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191年

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soutoku

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191年

初平二年(漢)

皇帝

劉協(漢献帝)

皇后

(空位)

皇太子

(空位)


三公

太師:(新設)→董卓(前相国・191~192)
相国:董卓(前司空・189~191)→(廃止)

太尉:趙謙(前光禄勳・190~191)→馬日磾(前太常・191~192)
司徒:王允(前太僕・190~192)
司空:仲*拂(前光禄大夫・190~191)→淳于嘉(前光禄大夫・191~192)

その他の要職

太傅:?
太常:?→馬日磾(~191)→
太僕:?
大司農:?
光禄勳:?
執金吾:?
衛尉:→張温→(死亡)→
大鴻臚:韓融?
将作大匠:?



地方官

冀州牧:韓馥→袁紹(191~202)
兗州刺史:劉岱
揚州刺史:陳温(190?~193)《三国志魏書武帝紀》
荊州刺史:劉表(190~192)


主な事件

  • 初平二年辛丑、天下に大赦する《後漢書孝献帝紀》
  • 初平二年春、袁紹﹑韓馥は遂に劉虞を帝に立てる。劉虞は承知せず《三国志魏書武帝紀》
  • 二月丁丑、董卓は自ら太師と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 袁術は将の孫堅を遣わして董卓の将胡軫と陽人に於いて戦い大いに破る《後漢書孝献帝紀》
  • 董卓は洛陽の諸帝陵を発掘した《後漢書孝献帝紀》
  • 夏四月、董卓は長安に入る《後漢書孝献帝紀》
  • 六月丙戌、地震《後漢書孝献帝紀》
  • 秋七月、司空の仲*拂が免じられ、光禄大夫で済南郡の淳于嘉を司空と為す。太尉の趙謙が罷め、太常の馬日磾を太尉と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 秋七月、袁紹は韓馥を脅して冀州を取る《三国志魏書武帝紀》
  • 九月、蚩尤旗が角と亢に見えた《後漢書孝献帝紀》
  • 冬十月壬戌、董卓は衛尉の張温を殺す《後漢書孝献帝紀》
  • 十一月、青州黄巾が太山郡を冦略し、太山太守の應劭は之を破る《後漢書孝献帝紀》
  • 黄巾は転じて渤海郡を冦略する。公孫讃*は東光においてまた之を大いに破る《後漢書孝献帝紀》

  • 是年、長沙で死んだ人が月を経て復活した《後漢書孝献帝紀》
  • この年秋以降と思われるが黒山賊の于毒、白繞、眭固等十余万は、魏郡﹑東郡を略し、東郡太守の王肱は防げなかった。曹操は兵を率いて東郡に入る。白繞を濮陽に討ち之を破る。袁紹は上表して曹操を東郡太守と為し、東武陽に治所を置く。《三国志魏書武帝紀》劉岱と橋瑁は憎み合っていた。初平元年、劉岱が橋瑁を殺し、王肱をもって東郡太守を領させた。《三国志魏書武帝紀》


  • この歳、荀彧は冀州袁紹のもとを去って東郡にいた曹操に従う。奮武司馬と為し、時に年二十九。《後漢書鄭孔荀列伝》#1

生誕者


死没者




*#1※曹操は189年の挙兵時、行奮武将軍を自称していた。


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