黒猫の幸福 04


 それは一瞬だったのか。それとも数分か。数時間か。
 真っ白いまどろみに身体を漂わせながら、私はその声を聴いた。

 だれかが私の名前を呼んでいる。

 あ。
 うん。
 それはとても優しい人の声。
 全てをゆだねても安心できるような、そんな誠実で真摯な人の。私が大好きな人の声。

「だいすきよ。あいしているわ」
 私は無意識のうちに、そんな言葉を発しながらその人に抱きついていた。
 毎晩夢の中で囁いている言葉。
 どういうわけか、その言葉は今日に限っては深く響く。

 …あれ。声に?
 ホントに声に出していたの?

 意識が戻ってくるにつれて、私はあまりに直截的過ぎる自分の言葉に頬が赤くなってしまう。
 でもそんな恥ずかしさも瞬時に消える。この人が囁き返してくれるから。
「ああ、俺も愛してるぜ」
 今この瞬間、私は世界で一番幸福な女の子かもしれない。

 裸の体同士で抱き合って。
 体温を生で感じて。
 温かくて。嬉しくて。言葉にならなくて。
 そのまま何度もキスしあった。
 柔らかな耳たぶを噛み合った。
 私はこの人の男根からゴムを外し、その匂いを嗅ごうとした。
 この人は慌ててそれをひったくると、小さく縛ってティッシュに包んで捨ててしまったけれど。

 私はこの人の胸板に頬を寄せる。
 二人でベッドのシーツの上に寝そべり、厚い筋肉質な汗ばんでいる肌に頬を密着させる。
 とくん。
 とくん。
 とくん。

 この人の心臓の音を感じられる。
 それが嬉しい。
 この人の胸にもたれていると、この人は私の頭を撫でてくれる。
 頭の形を確かめるみたいに包み込んで。
 髪の手触りを楽しむみたいに優しく。


 私たちはまるで生まれたばかりの小動物みたいに、じゃれあった。
 触れる肌の面積が多ければ多いほど、幸せになれる。
 唇とか、手とか、ほんの僅かな面積で触れ合うだけでも嬉しいのに。
 胸から腰に掛けての広い面積で触れ合うのはもっともっとキモチイイ。
 脚を絡ませあい、交尾中の蛇みたいに身体を触れ合わせるのは温かくて幸せ。
 知らなかった。私は何も知らなかった。
 そうしているうちに、私はまたこの人の男性が昂ぶってくるのに気付いた。
「あ、いや、その、スマン」
「やはりあなたのここはケダモノなのね」
 そう言いながらも、私は頬が緩んでくるのを止められない。
「…謝らないで頂戴。私は、先輩が私で興奮してくれるのは嬉しいのだから」
 本当に嬉しかった。
 私のことを、女の子扱いしてくれるひと。
 世界で一番大切な男の人が、私の身体で興奮してくれるということの歓喜。
「これからは避妊具は複数個用意したほうがよさそうね」
「スマン。いや、その、俺が準備するって」
 そんな優しいことを言ってくれる人は、この宇宙にも一人しかいない。
 だから私は妄想していた行動に移る。

「こんなにした責任を、取らないといけないわね」
 私はこの人の猛りきった肉棒に顔を近づける。
 生臭い匂い。
 男の、雄の匂い。
 でもなぜだか不快ではない。
 嗅いでいるうちに胸の奥が熱くなる。
 おへその下あたりから不思議な感覚が湧き出てくる。

 その薄桃色をした先端にキスをする。
「なっ、く、くろね――」
 慌てているこの人を無視して、私はその先端を咥えた。
 唇の内側の粘膜で直接感じるこの人の男性器。
 その生臭くも興奮を誘うその味覚が私を陶然とさせる。

 インターネットで調べて判っている。
 どういう風にしたら男の人は気持ちがいいか。
 どんな風にしてはいけないか。
 どこに舌を這わせると男は堪らないか。

 でも、インターネットには書いてなかった。
 唇を男性器に奉げることがこんなに気持ちいいことだとは。
 咥えてあげている最中の男の人に、優しく髪を撫でられることがこんなに幸せということはこれっぽっちも書いてなかった。
 男根を深く口中に含みながら、茂りきった陰毛に鼻を埋めつつその男臭い獣の匂いを嗅ぐと脳の芯が痺れそうなほどの
恍惚感を得られるなんてことはまったく書いてなかった。
 この人の顔を上目遣いに見上げると、眉根を曲げながら快感に身を捩じらせている表情を見ることができるなんてことは
ちっとも書いてはいなかった。

 頬の内側の粘膜にこの人の亀頭を吸い付かせる。
 そしてすぼめた唇で、出っ張っている雁首を刺激する。
 唾液とこの人の先走りの混じった液体を、舌先で裏筋に刷り込むように何度も押し付ける。
 荒くなるのはこの人の鼻息だけではない。
 私も、ひと舐めする度にお臍の下が熱くなる。
 舌の先端で雁首を撫でるたびに、私のあそこの芯がジンジンと熱く充血して切なくなってしまう。
 私の中から溢れてくる「好き」な気持ちを塗りこめよう。
 そう思って硬く脈動する男性器に舌を這わせる。
 唾液を塗りこめる。
 頬の内側の粘膜を吸い付かせる。

 そして

 口の中に真っ白な爆発。
 雄のエキスを凝縮したような味が私の舌を蹂躙する。
 口内粘膜に染み渡り、そのせいで私は軽い絶頂に登らされる。
 獣臭い味。
 苦くて、不味くて、でも不思議に不快ではないその味。
 この人の生命の根源の味。
 それが私の全身に広がっていく。
 気がつくと無意識のうちに私は、口の中にぶちまけられた精液を全て嚥下してしまっていた。
 この人の種が私の一部になる。私の中で融けて、私と同一化していく。
 それは堪らなく幸福なこと。
 こんな幸せなこともあるなんてことを。
 私は初めて知った。

「あ…あれ、全部飲んだのか」
 この人の声が私の胸に響く。
 嬉しい。
 この人を喜ばせるためならなんでもしてあげたい。
 この人の嬉しそうな顔を見るためなら私はどんなことだってする。
 焚き火に自らの身を投げた兎の気持ちが今の私にはよく判る。
 全身全霊を奉げて幸福にしてあげたい人。
 それが、この人。


 そんな渦巻く感情が、私の唇を動かす。
「先輩? 私は…先輩だけのものだから。他の誰にも、この身体を触らせたりはしないわ」
「あ、うん。黒猫…瑠璃。俺、お前のこと誰にも渡したくない」
 そう言って貰えただけで私の腰の裏あたりに切ない電流が流れる。
「だから、先輩も…あ、あなたも…わ、私だけで、気持ちよくなって欲しいの」
 こんなことを言ったら独占欲の強い女だと思われるかもしれない。
 でも、私の言葉は続く。
「いつだって、先輩が射精したくなったら私に言って欲しいの。私以外で射精して欲しくないの」


 この人はちょっとだけ困ったような顔をしながら私の言葉に反応する。
「ええと…その、自分でするのもダメなのか?」
「どうしても私が間に合わないときはそれでもいいわ。でもね。そのときは」
 ベッドの下に手を回す。あった。
 私は引き抜いたグラビア雑誌をこの人に突きつける。
「こんな写真なんかじゃなくて、私のことを思って射精して頂戴」

 焦ってるこの人の顔も、今の私にとっては堪らなく愛しい。
「私のことしか考えられなくしてあげるわ。コレは呪いよ。私以外のことを思ったら射精できなくなる呪い」
 私はこの人の股間に再び唇を近づけると、上目遣いにこの人の顔を見上げる。
 私の言葉だけで再び天をさすその長大な竿をすぐに口には含まず、唾液でたっぷりの舌でもって舐め上げる。
 硬く張り詰めている海綿体の下のふくらみにも舌を這わせる。
 そのコロコロとした可愛らしい睾丸を口に含み、剛毛の中のこの人の味わいに陶酔する。

 全てが愛しい。
 全てを愛してあげたい。

 私はそれに没頭していた。
「くっ、くろねっ」
 この人のどこを刺激すると気持ちよくなってくれるのか、だんだん判ってきた。
 舌先で触れるこの人の粘膜。
 脈動し、この人の欲望と快楽を司る器官。
 私はそれに没頭していた。

 その下の薄い褐色の窄まりでさえ愛しい。
 だから私はそんなところにも平気でキスの雨を降らせる。
 亀頭をくわえ込み、その熱い粘膜を舌で抱きしめる。
 唇をすぼめて亀頭を刺激し、愛しいそれを舐め上げ、しゃぶり、いとおしむ。

 そして、この人は私の口の中で再び欲望を爆発させる。
 再び放たれた生命の源泉を私は嚥下する。
 胃から。内臓から吸収されるこの人の生命。
 私が少しづつ、この人になっていく。
 私の中に、この人の成分が混じっていく。
 この人は私を気遣ってくれる。
「その、全部飲まなくても」「――イヤよ」
 それはとても幸せな気持ちだから。
 お酒を飲んだことがないからわからないけど。
 きっと酔うというのはこんな気持ちなのだろう。

 腰の中が熱い。
 さっきと今、二度飲んだこの人の精液が私を奇妙な酩酊に誘っている。
 下半身の内側に溶岩のような熱い滾りを感じる。
 それはキスされるだけで量を増す。
 身体に触られるだけで温度が高くなる。
 その瞳で見つめられるだけで腰の奥が切なくなる。
 もう一度、あの刺激が欲しくなってしまう。

 もう一度この人が欲しい。
 …でも、それは駄目。
 この人が言ってくれた言葉に反してしまうから。
 私のことを大切に思ってくれた言葉。
 なにより大切な言葉。
 それに反してしまうから、駄目。

 私の反応をこの人は目ざとく気付いてしまう。
 否。気付いてくれる。
 私の心なんて、もう何も隠すことができない。

 そんなこの人は、私の想像を超えた行為に及ぶ。


 私の両足首を掴むと、私の身体を二つ折りにするように固めてしまう。
 両足首が頭の両脇のシーツに押し付けられる。
 恥ずかしいところがこの人に丸見えになってしまう。
「な、なにをするのよ」
 精一杯の抵抗しようとしても、臍の下から溢れ出る熱のせいで身体がうまく動かない。
 両脚を広げさせられた女として一番恥ずかしい体勢を強いられてしまう。

「やっぱり、お前のココ、すっごく綺麗だよな」
 そういうこの人の顔は、私の隠したい部分のすぐ前にある。
「つるつるでさ、その中がほんのりピンクがかっててさ、舐めたくなる」
 そう言うと、この人は私のそこにキスをしてくれる。
 その唇の粘膜の熱さにとろりとした蜜が溢れてしまう。
 陰唇を舐めしゃぶるこの人の唇。
 私をこじ開けるようにそこに這ってくるこの人の舌。
 私は声にならない声を上げること以外なにもできない。

 ひと舐めされるだけで、私の腰の奥の熱は爆発してしまう。
 この人の吐息をそこで受けるだけで、私は恍惚の階段を無理矢理登らされてしまう。

 舌が入り込んでくる。
 私が自涜するときに触れている芯の包皮を、この人の舌は器用に剥き上げる。
 私の不浄の窄まりでさえ、この人は愛しげに舐めてくれる。
 言葉にならない。
 頭の芯が熱く蕩けて、なにも考えられない。
 この人が愛しい。
 この人に愛されるのが幸せでたまらない。
 体の芯が痺れる。
 幸せの波濤に翻弄される小船のように、私の悲鳴ともつかない嬌声がこの人の部屋の中に響く。

 そして、一番深くそこにキスを受けた瞬間。
 荒い鼻息を女の芯に感じた瞬間。

 私は再び、意識を手放した。


 繋いだ手から幸せが伝わってくる。
 繋いだ掌から。指と指の間から。
 この人の裸の胸に顔を押し付けながら。
 この人の片手で頭を優しく撫でられながら。
 幸福の波に全身を洗われながら。
 細く開いた瞼からは、この人の優しい顔が見える。

 そして私たちは、そのまま睦言を交わす。
 どれほど好きと囁いても、伝えきれない心。
 キスすることで私たちは足りない言葉を補う。

 完全に心も身体も委ねてしまえる安心感。委ねてしまってもいいという安らぎ。
「逢いみての後の心にくらぶれば昔はものをおもわざりけり」
 その歌の本当の意味が私の心の一番奥にゆっくりと沈殿し、深く深く根を張り始める。
 呼吸するだけで。
 その体温を身体の横に感じるだけで。
 幸せになれる。
 安らげる。
 ほんの数時間前までは知らなかった。
 ほんの数時間前までは想像すらしなかった。
 こんな幸せがこの世界に存在するなんてことを。

 だから私は囁く。
 この宇宙で唯一の人に。
 この世界でただひとりの、比翼連理のひとに。
 手を繋いだまま、腕を絡ませて抱きつきながら。

「大好きよ。愛しているわ」

と。



終わり




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最終更新:2011年03月28日 13:34
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