようだし」

親父は加奈子の仕事を理解してくれているようだ。

「もうそろそろ来ると電話があったから」
「じゃあ待ちましょうか、お父さん」
「うむ」


加奈子が来るまでの間、俺は加奈子がどんな挨拶をするのかを想像していた。
多分、というか確実に

『初めまして。来栖加奈子と申します』

からだろうな。
何しろあいつも社会人だ。その辺は弁えているさ。特訓もしたしな。
かつてのツインテール姿の面影もない、背中まで伸びたストレートの髪と
桐乃が選んでくれた服を纏って俺たちの前に現れてくれるはずだ。

と俺が想像した途端、特徴的なロリボイスが店内に響き渡った。

「悪りい、悪りい、遅れちって!」

ギャル系の服装とツインテールの髪型。
俺たちの目の前に現れた加奈子は、あのクソガキの時の格好そのものだった。

「お前、その格好! その言葉遣い‥‥‥!」
「京介‥‥‥? 加奈子さん‥‥‥なの?」
「はっじめましてぇ―――! かなかなでっえ―――す!!」

加奈子は、俺がマネージャーの真似事をしたときと同じような挨拶を
よりによってこのシチュエーションで親父とお袋にしやがった。
一体、どういうつもりだ!?

「は、初めまして‥‥‥。京介の母‥‥‥です」
「京介の父‥‥‥だ」

親父とお袋は宇宙人を見るような目で加奈子を見ている。
そんな二人にお構いなしに、加奈子はかつてのクソガキの様相全開だ。

「きひひ。こんなあ、加奈子に会えてラッキーだって思えね?
 しかも義理の娘になるってんだから、嬉しいっしょ!?」

―――目の前が真っ暗になった。
悪い夢に違いない。どうしてこうなった。おしえてA to Z。



「加奈子もさア、京介に一目惚れしちまったんだよネー。
 んで、ケッコンしてえから! つーワケでヨロシク!!」
「‥‥‥」
「‥‥‥」

お袋は固まり、親父は卒倒しそうになっている。
そりゃそうだろ。こんな宇宙人が息子の嫁になるって話なのだから。

「ちょっと、トイレ行ってくんね―」

加奈子は場を中座した。ああ、親父とお袋との会話が怖い。

「京介! あんた本当にあの娘と結婚するというの?」
「ああ、そうだ。そのつもりで今日はここに‥‥‥」
「一体どういう娘さんなの? とても常識があるような感じじゃないけど」

お袋の言う通りだ。
付け焼き刃とは言え、あれだけ特訓をしたのに、全部吹っ飛んじまった。
しかも親父とお袋に紹介する場で。俺たち一体どうなるんだよ。

「ねえ、お父さん、どう思う?」
「うむ。結婚を積極的に認める気分にはならないな」

親父とお袋の言葉は当然だ。
何やら小言を並べられていたようだが、俺の意識は半分吹っ飛んでいたので
全く覚えていない。どれだけの時間が経っただろうか。
俺が額と背中にイヤな感じの汗をかいていると、

「お待たせしました」

きれいな言葉遣いのロリボイスに振り向くと、
桐乃が選んだ上品で清楚な服を纏い、髪をストレートにした加奈子が居た。



「え? 加奈子‥‥‥さん?」
「‥‥‥」

お袋と親父は、目の前に現れたスイートマイハニーに目を奪われている。
加奈子は俺の隣の椅子に座ると蕩々と話し始めた。

「ごめんなさい。加奈‥‥いえ、私は以前はあんな格好と言葉遣いで
 京介さんにすごく迷惑をかけていました」

な、なんだ、この超展開は?

「でも京介さんはそんな私を選んでくれたんです。私は、とても嬉しくて」

加奈子‥‥‥お前。

「だからお義父さんとお義母さんにも私のことを全部知っていて欲しくて、
 あんな格好と言葉遣いををさせてもらいました。
 不快な思いをさせてしまって本当にごめんなさい」

そうだったのか―――。うっ!
俺が話し続ける加奈子に呆気にとられていると、俺の手を握る手があった。
加奈子だ。微妙に震えている。そして掌には汗。
緊張‥‥‥? 加奈子も緊張することがあるってのか?
俺は加奈子の手を握り返した。すると加奈子も俺の手を握り返してくる。
加奈子の口調が滑らかになった気がした。
その時―――



「うわああああ、このお兄ちゃんとお姉ちゃん、手を繋いでるうううう!!」

その声に俺と加奈子は驚いてお互いの手を離した。
振り向くと、別のテーブルに居た子供が俺たちのテーブルの下を覗いていた。

「すみません。ご迷惑を!」

母親らしき女性がそのガキ、もといお子様を連れていこうとした。
その時、加奈子が椅子から立ち上がり、“あのポーズ”を取って

『いっけえええ! めてお☆いんぱくとぉぉぉぉ!!』

とメルルの決め台詞を叫んだ。

「うわあ、メルルだあ!」

そう―――。
加奈子は、コスプレアイドルから声優に転身し、今や売れっ子だ。
星野くららとそっくりな声を生かして、アニメに歌に活躍している。
これは極秘なのだが、くららさんの体調が悪いときに代役をやったこともある。
その代役仕事の一つがあのメルル目覚ましだ。

いやね、本当ならあんな目覚ましなんかなくても、毎日加奈子の生ボイスで
起こしてもらえるワケよ? でも機械とはいえ加奈子の声で起こされるってのは
マジぐっと来るわけよ。朝が一日に一回しかないのがすげー悔しいくらいさ。
えへへっ!

‥‥‥おい、そこのあんた、「爆発しろ」と思ってるだろ?
謹んでお断りします。



「すみませんでした! ごめんなさい!!」

メルルになりきって立ち回りを演じた加奈子は、恥ずかしそうな顔をして
親父とお袋に頭を下げ、再度、場を中座した。

「京介、行ってあげなさい!」

お袋に促された俺は加奈子の後を追い、ロビーの隅で加奈子に追いついた。

「加奈子。コレは一体?」
「ごめんヨ。本当の私―――加奈子のことを知ってもらいたかったからさア、
 こんな芝居めいたことやっちまったわけヨ」

清楚な服装でクソガキだった頃の調子で話す加奈子は愛おしい。

「ホント、クソガキだったもんな、お前」
「うっせ。そのクソガキを誑し込んだのはドコの何方様でしょうかー?」

俺は周囲を見回す仕草をしてから

「お、俺か?」
「オメーだヨ!」

加奈子は俺の胸に正拳を突いた。全然効かねえけどな。
悪戯っぽい顔をし、黒いウサギのイヤリングを耳で揺らす加奈子はとても可愛い。

「加奈子‥‥‥」
「京介‥‥‥」

‥‥‥‥‥‥


俺は親父とお袋が待つテーブルに戻った。

「加奈子さんは?」
「ちょっとメイクを直すってさ」
「京介‥‥‥。少々驚いたが、いいお嬢さんじゃないか」
「本当。あんたには勿体ないくらい。ちょっと不安なところもあるみたいだけど」

親父もお袋も、加奈子のことを何とか理解してくれたようだ。

「京介?」

そういうとお袋は、自分の口を指さしてこう言った。

「口紅‥‥‥」

俺は反射的に自分の口を手で拭った。そしてお袋はこう続けた。

「‥‥‥ついていると思った? ふーん、ラブラブねえ♪」

あの、カマ掛け、やめてくれないっすか?

「う、うむ。あまり‥‥‥こういう公の場所ではな、ゴホッ」

親父が破廉恥を働いた息子を睨み付ける。そしてお袋は、

「この調子だと、わたしたち直ぐにお祖父ちゃん、お祖母ちゃんになるかもね」
「‥‥‥」
「京介? まさか!?」
「いや、まだっすよ? マジで!」
「ふーん。でも身に覚えはあるみたいねえ?」

いや、だからカマ掛け、やめてくれないっすか? お袋めっ! ハハハ!

‥‥‥‥‥‥

今日の顔合わせは何とか上手く行ったようだ。
まだ不安なところはあるが、時とともに慣れていくだろう。
それまで宜しくな、親父、お袋。



俺はベッドに横たわり、携帯ゲーム機で心理シミュレーションゲームを
やっていた。

「んーと、『大好物は最後に食べる?』か。これはYESだな」

すると、横から画面を覗き込んだ加奈子が一言。

「ウッソ吐き―――」
「どこがだよ?」
「『大好物は最後に食べる?』ってトコで『YES』と答えたトコだヨ!
 それがホントなら、なんで結婚前にこんなコトになってんだヨ!?」

そう―――
俺と加奈子は親父たちと顔合わせをしたホテルの一室でベッドに横たわっていた。
もちろん、“事後”である。

「あ、いや、これは別腹?」
「あやせがオメーのことを変態と言っていたけど、ホントみてえだナ」
「おいおい、このシチュエーションで余所の女の子の名前を出すこと無いだろ」
「でも、あやせにちょっかい出していたこともあったジャン?」
「なに言ってんだ加奈子。お前は最高だよ」
「あやせとどっちが良かったヨ?」

またこいつはこういうことを言う。
俺があやせとただならぬ関係になったことがあると疑ってんだよな。
それはともかく、

「あやせは俺のコトなんて嫌っていたからな」
「オメーは鈍感だしヨー、あやせのことを理解していたとは思えねえし」
「いや、お前と付き合うようになってから結構女の子の変化には敏感だぜ?」
「へー、例えば?」
「そうだな、知っているか? 桐乃のヤツ、ずっと使っていた髪留めを
 使うの止めたんだぞ。このくらいの変化、直ぐに気づくぜ?」



加奈子はいきなり渋い顔になって、俺にこう訊いてきた。

「あのさア、桐乃がなんで髪留め使うの止めたのかはわかるワケ?」
「いや? どうしてだろ? 無くしたか、壊れたんじゃね?」
「あーあ、呆れた。んなんでよく『敏感だぜ?』なんて言えるナ。
 と・り・あ・え・ず、女の機微を一生かけて勉強しろヨ!」
「勉強? どうやって?」
「今、加奈子がして欲しいことを当ててみるとかヨ」
「それはもちろん―――こうだろ?」
「ん!‥‥‥んふっ」

俺は加奈子の躯を抱き寄せて、キスをした。

「正解でしょうか? 加奈子様?」
「‥‥‥まあ、合ってるかナ」
「やったぜ! 俺!!」
「あーあ、なんでこんな鈍感でスケベなオメーに引っかかったんだろ」
「初めて会ったのがお前が中学の時で、付き合い始めたのが高校だったかな」
「高校に入ったら、エチトモ100人できるかななんて思ってたけどヨ」
「俺しかできなかったな」
「それもこんな地味な男でさア」
「マンガと同じだな」
「ぷっ にひひ」
「ふっ ははは」

俺と加奈子は互いに顔を見合わせ、昔を思い出して笑った。

「加奈子‥‥‥」
「京介‥‥‥」

そして、今日最後の仕事が幕を開けた。


『俺の嫁はこんな女(ひと)』 【了】




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最終更新:2011年03月11日 19:33
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