新妻の憂鬱


“あらゆる真面目なことの中で、結婚という奴が一番ふざけている”
―――ボーマルシェ「フィガロの結婚」より



「ただいま」
「お帰りなさい。お風呂にする? それともご飯?」
「もちろん、“おまえ”だよ」
「通報しました」

キュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュン

‥‥‥‥‥‥

「なあ、俺たち夫婦なのに防犯ブザーで通報されちゃうわけ?」

そう。
わたし、旧姓新垣あやせは京介さんと結婚した。
今はいわゆる新婚さん。うふふふ。ちょっと恥ずかしいフレーズ。
え? 近親相姦上等の変態鬼畜と散々罵っていた男と何で結婚したのかって?

それ、上手く説明できないのよね。

確かに“お兄さん”は、エッチで変態でドスケベのセクハラ野郎だけど、
悪い人じゃない‥‥‥と思う。
でも結婚するほどの好感度は無いはずだった。

でも結婚した。なぜだろう。わからない。

あ、言っておきますけど、わたし、女の人が好きって訳じゃないですよ?
カモフラージュの仮面夫婦なんかじゃありませんから!
ちゃんと、京介さんとも‥‥‥その‥‥‥してますし。
著名なジャーナリストの方が言っていた『日本人の平均』の回数には
ちょっと足りないけど、していますからね!
でも、あ、あれは、新しい命を授かるための神聖なもので、
そんな軽々しい気持ちでするものじゃありませんから!!

‥‥‥‥‥‥


「行ってきまーす」

毎朝京介さんを送り出すわたし。ほら、ちゃんと“奥さん”しているでしょ?
あ、忘れ物!? もう、慌てん坊さんなんだから!
大急ぎで追い掛けて、バスに乗ろうとしていた京介さんにそれを手渡した。

「行ってらっしゃい」

京介さんを送り出したわたしはバス停のベンチに座り、考え事をしていた。
なぜ、わたしは京介さんと結婚したのだろう?

ピロリーン

メールだ。桐乃から? またわたしをからかうメールなんでしょ。
わたしは桐乃の気持ちを知っていて、京介さんと結婚した。
それで、桐乃との“友達”は終わった‥‥‥と思っていた。
でも桐乃は、わたしとの“友達”を終わらせなかった。
結婚後も今まで通りに接してくれる桐乃にとても感謝している。
ただ‥‥‥お義父さん、お義母さん、そしてわたしの両親と一緒になって、
わたしと京介さんの子供を心待ちにしているのがちょっと気になっちゃうのよね。

メールは、やっぱりわたしをからかうものだった。もう、桐乃ったら!
半ば呆れ気味にメールを閉じると、わたしと京介さんが写った待受画面が映った。

「パパだあ!!」

その声に振り向くと、小さな女の子がわたしの携帯を覗き込んでいた。
パパ? そんな人、何処に居るの?

「パパ パパ」

その子はわたしの携帯を指差して何度も『パパ』と連呼する。
え? どういうこと? この子は一体誰?

「コラ、だめよ! 済みません」

その子の母親だろうか。女性が女の子を制し、わたしに頭を下げてきた。

「だってパパだもん!」

女の子の叫びにその女性は、はっとした顔でわたしの顔を見つめた。
まさか‥‥‥京介さんに隠し子? うそうそうそうそ。うそでしょ?

ウ、ウフフフフ。

京介さんが信じられなくなった。もうこうなったら実家に帰るしかない。
そして‥‥‥押し入れにしまってある手錠と、そして“アレ”を持ってきて、
それを使って京介さんを‥‥‥ウフフフフ‥‥‥尋問してあげるんだから。
今日は金曜だから、今夜と土曜、日曜でみっちりと、ウフフフフ。
尋問のプランを練っていると、女の子が泣きそうな顔で私を見つめて,

「おねえさん、お顔コワイ‥‥‥」


“感情は絶対的である。そのうちでも嫉妬はこの世で最も絶対的な感情である”
―――ドストエフスキー「人妻とベッドの下の夫」より



「あの‥‥‥もしかして京介さんの奥様ですか?」

ようやく我に返ったわたしに、女の子の母親らしき女性が話しかける。

「あ、はい‥‥‥」
「初めまして。わたしは―――」
「え‥‥‥?」

知らなかった。京介さんにそんな意外なところがあるなんて。
この女性はかつて、この女の子―――自分の娘を捨てようとして、
京介さんが住んでいたアパートの近所を偶然にも彷徨いていたところを
京介さんに咎められたという。
娘の父親が居ないことで将来が不安という事情を知った京介さんは、

『もしその娘が将来父親のことを知りたくなったときは、俺を父親と言えばいい』

と言って、自分の写メを撮らせたらしい。かなり乱暴な話だけど‥‥‥
そしてその言葉に後押しされ、勇気づけられて、娘さんを育て続けることが
できたこの女性は、京介さんに凄く感謝をしていた。

そうか‥‥‥
わたしがなんで京介さんと結婚したのか、ようやくわかった気がする。
口べたで、相手の心を読み切れず、勢いでその場を切り抜け、
そのくせ優しい言葉を掛けるところにわたしは惹かれちゃったのだろう。

よし。決めた!
私は一大決心をして、京介さんの帰りを待った。

‥‥‥‥‥‥

「ただいま」
「お帰りなさい」
「あー、今日は疲れたからまずは風呂‥‥‥」
「ダメです! “わたし”にして下さい!!」

帰ってきた京介さんに玄関先で大胆な台詞を吐いた。

「はい?」
「ですから! “わたし”にして下さいって言っているんです!」
「どうした? 通報でもする気か? いつもとは選択肢が違うじゃないか」
「通報なんてしません! 今日は、“わたし”以外の選択肢はありませんから!」

ひぃぃぃぃぃ。自分で言っていて、こんなに恥ずかしいなんて!
顔から火が出そう!!


“人間だけが赤面できる動物である。あるいは、そうする必要のある動物である”
―――マーク・トウェイン「間抜けウィルソン」より



「‥‥‥」

玄関で立ったまま固まっている京介さんにわたしは続けた。

「何か不満ですか?」
「いやいやいや、不満だなんて、全く無い! 全く無いぞ! あやせ!」

う、う、もう~! なんでそんな嬉しそうな顔しているのよ!
いやらしいです!

「じゃあ早速!」
「ちょっと、待ってください! 一応、シャワーだけは‥‥‥」

‥‥‥‥‥‥

わたしがシャワーを浴びて寝室に入ろうとドアの前まで行くと
京介さんがわくわくした調子で、歌を歌っていた。

 こんなこといいな♪ できたらいいな♪

もう! エッチなんだから!
などとドアの前で腹を立てていると、いきなりドアが開いた。
そして京介さんはわたしを抱き上げて寝室に連れ込み、ベットに横たえた。

そして、わたしを‥‥‥わたしの‥‥‥わたしに‥‥‥

 ソレ! とつげき♪
 あん あん あ~~~ん♪ とってもだいすき 京介さん♪


はぁ‥‥‥
こんな軽々しい気持ちで‥‥‥自分が信じられない!!
わたしって本当はこんなにエッチな女だったんだ。いやらしい‥‥‥もうっ!
でもそれ以上に、京介さんは‥‥‥とてもエッチだった。
バカ!


“妻が夫に夢中なときは万事がうまくいく”
―――レイ「イギリスのことわざ」より



ピリリリリ ピッ

「おう、桐乃か」

桐乃から電話? もう桐乃ったら! 京介さんはもうわたしのものだからね?
ちょっと邪魔しちゃえ。京介さんの携帯に近づいて声高に喋ってあげた。

『ひゃっ! やだっ、も、もうっ‥‥‥京介さんのエッチ!
 どこ触ってるんですか‥‥‥』
「―――ッ!!」

京介さんが声にならない声を出して驚きながら、桐乃と話し続ける。

「あ? 電話しながら? 『ラブタッチ』なんてしてないぞ!」

うふふふ。京介さんが桐乃に言い訳をしている。
わたしを放っておいた罰ですからね!
あ‥‥‥もうこんな時間。食事にしないと。
支度にかかろうとするわたしに電話を終えた京介さんが訊いてきた。

「なあ、“おかわり”は無いのか?」

くぅっ! この‥‥‥変態!

「ありません! そんなに期待しないでください!」

ちょっとだけ蔑み口調のわたしの言葉を聞いて、京介さんはまた歌い出した。

 あんなトコいいな♪ イけたらいいな♪
 こんなトコ あんなトコ たくさんあるけど♪
 あやせたんがみんな イかせてくれる♪
 ふたりのあいで かなえてくれる♪
 ふたりのせかいに イきたいな♪

 「ウフフフ! どこでもイく~」

 あん あん あ~~~ん♪ とってもだいすき 京介さん♪


もうダメ‥‥‥勝手に歌が出てきちゃう。わたしってこんなにも‥‥‥
わたしは京介さんの胸に縋り付いて、想いの丈を言葉にした。

「京介さん。こんなエッチなわたしのこと、桐乃には内緒ですよ?」


“結婚したら色々分かってきますよ。今まで半分謎だったことが”
―――モーツァルト


『新妻の憂鬱』 【了】




タグ:

新垣 あやせ
+ タグ編集
  • タグ:
  • 新垣 あやせ

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年04月24日 01:19
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。