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188年

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soutoku

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188年

中平五年(漢)

皇帝

劉宏(漢霊帝)

皇后

何氏(諱某・南陽宛県)

三公

太尉:曹嵩(前大司農・187~188)→樊陵(前永楽少府・188)→馬日磾(前射声校尉・188~189)
司徒:許相(前司空・187~188)→丁宮(前司空・188~189)
司空:丁宮(前光禄勳・187~188)→劉弘(前光禄勳)

その他の要職

太僕:黃琬《後漢書劉焉袁術呂布列劉焉》→
大司農:→
光禄勳:→劉弘→
衛尉:董重
少府:→董卓(就任せず)→
宗正:劉虞《後漢書劉焉袁術呂布列劉焉》→

大将軍:何進(前河南尹)
車騎将軍:何苗(前河南尹)
票騎將軍:董重(衛尉)

地方官

幽州牧:→劉虞《後漢書劉焉袁術呂布列劉焉》
并州刺史:張懿→(死亡)
益州刺史:郗儉→(死亡)
豫州牧:?→黃琬(188~189)《後漢書劉焉袁術呂布列劉焉》
益州牧:→劉焉(監軍使者・188~)《後漢書劉焉袁術呂布列劉焉》


主な事件

  • 春正月、休屠各胡が西河郡を冦略し、郡守の邪紀を殺す《後漢書孝霊帝紀》
  • 丁酉、天下に大赦する《後漢書孝霊帝紀》
  • 二月、流星が紫宮に有った《後漢書孝霊帝紀》
  • 黄巾餘賊の郭太等が西河郡白波谷に蜂起し、太原郡・河東郡を冦略する《後漢書孝霊帝紀》
  • 三月、休屠各胡が并州刺史の張懿を攻め殺し、南匈奴左部の胡を合し、その単于を殺す《後漢書孝霊帝紀》
  • 夏四月、汝南葛陂(宋代の豫州新蔡県の西北)黄巾が郡県攻沒する《後漢書孝霊帝紀》
  • 太尉曹嵩が罷め、永楽少府の樊陵が太尉となる《後漢書孝霊帝紀》
  • 六月丙寅、大風《後漢書孝霊帝紀》
  • 太尉樊陵が罷める《後漢書孝霊帝紀》
  • 益州黄巾の馬相が益州刺史の郗儉を攻め殺し、天子を自称する。また巴郡を冦略し、郡守の趙部を殺す。益州従事賈龍が馬相を撃ち、之を斬る《後漢書孝霊帝紀》
  • 郡国の七で大水《後漢書孝霊帝紀》
  • 秋七月、射声校尉の馬日[石単]を太尉とす《後漢書孝霊帝紀》
  • 八月、初めて西園八校尉を置く。注に引く、楽資の山陽公載記に曰く、小黄門の憲*磧を上軍校尉に、虎賁中郎将の袁紹を中軍校尉に、屯騎校尉の鮑鴻を下軍校尉に、議郎の曹操を典軍校尉に、趙融を助軍左校尉に、馮芳を助軍右校尉に、諌議大夫の夏牟を左校尉に、淳于ケイを右校尉に任じた。およそ八校尉を憲*磧が統べた《後漢書孝霊帝紀》
  • 司徒の許相が罷め、司空の丁宮が司徒と為す。光禄勳で南陽の劉弘を司空と為す《後漢書孝霊帝紀》
  • 九月、南匈奴の単于が叛き、白波賊と合して河東郡を冦略する。中郎将の孟益に騎都尉の公孫讃*を率いさせて漁陽の賊張純等を討たす《後漢書孝霊帝紀》
  • 冬十月、青州・徐州の黄巾賊がまた起こり、郡県を冦略する《後漢書孝霊帝紀》
  • 甲子、皇帝は無上将軍と称して平楽観(洛陽城の西)において兵を調練する《後漢書孝霊帝紀》
  • 十一月、涼州の賊王國が陳倉を囲む。右将軍の皇甫嵩が之を救う《後漢書孝霊帝紀》
  • 下軍校尉の鮑鴻が葛陂黄巾を討つ《後漢書孝霊帝紀》
  • 巴郡の板楯蛮が叛く。上軍別部司馬の趙瑾が之を平定する《後漢書孝霊帝紀》巴郡黃巾の賊が起ち、故にまた板楯蛮は叛き城邑を寇掠。西園上軍別部司馬趙瑾を遣わして之を平定する《後漢書南蠻西南夷列伝》
  • 公孫讃*は石門において張純等と戦い、大いに之を破る。注に引く、時に烏桓が叛き張純等は薊中を攻めた。故に公孫讃*は之を追撃した《後漢書孝霊帝紀》


  • この年、刺史を改め、牧を新たに置く《後漢書孝霊帝紀》
  • この年、董皇后は兄の子で衛尉・脩侯の董重を票騎將軍と為す《後漢書皇后紀孝仁董皇后》
  • 中平五年、董卓は徴されて少府となる。しかし吏士は左將軍の皇甫嵩に属すことになる。董卓は行在所に参内して上言し、吏士が恩に報いんと車を遮り進めないとして勅命を拒んだ。《三国志魏書董卓伝に引く靈帝紀》


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