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251年

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soutoku

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251年

嘉平三年(魏)


皇帝

曹芳(魏)

皇后

甄氏(文帝皇后の甄氏の兄甄儼の孫娘)→(崩御)

皇太子



三公

太傅:司馬懿(前太尉)→(死亡)

太尉:王淩 (前司空) →司馬孚(前司空)
司徒:高柔(前司空)
司空:(空位)→司馬孚(前尚書令)→鄭沖(前光祿勳)

九卿

録尚書事:→司馬師(撫軍大將軍)
光祿勳:鄭沖→

その他の要職

大将軍:
車騎將軍:郭淮(前征西將軍)
驃騎將軍:孫資(特進) →(死亡)
衛将軍:


地方官





主な事件

  • 三年春正月、荊州刺史の王基、新城太守(陳泰)[州泰]が吳を攻める。勝利を収め、降伏者は數千人《三国志魏書三少帝紀》
  • 二月,南郡に夷陵縣を置き、降伏者を居住させた《三国志魏書三少帝紀》
  • 三月、尚書令の司馬孚を司空と為す《三国志魏書三少帝紀》
  • 四月甲申、征南將軍の王昶を征南大將軍と為す《三国志魏書三少帝紀》
  • 四月壬辰,大赦《三国志魏書三少帝紀》
  • 四月丙午、太尉の王淩が帝を廃して楚王曹彪を立てようとしていると聞いて、太傅の司馬懿は王淩を討ちに東征する。《三国志魏書三少帝紀》四月、魏の司馬懿、太尉の王凌がクーデターを企てたため王凌を攻めて逮捕し、自殺させた。王淩は呉軍が徐水を堰き止めたのをきっかけに挙兵しようと賊討伐の上奏をしたが聴許を得られなかった。そのため将軍の楊弘を兌*州刺史の黄華に派遣し協力を要請したが、楊弘と黄華は司馬懿に密告したので司馬懿は大軍を百尺に進めた。その前に司馬懿は王淩を許すと宣言し、尚書の王広(王淩の子)に説諭の手紙を書かせた。王淩は追い詰められたことを悟り、司馬懿が丘頭に到着すると後ろ手に縛って一人出迎えた。司馬懿は王淩に六百の兵をつけて都に送還したが、王淩は項に着いたところで毒を飲んで自殺した《三国志王淩伝》
  • 五月甲寅、王淩自殺《三国志魏書三少帝紀》
  • 六月、曹彪は死を賜う《三国志魏書三少帝紀》
  • 秋七月壬戌、皇后の甄氏が崩ず《三国志魏書三少帝紀》
  • 七月辛未、司空の司馬孚を太尉と為す《三国志魏書三少帝紀》
  • 七月戊寅、太傅の司馬懿が薨ず。衛將軍の司馬師を撫軍大將軍・錄尚書事と為す《三国志魏書三少帝紀》
  • 七月乙未、懷甄后を太清陵に葬る《三国志魏書三少帝紀》
  • 七月庚子、驃騎將軍の孫資が薨ず《三国志魏書三少帝紀》
  • 十一月、有司が、諸功臣で太祖の廟に祀られている者を官位の順位をもって改めるようにと奏上し、太傅の司馬懿が功高く爵も尊いので、最上となった《三国志魏書三少帝紀》
  • 十二月、光祿勳の鄭沖を司空と為す《三国志魏書三少帝紀》


誕生者


死没者

王淩(王允の甥・自殺)
司馬懿:太傅
孫資:驃騎將軍・特進
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