176年
熹平五年(漢)
皇帝
劉宏(漢霊帝)
皇后
宋氏(諱某)
皇太子
(空位)
三公
太尉:陳耽(前太常・174~176)→許訓(前司空・176)→劉寛(前光禄勳・176~177)
司徒:袁隗(?~176)→楊賜(前光禄大夫・176~177)
司空:許訓(前永楽少府・174~176)→劉逸(前太常・176~177)
司徒:袁隗(?~176)→楊賜(前光禄大夫・176~177)
司空:許訓(前永楽少府・174~176)→劉逸(前太常・176~177)
その他の要職
太常:→劉逸→
光禄勳:→劉寛→
衛尉:→
太僕:→
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:→
光禄勳:→劉寛→
衛尉:→
太僕:→
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:→
大将軍:
驃騎将軍:
車騎将軍:
衛将軍:
驃騎将軍:
車騎将軍:
衛将軍:
主な事件
- 夏四月癸亥 天下に大赦を下す《後漢書孝霊帝紀》
- 益州郡の蛮夷が叛き、益州太守李ギョウが之を討ち平定《後漢書孝霊帝紀》
- また崇高山の名を嵩高山と為す《後漢書孝霊帝紀》
- 大いに雨乞いす。侍御史を獄亭部に行かせて、痛めつけるのを止めるよう処理し、刑が軽い者を許し、囚人を休ませた。《後漢書孝霊帝紀》
- 五月 太尉の陳耽が罷め、司空の許訓を太尉と為す《後漢書孝霊帝紀》
- 閏月 永昌太守曹鸞が党人を坐訟し、棄市された。党人の門生・故吏・父兄・子弟に当たる者は皆官を免じられ禁錮す《後漢書孝霊帝紀》
- 六月壬戌 太常で南陽の劉逸を司空と為す《後漢書孝霊帝紀》
- 秋七月 太尉の許訓が罷め、光禄勳の劉寛を太尉と為す《後漢書孝霊帝紀》
- 冬十月壬午 御殿の後ろの槐(えんじゅ)が自ずから抜け倒れた《後漢書孝霊帝紀》
- 司徒の袁隗が罷めた《後漢書孝霊帝紀》
- 十一月丙戌 光禄大夫楊賜を司徒と為す《後漢書孝霊帝紀》
- 十二月 甘陵王劉定が亡くなる《後漢書孝霊帝紀》
- 太学の生年六十以上の者百余人を試み、郎中・太子舎人を除く王家の郎、郡国の文学吏(漢官儀によればいずれも秩二百石で定員無し)とした。《後漢書孝霊帝紀》
- この年鮮卑が幽州を侵した。沛国で黄龍が[言焦]で見られたと言われた《後漢書孝霊帝紀》