259年
甘露四年(魏)
皇帝
曹髦(魏高貴郷公)
皇后
卞氏(父は卞隆)
皇太子
三公(魏)
太傅:司馬孚(前太尉)
太尉:高柔(前司徒)
司徒:鄭沖(前司空)
司空:王昶(驃騎將軍)→(死亡)
司徒:鄭沖(前司空)
司空:王昶(驃騎將軍)→(死亡)
その他の要職(魏)
錄尚書事:司馬昭(大将軍)
太常:
光禄勳:
衛尉:→
太僕:
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:→
太常:
光禄勳:
衛尉:→
太僕:
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:→
大将軍:司馬昭(大都督を加号)
驃騎将軍:王昶
車騎将軍:孫壹
衛将軍:?
驃騎将軍:王昶
車騎将軍:孫壹
衛将軍:?
地方官
冀州牧:
幽州牧:
并州牧:
青州牧:
徐州牧:
兌*州牧:
揚州刺史:?
雍州刺史:王経
交州牧:孫壹
幽州牧:
并州牧:
青州牧:
徐州牧:
兌*州牧:
揚州刺史:?
雍州刺史:王経
交州牧:孫壹
主な事件
- 四年春正月、黃龍が二匹が寧陵縣の境の井戸の中に見られた。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》このとき龍が現れたことは吉祥であるといわれたが、帝は「龍は君主の德であろう。上は天にあらず、下は田に無い。窮屈な井戸に押し込められ吉兆であるはずもない」と言って、潛龍之詩を自らを風刺して歌った。司馬昭はよく思わなかった。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦に引く漢晉春秋》
- 夏六月、司空の王昶が薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
- 秋七月、陳留王の曹峻が薨ず。《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
- 冬十月丙寅、新城郡を分けてまた上庸郡を置く《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》
- 十一月癸卯、車騎將軍の孫壹が下女を殺した《三国志魏書三少帝紀高貴郷公髦》