256年
五鳳三年→太平元年(呉)
皇帝
孫亮(字子明・呉会稽王)
皇后
全氏(全尚の娘)
皇太子
(空位)
三公(呉)
丞相:孫峻→(死亡)→?
太傅:?
太傅:?
その他の要職(呉)
太常:滕胤?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:呂岱(前上大將軍)→(死亡)→?
大将軍:?→孫綝(假節・永康侯)
驃騎将軍:呂據→?
車騎将軍:劉纂
衛将軍:滕胤
上大將軍:?
大将軍:?→孫綝(假節・永康侯)
驃騎将軍:呂據→?
車騎将軍:劉纂
衛将軍:滕胤
上大將軍:?
主な事件
- 太平元年春正月、孫權の廟を立て、太祖廟と称す《三国志呉書三嗣主伝孫亮に引く吳歷》
- 太平元年春二月朔、建業で火災があった。孫峻は征北大將軍の文欽の計を用いて、魏を征討した。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
- 八月、先に文欽及び驃騎將軍の呂據、車騎將軍の劉纂、鎮南將軍の朱異、前將軍の唐咨の軍を遣わして江都から淮、泗の領域に入った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
- 九月丁亥、孫峻が卒す。從弟で偏將軍の孫綝を侍中、武衛將軍、領中外諸軍事と為し、呂據等を召還する。呂據は孫綝が孫峻に代わったことを聞いて大いに怒った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
- 己丑、大司馬の呂岱が卒す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
- 壬辰、太白が南斗を犯す。呂據、文欽、唐咨等は衛將軍の滕胤を丞相と為すよう表薦したが孫綝は聽かず。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
- 癸卯、(呂據らは)更に滕胤を大司馬と為して呂岱に代わって武昌に駐在させた。呂據は兵を引き還えし、孫綝を討たんと欲す。孫綝は使者を遣わして詔書をもって文欽、唐咨等を告喻させ、呂據を逮捕させようとした。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
- 冬十月丁未、孫憲及び丁奉、施寬等を遣わして舟で逆に呂據を江都に討たんとする。將軍の劉丞は步騎を督して胤を攻め、胤は敗れ三族皆滅んだ。
- 己酉、大赦。改年。
- 辛亥、呂據を新州で捕らえる。
- 十一月、孫綝を大將軍、假節と為し、永康侯に封じる。孫憲は將軍の王惇とともに孫綝を謀殺させんと欲すが事が発覚し孫綝は惇を殺す。憲を追捕させ自殺するよう命じた。
- 十二月、五官中郎將の刁玄が蜀に反乱があったことを告げた。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》