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214年

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soutoku

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214年

建安十九年(漢)

皇帝

劉協(漢献帝)

皇后

伏寿(琅邪郡東武県・父の伏完は不其侯、桓帝の娘陽安公主を娶る)→(廃后)

三公(漢)

魏公:曹操

太傅:空席
丞相:曹操(前司空)
御史大夫:郗慮(前光禄勳)

太尉:廃止
司徒:廃止
司空:廃止

その他の要職(漢)

太常:
光禄勳:
衛尉:→
太僕:
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:→


大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:?
衛将軍:?

地方官

冀州牧:曹操


主な事件

  • 建安十九年夏四月、旱魃。《後漢書孝献帝紀》
  • 五月、雨水。《後漢書孝献帝紀》
  • 劉備が劉璋を破り、益州に拠る。《後漢書孝献帝紀》
  • 冬十月、曹操は、将の夏侯淵を遣わして、枹罕県(金城郡)に宋建を討ち、之を捕らえる。《後漢書孝献帝紀》
  • 十一月丁卯、曹操は皇后の伏氏を殺し、その族及び皇子二人を滅ぼす。《後漢書孝献帝紀》
    注に引く山陽公載記に曰く、劉備は蜀で之を聞いて喪を発した。
  • この年、曹操の娘曹憲、曹節、曹華は貴人となる。《後漢書皇后紀獻穆曹皇后》




誕生者




死没者

  • 伏皇后諱寿:董承の娘が貴人であったが、曹操は董承を誅すと董貴人も殺した。皇后は畏れ父の伏完に宛てて曹操殘逼の書狀を書いたが、父の伏完は発しなかった。建安十九年事は漏れ、曹操は皇帝に迫って廃后し、暴室に下され幽閉。二皇子を生んでいたが、皆毒殺された。在位二十年。兄弟及宗族の死者は百余人。母の盈等十九人は琢郡に移された。《後漢書皇后紀獻帝伏皇后》


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