変わり続ける関係 03


桐乃。
俺の妹。容姿は淡麗で、兄の目から見ても美人で、少し丸顔の、妹。
生意気で、くそむかつく女で、我儘で、自己中で、それで、
とても素直じゃない、妹。

「……なんで、あやせがここにいるわけ?」
その妹が、じろりと俺を睨む。
「な、なんでって……」
なんでだ? 特に理由は無かった。いや、俺と桐乃が二人きりだから?
それを邪魔、しにきた、と説明したら、なんで邪魔をしにくる訳、となるよな?
そうすると、こうあやせが俺の事を好きだと告白して、とかそういう説明になる訳で。
「……」
「なに黙ってんの?」
俺が脳みそをフル回転させて思考している間にも、桐乃の追求は止む気配が無い。
というか、なんで妹に言い訳めいた事を考えねばならないのか。
いっそ開き直ってやればいいんじゃないか、と思う。
「俺が連れ込「わたしが説明するね」」
俺が言おうとした言葉を遮るように、あやせが言葉を重ねる。
そして横目でちらりと見て、何やら呟きながら、あやせは桐乃を真っ直ぐ見る。
桐乃はあやせの申し出に文句も言わず、あやせへと視線を移した。

「桐乃」
「……なに」
桐乃のあやせに対する態度は冷たい。怒っているんだろうか。しかし怒る相手が違うだろう。
親友を奪ってしまった俺にこそ、その冷たい態度は向けるべきだ。
そう桐乃に言おうとした所で、あやせが切り出した。

「気付いてた、よね?」
はじめから、とあやせは続ける。
その言葉に桐乃はぴくりと眉を動かした。
寧ろその言葉に大きな反応を返したのは他ならぬ俺だった。
「き、気付いてた?」
何に? どこから?

「お兄さんが玄関に向かった辺りから、桐乃は気付いてたよね?
ううん。お兄さんが窓に向かったタイミング辺りから。
それこそお兄さんの携帯が鳴った時から、桐乃は気付いてたよ、ね?」

「……」
桐乃は何も答えない。
なので、俺から質問をあやせにぶつける。

「そ、そんな早くから気付いてたら、止めるだろ」
だってこいつ、桐乃だぜ? 少なくとも俺の部屋に来る前には止めるだろう。

「いえ。桐乃は止めません」
しかしあやせはそう断言をする。普段の桐乃を知らないからだろうか。
こいつは、この手の妨害は惜しまない。余程俺が嫌いに違いないと確信持てるぐらいに。
俺が納得しない顔をしていると、あやせが更に説明をしていく。

「逆に問いますが、お兄さん。いつもの桐乃だったら、今の態度は変じゃないですか?」
「今の態度?」
仏頂面でこちらを睨みつけている桐乃。怒っている。いつも通りだ。
……いつも通り?
「そう、わたしがお兄さんの部屋に夜中に関わらず居るという異常に対して、余りに冷静すぎる」
なるほど、とつい感心してしまう。そうだ、桐乃ならこんな異常事態に遭遇した場合、
「……少なくとも俺は何らかの攻撃を受けているな」
問答無用で俺を蹴り倒し、あやせを遠のけて、俺にありとあらゆる罵詈雑言をぶつけている所だろう。
「つまり、かなり早い段階から気付いていた」
「しかし、それなら、何故止めなかったんだ?」
俺は首を傾げる。確かに気付いていた可能性はあり得る。そもそも壁が薄いからだ。
桐乃が起きていて、特に音楽とか聞いてなかったのであれば、携帯の着信ぐらいは聞こえてしまう。
気付こうと思えば気付ける。なのに何故このタイミングまで出て来なかったのか。

「……分からないんですか? そもそも今回、数週間お兄さんの面倒を見させて貰いましたが、
幾つか納得行かない点があるんです」
納得が行かない点?
「何故、桐乃は一度も来なかったのでしょう?」

……それは、そもそも、桐乃との仲が原因で一人暮らしが始まった訳で。
いや、待てよ。それは初めの段階で桐乃が馬鹿馬鹿しいと一蹴している。
現に俺が一人の時に、桐乃が一人で来ている。

「……気にならなかった、だけじゃないか?」
「ある意味では、それが解答だと思います。ですが、わたしはこう考えます。
桐乃は気になってはいた。しかし、桐乃は知っていた訳です。お兄さんが決して――」
「――あやせ」
あやせの台詞が言い終わるよりも先に、桐乃があやせの名を呼んだ。
それだけであやせは、言葉を止める。

「勝手にあたしを決めつけないでくれる。特に、このバカの前で」
ちらりと俺を見て、桐乃はあやせに告げる。
その言葉にあやせは直ぐ従った。
「なるほど。そうですね。お兄さんは、バカで単純な変態ですから止めておきましょう」
酷い言われようだ。しかし、俺が馬鹿なのは間違いないようだ。
あやせよりも俺の方が桐乃と一緒に過ごした時間は長いと思う。
それなのに関わらず、あやせの方が全然、桐乃を知っているんだと感じた。

全てをあやせから教えて貰わず、自分で気付かなくては。
またあやせに、なんで生きているんです、と言われてしまう。

「……あやせ。一つだけ聞かせて」
「はい」
「なんで、兄貴を泣かせたの」

俺がそんな自省をしていると、既に桐乃とあやせは次のフィールドに移っていた。

「今回、色々と許せない事がある。けど殆どはきっといつかは許せる。でも、これはずっと許せない」
「……」
「なんで、兄貴を泣かせたの?」

泣いたことは会話に出した記憶が無い。だから桐乃が気付いたとすればこの部屋に入ってきた時、
俺の顔にある涙の跡を見たのだろう。
ただそんな事はどうでもよくて、ただ妹が、俺が泣いていた事に対して一番怒っている事に、なんだか不思議なような、そんな気分に陥った。

会話が聞こえていたのであれば、キスをした事だって聞こえていただろう。
手錠を掛けられている姿も見ただろう。
夜中に俺の部屋に来たことも、何もかもひっくるめてただ一つ。

――兄貴が泣くのはもっと嫌!

そう、桐乃が言った事を覚えている。
今更ながら、あの時の言葉は混じりっ気なしの本音だったんだ、と痛感した。

そして、恐らく、桐乃とあやせ、二人の関係を今後も続ける上で、ここはキモだという事。
ちらりとあやせを見る。俺に手錠を掛けた時の様な、気丈さは今のあやせには見受けられず、
寧ろ若干青ざめているように見える。まるで魔物の逆鱗に触れてしまった事に、今始めて自覚したとばかりに。

――全く。
今回はまるで、よく分からない状況だ。当事者でありながら、しかし俺が一番状況を把握してない。何故、桐乃が気付いていたのに止めなかったのか、そしてあやせが何故、気付かれていたのにこんな強行手段を使ったのか。
色々と俺が関わっているんだろうが、さーっぱり分からない。
このバカ野郎とも最低の屑とでも好きに言えってんだ。

いいだろう。いつもの事だ。
必要なのは、ほんの少しの覚悟と、最後までやり通す信念。

俺は、全力で自分の腕を引っ張った。
グキッ!
「……」
迸る痛み。それもその筈、俺は手錠を掛けられている。その上で腕を引っ張ったのだ。
手加減なく。その結果、手錠に擦られて手首が擦り切れたように痛いのと、そして肩の関節が少しズレたようなそんな痛みが走る。だが、声を出す訳には行かない。
今、痛いんじゃない。今まで、痛かったんだと、そう自分に言い聞かせる。

激しい痛みを全力で抑えこみ、その上で俺は平静な声で言ってやる。

「あー、桐乃?」
「……」
邪魔すんな、とばかり桐乃がこちらを睨む。
しかし、直ぐに俺の表情に気付く。
「あんた……」
桐乃の浮かべた表情に対し、俺は出来る限り平気そうに返す。
「話は結構。大いにやってくれていい。だが、さっきからな、腕が痛くて痛くて、涙が止まんねえだわ」

実際、涙が出そうなぐらいな痛みだった。というか、出ていた。視界が霞む。

「さっきからよ、まるであやせが俺を泣かせたみたいな言いがかりをつけてるがよ?
勘違い乙。俺がさっきから泣いてんのは痛えからだよ。痛さ故の涙。オーケイ? 
幾らお兄ちゃん大好きっ娘でもよ、勘違いで人を怒るのはお兄ちゃん頂けないな」

あやせがこちらを呆然と見つめている。そして何かを言おうと口を開く。
させるか。
「あーあー、いや確かにな、あやせが手錠なんて掛けやがるから、あやせのせいってのは分からなくもねえけどな。
でもよ、この手錠があったから、俺の中の野獣が押さえつけられたって訳。俺も男だから、こんな夜中に美少女が訪問してきたら、
こう歯止めが効かなくなるんだよ。んで手錠が掛けられてるのに関わらずあやせを襲おうとしてこの有様。
そういう点でもあやせが魅力がありすぎるせいってのも、まあ、あるかもな」
あやせが目を見開く。
「お、お兄さん、それは」
そして桐乃へと。
「ち、違うんだよ、桐乃。お兄さんは」
だが桐乃への言葉は虚しく。
「――そっか」
桐乃によって、打ち砕かれる。

「あやせ、襲おうとしたんだ」
「お兄さん、駄」
「ああ、そうだ」

――沈黙。
見つめ合う形の、俺と桐乃。
青ざめた表情のあやせ。

「あんた、あたしと――」

桐乃が何かを言いかけ、拳を握り締める。
強く強く拳を握りしめて。
言いかけた言葉を飲み込み。

「――もういい、信じてたあたしが馬鹿だった、こんのクソ兄貴!」

代わりに別の言葉を吐き出して、桐乃は部屋を出ていく。
外へと出ていくのかと危惧したが、隣の部屋に入っていく音がし、そして鍵を掛ける音まで聞こえた。

「お、お兄さん、なんてことを」
あやせが青ざめた表情で、俺へと呟く。
「ちっ、勝手に切れやがって。桐乃の奴。悪いな、あやせ。後で謝らせるから」
そう俺が返した所で、あやせが首を振る。

「ち、違います。お兄さんが、桐乃にああいっちゃ……わたし、とんでもない事を」
「なんだ、別にいつもの喧嘩だぞ。喧嘩つうか、理不尽に桐乃が切れるだけで」
「いつもの喧嘩なんかじゃないです。ああもう、桐乃はお兄さんが相手だと冷静さを無くすから」

あやせは、頭を抱えて、俺に言う。

「桐乃とお兄さんが築きあげてきた一年が、崩れ去ったかも知れないんですよ?」
真剣な顔をして言うあやせに、俺がなんて返したかは覚えていない。
ただあやせの心配しすぎだって、という感じで真剣に聞き入れていなかった。

だが、直ぐに思い知る事になる。
変わらない関係など、無いという事に。

良くも悪くも、関係というのは変わり続けていくのだと。





+ タグ編集
  • タグ:
  • 新垣 あやせ
  • 高坂 桐乃

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2012年06月24日 12:35
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。