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s263年

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soutoku

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263年

景耀六年→炎興元年(蜀漢)


皇帝

劉禅(後主・魏安楽公)

皇后

張氏(前の皇后の妹・車騎將軍張飛の娘)

皇太子

劉璿

三公(蜀漢)

丞相:(空位)
司徒:


その他の要職(蜀漢)

錄尚書事:
尚書令:
太傅:
太常:
光禄勳:
衛尉:→
太僕:
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:


大将軍:姜維(前衛将軍)
驃騎将軍:?
左車騎将軍:張翼
右車騎將軍:廖化
衛将軍:?


地方官

冀州刺史:張翼


主な事件

  • 六年夏、魏は大いに軍をもよおし、征西將軍鄧艾、鎮西將軍鍾會、雍州刺史諸葛緒に命じて數道より並んで攻め入ってきた。これに左右車騎將軍の張翼、廖化、輔國大將軍董厥等を遣わして拒む。《三国志蜀書後主伝》【特集:魏の蜀討伐戦
  • 大赦。改元して炎興と為す。《三国志蜀書後主伝》
  • 冬、鄧艾は將軍諸葛瞻を綿竹において破る。光祿大夫の譙周の策を用いて、鄧艾に降る。侍中張紹、光祿大夫譙周、駙馬都尉の鄧良が奉書を奉り、印緩を届けさせた。是日、北地王の劉諶は國亡を傷み、先に妻子を殺してから自殺した。張紹、鄧良は鄧艾に雒縣で会い、鄧艾は書を得て大いに喜び、即ち書を報じて先に張紹、鄧良を還らせた。鄧艾は成都城の北に至り、後主は櫬に自ら縛り、軍壘門で迎えた。鄧艾は縛を解き櫬を焚いて会見を請うた。これにより、承制して後主を驃騎將軍と為す。諸圍守は悉く後主の勅命を受けた後、降った。鄧艾は後主に其故宮に留め、自身は往造した。物資は厳格にしたままいまだ出発しないでいた。《三国志蜀書後主伝》


  • 明年春正月、鄧艾は逮捕され、鍾會が涪から成都に至り亂を作る。鍾會は死に、蜀中の軍は略奪を働き、死喪狼籍、數日してようやく治まった。《三国志蜀書後主伝》左車騎将軍の張翼は混乱に巻き込まれて死去。《三国志蜀書張翼伝》咸熙元年正月、鍾會が成都で乱を作り、劉璿は亂兵に害された。《三国志蜀書二主妃子伝》






誕生者




死没者

  • 劉諶:北地王・自殺。
  • 張翼(字伯恭):左車騎将軍・冀州刺史。鍾會の反乱による混乱に巻き込まれ死去。
  • 劉璿(字文衡。母は王貴人):劉禅の子。鍾會の反乱による混乱に巻き込まれ死去。

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