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g245年

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soutoku

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245年

赤烏八年(呉)


皇帝

孫権(呉大帝)

皇后

(空位)

皇太子

孫和

三公(呉)

陸遜(上大将軍)→(死亡)→(空位)


その他の要職(呉)

太常:潘濬?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?

大司馬:?
大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:朱然
衛将軍:全琮
上大將軍:?


主な事件

  • 八年春二月、丞相の陸遜が卒す。《三国志呉書呉主権伝》
  • 夏、雷霆落ちて宮門柱を壊す。又、南の渡し場の大橋を壊す。茶陵縣では鴻水が氾濫する。二百餘家が家や人を流漂される。《三国志呉書呉主権伝》
  • 秋七月、將軍の馬茂等が反逆を図り三族皆殺しとなった。《三国志呉書呉主権伝》馬茂はもと淮南鍾離の県長であった。王淩の為に帰る所を失い、叛いて吳に帰す。吳は征西將軍、九江太守、外部督と為し、侯に封じ千兵を領させた。孫權は幾度か苑に出て公卿諸將と狩猟をした。馬茂は兼符節令の朱貞、無難督の虞欽、牙門將の朱志等と計って、孫權が苑中にあるのを伺って公卿諸將がまだ門にあって入っていないのを見計らい、貞に節を持たせ詔を読み上げさせ、悉く收縛し、馬茂が兵を苑に引き入れ孫權を撃つという計画を立てた。また分けて宮中及石頭塢も抑え、人を遣わして魏に報告しようとしたが、事が発覚し皆殺しとなった《三国志呉書呉主権伝に引く吳歷》
  • 八月、大赦。《三国志呉書呉主権伝》
  • 校尉の陳勳を遣わして屯田及作士三萬人を率いて句容中道を穿つ。小其から雲陽西城に至り、會巿を通り、邸閣を作る《三国志呉書呉主権伝》






誕生者




死没者





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