アメとムチと鈍感


ぱあ――――――ん

こんな形での目覚めは正直悪くないと思っている俺は重篤なシスコンだ。
久しぶりに妹のビンタで眠りから呼び戻された俺は、リビングのソファーの上で
体を伸ばし、目の前の妹・桐乃の顔を改めて見る。
少しばかり上気したように見えるが、いつも通りに垢抜けた女だ。
つーか、何でビンタなんだよ。優しく起こしてくれてもいいじゃねえか。

「キモ。アンタ、寝ながらニヤついていんのが、超キモいんですケド」

ああ、ニヤついていたのか俺。そういえば、何かスゲーいい夢を見ていたような
気がするが思い出せない。良いところでビンタを喰らって起こされたから
記憶に残ってないぜ。もうちょっと優しくだな‥‥‥と、俺の携帯が震えだした。
あやせからのメール‥‥‥? フッ。返信よりも早く突撃してやるぜ。
「ちょっと、ドコ行くのよ?」という桐乃の声が聞こえた気もするが、
そんなのはあやせと会えることに比べれば些細なことだった。

‥‥‥‥‥‥

「お、お兄さん!? いくら何でも早すぎませんか?」
「お前からのメールだからな。光よりも速く参上したぜ」
「ま、まさか、普段からこの家の周りを彷徨いているんじゃ?」
「何をバカな。そんなことはしてないぞ。今のところはな」
「‥‥‥とりあえず、上がってください」

いつものように、あやせの部屋に通された俺。相変わらず整理整頓され、
清楚な石鹸の香りに満たされた部屋は、香水臭い我が妹の部屋や、
線香臭い我が幼なじみの部屋とは全然違う。なんかこう、胸が高鳴る感じだ。

「お茶を淹れてきますので、待っていてください」

そう言うとあやせは階下に降りていった。中学生の女の子の部屋に一人残された
俺は、やや興奮気味に無意味に部屋の中を見回す。勉強机、ベッド、姿見、
そして箪笥と、年相応の部屋の佇まいである。
ん‥‥‥? 箪笥? たんすか。タンスだな。それもあやせの箪笥だ。
でも目の前の箪笥を漁るなんて出来ないよな。なにせ、この手錠が‥‥‥
アレ? 手錠は? 手錠が‥‥‥無い!! 手錠がないのを忘れていたぜ。
どんだけ、手錠に慣らされてたんだ俺。ということは、俺は今、手錠無しで
あやせの部屋に一人きり。ようやくあやせの信用を得たもんだと感涙に浸って
いると、目の前にはあやせの箪笥。当然中身は‥‥‥あやせのモノの筈だ。
そして箪笥を開けるとそこには

♪あーった あーった あやせの下着
♪なーらんだ なーらんだ 白 しろ しーろ
♪どの下着見ても きれいだな

てな光景が広がるに違いない。というわけで、ここはお約束の箪笥漁りに限る。
あやせが手錠をかけないのが悪いんだぞ! と、開き直りも時には悪くない。


階下でお茶を淹れているあやせが戻るまでのつもりで、俺は箪笥の取っ手に
手をかけた。だがその途端、トントントンと階段を昇る軽やかな足音。
ヤバい! 俺は後ろ髪を引かれながらも箪笥から離れ、元居た位置まで戻ろうと
する。が、その瞬間、足が縺れ、あっ、と思う暇もなく転んでしまい、

ゴン

とベッドの角に頭をぶつけてしまった。


「―――お兄さん!? どうしたんですか!?」

あやせの声で気を取り戻した俺が見たのは、ラブリーマイエンジェルの顔。
頭を打った俺は情けないことに失神していたらしい。
ツイてねえな、と思いつつ俺は迂闊にも箪笥の方に視線を送ってしまった。
当然、そんな俺の視線の動きをあやせが見逃すわけがない。

「お兄さん‥‥‥? どうして今、私の箪笥の方を見たんですか?」

当然の追求だ。だが今回は箪笥の取っ手に手をかけただけの未遂だ。
断じて開けてない!と正々堂々と言い逃れが出来るはず。
しかしそんな言い逃れがあやせに通用するわけがない。ここは完全否認だな。

「何を言っているんだ。俺はただ転んで気を失っていただけだ」
「どうして、わたしの部屋で転ぶのですか? 座っていただけの筈なのに」
「気のせいだろ」
「ふ~ん。お兄さん? しらばっくれるんですか?」
「何のことだ? 俺にはわからんぞ」

するとあやせは机の引き出しから何やら取り出し、そのブツを俺に見せつける。

「お兄さんご存じですか? 最近は通販で指紋検出キットを売っているんですよ。
 箪笥に付いている指紋とお兄さんの指紋を比較しましょう」

げっ!! そんなモノ売っているのかよ!? そしてなんでそれをあやせが!?
ヤバい。箪笥を開けてはいないが、取っ手には手をかけた。
ということは指紋が付いているってことだ。
俺の明日はもう無いぞ。どうする京介? こうなったら‥‥‥よしっ!


「うおおおおおおおおお!!」
「きゃっ!!」

俺は大声を上げてあやせを威嚇し、箪笥のあちこちを手で触りまくった。
無論、取っ手も含めてな。これで俺の指紋が出ても言い訳が出来る。完璧だ!

「お兄さん‥‥‥何てことを! 証拠隠滅を図りましたね?」

あやせが光彩の消え失せた目で俺を睨む。まあ、想定内だ。
そしてビンタを俺の左頬に炸裂させた。コレも想定内だ。
あやせは、ビンタを喰らってブッ倒れた俺に向かって指紋採取に使う粉が入った
容器を投げつけた。蓋が開いていたようで、姿見に映る俺の顔は粉まみれ。
酷いもんだ。俺の左頬にはあやせの手形がクッキリと浮き出てやがる。
さすが指紋検出キット。証拠隠滅は正解だったようだ。
そして恐る恐るあやせの顔を見ると、真っ赤に染まったあやせの顔があった。

「―――ッ! あ、ああッ!!!」

俺の顔を見たあやせは酷く動揺した様子でタオルを手に取り、俺に近づいてくる。
ヤバい。タオルで俺の首を絞める気か? マジヤバい。殺される!
俺は全力であやせの部屋から飛び出し、階段を駆け下りて新垣邸から逃げ出した。
前回、あやせの家から逃げ出した時は簡単に逃げ果せたが、今回は違った。

「待てエエエエエエエエ!!」

なんで今日に限って追いかけてくるんだよ? それもタオルを持って。
捕まったらマジ殺される。そして埋められるに違いない。
人生に未練のある俺は逃げる。執拗なあやせの追跡を躱しながら、
現在を、今夜を、そして明日を生きるために。


何とかあやせを振り切った俺が我が家に着くと、玄関から出てきた黒猫と沙織に
会った。そう言えば桐乃のヤツ、この二人と家で遊ぶとか言っていたな。
だがそんな二人は俺の顔を見るなり、

「破廉恥な雄ね。地獄に堕ちるがいいわ」
「京介氏、お盛んですなあ」

確かにあやせの部屋で破廉恥未遂を働いたよ? だけどそのことがビンタの痕
だけでバレるのかよ? 俺が怪訝な表情をしながら玄関のドアを開けると
いきなり桐乃と出くわした。桐乃は粉まみれの俺の顔に一瞬驚いた様子に
なったが、直ぐに酷く困惑した表情になり声を荒げた。

「ぬあッ!? な、なななな‥‥‥ッ!!」
「俺、そんなに酷い顔か?」
「そ、そこを動かないで!!」
「はい?」

桐乃は俺に『待て』の命令を出すとリビングに飛び込んだ。
一体なんだよ?と思っていると、タオルを手にした桐乃がリビングから出てきた。
‥‥‥コイツまで俺を殺す気かよ!? 冗談じゃねえ!! 俺が一体何を?
と思った次の瞬間、バンッと玄関のドアが乱暴に開けられる音。
外から射し込んだ光でシルエットになった黒髪の美少女は新垣あやせその人だ。
げっ!! ここまで追いかけてきたのかよ? その執念は一体!?
そして肩で息をしているあやせの手にはタオルが。ヤバい。殺される!

茶髪と黒髪の美少女二人に挟まれた俺は為す術もなく、取り押さえられた。
そして二人の美少女はタオルで‥‥‥俺の‥‥‥顔、というか右頬をこれでもか
と言うほどに擦りまくった。イテテテテ、何をするんだよ!?

‥‥‥‥‥‥



「お兄さん、どうもお邪魔しました」

あやせはにこやかな表情でそう言うと、まるで何かを成し遂げたかのように
満足そうな様子で我が家をあとにした。さっき玄関に踏み込んできたときとは
えらい違いだぜ。

「ア、アンタが暴れるから、力が入ったダケだかんね!」

桐乃はツンケンした表情でそう言うと、やはり何かを成し遂げたかのように
満足そうな様子で二階に上がっていった。

一体何なんだよ? と思っている俺に向けられた視線を感じた。
視線の主は黒猫と沙織だ。俺たち三人の狂乱状態を玄関の外から見ていたようだ。

「今の‥‥‥見てたのか?」
「当たり前でしょ。あれだけの狂った宴を見過ごすほど莫迦じゃないわ」
「いやはや、京介氏は恐るべき女泣かせですなあ」
「女泣かせ? 何を言っているんだ?」
「あら、惚けるのかしら? それとも本当に気付いてないのかしら?」
「意味わかんねえ。何か知っているのなら教えてくれよ」
「貴方が破廉恥で鈍感な雄だと言う自覚を持たせるために、千葉の堕天使が導きを説いてあげるわ」

いつもの通り、厨二病丸出しの黒猫が携帯を弄ると、俺の携帯が震えだした。

「その添付画像をよく見て、スイーツ(笑)共が何を考えていたのか考えて頂戴」
「では拙者共はお暇を」

黒猫と沙織を見送った俺は、送られてきたメールを開き、添付の画像を見た。
そこには、狂乱状態にあった俺たち三人の姿を写した写メが表示されていた。
よく見ろってどういうコトだよ? と思いつつ画像を舐めるように見ると、
俺の右頬‥‥‥? あやせに投げつけられた粉のせいで白っぽくなっている。
ん? 何だコレ? よく見ると何か模様のようなモノが?
コレは‥‥‥キスマーク!? 指紋検出の粉でくっきり浮き出てやがる。
でもなんで? どうしてキスマークが??

『貴方が破廉恥で鈍感な雄』

今になって黒猫の言っていることの意味がわかった。
キスマークなんて付けて表を歩いたら、みっともねえったらありゃしねえ。
あんな必死になるなんて、桐乃もあやせも俺に恥をかかせまいとしたのだろう。
あいつらに感謝しなくちゃな。


それにしても、このキスマーク、一体誰が‥‥‥?


『アメとムチと鈍感』 【了】





+ タグ編集
  • タグ:
  • 高坂 桐乃
  • 五更 瑠璃
  • 槇島 沙織
  • 新垣 あやせ

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2011年06月14日 01:05
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。