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g258年

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soutoku

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258年

太平三年→永安元年(呉)


皇帝

孫亮(字子明・呉会稽王)→(廃位・会稽王)→孫休(呉景帝)

皇后

全氏(全尚の娘)→(廃位)→?

皇太子

(空位)

三公(呉)

丞相:?→孫綝→(誅殺)→?
太傅:?


その他の要職(呉)

太常:全尚→(捕縛)→?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?

大司馬:?
大将軍:孫綝(假節・永康侯)→(誅殺)→?
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:?→孫恩(前武衛将軍)
上大將軍:?

地方官

荊州牧:?→孫綝→(誅殺)→?


主な事件

  • 三年春正月、諸葛誕が文欽を殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 三月、司馬文王が壽春を落す。諸葛誕及び左右のものは戰死した。將吏以下皆降る。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 秋七月、故齊王の孫奮を章安侯に封じる。詔して州郡に宮材を徴発する。
  • 八月から沈陰して雨が四十餘日降らなかった。四十餘日
  • 孫亮は孫綝の専横に対して、太常の全尚、將軍の劉丞と謀り孫綝を誅殺せんとした。四十餘日
  • 九月戊午、孫綝は兵を向かわせ全尚を捕らえ、弟の孫恩を遣わして劉丞を蒼龍門外で攻め殺す。大臣を召して宮門に集め、孫亮を會稽王にするとした。時に孫亮は年十六。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
  • 己未、孫綝は宗正の孫楷と中書郎の董朝を遣わして孫休を迎える。孫休は初めその意を疑った。孫楷、董朝は孫綝等が奉迎する本意について説明した。一日二夜留まって、遂いに出発した。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 十月戊寅、一行は曲阿に至る。老公が有って孫休に叩頭して曰わく「事は時間をかけますと変事が生じます。天下は待ちわびているのです。願わくば陛下速やかに行かれますよう」孫休は之を善しとして是日出発し布塞亭に到着する。武衛將軍の孫恩が行丞相事として百僚を率い乘輿法駕をもって永昌亭に出迎えた。宮を築き、武帳をもって便殿と為す。御座を設ける。
  • 十月己卯、孫休が到着し便殿を望み住まうのを止めた。孫楷を遣わして先ず孫恩に会い、孫楷は還える。孫休は輦に乗って進む。衆臣は再拜して臣と称す。孫休は便殿に入り、謙譲して御坐につかず。東廂に留まる。戶曹尚書が前に出て階下から讚奏し、丞相が璽符を奉った。孫休は三度讓り、衆臣は三度請うた。孫休は「將相諸侯が寡人を推すならば、寡人は敢えて璽符を受けるのを拒まない」衆臣は次いで奉引し孫休は乘輿して百官は陪位した。孫綝は兵千人をもって半野に出迎え、道側に拝す。孫休は下車して答拜した。即日、正殿に御し、大赦す。改元。是歲は魏の甘露三年である。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 永安元年冬十月壬午、詔して曰わく「こたびの論功行賞を行い、大將軍の孫綝を丞相、荊州牧と為し、食邑五縣を増す。武衛將軍の孫恩を御史大夫、衛將軍、中軍督と為し、縣侯に封じる。威遠將軍(授)[據]を右將軍と為し縣侯に、偏將軍の幹を雜號將軍、亭侯に封じる。長水校尉の張布は輔導勤勞であるから輔義將軍と為し、永康侯に封じる。董朝は親迎してくれたによって為鄉侯に封じる。」又詔して曰わく「丹陽太守の李衡は往事之ことがもとで自ら縛って有司に出頭した。李衡を郡に還らせよ。くれぐれも疑いないよう諭せ」《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 十月己丑、孫皓を烏程侯に、孫皓の弟の孫德を錢唐侯に、孫謙を永安侯に封じる《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 十一月甲午、風が四轉五復し、蒙霧が連日に及んだ。孫綝一門は五侯を拝し皆禁兵を司る。権勢は主を抜き、陳述するところあれば違うこともなく益々ほしいままであった。孫休は変事を恐れ数々の賞賜を与えた。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 丙申、詔して「大將軍忠款內發,首建大計以安社稷,卿士內外,咸贊其議,並有勳勞.昔霍光定計,百僚同心,無復是過.亟案前日與議定策告廟人名,依故事應加爵位者,促施行之.」《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 戊戌、詔して「大將軍は中外の諸軍事を統括し、煩多であろう。衛將軍御史大夫の孫恩に侍中を加え、大將軍と政務を分けて諸事処理せよ」《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 壬子、詔して「諸吏家有五人三人兼重為役,父兄在都,子弟給郡縣吏,既出限米,軍出又從,至於家事無經護者,朕甚愍之.其有五人三人為役,聽其父兄所欲留,為留一人,除其米限,軍出不從.」又曰:「諸將吏奉迎陪位在永昌亭者,皆加位一級.」頃之,休聞綝逆謀,陰與張布圖計《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 十二月戊辰臘、百僚は朝賀す。公卿升殿,詔して武士が孫綝を捕縛し、即日誅に伏す。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
  • 己巳、詔して左將軍の張布が姦臣を討ったことから、張布に中軍督を加え、張布の弟の張惇を都亭侯に封ず。兵三百人を与える。張惇の弟の張恂を校尉と為す。《三国志呉書三嗣主伝孫休》



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