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175年

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soutoku

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175年

熹平四年(漢)

皇帝

劉宏(漢霊帝)

皇后

宋氏(諱某)

皇太子

(空位)


三公

太尉:陳耽(前太常・174~176)
司徒:袁隗(?~176)
司空:許訓(前永楽少府・174~176)


その他の要職

太常:→
光禄勳:→
衛尉:→
太僕:→
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:→



大将軍:
驃騎将軍:
車騎将軍:
衛将軍:

地方官




主な事件

  • 春三月 詔して諸儒に五経の文字を正させ、石に刻んで太学の門外に立てた《後漢書孝霊帝紀》
  • 河間*貞王劉建(桓帝の弟)の子である新昌侯の劉柁<りゅうだ>*を任城王と為す《後漢書孝霊帝紀》《後漢書光武十王列伝任城孝王尚》
  • 夏四月 郡国の七で大水《後漢書孝霊帝紀》
  • 五月丁卯 天下に大赦を下す《後漢書孝霊帝紀》
  • 延陵園(成帝の陵墓。咸陽県の西に当たるとされる)で失火。使者に持節を遣わし、延陵の祠に告げさす《後漢書孝霊帝紀》
  • 鮮卑が幽州を侵す《後漢書孝霊帝紀》
  • 六月 弘農郡、三輔で螟虫の害《後漢書孝霊帝紀》
  • 守宮令を鹽監(漢書地理志・続漢郡国志にその名は無く蒲州安邑県の西南に鹽池という名がある)に遣わし、渠を穿ち民に利益をもたらさせた《後漢書孝霊帝紀》
  • 郡国で災いに遭った者に令して、田租の半分を減じた。その傷害は十四ヶ所以上であった《後漢書孝霊帝紀》
  • 冬十月丁巳 令して囚人で罪が未決の者には絹を納めて購わせた《後漢書孝霊帝紀》
  • 沖帝の母虞美人(順帝の美人)を憲園貴人(憲園は洛陽の東北に在る)と為す。質帝の母陳夫人を渤海孝王妃(渤海孝王劉鴻の夫人)と為す《後漢書孝霊帝紀》
  • 平準を中準と改め、宦者を使わして令となし、内署に列せしめた。是より諸署悉く閹人(えんじん=宦官)をもって丞・令と為す《後漢書孝霊帝紀》



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