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g252年

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soutoku

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252年

太元二年→神鳳元年→建興元年(呉)


皇帝

孫権(呉大帝)→(死亡)→孫亮

皇后

潘氏→(死亡)→

皇太子

孫亮→(空位)

三公(呉)

太傅:→諸葛恪(大将軍)


その他の要職(呉)

太常:滕胤
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?

大司馬:呂岱(前上大將軍)
大将軍:諸葛恪(前威北將軍)
驃騎将軍:朱據?
車騎将軍:?
衛将軍:→滕胤
上大將軍:呂岱(前鎮南將軍)→?


主な事件

  • 二年春正月、前の太子の孫和を立てて南陽王と為し、長沙に居住させる。子の孫奮を齊王と為して武昌に、子の孫休を瑯邪王と為し虎林にそれぞれ居住させる。《三国志呉書呉主権伝》
  • 二月、大赦。改元して神鳳。《三国志呉書呉主権伝》
  • 皇后の潘氏が薨ず。《三国志呉書呉主権伝》
  • 諸將吏は幾度か王表を訪れ福を請う。王表は亡去する。《三国志呉書呉主権伝》
  • 夏四月、孫權が薨ず。時に年七十一。諡して大皇帝。《三国志呉書呉主権伝》
  • 四月、孫權が薨じ、太子の孫和が即ち帝位に着く。大赦。改年する。是歲は魏の嘉平四年である。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 秋七月、孫権を蔣陵に葬送する。《三国志呉書呉主権伝》
  • 建興元年閏月、諸葛恪を太傅と為し、滕胤を衛將軍領尚書事と為す。上大將軍の呂岱を大司馬と為す。諸文武で官位にあるものは皆進爵班賞があった。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 冬十月、太傅の諸葛恪が軍を率いて巢湖を渡り、東興に城を築く。將軍の全端に西城を守らせ、都尉の留略に東城を守らせた《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 十二月朔丙申、大風雷電《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 十二月、魏は將軍の諸葛誕、胡遵等に步騎七萬を率いさせて東興を囲む。將軍の王昶が南郡を攻める。母*丘儉が武昌に向かう。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 十二月甲寅、諸葛恪は大兵をもって赴き、戊午、兵は東興に到着して交戰する。大いに魏軍を破り、將軍の韓綜、桓嘉等を殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 是月、雷雨。天災で武昌の端門が壊れ、內殿も壊れる。これを裴松之によれば、孫權が赤烏十年に詔して武昌宮の材瓦を建康宮を修築する際に移したが猶端門內殿は残っていた。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》諸葛恪は遷都の意志があり、更に武昌宮を起こした。今災いがあったのは恪が新たに作った所である《三国志呉書三嗣主伝孫亮に引く吳錄》



誕生者




死没者

  • 孫権:大皇帝




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