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g225年

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soutoku

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225年

黄武四年(呉)


皇帝

曹丕(魏文帝)

三公(呉)

呉王:孫権

丞相:孫邵→(死亡)→顧雍(前太常)


その他の要職(呉)

太常:顧雍→陳化(兼尚書令)《三国志呉書呉主権伝に引く吳書》
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?

大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:?
衛将軍:?


主な事件

  • 四年夏五月、丞相の孫邵が卒した。《三国志呉書呉主権伝》邵字長緒。北海人。身の丈八尺。孔融の功曹となり「廊廟才」と言われる。劉繇に従って江東に移り、孫権が統べるようになると廬江太守、車騎長史を拝す。黃武の初め丞相、威遠將軍となり、陽羨侯に封じられる。張溫、暨豔が奏上してその罪を請うと孫権は復職するよう命じた。年六十三で卒す《三国志呉書呉主権伝に引く吳錄》
  • 六月、太常の顧雍を丞相と為す。《三国志呉書呉主権伝》
  • 皖口言木連理《三国志呉書呉主権伝》
  • 冬十二月、鄱陽の賊の彭綺が自ら將軍を称し、諸縣を攻沒する。衆數萬人。《三国志呉書呉主権伝》

  • 是歲地震あり。《三国志呉書呉主権伝》
  • 是冬、魏の文帝は廣陵に至り、長江を前に觀兵する。兵は十餘萬。旌旗は數百里に渡った。長江を渡ろうと思っていたが孫権が嚴しく守りを設けていた。時に大寒で凍り、舟は長江に入ることができなかった。曹丕は波濤洶涌を見て歎息して「嗟乎!天は頑に南北を隔ててるや!」と言った。帰還する。孫韶はまた將の高壽等を遣わして決死の兵士五百人を率いて夜徑路を固める。曹丕は大いに驚き、高壽等は副車羽蓋を獲得し還る《三国志呉書呉主権伝に引く吳錄》



誕生者




死没者

孫邵:字長緒。北海人。年六十三で卒す。




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