風(後編) 05




 うへ……。こいつ、俺の服のどっかに隠しカメラでも仕込んでいるんじゃねぇか?
 デレっとしていたつもりはないが、物理の講義中に保科さんを何度もチラ見したのは事実だしな。
 しかし、あやせの奴、保科さんへの対抗心っていうよりも、ここまでくると敵愾心ってレベルだよな。

「何度も言うようだが、保科さんとは本当に何もないんだぞ。この前、禅寺で初めて会って以来、保科さん
とは挨拶すら交わしていない。今日、学食で招待状を手渡された時、本当にあの時以来久々に会話したって
いう程度だぜ」

 保科さんとの間に何かあってたまるもんか。何かがあろうものなら、俺は誰かにブチ殺されて、山に埋め
られるのがオチってもんだ。

『でも、野点があります。今回の野点では、あの女が何かを仕掛けて来るでしょうね』

「何かって、何だよ?」

『それが分かれば苦労しません。ですから、お兄さんを護るために、今度の土曜日は学校も休み、仕事も
なしにしてお兄さんのところへ行くんじゃないですか!』


「そこまでしてもらうのは恐れ入るんだが、大丈夫かよ。要はズル休みじゃねぇか」

 あやせの母親は厳格なPTA会長様なんだが、そんな魔王の目を欺くなんて簡単じゃないだろうに。
 それに所属事務所をどうやってごまかしているんだろう。
 こいつにも色々と謎の部分があるよな。とにかく、女ってのは存在自体がミステリアスだ。

『それについては、今回もモデルの仕事でそっちに行くことにしています。最近、父母は忙しいので、それ
以上の詮索はしないでしょう。なにぶんにも、わたしは、普段、学業でも仕事でも一定水準以上の評価を
受けていますし、学校では品行方正な女生徒ということになっていますから』

「そうかい……」

 桐乃みたいに表の顔は優等生というわけか。だから、多少のイレギュラーな行動も大目に見てもらえるん
だな。
 美人で、(表面上は)人当たりがいい。成績もそこそこだとなれば、親も学校も甘くなるだろう。
 今までのモデルとしての実績があれば、所属事務所だって多少のことには目をつぶるのかも知れねぇ。



『それから、当日ですが、メールにも書いたように駅までのお出迎えは結構です。お兄さんも都合があるで
しょうし、わたしも駅からさっさとタクシーに乗った方が迅速に移動できます。そうすれば、お兄さんが
下宿に着いて一息ついている頃合いに、わたしも到着できますから』

 あやせって、黒猫とは違った意味でドライだよな。全然デレてくれねぇ。この前のキスだって、ありゃ逆
レイプみたいなもんだ。
 だが、ドライなこいつの言うことは、いちいちごもっともだな。正直、多少はムカつくけどよ。

「それならそれでいいや。だが、念のために確認しておきたいが、着物の着付けは大丈夫か? 何時間も掛
かるようだったら困るからな」

『お兄さん、わたしは一応はモデルです。着物の着付けも一通りの心得がありますから、ご心配には及びま
せん。一時間もあれば、髪を整え、着物の着付けをするのに十分です。第一、私が着物を着ていたのを、
去年のお正月にお兄さんも見たんじゃなかったんですか?』

「そ、そうだったな……」



 ヤブヘビだった……。
 そういや、麻奈実と初詣に行った時、着物姿でモデルやってるあやせを見たじゃねぇか。

『とにかく、当日は迅速な行動を第一とします。身支度は手早く済ませて、できるだけ早く、お兄さんの
同級生の家に向かいたいですから』

「何で? お前、保科さんのこと、嫌いなんじゃなかったのか?」

『ええ、嫌いです。彼女がお兄さんに興味を持っているのが嫌なだけでなく、雰囲気が気持ち悪いんです』

「気持ち悪いって、言い過ぎだろ、そりゃ」

 だが、今日の川原さんは、笑顔の保科さんと目を合わせたら、急に気分が悪くなったとか言っていたな。
 保科さんの笑顔に嫌とは言えない強制力みたいなもんがあるのは俺も感じるが、それは決して不快なもん
じゃない。
 少なくとも、俺にとっては。

『鈍いお兄さんのことだから、彼女の気持ち悪さなんか分からないんでしょうけど、相当なもんですよ、
あれは』


「だったら、そんなに早く保科さんの家に行くことはねぇだろうが」

『余裕を持って行かないと、相手につけ込まれます。それに、早めに着けば、敵状視察だってできるじゃ
ありませんか』

 薄々は分かっていたが、あくまでも敵地に乗り込むつもりなんだな。それはそれで、もういいや。

「お前が保科さんとそりが合わないのはよく分かった。だが、当日はあらたまった席なんだ。無作法な振る
舞いでひんしゅくを買うようなことは勘弁してくれよ」

『お兄さんこそ、あの女にデレッとして醜態を晒さないようにしてください。いいですね?』

「お前なぁ……」

『とにかく、当日は気を引き締めて行動してください。では』

 言いたい放題のあやせは、そのまま電話を切りやがった。



「まぁ、いいか……」

 携帯電話を机の上に置き、俺は畳の上にごろりと仰向けになった。黒猫のことが話題にならなかったのは
幸いだったが、あやせの保科さんに対する敵意が半端じゃなかった。
 土曜日の野点はどうなっちまうんだろう。今さらながら、あやせを野点に誘った保科さんの真意が分から
ない。
 とにかく、厄介事が起きてくれないことを祈るしかねぇな。

 俺は、ため息を一つ吐くと、起き上がり、机に向かった。明日の英語の予習が終わっていないからだ。

「面倒なことばかりだぜ」

 そんなことを愚痴っぽく呟きながら、俺は知らない英単語を辞書で調べる作業を再開した。

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最終更新:2011年07月26日 22:18
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