山岡強一

1940年7月15日、北海道雨竜郡沼田町で生まれる。同町昭和炭鉱にて育つ。68年4月上京、11月山谷へ。東日労に加入。磯江洋一氏(マンモスポリ公せん滅で現在旭川刑務所在監)らと活動。71年船本洲治氏と出会い、翌年、悪質業者追放現場闘争委員会(現闘委)結成に尽力。75年6月25日船本氏焼身決起。79年6月9日磯江洋一氏単身決起。「6・9闘争の会」結成を経て、82年の日雇全協結成の主導的役割を果たす。 83年11月3日以降、対皇誠会・互助組合戦を先頭で闘う。佐藤満夫虐殺以後、映画製作に邁進。85年12月映画完成。86年1月13日午前6時すぎ、国粋会金町一家の凶弾に斃れる。享年45歳。
(以上、上映委ホームページより。)


佐藤満夫が金町一家西戸組の組員により刺殺されることにより、映画『山谷─やられたらやりかえせ』(やま-やられたらやりかえせ)の撮影は中断を余儀なくされるが、佐藤が遺したフィルムを元に有志により制作上映委員会が発足した。委員会により映画制作は、実際に山谷の労働者で全国日雇労働組合協議会(略称は日雇全協)の創設メンバー山岡強一に託され、翌1985年より制作が再開された。同年11月ごろには映画は完成、12月には初上映が行われた。 しかし明けて1986年1月13日、山岡は暴力団日本国粋会系金町一家金竜組の組員に射殺された。
(以上、wikipediaより抜粋)


山岡強一遺稿集『山谷 やられたらやりかえせ』
最終更新:2009年07月17日 23:57
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