*
「黒猫、俺の話を聞いてほしい」
夕焼けの朱色に包まれた校舎裏で、その男は切り出した。
私はまっすぐな瞳で彼を見つめ返す。
「なにかしら」
「………俺と」
私の胸がトクンと高鳴る。
「俺と、付き合ってほしい。黒猫」
私はゆっくり頷くと、彼にこう告げた。
「……私のことを、瑠璃と呼ぶことを許すわ」
私の言葉に、彼は―――
*
「彼は―――さて、どうしようかしら」
私を瑠璃と呼んだ。
いえ、私をそっと抱きしめた。にしようかしら。
私は黒い日記帳を前にしながら、内に秘めた魔力で未来を探る。
数日前、私は彼に、精一杯の想いを告白をした。
翌日、夏コミの打ち上げがあったのだが、何事もなく過ぎ去り。
その後、彼と顔を合わせない日が続いていた。
「いつまで待たせるつもりよ」
そうぼやきながら、再び日記帳に目を落とす。
今も、何ページ目になるかわからない『運命の記述』を書き記していた。
と、襖がスルスルと開く音が聞こえた。
「ねえさま、ごほんをよんでください」
下の妹が、穢れのない黒い瞳で私を見つめる。
毎晩本の読み聞かせをねだるこの小さい妹に、私は抗うことが出来ない。
ふっ……あの男を『シスコン』なんて呼ぶけれど、
私も人のことは言えないわね。
「少し待っていなさい。今……そうね、予言書を書いているところだから」
「よげんしょ、ってなんですか?」
「予言書っていうのはね、未来の事が書いてあるご本のことよ」
「みらいのことですか?」
「ええ、そう」
「ねぇさまはすごいんですね」
妹は興味深そうな目で私の手元を覗き込んでくる。
きっと、この予言が外れたら………
私は魔力を失ってしまうだろう。
「きょうは、そっちのごほんをよんでください!」
「えぇっ!?だ、だめよ、これは―――」
び、びっくりして大声を出してしまったじゃない。
突然何を言い出すのかと思ったら。
「……ふっ、この本を読むには、まだあなたは幼すぎるわ」
不満そうな顔ね。でも―――
この予言書は、私の魔力で見通した、あの男との未来を記述した本。
誰かに見られたら―――し、死ぬほど恥ずかしいじゃない。
「今日は別の本にしましょう」
「はい!」
「では、少しだけ待っていてね」
素直にうなずく妹。
私は、内なる不安をかき消すように、幸福な結末を書きなぐった。
*
ピンポーン
呼び鈴が鳴り、玄関を開けると、そこにはあの男が立っていた。
「よう黒猫、今大丈夫か?」
「一体何をしに来たの」
「そう言うなって」
私に用事?まさか―――
「五更さん、体調はどうですか?」
―――ふっ。変な期待をしてしまったようね。
彼の後ろから現れたのは赤城瀬奈。
私のクラスメイトで、同じ部活の友人よ。
「えぇ、もうだいぶよくなったわ」
なるほど。
今日は部活の方で夏コミの打ち上げがあったのだけれど。
告白の返事を未だもらっていない私は、
つい仮病を使って欠席してしまったのよ。
それで心配して来てくれたのだろうけれど。
もうちょっと、私の気持ちも考えてほしいものね。
「とにかく上がってくれるかしら」
「なんか悪いな、押しかけちまったみたいで」
「いえ、気にすることないわよ」
なんだかんだ言って、私は喜んでしまっているらしい。
まったく忌々しい。
その後私たちは、夏コミのことや、次に作るゲームのことなどを話した。
こんな風に、誰かと趣味の話ができるようになったのも。
クラスで孤立していた私を救ってくれたのも―――
そんなことを考えていると、突然襖が開いた。
「ルリ姉~、誰か来てんの~?」
上の妹が突然部屋に入ってきた。
「へー、黒猫の妹か」
「五更さん、妹いたんですか」
まったく、突然入ってくるからびっくりしたわ。
私と違って活発な妹は、既に輪の中に溶け込み始めている。
「ルリ姉の友達?」
「俺は高坂京介。なんていうか、同じ部活の仲間だ。」
「ああ、ルリ姉の彼氏か」
ちょっと!
な、いきなり何を言うのよあなたは!
「いや、彼氏じゃないから!」
あなたも、そんな力いっぱい否定しなくてもいいじゃない!
「またまたー、知ってるんだよ私。
実は~、ルリ姉の日記こっそり読んじゃったんだよね!」
「日記?」
「そーそー、ほら、高坂君が校舎裏で―――むぐっ」
あ、あぶなかった。
まさか「アレ」を妹に読まれていたとは……うかつだったわ。
とっさに妹の口をふさぎ、急いで隣の部屋に連れて行く。
「あなた、勝手に人の日記を読むなんて、どういうつもり?」
「ち、ちがうんだよルリ姉、あれは」
妹の話によると、どうやらアレを持ち出したのは下の妹らしい。
どうしても中身が知りたかったようだ。
「でさでさ、京介ってやっぱりあの人でしょ?やっぱルリ姉の彼氏じゃん、んふふ」
「ち、違うのよ。ああああの日記は……」
「まさか……あれってルリ姉の妄想日記だったの?」
あああああもう!
何で妹相手にこんな羞恥を強要されなければならないの?
「わ、分かったからルリ姉、とにかく日記の話はしない、しないから!」
「そ、そう。ならいいわ。」
息をふぅっと吐き出し、落ち着いて。
私は上の妹と一緒に隣の部屋に戻った。
「このごほん、なんてかいてあるんですか?」
部屋に戻った私を待っていたのは、衝撃の光景だった。
下の妹が、わ、私の黒い日記帳を……
あ、あろうことかあの男本人に?え?どういうこと?
混乱して動けないでいる私の横で、上の妹があわてて飛び出す。
「ちょ、ちょっとまってそれ読んじゃだめ!」
妹が急いで彼からその本を取り上げる。
普段はいたずらの過ぎる妹でも、今回は本当にヤバいと感じたらしい。
硬直の解けた私は、彼に尋ねた。
「その………読んだの?」
「……」
その問いに答えず、真っ赤になって俯いている彼。
その表情が全てを物語っていて―――
私は家を飛び出した。
*
行くあてなどなく、私は走り続けた。
恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
気付くと私は、あの、告白した校舎裏に来ていた。
「はぁ、はぁ………はぁ」
これからどうしようかしら。
ひとまずベンチに腰を下ろし、ひと休みする。
息も整ってきた。心音も少しずつ、その速度を落としていく。
ここで時間を潰して、しばらく経ったら帰ろうかしら。
「やっぱりここにいたのか」
振り向くと、そこには彼がいた。
落ち着いたはずの私の心音が、再び高鳴っていく。
*
「黒猫、俺の話を聞いてほしい」
夕焼けの朱色に包まれた校舎裏で、その男は切り出した。
私はまっすぐな瞳で彼を見つめ返す―――ハズたったのに。
私は彼を直視することができないでいた。
彼の後ろから照りつける太陽がまぶしかったせいに違いない。
「な、なにかしら」
冷静を装っていたのに、口から出た言葉は頼りなく、弱々しく響いた。
「………俺は」
私の胸は、張り裂けんばかりに高鳴っている。
「俺はお前に呪いをかける」
え?な、なにを―――
彼の言葉を理解するより先に、彼の口が私の口を塞いだ。
私の体は硬直し、頭の中は真っ白になった。
どれくらい時間が経っただろうか。
数秒が永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた。
私が、彼の言った「呪い」の「意味」にたどり着き、
やっと私の体が私の思考に追いついた頃、彼は体を離した。
「………遅くなって悪かった。本当はもっと早く返事するつもりだったんだが」
「ふん、まったくよ。どれだけ待ちくだびれたと思っているの」
「ホント、悪かったよ。桐乃を説得するのに、思ったより時間がかかっちまってな」
「……え?」
「諦めないんだろう?俺のことも桐乃のことも。
じゃあ彼氏としては、協力してやるのが筋ってもんじゃねーか」
………莫迦ね。本当に莫迦。
莫迦で変態でシスコンで、鈍感でヘタレでどうしようもない先輩だけれど。
底抜けに優しい。
私は、何度も夢想した言葉を彼に語りかける。
「……私のことを、瑠璃と呼ぶことを許すわ」
私の言葉に、彼は―――
おわり
最終更新:2011年03月14日 18:12