「三国志」 @Wiki

g251年

最終更新:

soutoku

- view
メンバー限定 登録/ログイン


251年

赤烏十四年→太元元年(呉)


皇帝

孫権(呉大帝)

皇后

(空位)→潘氏

皇太子

孫亮

三公(呉)



その他の要職(呉)

太常:滕胤
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?

左大司馬:?
右大司馬:?
大将軍:諸葛恪(前威北將軍・太子太傅と為す)
驃騎将軍:朱據?
車騎将軍:?
衛将軍:?
上大將軍:呂岱(前鎮南將軍)?


主な事件

  • 太元元年夏五月、皇后に潘氏を立てる。大赦。改年。《三国志呉書呉主権伝》
  • 初め臨海羅陽縣に神があって、自ら王表を称す。周旋民閒,語言飲食,人と異なるところ無し。然不見其形.又一人の婢が有って名を紡績と云う。是月(夏五月)、中書郎の李崇を遣わして齎輔國將軍羅陽王の印綬を王表に与え迎える。王表は李崇に従って一緒に出で、李崇と所在郡守の令長と談論する。李崇等無以易.所歷山川,輒遣婢與其神相聞。《三国志呉書呉主権伝》
  • 秋七月、李崇と王表が至たり、孫權は蒼龍門の外に第舍を立てて幾度も近臣に酒食往を与えさせる。王表は說水旱小事,往往有驗。《三国志呉書呉主権伝》
  • 秋八月朔、大風。江海涌溢。平地深八尺。吳の高陵の松柏が斯拔。郡城の南門が飛び落つ。《三国志呉書呉主権伝》
  • 冬十一月、大赦。孫權は南郊を祀り還える。《三国志呉書呉主権伝》病にかかり床に着く《三国志呉書呉主権伝》孫權は風疾を得た《三国志呉書呉主権伝に引く吳錄》
  • 十二月、驛馬で大將軍の諸葛恪を招き寄せ、太子太傅と為す。詔して徭役を省き、征賦を減らし、民が患苦とするところを無くす。《三国志呉書呉主権伝》孫權が病で床につくと大將軍の諸葛恪を招き寄せて太子太傅と為し、會稽太守の滕胤を太常と為す。並んで太子を輔佐するよう詔を受けた《三国志呉書三嗣主伝孫亮》



誕生者




死没者





記事メニュー
人気記事ランキング
目安箱バナー