「三国志」 @Wiki
http://w.atwiki.jp/soutoku/
「三国志」 @Wiki
ja
2010-05-05T23:40:29+09:00
1273070429
-
g262年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/201.html
[[<魏 262年>>262年]] [[<蜀漢 262年>>s262年]] [[<呉 262年>>g262年]]
----
*262年
**永安五年(呉)
**皇帝
孫休(呉景帝)
**皇后
(空位)→朱氏
**皇太子
(空位)→孫ワン
**三公(呉)
丞相:?→濮陽興
太傅:?
左御史大夫:→丁密
右御史大夫:→孟宗
**その他の要職(呉)
太常:?
光禄勳:孟宗→?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)→?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:?
大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:濮陽興→?
上大將軍:?
----
*主な事件
-五年春二月、白虎門の北樓が火災。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-秋七月、始新で黃龍が見られたと伝えてきた。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-八月壬午、大雨震電。水泉涌溢。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-八月乙酉、皇后に朱氏を立てる。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-八月戊子、子の孫ワンを立てて太子と為す。大赦。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-冬十月、衛將軍の濮陽興を丞相に、廷尉の丁密、光祿勳の孟宗を左右御史大夫と為す。孫休は丞相の濮陽興及び左將軍の張布に舊恩有り。政治を委ね、張布は宮省を統べ、濮陽興は軍國に統括させた。孫休は典籍に意を注ぎ、百家之言全てに目を通さんと欲す。雉を射るのを好み、春夏之間は常に朝早く出て夜還えった。ただ此時も舍に書を有していた。孫休は博士祭酒の韋曜、博士の盛沖と講論道藝したいと思っていた。曜、沖は素皆切直で、張布は入侍するのを恐れた。發其陰失,令己不得專,因妄飾說以拒遏之.休答曰:「孤之涉學,書略,所見不少也;其明君闇王,姦臣賊子,古今賢愚成敗之事,無不覽也.今曜等入,但欲與論講書耳,不為從曜等始更受學也.縱復如此,亦何所損?君特當以曜等恐道臣下姦變之事,以此不欲令入耳.如此之事,孤已自備之,不須曜等然後乃解也.此都無所損,君意特有所忌故耳.」布得詔陳謝,重自序述,又言懼妨政事.休答曰:「書籍之事,患人不好,好之無傷也.此無所為非,而君以為不宜,是以孤有所及耳.政務學業,其流各異,不相妨也.不圖君今日在事,更行此於孤也,良所不取.」布拜表叩頭,休答曰:「聊相開悟耳,何至叩頭乎
2010-05-05T23:40:29+09:00
1273070429
-
g261年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/200.html
[[<魏 261年>>261年]] [[<蜀漢 261年>>s261年]] [[<呉 261年>>g261年]]
----
*261年
**永安四年(呉)
**皇帝
孫休(呉景帝)
**皇后
(空位)
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:?
太傅:?
**その他の要職(呉)
太常:?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:?
大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:?
上大將軍:?
----
*主な事件
-四年夏五月、大雨。水泉が涌溢。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-秋八月、光祿大夫の周奕、石偉を遣わして、郡国を巡り風俗を見聞させ、將吏の清濁を監査させ、民が疾苦する所を調べさせた。為黜陟之詔.[一]
-九月、布山が白龍が見られたと伝えて来た。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-是歲、安吳の民の陳焦が死んだ。埋葬され六日後に更生する。土を穿ち出でる。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
----
*誕生者
*死没者
----
**注
----
&link_up(▲PAGE TOP)
[[260年<<>g260年]] [[>>262年>g262年]]
2010-05-05T23:40:05+09:00
1273070405
-
g260年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/199.html
[[<魏 260年>>260年]] [[<蜀漢 260年>>s260年]] [[<呉 260年>>g260年]]
----
*260年
**永安三年(呉)
**皇帝
孫休(呉景帝)
**皇后
(空位)
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:?
太傅:?
**その他の要職(呉)
太常:?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:?
大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:?
上大將軍:?
----
*主な事件
-三年春三月、西陵で赤烏が見られたと伝えて来た。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-秋、用都尉嚴密議,浦里塘を作る。會稽郡で王の孫亮が天子に還るという謠言があった。孫亮の宮人が孫亮が巫を使って禱祠を行い、惡言があったと告げた。有司は事情を問い、孫亮を貶めて候官侯と為す。任国に赴く途中自殺した。送者を処罰する。《三国志呉書三嗣主伝孫休》或るいは孫休が鴆毒で殺ろしたとも言われた。晉の太康年中に吳の故の少府で丹楊の戴顒が孫亮の喪を迎え、賴鄉に葬る《三国志呉書三嗣主伝孫休に引く吳歷》
-會稽南部を建安郡と為し、宜都を分けて建平郡を置く《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-是歲、建德縣において大鼎を得る《三国志呉書三嗣主伝孫休に引く吳歷》
----
*誕生者
*死没者
----
**注
----
&link_up(▲PAGE TOP)
[[259年<<>g259年]] [[>>261年>g261年]]
2010-05-05T23:39:40+09:00
1273070380
-
g259年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/198.html
[[<魏 259年>>259年]] [[<蜀漢 259年>>s259年]] [[<呉 259年>>g259年]]
----
*259年
**永安二年(呉)
**皇帝
孫休(呉景帝)
**皇后
(空位)
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:?
太傅:?
**その他の要職(呉)
太常:?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:?
大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:?
上大將軍:?
----
*主な事件
-二年春正月、震電。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-三月、九卿の官を備える。詔して曰わく「朕以不德,託于王公之上,夙夜戰戰,忘寢與食.今欲偃武修文,以崇大化.推此之道,當由士民之贍,必須農桑。夫一夫不耕,有受其饑,一婦不織,有受其寒;饑寒並至而民不為非者,未之有也.自頃年已來,州郡吏民及諸營兵,多違此業,皆浮船長江,賈作上下,良田漸廢,見穀日少,欲求大定,豈可得哉?亦由租入過重,農人利薄,使之然乎!今広く田業を開き、その賦稅を軽くし、差科彊羸,課其田畝,務令優均,官私得所,使家給戶贍,足相供養,則愛身重命,不犯科法,然後刑罰不用,風俗可整.以僚之忠賢,若盡心於時,雖太古盛化,未可卒致,漢文升平,庶幾可及.及之則臣主俱榮,不及則損削侵辱,何可從容俯仰而已?諸卿尚書,可共咨度,務取便佳.田桑已至,不可後時.事定施行,稱朕意焉.」《三国志呉書三嗣主伝孫休》
----
*誕生者
*死没者
----
**注
----
&link_up(▲PAGE TOP)
[[258年<<>g258年]] [[>>260年>g260年]]
2010-05-05T23:39:14+09:00
1273070354
-
g258年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/197.html
[[<魏 258年>>258年]] [[<蜀漢 258年>>s258年]] [[<呉 258年>>g258年]]
----
*258年
**太平三年→永安元年(呉)
**皇帝
孫亮(字子明・呉会稽王)→(廃位・会稽王)→孫休(呉景帝)
**皇后
全氏(全尚の娘)→(廃位)→?
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:?→孫綝→(誅殺)→?
太傅:?
**その他の要職(呉)
太常:全尚→(捕縛)→?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:?
大将軍:孫綝(假節・永康侯)→(誅殺)→?
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:?→孫恩(前武衛将軍)
上大將軍:?
**地方官
荊州牧:?→孫綝→(誅殺)→?
----
*主な事件
-三年春正月、諸葛誕が文欽を殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-三月、司馬文王が壽春を落す。諸葛誕及び左右のものは戰死した。將吏以下皆降る。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-秋七月、故齊王の孫奮を章安侯に封じる。詔して州郡に宮材を徴発する。
-八月から沈陰して雨が四十餘日降らなかった。四十餘日
-孫亮は孫綝の専横に対して、太常の全尚、將軍の劉丞と謀り孫綝を誅殺せんとした。四十餘日
-九月戊午、孫綝は兵を向かわせ全尚を捕らえ、弟の孫恩を遣わして劉丞を蒼龍門外で攻め殺す。大臣を召して宮門に集め、孫亮を會稽王にするとした。時に孫亮は年十六。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-己未、孫綝は宗正の孫楷と中書郎の董朝を遣わして孫休を迎える。孫休は初めその意を疑った。孫楷、董朝は孫綝等が奉迎する本意について説明した。一日二夜留まって、遂いに出発した。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
-十月戊寅、一行は曲阿に至る。老公が有って孫休に叩頭して曰わく「事は時間をかけますと変事が生じます。天下は待ちわびているのです。願わくば陛下速やかに行かれますよう」孫休は之を善しとして是日出発し布塞亭に到着する。武衛將軍の孫恩が行丞相事として百僚を率い乘輿法駕をもって永昌亭に出迎えた。宮を築き、武帳をもって便殿と為す。御座を設ける。
-十月己卯、孫休が到着し便殿を望み住まうのを止めた。孫楷を遣わして先ず孫
2010-05-05T23:38:51+09:00
1273070331
-
g257年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/196.html
[[<魏 257年>>257年]] [[<蜀漢 257年>>s257年]] [[<呉 257年>>g257年]]
----
*257年
**太平二年(呉)
**皇帝
孫亮(字子明・呉会稽王)
**皇后
全氏(全尚の娘)
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:?
太傅:?
**その他の要職(呉)
太常:?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:?
大将軍:孫綝(假節・永康侯)
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:?
上大將軍:?
----
*主な事件
-二年春二月甲寅、大雨。震電。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-二月乙卯、雪。大寒。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-二月、長沙東部を湘東郡に、西部を衡陽郡に、會稽東部を臨海郡に、豫章東部を臨川郡と為す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-夏四月、孫亮は正殿に臨む。大赦。親しく政事に関わり始める。孫綝が上奏したものの多くを見て難問する。また、兵の子弟で年十八以下十五以上のものに科して三千餘人を得る。選んで大將の子弟で年少の勇力ある者を將帥と為す。孫亮曰わく、「吾が此軍を立て一緒に成長していこうと思っている」日中苑中で習練する《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-五月、魏の征東大將軍の諸葛誕が淮南を以て叛旗を翻し壽春城を固守する。將軍の朱成を遣わして臣と称し、又子の諸葛靚、長史の吳綱、諸牙門の子弟を質として遣わす。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-六月、文欽、唐咨、全端等を遣わして步騎三萬で諸葛誕を救う。朱異は自ら虎林軍を率いて夏口を襲う。夏口の督の孫壹は魏に奔る。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-秋七月、孫綝は軍を率いて壽春を救う。鑊里に至り、朱異が夏口から到着する。孫綝は朱異を遣わして前部督と為し、丁奉等と將介士五萬で圍を解く。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-八月、會稽南部が叛き、都尉を殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-鄱陽、新都の民も亂を為す。廷尉の丁密、步兵校尉の鄭冑、將軍の鍾離牧は軍を率いて之を討つ。朱異は軍糧が乏しくなったので引還した。孫綝は大いに怒った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-九月朔己巳、朱異を鑊里で殺す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-九
2010-05-05T23:38:10+09:00
1273070290
-
g256年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/195.html
[[<魏 256年>>256年]] [[<蜀漢 256年>>s256年]] [[<呉 256年>>g256年]]
----
*256年
**五鳳三年→太平元年(呉)
**皇帝
孫亮(字子明・呉会稽王)
**皇后
全氏(全尚の娘)
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:孫峻→(死亡)→?
太傅:?
**その他の要職(呉)
太常:滕胤?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:呂岱(前上大將軍)→(死亡)→?
大将軍:?→孫綝(假節・永康侯)
驃騎将軍:呂據→?
車騎将軍:劉纂
衛将軍:滕胤
上大將軍:?
----
*主な事件
-太平元年春正月、孫權の廟を立て、太祖廟と称す《三国志呉書三嗣主伝孫亮に引く吳歷》
-太平元年春二月朔、建業で火災があった。孫峻は征北大將軍の文欽の計を用いて、魏を征討した。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-八月、先に文欽及び驃騎將軍の呂據、車騎將軍の劉纂、鎮南將軍の朱異、前將軍の唐咨の軍を遣わして江都から淮、泗の領域に入った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-九月丁亥、孫峻が卒す。從弟で偏將軍の孫綝を侍中、武衛將軍、領中外諸軍事と為し、呂據等を召還する。呂據は孫綝が孫峻に代わったことを聞いて大いに怒った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-己丑、大司馬の呂岱が卒す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-壬辰、太白が南斗を犯す。呂據、文欽、唐咨等は衛將軍の滕胤を丞相と為すよう表薦したが孫綝は聽かず。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-癸卯、(呂據らは)更に滕胤を大司馬と為して呂岱に代わって武昌に駐在させた。呂據は兵を引き還えし、孫綝を討たんと欲す。孫綝は使者を遣わして詔書をもって文欽、唐咨等を告喻させ、呂據を逮捕させようとした。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-冬十月丁未、孫憲及び丁奉、施寬等を遣わして舟で逆に呂據を江都に討たんとする。將軍の劉丞は步騎を督して胤を攻め、胤は敗れ三族皆滅んだ。
-己酉、大赦。改年。
-辛亥、呂據を新州で捕らえる。
-十一月、孫綝を大將軍、假節と為し、永康侯に封じる。孫憲は將軍の王惇とともに孫綝を謀殺させんと欲すが事が発覚し孫綝は惇を殺す。憲を追捕させ自殺するよう命じた。
-十二
2010-04-30T12:35:03+09:00
1272598503
-
g255年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/194.html
[[<魏 255年>>255年]] [[<蜀漢 255年>>s255年]] [[<呉 255年>>g255年]]
----
*255年
**五鳳二年(呉)
**皇帝
孫亮
**皇后
全氏(全尚の娘)
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:孫峻
太傅:?
**その他の要職(呉)
太常:滕胤?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:呂岱(前上大將軍)?
大将軍:?
驃騎将軍:朱據
車騎将軍:?
衛将軍:滕胤?
上大將軍:?
----
*主な事件
-二年春正月、魏の鎮東大將軍の母*丘儉、前將軍の文欽が淮南を之西入。樂嘉で戦う。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-閏月壬辰、孫峻及び驃騎將軍の呂據、左將軍の留贊は兵を率いて壽春を襲撃する。軍は東興に着いた所で欽等が敗れたことを聞いた。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-壬寅、兵は橐皋まで進み、欽はやって来て孫峻に降った。淮南の餘衆數萬口が來奔した。魏の諸葛誕が壽春に入り、孫峻は軍を引き上げた。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-二月、魏の將軍の曹珍と高亭で遭遇し、交戰する。曹珍は敗れ、留贊為誕別將蔣班所敗于菰陂,留贊及び將軍の孫楞、蔣脩等は皆殺される。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-三月、鎮南將軍の朱異を遣わして安豐を襲撃させるが勝てず。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-秋七月、將軍の孫儀、張怡、林恂等が孫峻の謀殺を計るも發覺し、孫儀は自殺、林恂等は辜に伏せた。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-秋七月、陽羨の離里山の大石が自ら立った。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-衛尉の馮朝に廣陵に城を築かせ、將軍の吳穰を廣陵太守に、留略を東海太守と為す。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-是歲、大旱。
-十二月、太廟を作る。馮朝を監軍使者、督徐州諸軍事と為す。民は飢え軍士は怨畔《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
----
*誕生者
*死没者
----
**注
----
&link_up(▲PAGE TOP)
[[254年<<>g254年]] [[>>256年>g256年]]
2010-04-14T12:53:27+09:00
1271217207
-
g254年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/193.html
[[<魏 254年>>254年]] [[<蜀漢 254年>>s254年]] [[<呉 254年>>g254年]]
----
*254年
**五鳳元年(呉)
**皇帝
孫亮
**皇后
全氏(全尚の娘)
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:孫峻
太傅:?
**その他の要職(呉)
太常:滕胤?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:呂岱(前上大將軍)?
大将軍:諸葛恪(前威北將軍)?
驃騎将軍:朱據
車騎将軍:?
衛将軍:滕胤?
上大將軍:?
----
*主な事件
-五鳳元年夏、大水。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-秋、吳侯の孫英が孫峻の謀殺せんとするが発覚した。孫英は自殺した。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-冬十一月、星茀于斗、牛《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-是歲、交阯で稗草が稻に変化した《三国志呉書三嗣主伝孫亮に引く江表傳》
----
*誕生者
*死没者
----
**注
----
&link_up(▲PAGE TOP)
[[253年<<>g253年]] [[>>255年>g255年]]
2010-04-14T12:54:13+09:00
1271217253
-
g253年
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/192.html
[[<魏 253年>>253年]] [[<蜀漢 253年>>s253年]] [[<呉 253年>>g253年]]
----
*253年
**建興二年(呉)
**皇帝
孫亮
**皇后
(空位)→全氏(全尚の娘)
**皇太子
(空位)
**三公(呉)
丞相:→孫峻
太傅:諸葛恪(大将軍)→(死亡)→(空位)
**その他の要職(呉)
太常:滕胤?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:?
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:呂岱(前上大將軍)?
大将軍:諸葛恪(前威北將軍)?
驃騎将軍:朱據
車騎将軍:?
衛将軍:滕胤?
上大將軍:?
----
*主な事件
-二年春正月丙寅、皇后に全氏を立てる。大赦。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-正月庚午、王昶等は皆撤退した。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-二月、東興から軍を還す。大いに論功行賞する。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-三月、諸葛恪は軍を率いて魏を討伐する。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-夏四月、新城を囲む。大疫。兵卒では大半が死んだ。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-秋八月、諸葛恪は軍を帰還させる。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-冬十月、大饗。武衛將軍の孫峻は兵を伏せて諸葛恪を殿堂で殺す。大赦。孫峻を丞相と為し、富春侯に封ず。《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
-十一月、大鳥五羽が春申に現れた。明年より改年する《三国志呉書三嗣主伝孫亮》
----
*誕生者
*死没者
-諸葛恪:
----
**注
----
&link_up(▲PAGE TOP)
[[252年<<>g252年]] [[>>254年>g254年]]
2010-04-14T12:54:55+09:00
1271217295