風(前編) 01


「ふう……」

 夕食を終えて自室に引っ込んだ俺は、畳の上に仰向けになって、天井の木目をぼんやりと眺めながら、ため息を吐いた。
 とにかく、昨日今日と色々なことがありすぎて、俺の頭の中は混乱していた。

 突然の思いがけないあやせの訪問、それに禅寺での保科さんとの、あやせをからめてのセッションは、こっちに来て
からというものの、下宿屋の女主人としか会話らしい会話がなかった俺にとって、良くも悪くも久々に感情を交えたやり
とりが出来たひとときだった。
 あ、赤城との電話もあったな……。
 だが、麻奈実の一件があるから、あいつとの間柄は微妙なものになっちまった。

「あいつと麻奈実が付き合っているってことよりも、遠慮なく言い合える悪友が居なくなっちまった方がキツイぜ……」

 そんなことを呟きながら、俺は目をつぶった。相変わらず俺のことを嫌いだと言い放ちながらも、強引にキスをした
あやせの姿が脳裏に浮かび、次いで和服姿の保科さんの姿が浮かんだ。
 いつもなら、『ブチ殺しますよ!』と喚くはずのその口が俺の唇に吸い付いてきて、さらには、大胆にも舌まで絡めて
きたんだから、驚きだ。
 そのひと時は、紛れもなくうつつだったんだが、あまりにも突飛な展開で、未だ何かに化かされていたんじゃないか
という気持ちが捨てきれない。
 保科さんとの一件もそうだ。
 大学でさして目立たない俺に、彼女のような超絶美人の令嬢がわざわざ興味を示すなんてことは、どう考えても
あり得ないことだった。

「う、何だ?」

 結論が出そうにないことを、物憂げに思案していた俺は、シャツの胸ポケットで着信音を奏でている携帯電話機で
現実に引き戻された。
 誰からだろうと思って液晶表示を見れば、それは親父の携帯端末からだった。

「もしもし……」

 だが、相手はお袋だろう。

『ああ、京介ぇ?』

 案の定だ。
 俺の携帯は、実家からの電話を着信拒否に設定させられている。桐乃の携帯電話からのも同様だ。そのため、お袋
からの電話は、親父の携帯からというのが常だった。
 高坂家での長男に対する扱いのひどさってのは、実際どうなんだろうね。別段、今に始まったことじゃないんだけどさ。

「…………」

 しかも、お袋が口にするのは、桐乃、桐乃、桐乃、の一辺倒。
 何でも、高校でも成績優秀で、陸上競技部の一年生エースだとかで、親として鼻が高いんだとさ。

 そりゃ結構なことで。
 だがな、その桐乃が変に色気づいたから、俺は故郷から遠く離れたこの街に追いやられたんだぞ。分かってるのか?
 昔からそうだが、デリカシーのない女だな。

『でね……』

 当然に俺の心情などは、お構いなしのお袋は、散々に桐乃、桐乃、桐乃とまくし立てた挙句に、とんでもないことを
抜かしやがった。


『桐乃は間違いなくT大にも合格するし、陸上競技でも相当なところまで行くと思うのよ。
でね、そのために色々と物入りで、悪いけど京介、今からでも育英会の奨学金を申請してくれないかしら』

「どういうことだよ」

 敵の魂胆は読めていたが、こっちから結論を急がないことにした。そうしたからって、結果は変わらないんだけどな。

『う~~ん、奨学金が出るようになれば、その分、仕送りが少なくなっても問題ないでしょ? そういうことよ』

「そういうことって……」

 分かってはいたが、いざ聞かされると、本当にむかつくな。携帯電話を握る左手が、怒りでぶるぶると震えている。
 たしかに桐乃の成績だったら、T大も楽勝だろうさ。陸上競技だって、超高校級かも知れねぇ。
 だが俺だって、そこそこ自慢できる大学に合格した身だ。あんたの息子にしては上出来過ぎるほどだろう。なのに……、

『出来の悪いあんたと違って、桐乃は高坂家の誇りなんだから。あんたも桐乃のために我慢なさい』

 あっさりと抜かしやがった。畜生め……。
 『ふざけんな、バカヤロー!』と、思いっきり怒鳴りつけてやりたい衝動を何とか抑えて、俺は努めて冷静を装った。
 だが、こうまで言われっぱなしだと、嫌味の一つも言いたくなるよな。

「もう、ご自慢の娘さんの話は聞き飽きた。どうせなら本人の声を聞きたいな。居るんだろ? 家にさ。
桐乃に代わってくれよ」

 その途端、ブツッ、という無愛想な音とともに、通話は一方的に打ち切られた。

「けっ、ガチゃ切りかよ……」

 俺は、舌打ちしながら起き上がり、携帯電話機を座り机の上に置いた。
 久しぶりにあやせに会えたっていうのに、全てがぶち壊しになった気分だな。それにさっきのお袋の様子じゃ、奨学金
の申請が通るか否かにかかわらず、仕送りは減額されるだろう。

「地獄だな……」

 何だか、事態はどんどん悪い方へ転がって行きやがる。
 その悪化していく状況に、俺自身では歯止めを掛けられないんだから、たまったもんじゃねぇ。
 仕送りが減額されることは確実とみて、明日にでも学生課に赴き、奨学金申請の手続きをするしかない。
 それと、奨学金の申請が認められなかった場合にも備えて、何らかのアルバイトをすることも覚悟しておいた方が
いいだろう。

「金はない……。知人も居ない……」

 これが、いわゆる五月病って奴なんだろうか。背伸びして難関大学に合格したものの、講義についていくのが精一杯。
仕送りは最低限で、身の回りの物も十分には賄えない。
 そして何より、家族からは見放されたも同然で、周囲には女友達はおろか、相談できる男友達も皆無と来たもんだ。
 ゴールデンウィーク明けに、大学生とか新社会人の自殺記事が新聞の片隅に載ることがあったが、
今の俺にとっちゃ他人事じゃないわな。
 自殺する奴の気持ちが、痛いくらいによく分かる。

 だがよ、お袋がいかに俺をボロクソに扱おうが、俺はこの程度でくたばるようなタマじゃねーんだよ。
 昨日今日はあやせがはるばる来てくれたし、つい数時間前だが、信じられないことに、濃厚なディープキスを交した。
 あやせの本心は未だ不可解だが、俺のことを憎からず思ってくれていると信じたい。

 それに、束の間ではあったが、学内随一の超絶美人である保科さんと、一緒にお茶を嗜むこともできたんだ。
 彼女を女友達とみなすのは恐れ多いが、とにかく、地元出身の学生と初めて会話らしい会話が出来たんだ。
 一大収穫と言っていい。

「居場所を作ることだな、俺にとってのここでの居場所を……」

 あやせとの遠距離恋愛も、保科さんとの会話も、ここで単身頑張っていく励みにはなったが、それだけでは足りない。

「赤城のようにバカを言い合える友人、麻奈実のように気軽に話せる女友達、そうしたもんがないとな……」

 本当に信頼できる友人知人は、一朝一夕には見つからないだろうが、それも運次第だろう。
 何かがきっかけとなって、事態が思いもかけない方向へ転がり出すかも知れないからな。

「もう寝るか……」

 時刻は、午後十時前だったが、今日は本当に色々なことがあり過ぎて疲れた。
 明日は明日の風が吹くって言う訳じゃねぇが、日々、頑張っていくしかない。
 俺は、明日提出の民法のレポートと、英文法と第二外国語のドイツ語の予習がどうにかなっていることを確認すると、
布団を敷いて横になった。

「こっちの布団は、昨夜、あやせが寝ていたやつだ……」

 ほんのりと感じるのは、彼女の残り香だろうか。
 だが、心底疲れていた俺は、その残り香が気になったのも束の間、泥のような眠りに落ちていった。


*  *

 長いようで短かった連休が明けた五月六日。俺はいつも通り、法学部の教室の隅っこの方にぽつねんと座っていた。
 教室の前の方には、華やいだ雰囲気を醸している女子の一団が陣取っていて、その中には、昨日、禅寺で思いがけ
ない出会いをした保科さんが居た。
 和服姿だった昨日とは違い、腰の辺りまで届く艶やかな黒髪をストレートにしている。枝毛が全くなさそうな、こんなに
もしなやかな髪は、俺の知っている限りでは、他には黒猫ぐらいだろうか。面立ちは、瓜実顔とでも言うべきか。色白で
鼻筋が通り、やや面長な印象だ。まるっきり丸顔な桐乃はもちろん、桐乃ほどではないが、どちらかと言えば丸い印象の
あやせとは完全に趣を異にしている。桐乃やあやせと似通っているのは、ほっそりとした体型ぐらいだろう。背は、もしか
したら、あやせの方が少しだけ高いかも知れない。

「隙がない美人って、居るんだなぁ……」

 単にルックスがいいとかってレベルじゃなくて、その存在に華があるとでも表現すべきか。
 この地方屈指の名家の令嬢ってのは伊達ではないらしい。おそらく、幼少時から、躾や習い事とか勉強とかで
磨かれてきたんだろう。それでいて高飛車なところが全くなく、いつもにこやかに微笑んでいる。

「昨日のことは夢だったのかもな」

 同級の女子と楽しそうにおしゃべりしている保科さんは、当然のように、俺が居る教室の隅っこの方には目もくれない。
でも、これが現実なんだ。
 彼女とは昨日、禅寺でたまたま出会った。
 そして、俺が、それなりの美少女であるあやせと一緒だったから、俺にも一時的に興味を持った。
 さらには、俺が彼女と同じ大学の同じ学部の同級生で、今日これから提出するレポートを読んでいたから、俺と暫し
話し込んだだけなんだ。

「それに、何の取り柄もない俺なんかに、変に目線向けられたら、ヤバいことになっちまう」


 彼女に言い寄る男子は、同級生から上級生まで、それこそ数えきれないほど居るに違いない。もしも彼女が昨日の
ような調子で俺に話しかけてきたりしたら、俺は翌朝、市内を流れる川に浮かんでいるかも知れねぇ。

「保科さんと親密に話す機会は、もう、あれっきりなんじゃねぇのかな……」

 いや、待てよ。二週間後に保科さん宅で開かれる野点に、あやせ共々招待されていたっけ。
 だが、あれも今となっては、夢幻だったんじゃないだろうか。
 実際、招待状とやらを受け取っていない以上、本当に俺たちが招待されているのか否か、はっきりしないからな。

「お~い、静かにしろ!」

 いがらっぽい声とともに、頭がつるつるに禿げ上がった小太りの初老の男性が教室に入ってきて、ざわついていた
学生達を一喝した。
 禿頭がタコ坊主を連想させることから、誰言うとなく『タコ教授』と呼ばれている民法の担当教授のお出ましだった。

「では、連休前の宿題にしておいたレポートを回収する。後ろの席から前の席に、順繰りにレポートを送ること」

 俺のすぐ後ろの奴が、無言で何人分かが束ねられたレポートを俺の右脇に突き出してきた。
 そのレポートの束に自分のレポートを重ね、俺もまた前に座っている奴に無言でレポートの束を突き出した。
 そんこんなで、学部一年の全員のレポートは手際よく回収され、タコ教授の講義が始まった。

「では、物権の妨害排除請求権について……」

 退屈で眠気を催す講義ではあるが、民法は必修科目だから聞き漏らすわけにはいかない。
 俺は眠気をこらえながら、タコ教授の声に聞き入っていた。

 眠いことこの上ない眠法じゃなかった、民法の講義の後は、学生に読ませ訳させるソクラテス方式で恐れられている
ドイツ語の講義を受け、学食で不味いラーメンを食い、午後は教養科目である物理学と、国際法の講義を聴講して、
本日の予定を終えた。

 おっと、学生課に寄って、奨学金の申請書をもらうのを忘れるところだった。
 あまり気は進まなかったが、壱号館の薄暗い廊下の奥にある窓口に行き、一通りの説明を受けて書類一式をもらっ
てきた。
 何でも、四月に受け付けた申請者の中から、かなりの数の不適格者が出たとかで、追加の申請は一応は受理すると
のことらしい。
 しかし、受理はされても、審査ではねられるおそれがかなり高そうだ。
 奨学金は、高校での成績が余程いいか、親の年収が余程低いか、あるいは母子家庭とかなら、申請が認められるん
だが、あいにく、俺はそのいずれにも属しない。

「こりゃ、バイトも覚悟しておくか……」

 奨学金が受けられそうにもないことを思うと鬱な気分になるが、ひとまず、今日の学内での用件は、これで終わりだ。
 サークルにも何にも属してない俺は、後は帰宅するだけだ。
 帰れば帰ったで奨学金の書類の記入と、明日の英文読解と刑事訴訟法の予習が待っている。
 昨日、あやせと一緒に乗った路面電車に乗り込み、下宿最寄りの停留所で降り、車の往来が途絶えた隙を見て車道
を強行突破した。
 俺はもうさすがに慣れたが、車道のど真ん中にあるくせに、乗降客用の信号も横断歩道もないなんて、物騒この上
ない停留所だな。これで死亡事故が起きてないんだから、世の中はよく分からない。
 運命を司る神とか悪魔とかは、恐ろしく気まぐれなんだろう。

「さてと……」

 下宿の女主人に帰宅した旨を告げるのもそこそこに、俺は自室に引っ込んで、学生課からもらってきた奨学金申請
の書類に、本人が記入できる事項を書き込んだ。それを『高坂大介様』と宛名書きした封筒に収めて封をした。明日は
講義が終わってから中央駅前の大きな郵便局に寄って、実家へ送付してもらえばいい。後は、おそらくお袋が、親父の
年収とか何とかを、適当に書き込んでくれるだろう。

「こういうのってのは、面倒臭くってなぁ」

 時計を見ると午後六時近い。何だかんだで、一時間半も申請書とにらめっこしながら、それに必要事項を記入して
いたようだ。大学当局とか、この奨学金を管理している育英会とかの公的機関に出す書類ってのは、どうにも記入が
ややこしくていけねぇ。ミスったら受理されないから、勢い慎重にもなる。記入にはどうしたって時間がかかるのだ。

「すっかり遅くなっちまったぜ」

 俺は、パソコンを起動した。明日の刑事訴訟法の講義に備えて判例を検索するためだ。あと一時間もすれば夕食の
時間だが、少しでも下調べをしておきたかった。

「しかし、インターネット様々だな……」

 値が張る上に、分厚くてクソ重い判例集がなくても、今は重要判例を検索できる。まれに、インターネットでは公開
されていない判例もあるが、そうしたものだけを図書館常備の判例集で調べればいい。

「おっと、その前にメールもチェックしておくか」

 パソコンのメアドは、大学当局には知らせてあったから、時折、当局から通知が来ることがある。それに、Amazonとか
で書籍を購入する際の連絡先としても、そのメアドを指定していたから、特典等を知らせるメールマガジンが、しばしば
入り込んでくるのだ。

 だが……、

「件名『探しましたぞ!』、差出人『槇島沙織』だと?!」

 沙織を名乗る者からの開封通知付きメールを認めて、俺は驚愕した。
 バカな。沙織には、このパソコンのメアドは知らせていない。

「まさか、新手のネット犯罪じゃねぇよな?」

 開封通知付きってのが怪し過ぎる。
 開封せずに破棄しようかと思ったが、本当に沙織からのメールかも知れないかと思うと、それは出来なかった。

「ちょっと見て、怪しかったら、速攻で削除だ」

 思い切って、そのメールをクリックした。

『沙織でござる。
 京介氏、そちらに引きこもって以来、つれないではござらんか。
 しかし、隠者のような暮らしにも、そろそろ飽いてこられたのではありますまいか。
 いい加減、我々の前に、そのお姿を見せていただきたい。
 京介氏が嫌だとおっしゃられても、近日中に、黒猫氏共々、そちらへ参上仕るのでよろしくでござる。』

「げ!」

 沙織からのメールには違いなかったが、その内容は仰天ものだ。

「近日中に、黒猫と一緒に、こっちへ来るってか?!」

 それがハッタリでないことを示すつもりなのか、文末には、『拙者は京介氏の居場所を突き止めておりまする』の文言
とともに、俺が世話になっている下宿屋の住所が記載されていて、おまけに、地図のURLまで貼ってあった。


「……そうだよな。沙織が超が付くほどのセレブだってのを忘れてたぜ……」

 父親が議員であるという特殊な事情があったにせよ、あやせのような小娘でも、俺の居場所を突き止めたんだ。
 大きなマンションに一人住まいを許され、自由に扱える資金も権限も十分にありそうな沙織ならば、あやせ以上に
様々な手段で、俺のメアドや居場所を突き止めることが出来るだろう。

 俺がメールを読み終えるのを待っていたかのように、机の上に置いておいた俺の携帯が着信音を奏でていた。
 確認するまでもない。相手は沙織だろう。さっきの開封通知で、俺がメールを読んだことを知った上での電話に違い
ない。

「俺だ、京介だ」

『おお! 京介氏。お久しぶりでござる。お元気そうですな』

 この独特のヘンテコな言葉遣い。無駄に感嘆詞に力を入れるイントネーション。まさしく沙織だった。

「まぁ、元気っちゃ、元気かな……。なんとかかんとか、やってこれているよ」

 本当は八方塞がり一歩手前といった感じだが、それを正直に告げたところで、沙織を無駄に心配させるだけだ。
 何の益にもなりゃしない。

『それは何よりでござる。いや、拙者も黒猫氏も心配しておりましたぞ。本当に、ある日突然に、拙者たちの前から、かき
消すように居なくなられて……。きりりん氏も、京介氏の行く先はとんとご存じない。ご両親に京介氏のことをお伺いし
ても、いっこうに埒があかない。いやいや、拙者も黒猫氏も、京介氏がいかがなされたのか、本当に危惧しておりました』

「いや、沙織にも、黒猫にも、心配をかけてすまなかった。だが、事情が事情だけに、行き先をお前や黒猫に告げるわけに
はいかなかったんだ」

『その事情は、拙者も存じておるつもりです。ご両親が、京介氏ときりりん氏との関係を危惧されたからというのは、
拙者のみならず、黒猫氏も存じておりまする』

「そうか……」

 俺がこんなところに隠遁させられている事情は、赤城もあやせも分かっていたんだ。沙織や黒猫だって気付くだろう。

『不躾ながら、事件の発端は、拙者、昨年夏の御鏡氏の登場と理解しておりますが、宜しいですか?』

「うん……。まぁ、そんなところなんだよ」

 俺と同い年の男でありながら、エタナーの女社長のお抱えファッションモデル兼デザイナーで、常人離れした美貌の
持ち主。
 その御鏡が、その女社長の工作とはいえ、桐乃の彼氏として俺の実家に出現したのが昨年の夏だった。
 忘れようったって、忘れられない事件だったぜ。

『その御鏡氏に対して、京介氏は敵意を剥き出しにされた。それを京介氏ときりりん氏のお母上が、てっきり京介氏が
実の妹であるきりりん氏に執着されていると勘違いされたというのが、宜しくなかったんでござろう……』

「そう、最初は、お袋の勘違いだったんだよ……」

『でも、その事件がきっかけとなって、きりりん氏の本心をご両親も知るところとなった……。その結果、京介氏は、
そちらへ隔離……、いや、これはちょっと不謹慎でござった……』

「いや、本当の事だから、気にしてねぇよ。実際、桐乃から隔離するために、実家から放逐されているようなもんだからな」


 それどころか、奨学金の申請と引き換えに、仕送りが減額されるんだぜ。
 もう、親、特にお袋からは半ば見捨てられているに等しいよな。

『そんな京介氏を、拙者たちは励ましたいと思っておりまして。近日中、出来れば、次の日曜日あたりにでも、拙者と黒猫
氏とで、お邪魔させていただければと思い、先ほどはメール、そして今はこうして電話にてお伺いしておる次第でござる』

「そ、それは、まぁ、ありがたいけどよ……」

 俺だって、正直、沙織や黒猫には会いたい。しかし、この下宿屋に押しかけられるのは、御免被りたい。あやせの時は、
どうにか『妹』ということでごまかせたが、沙織や黒猫が来た時まで、同じ嘘が通用するはずがないし、他にうまい言い
訳も思いつかないからな。それに、まさかとは思うが、桐乃がこの件に関わって居るのかどうかが気になる。
 だが、聡明な沙織は、そんな俺の懸念を鋭く見抜いてくれたらしい。

『ご心配には、及びませぬぞ。先ほどのメールにしたためた京介氏の住所は、黒猫氏にも、きりりん氏にもお知らせする
ことはござらん。ただ、拙者が本気で京介氏にお会いしたいという決意の現れを示すために、僭越ながら貴殿の居場
所を調べ、それを先ほどのメールに記載させていただいた次第でござる』

「じゃ、じゃあ、こっちの下宿には来ないんだな? それと、桐乃は、今回は関わってこないのか?」

『京介氏の下宿の住所は、黒猫氏にも秘密にさせていただく以上、拙者も京介氏の下宿にお邪魔するわけには参りま
せぬ。それに、今回そちらへお邪魔するのは、黒猫氏と拙者のみでござる。きりりん氏も、おそらくは京介氏に会いたい
とは思いまするが、今はまだ、その時期ではござらん』

「そ、そうか……。そうしてもらえるなら、助かるよ」

 状況を的確に判断したマネージメントには恐れ入る。これで、俺よりも年下なんだからな。末は、立派な実業家になり
そうだ。

『それでは、京介氏。今度の日曜日ということで宜しければ、当日は、午前中にそちらの中央駅に到着するように致しと
うござる。先ほど、黒猫氏とも相談致しましたが、朝八時頃に東京発の新幹線に乗れば、昼前には、そちらの中央駅に
到着するでござろう。しからば、中央駅前にあるアニメショップを見てから三人で昼食をして、その後は、市内を見物し
ながら互いの近況報告を含めたおしゃべりということでいかがでござろうか?』

「いいんじゃねぇか、俺も、みんなと久しぶりに会いたいからな」

 しかし、駅前のアニメショップって、アキバにある店の小規模な支店なんだけどな。
 見てもしょうがないと思うが、まぁいいか。

『おお、それはそれは……。では、黒猫氏ともスケジュールの詳細を詰めて、後日、改めてご連絡申し上げる』

「いや、そんなにしゃちほこ張らなくてもいいよ。当日、新幹線の中からでも到着一時間前くらいに電話かメールでもしてくれ。そうしたら、中央駅の改札まで迎えに行く」

『では、そう致しましょうぞ。それでは、今度の日曜日は、宜しくでござる』

「ああ、こちらこそ、宜しく頼むぜ。だがな……」

『おや、京介氏。何か、気になることが未だおありでござったか?』

「いや、念のために訊いておくが、俺の居場所をどうやって突き止めたんだ? それに、俺のパソコンのメアドとかも、
どうやったら分かったんだ?」

 電話の向こうでは、沙織がからからと笑っていた。


『京介氏、それを訊くのは野暮というものでござろう。拙者、色々と人脈もあれば、年齢不相応な権限も持ち合わせて
おる次第にござる。京介氏の居場所を知るためとあらば、それらを行使することもやぶさかではござらんと、ご理解くだ
され』

「そうだったな……。お前だったら、俺の居場所を突き止められるだろうな」

 そうはいっても、個人情報保護法があるんだから、簡単じゃねぇよな。沙織だって、それなりに本気で俺のことを心配
してくれているから、多少の無理は承知の上で、彼女が言う『人脈』とか『権限』とかを行使したんだろう。
 沙織が具体的にどんなことをやったのか、下々の俺には分からねぇけどよ。

『では、拙者の用向きは以上でござる。拙者も黒猫氏も、当日は京介氏にお会いできることを楽しみしておりまするぞ』

「俺もだ。当日は宜しく頼むぜ」

 通話を終えた俺は、自身の携帯端末の液晶画面に暫し見入っていた。
 画面には、沙織の携帯端末の番号と通話時間が、角張った無機的なフォントで表示されている。
 見たか、お袋よ。
 あんたが、俺をこの地に追いやり、俺のことを半ば見捨てようとも、こうして俺のことを気に掛けてくれる奴は居るんだぜ。
 あんたが、俺の居場所をどんなに秘匿しても、そいつらは、あやせや沙織は、おそらくは合法非合法の手段を問わず
に、こうして俺の居場所を突き止めてくるんだ。
 ざまぁ見やがれ。

「落ち込んでいたけどよ……、ちったぁ元気が出てきたのかもな……」

 誰も彼もから見捨てられては、人は生きてはいけない。
 だが、遠くからでも、誰かが想ってくれるのなら、それが生きる上での励みとなるのだろう。
 そんなことを思いながら、俺は、本来すべきであった判例の検索に取りかかった。
 それが一段落しそうな頃合いに、下宿の女主人が、階下から俺を呼ばわった。夕餉の時間なのだ。
 俺は、ダウンロードしたPDFファイルに適当なファイル名を付けて保存すると、飯を食うべく、のそのそと階下の
八畳間へと向かった。




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最終更新:2011年07月26日 22:56
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