241年
正始二年 (魏)
皇帝
曹芳(魏齊王・字蘭卿)
皇后
(空位)
三公
太傅:司馬懿(前太尉)
太尉:滿寵(前征東將軍)
司徒:衛臻(前司空)
司空:崔林(前司隸校尉)
司徒:衛臻(前司空)
司空:崔林(前司隸校尉)
九卿
衛尉:
その他の要職
大将軍:曹爽(前武衛將軍)
驃騎大將軍:→
車騎將軍:→王淩(前征東將軍)
驃騎大將軍:→
車騎將軍:→王淩(前征東將軍)
地方官
荊州刺史:胡質
幽州刺史:母*丘儉
雍州刺史:郭淮
幽州刺史:母*丘儉
雍州刺史:郭淮
主な事件
- 正始二年春二月、帝は初めて論語を通読する。太常を遣わして太牢を捧げ孔子を辟雍に祭る。顏淵を配す《三国志魏書三少帝紀》
- 夏五月、吳將の朱然等が襄陽の樊城を囲む。太傅の司馬懿は軍を率いて防ぐ《三国志魏書三少帝紀》吳將の全琮は芍陂を攻め、朱然、孫倫が五萬人で樊城を囲んでおり、諸葛瑾、步騭が柤中を攻めていた。全琮が破れ敗走しても樊城の圍みは急であった。司馬懿は朝議での反論を抑えて自ら征伐に赴き、六月、諸軍を監督して南征した。帝は車駕で津陽城の門外まで見送られた。司馬懿は南方は暑く湿潤で持久戦は良くないとして輕騎で挑発させたが朱然は動かず。これにより諸軍に令して休息洗沐させ精銳を選び先陣を募って号令し必攻之勢を示すと、朱然等は夜の間に遁走した。三州口まで追撃し大いに殺戮捕獲した《三国志魏書三少帝紀に引く干寶晉紀》
- 六月辛丑、太傅の司馬懿は退く。《三国志魏書三少帝紀》
- 六月己卯、征東將軍の王淩を車騎將軍と為す。《三国志魏書三少帝紀》
- 冬十二月、南安郡で地震。《三国志魏書三少帝紀》