運命の記述・外典 01


「…いや、落ち着こう。な?」
 俺は相手の目を見つめたまま、床の上を後ずさった。
「どうして? 私と貴方は魂の位相(レベル)で求め合っているという
のに」
 少女は腰をくねらせながら、俺を挑発する猫のように1歩、また1歩と
迫ってくる。
「私と貴方は前世から結ばれる運命なのよ」
「おい…よせ!」
 俺は背中に痛みを感じた。
 見ると例のフィギュアケースにぶつかったらしい。
 どうやら部屋の隅まで来ちまったようだ。

「ほら。もう逃げられないわ。観念なさい」
 少女は言いながら、上着の胸元を開けるように引っ張る。
「は、話せば分かる! だから!」
「話? ふっ…どうして? 私たちにことばなんて必要ないでしょう、
魂で惹かれ合っているというのに。私たちはこうしてただ1度唇を重ね
るだけで…」
 少女は体を俺に預け、首を伸ばしてくる。
 額で切り揃えた前髪が揺れ、鼻と鼻が触れる距離に入る。
「おい!…やめろっ!」
 ここは俺の1人暮らしの部屋。
 なに憚ることのない状況で、俺は異性から迫られている。
 男子高校生にとって夢のような世界。
 そんなヘブンな場所に俺はいた。
 …相手は小学生だけど。

「ぶはははっ!…なーんてね! 冗談だよ、冗談! それとも高坂くん
ってばロリコンですかー?」
 俺の元恋人・五更瑠璃の妹こと五更日向は、ケタケタと笑いながら
体を起こした。
「お…お前なぁ…」
 静まれ…俺の右手!
 こいつはまだ子供なんだ。
 怒ったら負け、大人として。

「その様子じゃ、ルリ姉とはまだ何にもないみたいだね? 童貞くん?」
「てんめぇっ!」
 だから静まれって!
 つーかこいつ年上をなめやがって!
 何なんだ? 近ごろのガキは!
 俺は本気で雑誌「小学一年生」に『男の誘い方』なんて記事が載って
るんじゃないかと疑ってるんだよ?
「つーか、ビビらせるなよ、お子様…」
 俺は心から安堵した。
 正直、小学生に迫られるとは思わなかったから、頭ん中が真っ白に
なっちまってて、思い返そうにも、ここ30分ほどの記憶がない。

 とりあえず分かるのは、ここ数日、日向ちゃんは黒猫の使いだとか
言って俺がちゃんと勉強してるかどうか監視に来ていたのだが…まっ
たく…どうしてこうなった?

 つーか「妹と淫行してんじゃねえか」と疑われて家を追い出された
俺が、他人とは言え小学生と事に及んだと知られた日にゃ、今度は
日本から追い出されちまうじゃねーか。

「おい。さっきから何してんだよ」
 俺は上の空だった意識を部屋に戻すと、日向ちゃんはそっぽを向い
たまま何やらゴソゴソとやっていた。
「うん? いや、まぁ…。ちょっとルリ姉にメールを…」
 その後、日向ちゃんはそそくさと「帰る」と言い出した。

 おまけに出て行きしな、
「高坂くん。あのあやせとかってデルモに手ぇ出すなよ。そんなこと
したらルリ姉が悲しむからね」
 と捨て台詞を吐いていったので、俺は「るせ!」と玄関に向かって
怒鳴ってやった。
 10数秒後。
 ケータイが鳴ったので手に取ると、黒猫からだった。
「うおっ!?」
 出ると、ものすごい音量だ。
 俺は思わず耳からケータイを離す。
――あああああああなたはとてつもない勘違いをしているわっ!
 黒猫は慌てていた。
 その上、息を切らしている。
 どうやら走りながら喋っているようだ。
 その証拠に電話の向こうからはザッザッザッという地面を蹴る音が。
 俺は少し驚いていた。
 黒猫が走っているなんて珍しいからだ。

 ――こ、これはそのっ! 前世からの運命(さだめ)であって! あの!
その! 私は決してっ!
 立て続けに意味不明なことをわめく。
「お、落ち着け! な?」
 あれ? さっきも似たような会話しなかったか?
 落ちつくのは俺の方!

――いいえ! これが落ち着いていられるものですか! それとも
何? 貴方はこの状況で落ち着いていられるとでもいうの!? ま…
まったく! 貴方という人はどこまでも非道いのね!
 電話の向こうからはカンッカンッという鉄を蹴るような音が聞こえる。
「つーか、お前、いまどこにいんの?」
 そう言った次の瞬間だった。
「ここよ!」
 ドアがバンッ!と開き、黒(のセーラー服の)猫が立っていた。

「これはっ! ちっ…ちがうのよ!」
 黒猫は靴を履いたままズカズカと上がってくる。
「え? えぇっ?」
「聞いて頂戴!」
 聞いてますとも!?
 目の前で大声でわめかれてるしな!
 おまけに通話は続いてるから、0.5秒のタイムラグで一字一句おなじ
台詞がケータイから聞こえてくるし!

「と、とりあえず靴は脱げ。そしてケータイは切れ」
 黒猫は言われてはじめて気づいたらしく、はっ!とわれに帰ると顔を
真っ赤にした。
 そして俺の言ったとおりにすると、目の前に正座して、オホン…と咳
払いをした。

「と…取り乱してしまったわね。でも、もう大丈夫。私は冷静よ」
「うん。分かった。だがその台詞はドア閉めてから言おう」
「…っ!」
 黒猫は余計顔を真っ赤にしてドアを閉めに行った。
「きっ!…聞いて頂戴! いま…私の妹がこの部屋を訪れていたと
思うのだけれど、ここまでは合ってる?」
 俺はうなずく。
「そのときに…な、何か驚くべきことを私の妹がしでかしていったと
思うのだけれど…それも合っているかしら?」
 うなずく俺。
「…うぅ。やっぱり」
 黒猫は歯噛みして涙目になった。

「あ…あれはね…あ、貴方も知っている、あの、『運命の記述(デス
ティニーレコード)』の外典に綴られていたものなの…」
 …は?
 「運命の記述」?
 あぁ…俺たちの運命が書かれているって言う例のノートのことか。
 つーか、あれって大仰な名前がついてるが、結局のところ黒猫の
「WISH LIST(したいことノート)」だったんだよな。
 外典ってことは、それと似たようなもんだろ?

 で? その中に「さっき日向ちゃんがしたこと」が書かれていた?
 「俺に性的に迫った」っていうことがか?
 つーことはつまり…?
「あ、あの子ったら…私の引き出しから勝手に」
 俺が必死で頭の中を整理していると、黒猫はつぶやいた。
 音量こそ小さいが呪いを発動しそうな声と表情で、「ふっふっふ…
ご褒美に今晩はご飯抜きにしてあげなくては…」とか言っている。
 おお怖ぇ…。
 とりあえず俺は震え上がると、再び頭を働かせた。

 その後も、黒猫はコロコロと表情を変えながら(その8割は呪詛を
吐くような表情だったが)色んなことを語った。
 総合すると、こういうことらしい。

 黒猫はあのノート以外にもう1冊、「俺としたいことノート」を書いてい
た。
 そこには…その「俺と」…せ…「セックスする方法」が書いてあった。
 まったく黒猫のやつ、いつものように妄想(小説)を書き連ねていた
ってわけだ。
 本人もこれは流石に恥ずかしかったらしく、それは机かどこかの
奥の方にしまわれていたんだが、運の悪いことに日向ちゃんに見つ
かってしまった。

 きっと日向ちゃんのことだ。
 何度も読んだんだろう。
 こんな美味しいエサに食いつかないわけがないしな。
 結果、日向ちゃんはそこに書かれていたことをすっかり覚えてしまっ
た。
 一方の黒猫はと言うとそんなこととはつゆ知らず、俺が1人暮らしす
ると聞きつけ日向ちゃんを遣いに寄越した。
 むろん悪戯好きの日向ちゃんである。
 こんな千載一遇のチャンスを逃すわけがない。
 そこでノートに書かれてあったことを俺に実行した。
 それがさっきの「あれ」。
 そしてあの時打っていたメールは、黒猫への事後報告だったって
わけだ。

「な…なるほど。どうりで『魂の位相(レベル)』だの『頂戴』だの口調
が黒猫っぽかったわけだぜ…あはは」
 俺は引きつった笑いを浮かべた。
 会話がリアル過ぎて怖い。
 黒猫のやつ俺の反応まで予想して書いてやがったのか。
 それとも日向ちゃんのアドリブか。
 俺は恨めしい気持ちで黒猫を見たが、いまだプルプルと震えている。

「そりゃ…さ。普通に考えて、落ちるわけねえだろ。あんなの」
 俺は取り繕おうとして何の気なしに言ったのだが、黒猫の反応はと
言うと意外なものだった。
「それは…どういう意味かしら」
「へ?」
「だから…あなたが拒絶したのは、私の辿る運命の1つなのか、それ
ともその数ある運命の因果を束ねる存在、つまりこの堕天聖たる黒猫
の存在なのか、と聞いてるのよ」
「いや…意味がよくわからないのだが」
「つ…! つまりっ!」
 黒猫はもはや赤猫と呼んだほうがいいほど顔を染めながら言った。

「私の考えた迫り方が悪かったのか…それとも、そんなはしたない
ことを考えた私自信が嫌われてしまったのか…と言っているのよ」
 黒猫は制服のスカートをチクチクと、まるで裁縫でもするみたいに指
先でいじっている。
「そ、それくらい…わかりなさいよ…莫迦」
 うつむいたまま決してこちらを見ようとしない。
「お、おう…すまねえ」

 そうか。
 俺は酷く察しが悪かったようだ。
 日向ちゃんが実行したのは「黒猫の書いたシナリオ」だったわけで、
それを否定した俺が「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりに、「黒猫
自体まで否定した」って、こいつは思っちまったわけだ。

「…そ、そんなの前者に決まってるだろ」
「じゃあ。私はまだ貴方に嫌われていないのね」
「あ、当たり前だ」
 俺は少し大きな声で言ってやった。
 すると黒猫は険しかった表情を少し崩してくれた。

 …ったく。
 そんなの少し考えりゃわかるだろ。
 俺は一応、「元カレ」だぜ?
 まぁ、そんぐらいテンパっちまってたってことか。
 相変わらず、恋愛のこととなると見事なヘタレっぷりですね、堕天聖
さんは。
「…ち、ちなみに。外典には他にも興味深い運命が示されていたの
だけれど」
「へ?」
 俺はマヌケな声を出すが、黒猫は唇をきつく引き結んでいる。
「貴方は私を嫌いになったわけではない。ならば、貴方が拒絶したの
は『あの運命だけ』なのでしょう?」

 えーっと。
 『あの運命』ってのは「黒猫が自分から俺に迫る」ってことだよな。
 つーことはつまり、こいつは「迫り方が悪かったのか?」って聞いて
るってことか?
 ちがうちがう。
 それもちがうんだって。

「あのさ。俺が言いたいのは、そうじゃなくて。日向ちゃんに迫られ
たことが困るって意味であって…その…べ、別にお前が相手ならさ
…」
 言ってて俺も恥ずかしくなってきた。
 チラ見すると黒猫もモジモジしている。

「で…では貴方は…『ああいう私』を…はっ…はしたないと言って、
拒絶したりしないのね」
「ああ…。いや、まてよ。やっぱ…なんつーか…あんまグイグイ来ら
れるのは好きじゃないっつーか…」
 やばい。
 さすがに顔が熱くなってきた。
 なにJK相手に性癖語っちゃってんの? 俺。
「で…ではやはり『別の運命』がご所望のようね」
「は? なんだよ…それ」
「ふふっ…こちらなら貴方の気に入るはずよ。その因果の中で私と
貴方は契約、それも貴方からの求めによって結ばれるのよ」

 俺からの契約?
 さっきのやつは黒猫から迫ってくるってやつだったろ?
 つーことは今度、俺から迫るってのか。

「へ…へえ。で、その契約って…何?」
「接吻よ」
「せっぷん? そ、それはこの前みたいな、ほっぺにするやつ?」
「いいえ。唇よ」
「…なっ!」
 今度は俺がたじろぐ番だった。
 黒猫ははっきりと俺の目を見据えている。
 だが手や足は緊張で震えていて。
 またこの状況だ。
 緊張で死にそうになりながらも、真っ直ぐに俺に気持ちを伝えて
きて…。

「が、外典にはこう書いてあるわ。貴方は数千年の時に自身を彷徨わ
せることとなった忌まわしきくびき…つまりベルフェゴールの呪縛から
解き放たれるや否や、私の下へと現れる。そして私を真っ直ぐに見つめ
て…だ…抱きしめるの…」
 唇が震えていた。
 黒猫はそれを抑えながらも喋りつづける。
「あ…貴方は…私を抱き上げると、穢れてしまった今生の地を離れ…
時空の狭間にあるとされる伝説の地、永遠の褥(しとね)とも呼ばれる
あの場所へと私を連れ去る…」
 そう言って俯いたままでベッドのほうを指差した。

 黒猫の足は座っているのにも関わらず震えている。
 もし立っていたら倒れこんでいただろうな。
 それこそ前に何度もあったみたいに。
 そしたら俺は迷わず抱きかかえていたはずだ。
 そう、ちょうどこんなふうに。

「そして、貴方は私の聖法衣を…っ!?」
 黒猫はびくっ!と肩を揺らした。
 俺が急に立ち上がったからだ。
 そして俺はそのまま黒猫に近づくと、身体を抱き上げた。
「…っ」
 黒猫は俺の腕の中で硬直している。
「…な!…っ…なななっ…なに…を…」
 俺はそのままベッドの上まで運ぶと仰向けに寝かせ、その上に四つ
ん這いになった。

 黒猫は驚いた顔で言う。
「…ほ、本当に? 貴方は…呪縛から解き放たれた…というの?」
 そして表情を崩して、泣きそうになった。
「い…いいのね…これ以上、この『運命の記述』を聴いてしまえば、
貴方も私も…もう後戻りできなくなる…」
 黙って俺はうなずいた。
 だって…。
 だってだぜ?
 俺は黒猫がこんな顔をしたとき、いつもどうしてきた?
 こんな顔に急かされて、いつも何をしてきた?
 ある時は妹を迎えにいく決断をした。
 ある時は二人のために別れる決断をした。
 じゃあ今、俺はどうするべきだ?

 かつて俺と黒猫は付き合っていた。
 別れちまったのは桐乃のことがあったからだ。
 桐乃は妹のくせに、俺が黒猫と付き合っているのがイヤでイヤで
仕方なくて、ワガママを言った。
 俺たちもそれを無視できなかった。
 それが例の温泉での一件で分かったことだ。

 以来、桐乃と黒猫は停戦協定を結んでるのだが、それは黒猫が
答えを出すことを恐れたからだ。
 俺が答えを出そうとした時、プレッシャーに耐えかねて卒倒しちまっ
たから。

 でも、それって元を正せば俺が優柔不断だったからだよな。
 俺が桐乃のやつに依存してたから、桐乃のやつまで俺を束縛して。
 俺が誠意を見せればすべてが解決する。
 そんな状況だったんだ。

 そしてさっきのこと。
 俺が日向ちゃんを拒絶したとき、黒猫は自分の妄想が否定されたと
思った。
 自分自身まで否定されたと思った。
 今までならそこで終わっていただろう。
 「ああ2人の関係はこのままなんだな」って。
 お互いにそう思ったはず。
 そして曖昧な日常が続いていた。
 だが黒猫は「その先」を求めた。

 これはどういうことだ?
 「手をつなぐにも練習が必要ね」なんて言ってたやつが、「自分から
迫る女は嫌いか」なんて聞いてきたんだ。
 黒猫は明らかに一線を越えようとしている。
 ならば俺が取るべき行動は1つだった。
 俺はその想いに応える。
 それだけだ。

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最終更新:2012年12月31日 17:40
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