お見舞い


『今日も暑い一日になるでしょう。体調の管理には万全を‥‥‥』

テレビのニュース番組は、今日も紋切り型のフレーズを流している。
一体この暑さはいつまで続くのやら。頑強な体と自負のある俺ですら
ダウンしそうな暑さだ。

それはそうと、この暑さにやられたのか、“あいつ”が体調を崩したらしい。
ここはひとつ、見舞いに行ってやらねばなるまい。クソ暑いが仕方ないな。
外はお天気キャスターに理不尽な文句を言いたくなるような暑さだ。
玄関から出た瞬間に、淀んだような空気が全身に纏わり付く。

「さて、行くか‥‥‥」

戦場に赴く兵士の如く、俺は意を決して表に出た。
それにしても、“あいつ”が体調を崩したと聞いたときは我が耳を疑ったね。
そんなことには全く縁が無いような奴だし。病気がやってきたとしても
華麗にスルーするような感じだもんな。
鬼の霍乱、とまでは言わないが、珍しいこともあるもんだよ。

途中の商店街で、お見舞いの果物を買う。手ぶらで行くのもバツが悪いしな。
応対してくれたのは、この暑さの中、汗のひとつもかかずに頑張っている
実にエネルギッシュな店員だった。省エネスタイルを貫く俺には無理な動きだ。
果物を盛り合わせたカゴは、その手提げが手に食い込む程良い重さ。
これならお見舞いに持って行っても恥ずかしくあるまい。

店を出て、“あいつ”の家に向かって歩き出す。やはりクソ暑い。
俺の体力の限界は近いだろう。
だが、その限界を迎える前に、俺は目的地に到達した。
そして、玄関の戸に手をかけようとしたその瞬間、

「V・A・C・A・T・I・O・N なつやすみ!」

何やら歌を歌いつつ老人が玄関の戸を開けて飛び出してきた。
この暑さでどうにかなったのかと思ったが、よく考えれば平常運転だ。

「いやー、きょうちゃん、夏休み、エンジョイしとるかのう!?」
「相変わらずだな、爺ちゃん。夏休みはもう終わってるよ」

このジジ‥‥いや、老人は麻奈実の爺ちゃんだ。
つまり、俺の目的地とは麻奈実の家。
そして、体調を崩した“あいつ”とは麻奈実のことだ。

「ところできょうちゃん、今日はどうした?」
「麻奈実が体調崩したって聞いたんで、お見舞いにね」
「おお、この暑い中、それはすまんのう! ささ、中に入った入った!」

俺が田村家に行くと、麻奈実の爺ちゃんはいつもこの調子だ。
まるで、遠くに住んでいる孫が帰ってきたかのような扱いになる。
有り難いこととは思うが、今日は止めてくれ。暑苦しい。

「麻奈実は風邪ひくなんてのう。珍しいこともあるもんじゃ」
「ああ、確かに珍しいよな。そんな覚え無いし」

俺と爺ちゃんは麻奈実の部屋のある二階への階段を昇りながら話す。
俺の知っている限り、麻奈実が風邪をひいたなんて記憶は無い。
バカは風邪をひかないと言うが、麻奈実の場合は風邪をひいたとしても
気付いてないだけなのかも知れないな。

「麻奈実、きょうちゃんが来てくれたぞ」

爺ちゃんはそう言って襖を開けた。
そこはいつも通り、い草と線香の香りが漂う麻奈実の部屋。
窓が少し開いているものの、エアコンが効いているわけでは無いので、唯々暑い。
そんな部屋で麻奈実は布団に伏していた。

「きょ、きょう‥‥‥ちゃん?」
「よお、調子はどうだ?」

我ながら、実に陳腐な切り出しだった。調子なんて悪いに決まっている。
だが麻奈実は、俺に気遣って精一杯の気力で、しかし布団で顔を隠しながら。

「う、うん。だいじょうぶ‥‥‥だよ」
「これこれ麻奈実。折角きょうちゃんが来てくれたのに隠れることはないじゃろ」

珍しく爺ちゃんが真っ当なことを言う。
だが、寝姿を見られるというのは、麻奈実にとっては辛いのかも知れない。
もう少し、空気を読むべきだったかもな。俺も、爺ちゃんも。

「ささ、後は若い二人に任せて、年寄りは引っ込むわい」
「え? おい、ちょっと、爺ちゃん!?」
「ひゅーひゅー、お二人さん、お熱いねえ!」
「いや、確かに暑いけど、って違うだろ!」

パタッ  ゴトッ

爺ちゃんは部屋を出て行くと襖を勢いよく閉めた。
やれやれ、変な気遣いなんかしやがって、あの爺ちゃん。

「きょうちゃん‥‥‥ごめんね。お爺ちゃんが迷惑かけて」
「はは、そんなことねえよ。それよりも、お前大丈夫かよ?」
「う‥‥‥ん、ちょっと熱っぽいかな」
「どれ?」

麻奈実の額にあてた俺の手に伝わってきたのは麻奈実の躯が発する悲鳴だった。
体調は明らかに良くない。熱に加えて汗も酷い。びしょ濡れと言って良い。

「タオル持ってくるように爺ちゃんに頼んでみるわ」
「うん、ありがとう、きょうちゃん」
「どうってことねえよ」

爺ちゃんにタオルを頼もうと部屋の襖を開けようとした。
‥‥‥開かない。襖が何かに引っかかっているかのようにビクともしない。
おかしいな? 襖を動かす度にゴトゴトと音がする。
まさか!? あのジジイ!?

「きょうちゃん? どうしたの?」
「襖が開かない。多分、爺ちゃんが悪戯したんだろう」
「ええっ?」
「全く、しょうがないな、爺ちゃんも」
「‥‥‥」
「麻奈実?」

返事のない麻奈実の顔を覗き込むと、さっきよりも辛そうな表情だ。
それもその筈。この暑さの中、顔の半分が隠れるほどに布団を深く被っている。
おいおい、このままじゃ熱中症になっちまうぞ。
俺は麻奈実の苦痛を和らげるために(決して邪な気持ちは無い!)布団を捲って、
躯を冷やしてやることにした。
大事なことなのでもう一度言うが、決して邪な気持ちは無いからな!

さて、布団を捲ると‥‥‥今度は俺が汗をかく羽目になった。
捲ったそこには、汗でずぶ濡れになった麻奈実のパジャマ姿が露わに‥‥‥
なると思ったんですがねえ!
パジャマ姿には違いない。ただ、胸元がはだけていて、その‥‥‥なんだ、
下着も着けてないから、おっぱいが半見えの状態‥‥‥なんだな。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

い、いかん! 妙なこと考えるな、俺!! 目を逸らせ、俺!!
―――と、目を逸らすとタオルが目に入った。
なんだ、部屋の隅に畳んで積んであるじゃないか。
これで麻奈実のおっぱ‥‥‥いやいやいや!! 汗を拭いてやるか。

「お、おい、麻奈実‥‥‥?」

返事が無い。ただの病人のようだ。てか、なんで麻奈実の意識を確認してんだ?
手を拱いても仕方ない。ちゃっちゃとやってしまう。

‥‥‥おい、そこのお前。決して変な意味じゃ無いからな!

俺はタオルを手に取り、まずは額、首筋、そして、む、む、胸元へと‥‥‥
冷静になれよ、俺!! 病人を看病しているんだぞ!!
それにしてもクソ暑い。エアコンが効いていない部屋だけに堪らない。
暑さで意識が半分飛んでいる。何か別のことでも考えないと俺まで倒れそうだ。
別のこと、別のこと‥‥‥涼しいことでも考えよう。

―――ここは雪山だ。
真っ白な雪を湛えている雪山だ。涼しいを通り越して寒い。
雪に覆われた起伏の大きな山が目の前に迫っている。
そして春になれば雪が解けて水になって谷を潤していく。
そう、こんな具合に‥‥‥

妄想から正気に戻った俺は、麻奈実の“谷間”を潤していた汗をガン見していた。
俺は一体何をしているんだ!? いかんいかん! 変に緊張しているぞ。
こんな時はどうするんだっけ? 確か“人”の字を書くんだったな。

俺は人差し指で“人”の字を3回書いた。間違いなく書いた。
だけど暑さって、時として人間の正常な判断力を奪うんだな。
俺は何故か“人”の字を麻奈実の胸元に書いていた。
何をやっているんだ、俺‥‥‥。

「何をやっているんです?」

その声で背筋が凍り付いた俺は完全に正気に戻った。
声の主の方向、つまり俺の背後を振り向くと誰もいない。ただ襖があるだけだ。
どうやら襖の向こうに声の主がいるらしい。

「お爺さん? 何をやっているんですか?」
「しーっ! 静かに!!」

麻奈実の婆ちゃんが爺ちゃんに話し掛けているようだ。
あのジジイ、俺を閉じ込めただけじゃなく、様子を伺っていやがったのか。
一体何を期待していたんだよ。

「まったく、こんな悪戯して。開けますよ」

婆ちゃんはそう言って襖を開けた。そして、そこには悪戯の仕掛け人もいた。

「爺ちゃん! 何をやっているんだよ!?」
「いやー、きょうちゃん。あきましておめでとう」

うるせえジジイ。暑くて死ぬところだったぞ。

「ごめんなさいねえ、きょうちゃん。お爺さんが変な悪戯をしたみたいで」
「いや、どうってことないよ。ちょっと暑かっただけだし」
「おやおや、この子ったら酷い汗ね」

婆ちゃんがそう言うと、持ってきたタオルで麻奈実の汗を拭き始めた。

「おい、ババア! それはきょうちゃんの仕事だっつーの!」
「お爺さん。そこまでさせちゃ、きょうちゃんに迷惑でしょう」
「迷惑!? 汗をフキフキするだけの簡単なお仕事じゃろ!」
「爺ちゃん! 何を言っているんだよ!」
「きょうちゃんだって、昔は麻奈実とチチクリあっていたじゃろ」
「なっ!! 何の話だよ!?」
「ほれ、麻奈実とお互いに背中を指で突きながらやってたアレじゃよ」

このジジイ、遂に惚けやがったか!?
一体何を‥‥‥もしかしてアレのことか?

「爺ちゃん? それって、ガキの頃やってた背中に書いた文字の当てっこか?」
「おお! そうじゃったかも知れんのう」

物凄く人聞きの悪いことを言いやがってと思っていたら、
ついにラスボスの婆ちゃんが動いた。

「お爺さん? いい加減にしないと髪の毛を一本残らず毟りますよ?」
「ひええええ! トンでもねえこと言うババアだぜ」

相変わらずこのジジイ、俺が麻奈実にいかがわしいコトでもすると思ってたな。
残念だったな、俺にはそんな邪心は無かった‥‥‥から‥‥‥な。うん。

「ごめんね‥‥‥きょうちゃん。騒がしくて」

またもや俺の背後からの声に振り向くと、バツの悪そうな顔をした麻奈実。

「いつものことじゃないか。気にしてないよ」
「‥‥‥ところで、きょうちゃん? 何か変わったこと、あった?」
「えっ!? な、何が?」
「う~ん、何かたいへんなことがあった気がするの」
「き、気のせいじゃないか?」
「そうかなあ」

麻奈実が潤んだ瞳で、俺の目をじっと見つめる。

「何があったのか、わたし、気になり‥‥‥」
「何も無い!」

あぶねえ。
これ以上、麻奈実に喋らせたら物凄く疲れそうな気がするんだ。

数日後、体調が回復した麻奈実と会った。

「おう、すっかり良くなったようだな」
「うん! きょうちゃん、心配かけてごめんね」
「気にするなよ」
「きょうちゃんになにかお礼しなくちゃね」
「そんなものいらねえよ」
「ねえ、きょうちゃん。ちょっとあっち向いて」
「ん? なんだ?」
「いいから、あっち向いて」

俺は言われた通り、麻奈実に背を向けた。

ちょん

何かが背中に触れた。とてもむず痒い。

「な、なんだ!?」
「これで遊んだこと、あったよねえ。お爺ちゃんの話で思い出しちゃった」

そう言えば、爺ちゃんのせいで俺も思い出したな。
麻奈実とはこうして遊んだこともあったっけ。

「懐かしいねえ。じゃあ、今から何を書いたのか当ててみて」
「おう」

麻奈実の指先が俺の背中に文字を刻んでいく。

「あ‥‥り‥‥が‥‥と‥‥う‥‥‥‥きょ‥‥う‥‥ちゃ‥‥ん‥‥?」
「お見舞いに来てくれてありがとうね、きょうちゃん」

振り向くと麻奈実のいつもの笑顔。
そんなこと、口で言えば良いじゃ無いかと思ったが、麻奈実らしいな。

「じゃあ、続けるね」

麻奈実は何やら、ちょいちょいと背中に書いた。
何だこの字は? 簡単すぎて良く解らん。

「わかんねえな」
「じゃあもう一度書くね」

“人”‥‥‥? それを3回書いた‥‥‥?

俺はハッとなって麻奈実の顔を覗き込む。

「えへへへ」

そこにはいつもの麻奈実のほんわかとした笑顔があった。

「麻奈実? お前‥‥‥?」
「なあに? きょうちゃん?」
「いや‥‥‥なんでもない」
「おかしなきょうちゃん」

そんな麻奈実に俺は何も訊けなかった。
訊かない方が俺たちの間に波風が立たないと思ったから。
訊いてしまうことで何かが壊れてしまうような予感がしたから。

「ねえ、きょうちゃん。お見舞いのお礼、なにがいいかなあ?」
「‥‥‥いらねえよ、別に」
「ううん、それじゃわるいから、なんでも言って」
「本当にいらねえよ」

ウソだ。俺が麻奈実に言いたいことはひとつ。

『―――お前、あの時、気付いていたのか?』

でもそんなこと言っても麻奈実は笑って誤魔化すだけだろう。
ならばいっその事、こう訊いてやろうか。

『―――俺、気になります!』


『お見舞い』【了】




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最終更新:2012年09月06日 11:00
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