5月の新緑の芽生える暖かな季節。槇島沙織は不機嫌だった。
それは彼女の持つ美貌と柔和な笑顔で表には出さぬよう気を使っていたものの、彼女を良く知るものからすれば周囲のオーラでその不機嫌ぶりが察せる程度のものだった。
理由は2つある。1つ目は単純にして明快、彼女の『夫』――高坂京介がこのところ相手をしてくれなくなったからだ。
京介はこの春に横浜のとある国公立大学に進学することになり、その流れで『夫婦』である沙織とマンションで同棲することになるのはほぼ当然の成り行きといえた。
桐乃は頑強に反対していたが根を詰めた説得の末に折れ、果たして2人は同棲することになったものの、京介は京介でアルバイトやサークル活動に精を出すようになった結果、まだ高2ゆえに小回りの効かない沙織が置き去りがちになってしまったのだった。
(京介さんも極力時間を割いてはくれているのはわかるけれど……)
はぁ、と小さく溜息をつく。夫として様々な経験や交友を積もうとしている京介には沙織ももちろん了承づくのことではあるのだが、理解はできても納得はできないというのがうら若き乙女心というものだ。
そしてもう1つの理由は、
「ねえ沙織っち、最近彼氏とはどうなの?ほら大学生のさー」
「え?べ、別に何がどうということは特にないですが……」
「またまたー。時間につけてはイチャイチャしてたりするんでしょ?」
「はぁ……」
これだ。最近はデートの場所が格段に横浜寄りになった関係上、同じ学校、同じ学年、同じクラスの知り合いに見つかることは不可避だった。
もともとお嬢様学校の中でも沙織自身が成績優秀・容姿端麗とあって同性の中でも人気が高く(お姉さまと慕うファンクラブもあるほど)、さらに京介が大学生という『年上の男性』としてのレッテルが付加されたことで好奇の詮索が後に絶えなかった。
年頃の女性、それも箱入り娘しかいないような女子高とあってとりわけ性的なことに対する関心は深く、京介とのデート回数が減った沙織にとっては煩わしい事この上なかった。
「うーん、要領を得ないなあ。最近彼氏と上手くいってないの?」
「……別にそんなことはないですけど」
「いやー、沙織っちは隠してるつもりかもしれないけど欲求不満なのはバレバレだよー。若いんだからもっと体をアピールしてみたらいかがぁ?」
目一杯沙織にセクシーなポーズでおどけてみせるクラスメート。
大きなお世話だとも思ったが、実際最近京介が忙しくてアッチの方も週1程度しかやっていないのは確かだし、たまには妻の権利を主張してみるのもいいかもしれない。
「そうですわね。ありがとう里香さん」
「いいってことよー、また酒のサカナになりそうな面白いノロケをきかせてくれればねー」
「あなた未成年でしょうに」
沙織は学校の中でも比較的気兼ねなく話せるこの里香という少女に軽くチョップを当て、あーだこーだと世間話をしてその日は家へと帰宅したのだった。
次の金曜の夜、沙織は取り込んだ洗濯物にアイロンがけをしていた。
今日は京介は早めにバイトを終えると聞いていたので、沙織はそれに付け込んでおねだり、もとい
襲い掛かるつもりだった。
久しぶりに京介と抱き合えると考えると、面倒な家事もまるでアトラクションのように軽やかに運ぶ。
シャワーも浴び、勝負下着に付け替えると、後は京介を待ち受けるだけとなった。
「さて、これで準備は万端っと……あら?」
沙織は視線の端――ベッドの下の隅に何か白いものを見つけた。
「これは、京介さんのパンツ……ですわね……」
大方以前の行為の際に脱いで放り投げたものが見つからなくて忘れてしまったのだろう。
沙織はそれを掴んで意味もなく広げてみた。
「これは、京介さんの匂い……って、わたしは何を変態みたいなことをっ」
沙織は自分でパンツを両手で引き伸ばしているのを忘れたまま頭を抱えてしまった。すると。
「あっ……か、被ってしまいましたわ……!な、なんですのこの皮膚に吸い付くようなフィット感は!?!?ああ、で、でもこれは……!!」
最近の欲求不満も相まって、今ここに沙織のリビドーが覚醒した!
「気分はエクスタシ――――ッ!!クロスアウッ(脱衣)!!」
京介はバイトを終えて愛する沙織の待つであろう家の前に着き、ほっと一息ついた。
「今日は久々に早く帰ったし、沙織と一緒にいられる時間が増えるなぁ。沙織、帰ったぞ――って真っ暗じゃないか。外出したのか?鍵もかけずに不用心だな」
勝手知ったる我が家の中に入って照明のスイッチを押そうとしたところ、指先に柔らかくコリっとした感触が伝わってきた。
「それは私のスイッチだ」
「!?」
すると照明が一瞬にしてつき、沙織の格好を見た京介は仰天した。
「な、なんだ沙織その放課後電○波クラブみたいな格好は!?」
「沙織ではない、私は淑女仮面だ!最近沙織に構ってやらない貴様に対してお仕置きをしにやってきた」
「淑女仮面!?」
沙織、いや淑女仮面は顔面に京介のパンツ、上には何も着ずに下のピンクの下着を肩口まで伸ばしV字状に両乳首だけを隠したもの、そして網タイツという異形な格好をしていた。
沙織のプロポーションが余すところなく出ているはずなのに全くエロさを感じないのはあまりにもあんまりな格好のせいか。
「とぉっ!!」
「うおっ、こ、これはロープ!?」
京介はたちまちわけも分からぬ間に亀甲縛りに絡め取られた。
「く、くそっ!目を覚ませ沙織!」
なんとか両手の自由だけは守ったものの、体と両足、そして首が拘束されてろくに動くこともままならない。
「ほう、なかなかやるじゃないか。だがこれで終わりだ!淑女秘奥義、地獄のタイトロープ(綱渡り)!!」
「なっ……うおぁっ!?」
首にくくり付けられたロープから淑女仮面が京介の首めがけて股間から突進してきた。
あまりにアレな光景に京介の体がたじろぎ、その隙に京介の顔面に股間が直撃した。さらにはパンツの中に京介の顔面が押し込まれる。
「フガガフガフガ……!(い、今の状況じゃ全然嬉しく感じねえ……!)」
呼吸ができずもがき苦しむ京介だが、沙織を正気に戻さないことには死んでも死に切れない。
京介は最後の力を振り絞って両手を振り回し、沙織のかぶっているパンツを意識が落ちる直前に剥ぎ取った。
「成敗!…………はっ!きょ、京介さん!?い、いやあぁぁぁぁ!!!」
とても安らかな笑みを浮かべつつ失神する京介を抱きながら沙織は慟哭した。
「………………」
「あ、あのさ……ごめん」
「なんで京介さんが謝るんですか……?謝るのはわたしの方でしょ……」
京介がベッドの上で意識を取り戻したとき、沙織は部屋の隅で体育座りをしながらしょんぼりとうなだれていた。無理もない。
「えーっと、だって、あんな風になったのは、俺が沙織をもっと構ってやらなかったから……だろ?」
正確には沙織の更なる人格が顕在化したといった方が正しいのだが、さすがにそこに触れたら更なるヤブヘビになりそうなので触れなかった。
「ま、まあ……そうですけど……それにしてもあんまりな……」
そこで、京介は泣きじゃくる沙織を向き直らせて肩を抱いた。
「俺達、夫婦だろ?俺は夫なんだから、悪い所だって全部呑み込んでやるさ。
だ、だから……その……今日はめいっぱい愛し合おうぜ……」
「きょ、京介さん……」
顔から火の出るほど真っ赤な顔の京介を見て、沙織はこのひとを選んで本当に良かったとしみじみと思った。
その夜は、いつまでも嬌声が絶えなかったそうである。
おしまい
最終更新:2011年04月13日 13:07