全方位土下座外交・沙織編


学校が終わり、家への帰り道。
一人で歩いている時に頭に浮かぶのは、大切な友人達のことです。

きりりんさんも黒猫さんも京介さんも、家が近かったり学校が同じであったり。
できることなら私もその近くで暮らしたいのですけれど。
さすがに学校まで変えるわけにもいかないですし。

大きなマンション丸々一棟。
それが私が家と呼んでいる場所。

それは、友人達の家のように『暖かさ』が待っている場所ではありません。
待っているのは一人の部屋と、数々の思い出たち。

でも、今日はいつもとは少し違いました。


「か、香織姉さん!?」

「おう、沙織。久しぶりだな」


2年ぶりになりますでしょうか。
帰っていらっしゃるのであれば、
ご連絡いただければよろしいのに。


「い、いつ帰っていらしたんですの?」

「ははは、ついさっきだ」


姉さんに会ったら話したいことがいっぱいありました。
いっぱいあったのですけれど。

今はあまりの嬉しさに、何も話すことができません。


「姉さん……会いたかった……」

「そうかそうか、って何泣きそうになってんだ!?」

「だ、だって、全然帰ってきてくださらないんですもの」

「まったくお前は相変わらずだな」


そういうと姉さんは、昔のように頭を撫でてくれます。
私はつい力が抜け、へなへなとなってしまいました。
きりりんさんのブラコンに負けず劣らず、私は姉が大好きです。

「お前は引っ込み思案だからな…ちゃんと友達はできたのか?」
「ふふふ……いつまでもあの頃の私じゃありませんわ」
「?」
「今では私、友達グループのリーダーですの」
「ま、マジで……?」
「マジです……」


姉さんの、驚きと喜びの入り混じった視線を、くすぐったく感じました。


◇ ◇ ◇


「あの頃の姉さんの気持ちが、少しだけ分かるようになりました」

「そう……か?」


今はずいぶんと久しぶりに、二人で晩御飯を食べながら、
私の作ったコミュニティについてひと通り話をし、一息ついたところです。


「『好きになっちゃいけない立場ってもんがあるのさ』って……」

「お、お前。そんな言葉まだ覚えてたのか」

「ふふ、当然忘れるハズないではありませんか」


私は京介さんの顔を思い浮かべながら、
そしてきりりんさんと黒猫さんの顔を思い浮かべながら
姉さんに話をしました。


「あの時は解りませんでしたが、今なら解ります」

「……ふん。できたらお前には、解ってほしくなかったな」

「そうですか。でも、後悔はしていませんよ」

「お前が納得してるなら、まぁいい」


そう言うと姉さんは少し遠い目をしました。
きっと、過去を見つめているのでしょう。
私はあの時の姉さんを思い出していました。

『貴様等、そこに並んで正座しろ!』

あの時の姉さんと同じ状況に自分が陥ったとき、
はたして姉さんと同じ行動ができるのでしょうか。

私には、まだ自信がありませんでした。


◇ ◇ ◇

「京介さん……あぁ、そこ」


私は今、自分の体を自分で慰めています。
同人誌などでは良く見る行為ですが、
実際に自分でするようになったのはごく最近のことです。


「あぁん、ダメです……はぁ……あ……」


クリトリスの周辺で、焦らすように指を滑らせては
我慢できなくなって触ってしまう。
布団の中で、そんな拙い自慰を、繰り返し行っています。


「京介さん……あぁ……もっと…」


想像するのはあの人のこと。
たぶんこれが、私にとっての初恋。
そして、決して叶うことのない―――いいえ、叶えてはいけない、恋。

それが解っていてなお、私は自分の指を止めることができませんでした。


「あぁ…すごい……そんないやらしい触り方……」


彼の指がいやらしく私を攻め立てます。
仕返し、とばかりに、私も彼の指を舐めて反撃をします。


「ちゅっ……ちゅぱっ…はぁむ……ちゅっ…」


私の反撃で興奮したのでしょうか。
彼もまた、私の最も感じる部分を激しく攻め立て始めました。


「あぁ……あ…くふぅん……あぁ……あん…あ…」


私は布団を噛んで声を殺しながら、だんだんと高ぶっていく自分を感じています。


「あぁん……あん…あぁぁ……ん…はぁ、あぁ…あ…だめ……」


もうダメ、イッてしまいます!


「あっ……あぁぁぁぁ………はぁ、はぁ……」


いつからこんないやらしい娘になってしまったのでしょう。
想い人との情事を妄想して自分を慰めるのが、いつしか日課になってしまいました。

◇ ◇ ◇
「京介氏、い……今、なんとおっしゃいましたか」


私は上手く聞き取れず……
いえ、本当は理解しちゃんと聞こえていたのですが、
心の準備をする時間を稼ぐため、もう一度尋ねました。


「いやー拙者よく聞き取れなかったもので、もう一度お願いします」

「えーっとな……俺と黒猫、恋人になったんだ」


その言葉はスッと深く、私の胸の内に突き刺さりました。
いつかはこの時が来る。
本当はずっと、心の隅では解っていたことですのに。


「黒猫氏、本当でございますか?」

「えぇ、本当よ」

「きりりん氏はご存知だったので?」

「うん。あんたより先に、聞いてたんだ。ごめん」


仲良くなっていく京介さんと黒猫さんを、
応援して背中を押していたのは他ならぬ私自身です。
それなのに、今の私の心は冷え切ってしまっていました。

そんな私の顔を、黒猫さんが覗き込み、尋ねてきます。


「沙織……その、怒っているの?」


私は……


ふと、香織姉さんの顔を思い出しました。

そうだ。
……そうだ。

姉さん、助けてください。
私に力を下さい。

私は眼鏡を外すと、姉さんが昔愛用していたサングラスを掛けました。
どうか、私に力を。

「貴様等、そこに並んで正座しろ!」


突然性格が変わった私の言葉に驚き、
京介さんと黒猫さんと、なぜかきりりんさんまでもそこに正座しました。

私は、「あのとき」の香織姉さんの台詞を今でも鮮明に覚えています。

きっと私は、私のままでは、同じ台詞は言えません。
私は姉さんほど強くないのですから。


「京介氏!」

「は、はい」

「貴様、本気か?」

「えっと……何が?」

「本気で黒猫氏のことを好きなのかと聞いている!」


京介さんはあっけにとられた顔をしていましたが、
私の問いにしっかりと答えました。


「あ……あぁ、本気だよ。本気で好きだ」

「その言葉、ウソはないな」

「あぁ」

「では土下座だ」

「え?」

「私に認めさせてみろ」


京介さんは戸惑いながらも、両手を床につき、深々と頭を下げました。


「……瑠璃のことが好きです。認めてください」

「………ふむ。」

「……」

「もしも黒猫氏を傷つけるようなことがあれば」

「……」

「貴様を一生蔑むから、そのつもりで」

「……分かった」


私は、京介さんの隣で赤くなっている黒猫さんへと視線を移しました。


「黒猫氏、貴様は?」

「……本気よ。本気で先輩の事が好き」


私が何を言う前に、黒猫さんもまた両手を床につき、頭を下げました。


「お願いします。認めてください……」

「………ふむ。もしも京介氏を傷つけるようなことがあれば」

「……」

「きりりん氏が黙っていないかと思うので、そのつもりで」

「―――あ、あたし!?」


急に話を振られたきりりんさんは、目を丸くして変な声を上げていました。
ふふふ。やはりきりりんさんは、かわいいですわ。


「さて、きりりん氏!」

「は、はい」


私はサングラスを外し、いつもの眼鏡を掛けなおしました。


「ちょっと呼んでみただけでござる」

「あ、あんた……」


いつもの調子に戻った私に、3人ともほっとした様子でした。
ふふふ、慣れないキャラでいるのは私も少々疲れますわ。
でも、もう一つだけ言わなければいけない言葉があります。

でも、この言葉だけは、姉さんの力を借りるわけにはいきません。
私の顔で、私の口から伝えなければ意味がありませんもの。


私は、眼鏡を外しました。


「京介さん、黒猫さん」


素顔をさらけ出すことは、顔から火が出るほどはずかしいのですが―――
それでもこの言葉は、私の口から言いたかったのです。


「おめでとうございます。幸せになってくださいね」


私の小さな感情の動きに、もしかしたら黒猫さんは気付いてしまったかもしれません。
少し申し訳なさそうに俯きながら、黒猫さんは


「ありがとう」


そう言いました。


◇ ◇ ◇

「沙織、今日のスピーチなんだけどさ」


思い返せば、あれから10年が過ぎているのですね。
きりりんさんはすっかり大人びた声で、私に言いました。


「久しぶりに、『ござる』でやらない?」

「うふふ、それもいいんですが、実はもう作戦は考えてあるんですの」


この作戦を思いついた時、久々にあの頃のことを思い出しました。
あの甘酸っぱい年頃からはずいぶんと変化しましたが
私たちは変わらず友達を続けています。


「なになに?なにやるの?」

「実は、これを使おうかと思いまして」


私はポケットから、古びたサングラスを取り出しました。

かつて姉さんのモノだったそれも、
今ではすっかり私たちの思い出の品になっていました。


「あははは、あんたまさか新郎新婦に土下座させる気?」

「ふっ、そのまさかでござるよ」


今日の私は、心の底から満ち足りた気持ちで
親友と初恋の人を祝福しようと思っています。


おわり





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最終更新:2011年04月13日 22:46
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