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226年

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soutoku

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226年

黄初七年(魏)


皇帝

曹丕→曹叡(魏)

皇后

郭氏(文德郭皇后・安平広宗の人)→皇太后に。


三公

太傅:→鍾繇

太尉:華歆(前司徒)
司徒:王朗(前司空)
司空:陳群(前鎮軍大將軍)





九卿




その他の要職

大司馬:→曹休(前征東大將軍)
大将軍:→曹真(前中軍大將軍)
驃騎大將軍:司馬懿(前撫軍大將軍)

主な事件

  • 七年春正月、許昌に行幸する。許昌の城南門が故無く自ら崩れる。帝は心から之を嫌う。遂に入らず《三国志魏書文帝紀》
  • 正月壬子、洛陽宮に還る《三国志魏書文帝紀》
  • 三月、九華台を築く《三国志魏書文帝紀》
  • 夏五月丙辰、帝の病篤く、中軍大將軍曹真、鎮軍大將軍陳群、征東大將軍曹休、撫軍大將軍司馬宣王を召す。並びに嗣主を輔政するよう遺詔を授け.後宮の淑媛を遣わして昭儀以下実家に帰す《三国志魏書文帝紀》
  • 夏五月、文帝は病篤く、曹叡を皇太子と為す《三国志魏書明帝紀》
  • 五月丁巳、嘉福殿において帝は崩御した。時年四十《三国志魏書文帝紀》五月丁巳、曹叡は皇帝に即位する。大赦。皇太后を太皇太后に、皇后を皇太后と尊ぶ。諸臣に封爵し各々格差有り《三国志魏書明帝紀》
  • 五月癸未、母の甄夫人に追諡して文昭皇后とす《三国志魏書明帝紀》
  • 五月壬辰、皇弟の曹蕤を立てて陽平王と為す《三国志魏書明帝紀》
  • 六月戊寅、首陽陵に葬る。自殯及び葬送は皆終制をもって從事する《三国志魏書文帝紀》明帝は送葬せんとするが、曹真、陳群、王朗等が暑熱のため固く諫めたため止した《三国志魏書文帝紀に引く魏氏春秋》
  • 八月、孫權は江夏郡を攻め、太守の文聘は堅守する。朝議では兵を発して救わんとするが、曹叡は孫権が勝てないことを予見して、先ず治書侍御史の荀禹を遣わして邊方を慰勞させる。禹は到ると、縣兵及步騎千人を山に登らせ狼煙を挙げた。孫権は退走した《三国志魏書明帝紀》
  • 八月辛巳、皇子の曹冏を立てて清河王と為す《三国志魏書明帝紀》
  • 吳將諸葛瑾、張霸等が襄陽を攻撃する。撫軍大將軍の司馬懿は之を討ち破り張霸を斬る。征東大將軍の曹休はまた其別將を尋陽に破る。論功行賞があり各々格差があった《三国志魏書明帝紀》
  • 冬十月、清河王の曹冏が薨ず《三国志魏書明帝紀》
  • 十二月、太尉の鍾繇を太傅、征東大將軍の曹休を大司馬に、中軍大將軍の曹真を大將軍に、司徒の華歆を太尉に、司空の王朗を司徒に、鎮軍大將軍の陳群を司空に、撫軍大將軍の司馬懿を驃騎大將軍と為す《三国志魏書明帝紀》

  • この年、後の明悼毛皇后は曹叡が皇帝に立つと貴嬪となった《三国志魏書后妃》


誕生者


死没者

曹丕(字子桓):魏文帝。
ゼイ玄(娘が孫登の妃・リツ陽侯)《呉書潘濬伝》
呉範(病死)《呉書呉範伝》
張霸:司馬懿に破れ斬られる
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