246年
正始七年 (魏)
皇帝
曹芳(魏齊王・字蘭卿)
皇后
甄氏(文帝皇后の甄氏の兄甄儼の孫娘)
三公
太傅:司馬懿(前太尉)
太尉:蒋済(前領軍將軍)
司徒:衛臻(前司空)
司空:高柔(前太常)
司徒:衛臻(前司空)
司空:高柔(前太常)
九卿
衛尉:
太常:
太常:
その他の要職
大将軍:曹爽(前武衛將軍)
驃騎大將軍:劉放(前左光祿大夫)
車騎將軍:王淩(前征東將軍)
衛将軍:孫資(前右光祿大夫)
驃騎大將軍:劉放(前左光祿大夫)
車騎將軍:王淩(前征東將軍)
衛将軍:孫資(前右光祿大夫)
地方官
荊州刺史:胡質
幽州刺史:母*丘儉
雍州刺史:郭淮
幽州刺史:母*丘儉
雍州刺史:郭淮
主な事件
- 七年春二月、幽州刺史の母*丘儉が高句驪を討つ《三国志魏書三少帝紀》
- 夏五月、濊貊を討つ。皆破る。韓那奚等数十國が各々種族部落を率いて降伏する《三国志魏書三少帝紀》
- 秋八月戊申、詔に曰わく「巿で観見した所、売買される官奴婢は年が皆七十ほどで、あるいは病にかかっていたりする。いわば天民之窮者である。その悉くを良民と為せ。もし自存ができない者があれば郡縣は給与せよ」《三国志魏書三少帝紀》
- 八月己酉、詔に曰く「私は十九日に親しく祭祀を行うつもりだが、昨日出た際、道を治しているのに出会った。雨が降ればまた治さなければならず、徒に手間を棄てるようなものだ。百姓の力は少ないのに役務が多いのを考えると落ち着かない。道路は通るのに便利であればそれでよい。自今以後はそうするように」《三国志魏書三少帝紀》
- 冬十二月、禮記の講座を終えたので、太常を遣わして太牢をもって孔子を辟雍に祀る。顏淵を配す《三国志魏書三少帝紀》
- 是年、吳將の朱然が柤中に侵入し、斬獲數千を得た。柤中の民吏の萬餘家は沔河を渡って来た。これに対して司馬懿と曹爽が議論した。司馬懿は吏民を還すべきではないとしたが曹爽は聽ず。還るよう命令した。朱然は後ろからこれを襲い破る。また袁淮が曹爽に進言して「吳楚之民は弱く、英才大賢は輩出せず、技量力を比して中國に相抗することはできません。もし淮北に之を移住させれば、敵との間を遠絕させられ、民人は安樂するでしょう」しかし実行にはうつされなかった《三国志魏書三少帝紀に引く漢晉春秋》